Masuk僕は、狗飼家から離縁され、実家へ戻った。
魂が抜け落ちたみたいに、ただ、ぼんやりと毎日を過ごしていた。離縁の理由を知った時の、じいちゃんとばあちゃんの怒りは相当なものだった。「だから、両生類の名前の家は信じられんのだ!」と怒鳴るじいちゃんに、僕は心の中で小さく呟く。(……じいちゃん、竜は伝説上の生き物だよ)いつもなら即ツッコミを入れるのに、その時の僕には、言葉を発する元気はなかった。そんな僕を見て、じいちゃんは心配そうに眉を下げた。「こんな事になるなら、偽装結婚なんてさせるんじゃなかったな」優しく頭を撫でられ、じわりと涙が滲んだその時だった。「ねぇ、来人君って鼻炎持ちなの?」突然、母さんが現れて、そんな事を言い出した。「は?」「だって、魂の片割れを、嗅ぎ分けられないなんて、おかしいでしょ?」「え? ……誰と誰が?」「やだ、春ちゃんも鼻炎?「誰が鼻中学に入学してから、長期休暇で帰省する度に、祐希から笑顔が消えていった。 あれは中学二年の夏。真夏だというのに長袖のタートルネックを着ていた祐希に違和感を覚え、風呂場に乗り込んで——俺は絶句した。見なかったことにするには、あまりにも衝撃的だった。俺はすぐに親父に相談し、祐希を転校させた。すると今度は、神蛇家が祐希を養子に欲しいと言ってきた。その名を聞いた瞬間、祐希の目が揺れた。──あいつの傷は、神蛇にある。そう確信した。だが母さんは、そんな祐希を神蛇家に預けると言い出し、親父と衝突を繰り返した。祐希は、そんな両親の姿に静かに心を痛めていた。(兄の俺が言うのもなんだけど、優しい良い子なんだよ……祐希は) 母さんが祐希を使って神蛇家に復讐しようとしていると親父から聞き、俺は祐希を守ると決めた。親父が祐希を全寮制の学校に入れた理由も分かる。だが、その選択が祐希をさらに傷つけたのも事実だった。そんなある日、小林が声を掛けてきた。「祐希の護衛をさせてくれないか?」思わず首を傾げる。「護衛って……」苦笑する俺を、小林は真っ直ぐに見つめ返した。その日を境に、小林が怪我をしている姿を見かけるようになった。そして──怪我が増えるほどに、あいつは“神蛇に対抗する力”を求めるように、神道へと沈んでいった。
俺には、五つ年下の弟がいる。弟は母親に似て容姿が美しく、天使のように愛らしい純粋無垢な子だった。そんな祐希に邪な感情を持つ輩が近付かないよう、俺はありとあらゆる手段で排除してきた。そんな俺をブラコンだと馬鹿にする輩が多い中、「綾人は、本当に弟が可愛いんだね」唯一、親友の静《せい》だけは、俺の行動を否定しなかった。静は名前の通り物静かで穏やかな性格だ。男五人兄弟の下から二番目だからか、出会った頃から妙に落ち着いていた。誰に対しても優しく、その穏やかな性格から女子からの人気も凄まじかった。そんな静と仲良くなったのは、席替えで隣になったのがきっかけだった。神社の跡取り息子である俺に対しても偏見のない、フラットな態度に、俺は自然と心を許していった。いつしか無二の親友となった静を、我が家に招いたのが運の尽きだった。俺は、静なら弟もいるし大丈夫だろうと祐希を紹介した。祐希は俺の親友を紹介されるのが嬉しかったらしく、いつも以上に可愛らしい笑顔で「はじめまして。竜ヶ峰祐希です」と、光り輝くような笑顔で挨拶した。その瞬間、静が固まった。ピクリとも動かず、瞬きすら忘れているようだった。そんな静を心配した天使の祐希が、首を傾げて「あの……?」と、無反応の静を上目遣いで見上げた。(あぁ……今日も、うちの祐希《天使》が可愛い……!)なんて感動していると、突然、静が祐希の両手を掴み「好きです! 結婚して下さい!」と言い出した。祐希はその勢いに驚いたらしく「怖い~~~!」とギャン泣き。俺はすぐさま祐希を隠すように抱き締め「静、お前は祐希に近付くな!!」と叫んだ。今思えば、これが運命の出会いというやつだったのだろう。静は中学でも高校でも、それはそれはモテた。しかし、どんなに女子が告白しようが
