LOGIN茅野稚菜(かやの わかな)は生まれ変わった。 前世の彼女は卑劣な男に騙され、一家離散の悲運に見舞われた挙句、拉致犯の銃弾に倒れて命を落とした。 死の淵で、ようやく悟ったのだ。安井恭太(やすい きょうた)がたったひとりでアジトへ乗り込み、胸を撃たれてなお、彼女を連れ帰ろうとしてくれていたことを。 彼女の死後も彼は仇を討ち、没落した茅野家を密かに立て直し、最後には彼女の墓前で自ら命を絶った。 舞い散る雪の中、泣き腫らした彼の赤い瞳。それが前世の稚菜の脳裏に焼きついた最後の記憶だった。 だからこの人生で、彼女は迷いなく彼のもとへ嫁いだ。 5年間、彼は宝物のように彼女を大切に守り抜いてくれた。ついに運命が報われたのだと、彼女は信じて疑わなかった。 だが、結婚5周年の記念日の夜。サプライズのため着ぐるみに身を包んでいた稚菜の耳に、仲間たちが別の女性を囲んで話す声が聞こえてきた。 「綾奈さん!ようやく戻ってきてくれたんですね!恭太さん、気が狂いそうなほどあなたを恋しがってましたよ! 身代わりでも置いておかなきゃ、あの人、とっくにあなたの後を追ってたはずです!」
View More唐突な言葉に、恭太は思わず弱々しく笑った。パニックになった彼女が、死の恐怖から自分を慰めようと作り話をしているのだと思った。だが指摘はせず、無理に笑みを浮かべたまま彼女の言葉に耳を傾けた。しかし話が進むにつれ、彼の顔から笑みは消え、表情が真剣なものへと変わった。稚菜が誰も知らないはずの少年時代の秘密を口にした時、恭太はようやく、彼女の語る前世がすべて本当なのだと悟った。だが、真実を知った分だけ、彼の心はさらに激しく痛んだ。前世の稚菜が、あんな悲惨な最期を迎えていたなんて。そして生まれ変わった彼女が自分を唯一の救いだと信じていたのに、自分がその想いを裏切ってしまったとは。心臓が張り裂けそうな後悔が押し寄せ、血の味が込み上がるのを無理やり飲み込み、何でもないふりをして身を起こした。「大丈夫だ、稚菜。前世でも俺は死ななかった。だから今世でも……絶対に死なない。時を超えて俺を探しに来てくれて、ありがとう。俺がお前を愛したのは、綾奈への当てつけとか身代わりなんかじゃない。俺が愛したのは、お前一人だけだ」その真っ直ぐな言葉に、稚菜の頑なだった心が揺らいだ。彼女は手を伸ばし、彼を強く抱きしめた。だがその手に触れたのは、血に染まった病衣だった。「恭太、もう喋らないで。私が医者を呼びに行くから……!」扉を開けようとした瞬間、後ろから彼にきつく抱きしめられた。「急ぐな……お願いだ、もう少しだけ、こうさせてくれ……」命の灯火が消え入りそうな声に、稚菜は動けなくなり、ただ彼の背中を優しく叩き続けた。だが数分後。腰に回されていた腕が力を失い、床へと垂れ落ちた。稚菜の心は一気に奈落の底へ突き落とされた。「恭太ぁっ!」恭太は、どれほど長い時間を眠り続けていたのか分からなかった。前世と今世の夢を、ようやく見終えたかのようだった。重い瞼を開けると全身が痛み、窓の外を見て季節がすでに真夏になっていることに気づいた。呆然と天井を見つめていると、記憶の中の悲痛な叫び声が響き渡った。「もう許したから、恭太!死なないで!」意識が途切れる寸前の、取り乱した稚菜を思い出し、彼は愛おしげな笑みをこぼした。看護師が入ってきたのを見て、しゃがれた声で尋ねた。「あの日、俺を手術室まで連れていってくれた茅野稚菜さんは……今どちらに?
