LOGIN家族全員が養女の高瀬莉緒(たかせ りお)の誕生日を祝っているその裏で、私、高瀬美咲(たかせ みさき)は廃工場に閉じ込められ、止まらない血の中で死を待っていた。 莉緒が雇った四人の男たちに暴行され、私の命は風前の灯火だった。 残された最後の力を振り絞り、這うようにしてスマホを拾い上げ、夫の佐久間亮平(さくま りょうへい)に電話をかける。 「亮平……酷い怪我をしたの、助けて……すぐ近くの工場にいるわ。時間は取らせないから」 私の卑屈で弱々しい声を聞いて、電話の向こうで亮平は鼻で笑った。 「美咲、泣き喚いても無駄だと悟って、今度は被害者面か? 莉緒の誕生日パーティーを台無しにするためなら、本当になりふり構わないんだな。さっさとプレゼントを持って戻ってきて莉緒に詫びろ。さもないと、今回はタダじゃおかないぞ」 私が何か言う間もなく、電話の向こうから莉緒が彼を呼ぶ声が聞こえた。 彼は知らない。電話が切れたその瞬間、私がもう彼の許しを必要としなくなったことを。 そして、ベテラン監察医である彼でさえ眉をひそめて避けるような、あの腐敗した死体が――彼が長年憎み続けた妻だということを。
View More砂浜で亮平が手を振ると、莉緒は歓喜の声を上げて彼の胸に飛び込んだ。だが次の瞬間、亮平は莉緒の体を容赦なく海中へと叩き込み、力任せに押さえつけた。不意を突かれた莉緒は激しくむせ返り、必死に手足をバタつかせて足掻く。「りょ……亮平……何を……っ」鼻腔を貫く海水の痛みに、まともな言葉すら紡げない。彼女の意識が飛びかける寸前、亮平は乱暴にその髪を掴んで引き上げた。これまで押し殺してきた平静は、今や剥き出しの殺意へと変わっていた。彼は歯を食いしばり、低く唸る。「……よくも、美咲と俺の両親を殺してくれたな」莉緒は一瞬呆然としたが、やがて顔を歪めて嘲笑い始めた。「気づいてたのね。でもそれがどうしたって言うの?あの女はもう死んだわ!それも、これ以上ないほど惨めな姿でね!」「安心しろ。貴様には、それ以上の地獄を見せてやる」亮平の顔はどす黒い憎悪に染まり、再び莉緒の頭を容赦なく海中へと叩き込んだ。その時、莉緒はポケットからカッターナイフを抜き取り、亮平の手首を深く切りつけた。激痛に亮平が手を離した隙に、莉緒はナイフの刃を彼の頸動脈へと突き立てた。「残念だったわね、亮平。私だって備えくらいしてるわ。そう簡単に殺されるもんか!それにしても意外だわ。あのくず女のために復讐なんて。愛してなんていなかったでしょう?私の前では、あんな女死ねばいいって言ってたじゃない!彼女を殺したのは私よ。でもね、この三年間……彼女の心を何度も、何度も殺し続けてきたのは他の誰でもない――あなたじゃない!今更どの面下げて、愛妻家のふりをしてるのよ!そんなに愛してるなら、彼女のところへ行かせてあげるわ!」叫びざま、莉緒は振り上げたカッターナイフを亮平の首筋目掛けて迷いなく振り下ろした。「動くな!武器を捨てろ!」その時、両親を引き連れた大勢の警官隊が砂浜になだれ込んできた。私はそれを見て、ようやく安堵の吐息を漏らした。両親はあの男たちが去ったあと、賢明にもすぐさま警察へ通報していたのだ。だが莉緒は怯むどころか、亮平の喉元にナイフを深く押し当て、盾にするように身を隠した。「来るな!一歩でも近づいたら、こいつを殺すわよ!」目前で突きつけられた凶刃に、警察官たちは一斉に足を止めた。だがその時、亮平は警察官たちに向かって絶叫した。「俺に構うな!撃て!この
確かに、私は何度も亮平に離婚を切り出した。けれど、彼はそのたびにまともに取り合おうとはしなかった。あの日、夜中に彼が莉緒の部屋から出てくるのを見るまでは。怒りに震えた私は、彼の目の前に離婚届を叩きつけた。亮平は署名するどころか、抗う私を力任せに抱え上げると、寝室へと引きずり込み、ベッドに乱暴に放り投げた。逃げ場を塞ぐような執拗な口づけが全身に浴びせられる。「……莉緒と寝たとでも思ったか?」激しい衝撃が体を突き抜け、乾いた痛みに意識が遠のきそうになる。亮平は私の顎を指が食い込むほど強く掴み上げ、その顔にはどす黒い殺気が立ち込めていた。「美咲、どの面下げて俺をそんな目で見る。俺をここまで不幸にしたお前を、簡単に手放すはずがないだろう。一生俺の傍で、徹底的にいたぶり抜いてやる」涙が溢れて止まらず、やめてと懇願しても彼は止めてくれなかった。翌朝、壁にすがりながら階段を降りた私が見たのは、何食わぬ顔で莉緒の口元にキャビアを運ぶ亮平の姿だった。顔色を失い、ふらふらになりながら階下へ降りた私を、両親は忌々しそうに一瞥した。「何しに降りてきたの。あんたの分なんて、端から用意してないわよ」冷たく突き放すような母の言葉に、心臓を直接握りつぶされたような痛みが走り、今でも思い出すだけで息が詰まりそうになる。亮平が本当に莉緒を愛しているのか、それとも私を怒らせたいだけなのか、もうどうでもよかった。あの日、私は海外の法律事務所に履歴書を送り、この地獄のような家から離れる決意をした。けれど出発直前、妊娠していることが分かった。子供は好きだったし、亮平との子が欲しいと願ったこともあった。それなのに、その事実を知った瞬間、私の心には一筋の喜びも湧かなかった。なぜなら、その子の存在は希望ではなく、私をこの場所に繋ぎ止める「呪いの枷」に他ならないと悟ってしまったから。「お腹に新しい命が宿っていること」を伝えれば、冷え切った亮平の心も少しは和らぐのではないか。そんな淡い期待を抱いて、何度も彼に縋り付こうとした。けれど、彼は私の言葉を最後まで聞く耳すら持っていなかった。そして絶望の底にいたあの日、私は莉緒に拉致され、命を落とした。そんな過去を振り返り、私は長く重い溜息をついた。ふと気づくと、私は実家の前に立っていた。中から