拝啓竜ヶ峰祐希様お元気ですか?お二人が霊山に入って、1ヶ月が経過しました。まだ一ヶ月なのに、祐希がいない生活が寂しく感じるなんて、不思議な感じです。こっちは相変わらずの毎日だけど、そっちはどうですか?来人は祓いの仕事が夜に多いからか、朝寝坊でライトの散歩の時間が遅くなって困ってます。(祐希と付き合ってた時からそうだった?)祐希はどう?きっと、小林さんと規則正しい生活を送っているんだろうな。会って、たくさん話をしたいよ。また手紙書くね。猫柳春馬拝啓猫柳春馬様元気そうだね。こっちは日が昇ったら起こされて、日が暮れたら就寝だよ(笑)来人も僕も、夜行性だったからね。朝は苦手だったよ。春馬は健康的な生活してたっぽいよね。小林? あいつ、人間じゃないよ。朝、日が昇る前に起きて境内の掃除してるんだよ。信じられない。あいつ、絶対前世は坊さんだったよ。次に会った時、ライトは触らせてくれるかな?僕、動物好きなんだけど、飼ったことないんだよね。春馬がいたら、ライトも触らせてくれる気がするんだ。ライトに触らせてくれるなら、会ってあげてもいいよ。手紙、また気が向いたら返事書くね。竜ヶ峰祐希***「春馬、どうした?楽しそうに手紙読んでるけど」手紙を読んでいると、来人が声を掛けて来た。「祐希からの手紙だよ」「あぁ……春馬と祐希は文通してるんだっけ?」来人はソファーに座る僕の横に座ると、肩に頭を預けて来た。「文通……って言ったら、祐希は怒りそうだけどね」苦笑いを浮かべた僕に「でも、手紙を出すと必ず返事が来るんだろう?あいつは基本的に面倒くさがりだから、春馬のことが気に入ったんだろう」と答えた。でも、少し拗ねているのが分かる。「なに?嫉妬してるの?」「そりゃあね。祐希から手紙が来る度、嬉しそうにされたら、嫉妬しちゃうよね」来人の言葉に小さく笑い「祐希がさ、今度会ったらライトを撫でたいんだって」と言うと「はぁ?」と、来人が頭を上げた。「あ!来人じゃなくて、ライトだからね!」僕の言葉に、来人が目を据わらせた。「春馬、お前……わざとだろう?」僕を抱き締める来人に、僕は笑い転げた。幸せな時間。幸せな瞬間。穏やかな日々……。竜ヶ峰も、こんな時間を過ごしていると良いな。***「春馬さんからの手紙です
あの後、僕たちは猫柳家に集合した。「とりあえず、春馬、来人君。護衛、ご苦労さま」じいちゃんはそう言うと、白い封筒を差し出した。来人と顔を見合わせる。「それは、竜ヶ峰家からの報酬だ」そう言われて、僕たちは同時に首を横に振った。「祐希の護衛は、俺のけじめだったので……」来人がそう言うと、じいちゃんは険しい顔になった。「竜ヶ峰家のけじめなんだそうだ。受け取りなさい」静かに、しかし強く言われる。差し出された封筒は、見ただけでそれなりの金額が入っていそうだった。……でも。これを受け取ったら、もう竜ヶ峰に会えなくなる気がして、怖かった。すると母さんが、軽い口調で言った。「受け取りたくないなら、二人で返しに行けばいいじゃない?」僕たちは思わず顔を見合わせる。「竜ヶ峰家は……僕たちと話してくれるかな?」