その言葉は、氷の刃のように恭太の心臓を貫いた。胸が激しく波打ち、耐えきれずに鮮血を吐き出した。稚菜の母は悲鳴を上げて救急車を呼ぼうとしたが、恭太は痛みなど感じていないかのように、血まみれの手で稚菜を掴もうとした。だが稚菜は一歩後ろへ下がった。差し出した手は空を切り、恭太は重々しい音を立てて倒れ込んだ。「頼む、俺から離れないでくれ……」稚菜は確かに目の前にいた。だがどれだけ待っても、返事は返ってこなかった。這いつくばるように頭を上げたが、稚菜はすでに背を向けて立ち去っていた。彼女の姿が遠ざかっていく。恭太は「行くな」と叫び続けた。だが意識を失い目を閉じるまで、彼女が振り返ることはなかった。また、あの夢だ。恭太は息が詰まるような苦しみの中で目を覚ました。あの雨の夜から半月。彼は毎晩この悪夢に苛まれていた。荒い呼吸を整え、微かな期待を込めて病室を見回すが、眼差しは次第に暗く沈んでいった。稚菜は来ていなかった。入院して半月、彼女は一度も見舞いに訪れなかったのだ。無力感に苛まれる恭太の病室の扉が開いた。毎日食事を届けに来ていたのは稚菜の母だったが、今日は違った。いつもなら笑顔で応えるが、今日ばかりは心底疲れ切っていた。彼は窓の外を見つめたまま、掠れた声で言った。「……ありがとうございます。でも、もうお気遣いは結構です。病院の食事で十分ですから……」言い終わらぬうちに、食器が床に落ちる乾いた音が響いた。恭太は呆然と振り返った。「恭太。私がここに来るのは、今回が最後よ」立っているのが稚菜だと分かった瞬間、恭太の顔に歓喜の笑みが浮かんだ。「稚菜、来てくれたんだな。ありがとう……」だが言い終える前に、稚菜は背を向けて病室を出て行った。恭太は慌てて起き上がり、よろめきながら後を追った。「稚菜!そこまで冷たくするのか。一度の機会すら与えてくれないのか!?」稚菜は足早に歩いていく。深い傷を負った恭太は、痛みに耐えながら必死についていった。哀願の言葉を重ねたが、最後には声を出すことさえ苦しくなった。それでも稚菜は立ち止まらない。彼の心はどこまでも深く沈んでいく。歯を食いしばって足を止め、傷口を押さえて息を切らした。歩みを緩める気配のない彼女の後ろ姿に、恭太は自嘲めいた笑みを浮かべ、踵を返そうと
稚菜は弾かれたように壁際へ飛び退き、力いっぱい目を擦った。恭太は引きつった笑みを浮かべた。「お義父さんとお義母さんが中に入れてくれたんだ。朝ご飯を届けに来ただけだから、怖がらないでくれ」音を立てないようにトレイを置き、恭太は静かに退出していった。稚菜は両親に確執を打ち明けていなかった。心配をかけたくなかったからだが、その優しさがかえって恭太に付け入る隙を与えてしまった。彼女の表情が険しくなる。すでにはっきり拒絶したのに、しつこくまとわりつく恭太を心底嫌悪していた。怒りが込み上げ、稚菜は布団を跳ねのけて恭太を探しに出た。「出て行って!」食卓のそばにいた恭太は顔を上げ、彼女の目に浮かぶ嫌悪の色に胸を刺された。恭太が口を開く前に、両親が稚菜をたしなめた。「稚菜、何てことを。せっかく来てくれたのに」「仮にも夫婦だったんだ、失礼な態度はよしなさい」稚菜は目を閉じ、これ以上隠さないと決めた。健吾の視線を無視し、震える声で口を開いた。「じゃあ、この人が私に何をしたか知ってるの?」あの1ヶ月の苦しみを、細部を省きつつも、彼女はかいつまんでありのままに語った。