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第2話

作者: 清水雪代
祐介はその夜、家に帰らなかった。

けれど智美は彼がどこにいるのか分かっていた。

麻祐子のSNSには、千尋の帰国祝いのパーティーがライブ配信されていた。

祐介は大桐市最大のホテルを貸し切り、一晩中花火を打ち上げたらしい。

美しいシャンパンローズが、会場の隅々まで飾られていた。

彼の友人たちが千尋の帰国を祝い、会場は華やかなムードに包まれていた。

そこは、智美が一度も踏み入れたことのない世界だった。

祐介にとって、彼女はただの世話係。友人に紹介することもなければ、誰かに彼女の存在が知らされることもなかった。

朝食を食べ終わると瑞希から離婚協議書と離婚届が送られてきた。

彼女は名前を書き入れ、テーブルの上に置いた。

そのあと買い物かごを持って家を出た。

契約には、【婚姻中は祐介の生活の面倒を見ること】と明記されている。

だから、彼が家に帰らなくても夕飯はきちんと用意しておかなければならない。

夜8時、祐介が帰宅した。

きちんとスーツを着ていて、どうやら会社で着替えたらしい。

智美が料理を温めようとしたとき、「いい、今からまた出かける」と彼は言い、彼女を見ずに二階へ上がった。

智美は後を追い、彼が風呂場に入るのを確認すると、着替えを用意してドアの横に置いた。

下に戻り食卓の椅子に腰掛け、彼がシャワーから出てくるのを待っていた。離婚について話すつもりだった。

やがて彼は腕時計をつけながら降りてきた。「明日の夜から三日間、羽弥市に出張だ。荷物を準備しておいてくれ」

智美は「うん」とだけ返事をし、テーブルの上の書類を手に取った。

「この書類、見てもらいたいんだけど……」

彼は急いでいる様子で、「君の母さんの治療費の申請か?」とたずねた。

毎月彼女が費用を申請する際は、契約書を用意し、支出明細を添えることになっている。

一番大きな出費は、彼女の母の治療費だった。

彼はすっかり慣れたように書類を開きもせず、最終ページに署名した。

「これでいいだろう。荷物、ちゃんとまとめておいてくれ」

そう言って玄関を開け、出て行った。

智美はその背中を見送りながら、ぼんやりと笑った。

実のところ、母の容体はすでに安定していて、半年以上前から治療費の申請はしていなかった。

けれど彼は、それにすら気づいていなかった。

彼女は離婚協議書と離婚届を近所の郵便局から、瑞希に送った。

瑞希のやり方なら、役所に行かずとも離婚協議書と離婚届は処理できるはず。

ただし、時間は必要だった。

あと1ヶ月、彼女はこの家にいなければならない。

スマホを開くと、麻祐子の投稿が目に入った。

飛行機のチケットの写真とともに、【お兄ちゃんとお姉さんのおかげで、羽弥市で大好きなアーティストのライブに行ける!】と書かれていた。

つまり、祐介の出張は千尋とのコンサート旅行だった。

祐介が出張中、智美も忙しくしていた。

不動産業者を回り、1LDKの部屋を借りた。

瑞希が譲ってくれる予定の別荘は、良い物件だが、勤務地から遠く通勤に不便だ。

管理費も高いため、登記が済んだら売却して手元に資金として残すつもりだった。

母の治療費ももう多くはいらない。

家に戻ると、荷造りを再開した。

クローゼットを見渡すと、そこにある服はすべて、結婚前に自分で持ち込んだものばかりだった。祐介が彼女のために服を買ったことなど一度もない。

逆に彼のために買った服はどれもタグ付きのまま。

彼はいつも決まったブランドしか着なかった。

そのブランドが、千尋のお気に入りだったことを彼の妹から聞かされた。

自分が選んだ服など、彼の眼中になかったのだ。

そんな服は持っていても仕方がないので、すべてネットで安く売りに出した。

3日間で荷造りは完了し、自分の物はすべて新居に送った。

正直、彼が気づくとも思えなかった。

彼は家の中の物に、何一つ関心を持っていないから。

大桐市に戻る前、祐介から電話があった。

「明日、山口家の叔父の葬儀に行く。準備しておいてくれ」

山口家は渡辺家と付き合いの深い名家。

以前、智美も山口家の家族の集まりに同行したことがあった。

だから葬儀にも出席しなければならない。

本当はこういう場は苦手だった。

彼の交友関係の中では、自分などただの異物。

居心地の悪い視線が常に付きまとう。

自分の性格も、人に取り入って好かれるようなタイプではなかった。

でも断る権利はない。

まあ、もうすぐ離婚する。今後はこんな場に行くこともなくなる。

祐介が帰宅しても、家の変化には気づかなかった。

彼の荷物は智美がまとめたので、クローゼットの半分が空いていることも知らない。

「前に着てた服、あまり似合ってなかった。母さんに見てもらったほうがいい」

彼がスマホをさわりながら言った。

「分かった」と彼女は返事した。

彼が服装に口を出すのは、こういう時だけだ。

自分のメンツを保つためで、彼女を気にかけてのことではない。

彼女は瑞希に連絡を入れ、用意してもらった服を受け取った。

サイズもぴったりで、当日の準備は整った。

翌日、彼の車の助手席に乗り込み、山口家の葬儀へ向かった。

助手席でふと違和感を覚え、隙間に指を入れると、小さな黒いヘアピンが出てきた。

誰のものかは、すぐに察しがついた。

千尋が何度もこの席に座ったのだろう。

智美は皮肉めいた笑みを浮かべた。

幸いにも離婚手続き中だ。

でなければ、きっと吐き気がしたに違いない。

葬儀には千尋も姿を現した。

実際に彼女を見るのは、智美にとってこれが初めてだった。

ほっそりとした体に、智美とよく似た黒いドレス。薄化粧が彼女の儚げな美しさを際立たせていた。

まさに無垢な白い花。

彼女は祐介に近づき、「祐介くん」と甘えていた。

智美の存在を意識したのか、腕を組むことはしなかった。

祐介は微笑みを浮かべ、「千尋ちゃん」と呼びかけた。

そして隣の智美を指して言った。「こちらは智美」

彼の言葉に、智美はふと気づいた。

千尋には千尋ちゃんと呼びかけ、自分は智美。

もう気にしていないはずだった。

でも、どこか滑稽に思えた。

そのまま二人の雰囲気を壊すのも嫌で、「お義母さんに挨拶してくる」と告げて、その場を離れた。

祐介は去っていく智美の背中をじっと見つめていた。その表情には、少しだけ不機嫌さがにじんでいた。

それを見た千尋は不安を覚えた。

祐介は、智美のことなんて気にも留めていないんじゃなかったの?

でもあの目は、少しは気にかけているように見えた。

彼女はその不安な気持ちを打ち消そうと、心の中で強く言い聞かせた。

自分と祐介は幼なじみであり、お互いに初恋の相手だ。負けるはずがないと。

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