ぽつりと呟くと、じいちゃんは小さく笑った。「春馬、勘違いするな。これは手切れ金じゃない。むしろ、お前たちには感謝していると話しておったよ」その言葉に、胸が少し軽くなる。「祐希君がな、『僕にも友達が出来たんだ』と嬉しそうに話しておったそうじゃ」——多分、春馬のことじゃろうな。そう続けられて、僕の目に涙が滲んだ。「竜ヶ峰が……僕を?」「じゃからな、春馬にとっても初めての友達だと、そう答えておいた」じいちゃんの言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。……ああ、僕たち。ちゃんと、友達になれていたんだ。「だったら、尚更受け取れないよ。友達を助けるのは、当たり前なんだから」そう言った僕の隣で——来人がしょんぼりしていた。「春馬が友達なら、俺は?」「は? 来人は元カレ
僕の叫びよりも早く、来人が迫り来る黒い蛇を断ち切った。「ワンッ!」僕の腕の中に、ライトが飛び込んできた。その身体をぎゅっと抱き締めた瞬間——眩い閃光が、辺りを包み込む。次の瞬間、光の中から遠吠えが響いた。振り向いた先には——以前にも見た、あの犬の影。それが今度は、無数となって神蛇の黒い蛇へと襲いかかっていく。「これは……一体誰が?」来人が驚いた声を上げる。すると神蛇は、舌打ちをして「チッ……多勢に無勢とは、卑怯な奴等だな」そう吐き捨てた。「ハニー、また近いうちに会おう」そう言って、こちらに投げキッスをしてくる。僕が反応するよりも早く——来人がそれを一刀のもとに斬り払った。そして——気付いた時には、神蛇の姿は消えていた。「来人! 春馬君、大丈夫か?」光がゆっくりと収まり、その先から狗飼家の当主が姿を現す。「親父! あの式神、親父だったのか!?」驚く来人に、「あぁ、春馬は知らなかったか。親父は昔、術が使えなかったんだ」と説明が入る。……なんだろう。当主様の背後から感じる、母さんのドヤ顔。「あぁ……番になったことで、封印が解かれたんですね」そう呟くと、「なんだそれ!」来人がすかさず拗ねた声を上げる。「来人、なんで拗ねてるんだよ」「はぁ? 唯一、親父に勝ててたのは能力者ってところだったのによ」唇を尖らせるその姿に、「ふふふっ、来人君ったら子供みたい」と、母さんが笑った。どうやら、あの閃光は母さんの仕業だったらしい。光が完全に消え、母さんがこちらへ歩み寄ってくる。「ライトを連れて来てくれたのも、母さんたちだったんだね」そっと頭を撫でると、「これからは一緒に連れて行きなさいよ。今の来人君みたいに拗ねちゃって、大変だったんだから」と呟いた。その瞬間——来人とライトが、同時に顔を見合わせる。そっくりな表情に、僕たちは思わず吹き出した。「ごめんな、ライト。さっきは大丈夫だったか?」殴られた場所に、そっと力を流す。ライトは「くぅん」と甘えながら、僕の頬をぺろぺろと舐めた。「ライトは、僕のヒーローだよ」そう言って抱き締めた、その時——「ごほん!」頭上から、わざとらしい咳払いが落ちてくる。見上げると、来人がじっとこちらを見ていた。僕はライトを撫でながら、「はいはい、来人もかっこよ