詳しいことまでは語らなかったが、それだけでも両親は目を赤くした。恭太も深く首を垂れ、自責の念に沈んだ。話を聞き終えた両親はもはや客をもてなす気力を失い、席を立って追い出そうとした。だがそれより早く、恭太がその場に膝をついた。「お義父さん、お義母さん、全部俺の過ちです。愚かだった俺が悪いんです。今は自分の過ちに気づいています。二度と稚菜を傷つけません。どうかもう一度だけ、機会をいただけませんか」両親に代わり、稚菜が冷たく言い放った。「無理よ」恭太は力なく苦笑した。この結果は最初から予想していた。だが諦めず、立ち上がって稚菜の目を真っ直ぐに見つめた。「どうすれば許してくれる?お前と同じ痛みを味わえば、機会をくれるのか?もう愛してくれとは望まない。ただ、見捨てないでくれ。それだけでいいんだ」恭太は彼女の漆黒の瞳を見つめ、わずかな憐れみでも見つけようとした。だがそこに映るのは、凍りついた虚無だけだった。この瞬間、彼はようやく理解した。最愛の人に冷酷にあしらわれ、心から見えない血を流し続ける、稚菜が味わった痛みを。手立てを失った恭太
稚菜の異様なほど平静な声は、氷の刃のように恭太の胸を貫いた。探し求めた相手を前に、恭太の心はかつてなく揺れ動いていた。「稚菜、ずっと会いたかった!3ヶ月ずっと捜していたんだ。もう俺を捨てないでくれ。約束する。綾奈は二度と現れない。もう誰も俺たちを引き裂けない」血を吐くような恭太の訴えにも、稚菜の心は微塵も動かなかった。彼が慌てて手を取ろうとすると、稚菜は一歩下がって避けた。「……私が離れたのは、綾奈のせいだけだと思ってるの?」答えを待たず、稚菜は関心を失ったように告げた。「もういいわ。あなたがどう考えようと関係ない。私たちは離婚したの。戻るつもりはないわ」言い終えるなり、稚菜は振り返ることなく屋敷へと入っていった。目の前で扉が閉ざされ、恭太は呆然としながらも現実を悟った。しばらく立ち尽くした後、邸宅を深く見つめ、踵を返して去っていった。その背中を見送りながら、健吾は懲りずにまた昔の恨み言を並べ立てた。だが稚菜は取り合わず、ただ恭太の消えた方向を静かに見つめていた。なぜか、前世の恭太が頭をよぎる。自分を庇って銃弾を受け、後を追うように命を絶った男。前世の彼だけは、自分を愛してくれていたのだと思っていた。だがすぐに、稚菜は自嘲めいた笑みを浮かべた。所詮は前世のことだ。それに、彼が自分を救い、茅野家を支えたのも、結局は綾奈のためだったのかもしれない。稚菜は再び心を閉ざし、もう考えないことにした。だが深夜。眠りに就いたばかりのところを、稚菜は両親に起こされた。「稚菜、早く外を見て」寝ぼけ眼で身を起こし、窓の外に目をやった瞬間、稚菜は一気に目を覚ました。午後には帰ったはずの恭太が、冷たい雨に打たれながら、ずぶ濡れのまま立っていたのだ。どれほど長くそこにいたのか、シャツは肌に張りつき、顔色もひどく悪い。それでも彼は動こうとしなかった。やがて稚菜の姿に気づくと、恭太は雨音に負けないよう声を張り上げた。「稚菜!俺が愛してるのは、お前だけだ!これから先も、ずっと変わらない!」声を上げるたびに、息は苦しそうに乱れていく。それでも恭太はその場を離れず、ただまっすぐ稚菜を見上げていた。両親は元々、この娘婿に良い印象を抱いていた。娘の勧めで移住してからは会う機会も減ったが、両親は二人の間に何が