警察官は弾かれたように席を立ち、部屋を飛び出した。亮平は一瞬、魂が抜けたように呆然としていたが、我に返ると必死の形相で後を追った。焦るあまり足元がおぼつかず、無様に転倒しながらも、なりふり構わず駆け出す。同僚の監察医たちも互いに目配せをすると、重い足取りで後に続いた。橋の下の河川敷。亮平は人だかりをかき分け、目の前の光景に息を呑んだ。そこにあったのは、長時間水に浸かって見る影もなく膨れ上がり、鼻を突く凄まじい腐敗臭を放つ私の頭部だった。これまで数百もの遺体を解剖し、死を見つめ続けてきた監察医の亮平の足が、まるでコンクリートで固められたかのように地面に張り付いて動かない。一歩も、近づくことすらできなかった。追いついた他の監察医たちも、その正視に堪えない惨状に、思わず口を押さえてその場にうずくまり嘔吐した。先に発見された胴体も悲惨だったが、この頭部は比較にならないほどおぞましい。何より、カッと見開かれたままの、強烈な怨念と無念を湛えたその瞳が、見る者の心を射抜くようだった。たとえどれほど無惨に変わり果てていても、亮平が私を見間違えるはずはなかった。その瞳に宿る光は、彼にとって何よりも見慣れた、そして避けてきたものだったから。三年間、私はずっと、この瞳で彼を見つめてきたのだから。監察医たちが回収しようと手を伸ばしたが、亮平がその手を強く制した。「……俺がやる」彼は一歩、また一歩と重い足取りで踏み出した。わずか五メートルにも満たない距離が、まるで自分のこれまでの半生をすべて遡るかのように、果てしなく遠く感じられた。亮平は壊れそうな宝物でも扱うかのように優しくその頭部を両手で包み込み、静かに黒い遺体袋へと収めた。見開かれたままの私の瞳と視線が重なった瞬間、亮平は喉を掻き毟るような嗚咽を漏らし、呼吸ができなくなるほど激しく慟哭した。これまでことあるごとに反目し合っていた景吾でさえ、かける言葉を失い、沈痛な面持ちで彼の肩を叩いた。「心中お察しします」という無言の慰めだった。私はその傍らに立ち、男の絶望に染まった表情を冷ややかに見下ろしていた。そして、ふと笑いがこみ上げてきた。亮平、今更どの面を下げて愛妻家のふりをしているの?これこそが、あなたの望んでいた結末でしょう?なぜそんなに辛そうな顔をしているのよ。忘れ
亮平は激しく硬直した。顔に残る青あざを気にする余裕もなく、景吾の胸ぐらを猛然とつかみ上げた。「お前……今、何と言った?」彼は取り乱した様子で床の書類をひったくると、震える声で口走った。「でたらめを言うな。美咲は今朝、家に戻っていたんだ。死ぬはずがない……」しかし次の瞬間、彼の視界を射抜いたのは、鑑定書に記された「一致率99.9%」という残酷な数字だった。亮平は狂ったように景吾を突き飛ばすと、警察署へと向かった。そこでは既に警察官たちが彼を待ち構えていた。「監視カメラの映像は意図的に細工されていましたが、技術部門が復元に成功しました」警察官は沈痛な面持ちで亮平をいたわると、スマホ内の動画を再生した。映像の中、頭に黒い布を被せられた私が、数人の男たちによって廃工場へと放り込まれた。男たちの背後から、一人の小柄な女が歩み寄ってくる。全身を隙間なく覆い隠しており、映像越しにその素顔を窺い知ることはできなかった。亮平は一時停止ボタンを押し、画像を何度も拡大した。そして、彼女の首元に輝く青い光を見た瞬間、彼は座っていられなくなった。それは……彼が莉緒の誕生日に贈ったプレゼントだった。警察官が不審そうに彼を見た。「どうしました?彼女に見覚えがあるのですか?」亮平は力なく首を横に振った。剥き出しになりそうな動揺を必死に抑え込み、平静を装って深く座り直す。「いいえ……心当たりはありません」警察官が再び再生ボタンを押した。映像の中の女は、私の頭を覆っていた黒布を乱暴にひったくると、その顎を指が食い込むほど強く掴み上げた。「私の父を監獄に送り込んだ時、まさかこんな日が来るなんて思わなかったでしょう?」その言葉に、私の瞳が驚愕に大きく見開かれた。「どういうこと?」莉緒は冷酷に嘲笑った。「敏腕弁護士、高瀬美咲。あんたが卒業して最初に手掛けた大型の経済事件……被告人を死刑判決にまで追い詰めた、あの事件よ。私は、あの死刑囚の娘なの。あの時、泣きながら情状酌量を求めた私を一瞥もしなかったこと、今でも鮮明に覚えているわ!だから復讐を決めたの。あんたのキャリアも、最愛の夫も、家族も……そのすべてを根こそぎ奪い取ってやるんだから!」私の脳裏に、封印していた記憶が鮮明に蘇った。それは新人時代、私が心血を注いで立件したあの忌まわしい事件