「やぁ、ハニー。久しぶり」背後に黒い蛇の影を従え、神蛇が現れた。その顔に、思わず眉間にしわが寄る。「険しい顔のきみも、とってもキュートだよ」楽しげに笑うその表情が、ひどく不快だった。「僕たちは、永遠に会いたくなかったけどね」そう返しながら、僕と来人は並んで鳥居の前に立つ。霊山──あの先は神域だ。簡単に踏み込ませるわけにはいかない。「きみがそんなに嫉妬深いなんて思わなかったよ。祐希を霊山に閉じ込めるなんて……。まぁ、あの美しさは芸術レベルだから、分からなくもないけどね」神蛇の言葉に、嫌悪感が込み上げる。僕は一歩下がり、来人の背中を掴んだ。「大丈夫だ、春馬。春馬は俺が守る」振り向いた来人が、優しく笑う。「来人……」その一瞬──「僕の前でイチャイチャされると、腹が立つんだけど?」神蛇の背後の蛇が、鞭のようにしなりながら襲いかかってきた。来人は右手から剣を出現させ、一閃。黒い蛇を次々と切り裂いていく。「お前、そんなんだから祐希に振り向かれないんだよ」呆れたように言う来人に、「はぁ?祐希は僕にとって、美術品みたいなものだよ。眺めて楽しむ存在だ」神蛇は平然と答えた。「ハッ!ふざけんな!あいつを絶望に突き落としたくせに!」来人の怒りに呼応するように、剣に炎が宿る。神蛇はそれを見て、くつくつと笑った。「祐希を絶望に落としたのは、きみたちだろう?」その言葉に、空気が凍りつく。「何度も呼んでたよ。“来人、助けて”ってね」神蛇の口元が歪む。「絶望に打ちひしがれる祐希も……本当に美しかった」恍惚とした表情。吐き気が込み上げる。
僕は深い深い海の底にたゆたっていた。 「春馬……春馬……」優しい声が聞こえる。誰?……僕を呼んでいるのは、誰?ふわりと、優しい手が僕の頭を撫でた。「頑張ったね」大きい手が、父さんの手だと……なんとなく分かった。 「春馬……きみたちには、この先たくさんの試練が待っている。だからね、きみの番には最終課題を与えようと思うんだ」そう言われて、僕は父さんを見あげた。彰兄さんが、父さんに面差しが似ているって聞いていたけど、実際は父さんの方がガッシリしていて男らしい。 「……あまり虐めないであ
『春菜』と呼ばれ、思わず動揺してしまう。すると腕を掴まれ 「やっぱり、春菜なのか?……生きて、いたのか?」まるで祈るかのような切実な問いに、声が出ない。少し痩せたのか、やつれて頬がこけている。鍛え上げられていた身体も、筋肉が落ちているようだった。 ──何故、こんな姿に? 疑問が湧き上がる僕に、来人が何かを言おうと口を開いたその時だった。 「春馬君!」彰兄さんが僕と来人の間に割り込み、僕の腕を掴んでいた来人の手を、強く掴んで睨み上げた。 「狗
「それで、だけど……」と、母さんと僕の会話を黙って聞いていたばあちゃんが口を開いた。「突然、春菜が消えて春馬が現れたら、偽装結婚がバレちゃうでしょう?だったら、春菜は死んだことにしましょう」ばあちゃんは、黒い笑顔で言い出した。さすが猫柳家の血を引く女だ。『うちの春馬を傷付けて、あんなはした金で許されると思うなよ』そんな顔をしている。「亮二には悪いが、きちんと息子を育てられなかった落とし前、着けてもらわないとねぇ……」「あら、お母様。悪いお顔」そう言っ
「なぁ……来人」「ん?」「母さんが言ってた神蛇家って、何なの?」母さんたちを見送り、ライトのブラッシングをしながら尋ねると、本を読んでいた来人が静かに本を閉じた。「春馬は、十三家紋のことをどこまで知ってる?」逆にそう聞かれてしまう。ぶっちゃけ、僕は何も聞かされていない。それは……じいちゃんたちが、僕を外部に出すつもりがなかったからだ。あの日、来人が現れなければ、僕は猫柳家の保護下で、今も何も知らずに生きていたのだろう。黙り込んでいる僕に何を思ったのか、来人が自分の隣のソファーを軽く叩いた。その瞬間、ライトが耳をピクリと動かすと「わん!」と鳴いて、来人が叩いていた場所に