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7.

Author: 酔夫人
last update Last Updated: 2025-12-17 11:00:37

「は~、すごいわ。お祖母様が美香さんを気に入るわけよね……いや、最近は他の人も美香さんのことが好きな気がする。そうだよね、お兄の婚約のことを愚痴りにきたはずなのに、帰るときは全員揃って何が美味しかったとか今度は何を食べたいとか……実際に、あれから三日と開けずに来ている人もいるし」

「蓮司様のご婚約はご親族が集まるキッカケになったのですね」

「まあ、そういう言い方もあるかな……まあ、これから来るイトコたちはある意味本番の人たちだよ。私から見てもお兄に対する忠誠心が強いというか、DNAにお兄の名前が彫られているんじゃないかってくらいお兄ラブなんだよね」

「それでは武美様も?」

「武美ちゃんは中の下、かな。武美ちゃんの弟、お兄と同じ年の武司兄さんがお兄激ラブだから、武美ちゃんはちょっと引いている感じ」

ちょっと引いている感じで中の下なのね……。

「お祖母様もそんな感じでみんなに慕われているし、うちって一代に一人ずつそう言う人が生まれるんじゃないかな」

「成程」

蓮司様を中の下レベルで慕っている武美様は蓮司様の二歳上で、昔から自分の目が黒いうちは蓮司にいい加減な嫁は認めないと仰っていたらしいけれど――。

「武美様の目の色は、先ほど見た感じでは緑色のようでしたが?」

「ヘーゼルアイだった曾祖父様の影響だね」

「ヘーゼルアイ?」

「青色とか茶色って単色ではなくて、茶色や緑色が混じった変わった色の目のことだよ。昼間の外だと緑色が濃く見えて、薄暗い場所だと茶色っぽく見えるの」

「お詳しいですね」

「お父様がそうだから」

隔世遺伝ということなのだろうか。

そう考えると、吉川様のお腹にいらっしゃるお子様ももしかしたらヘーゼルアイかもしれないということね……あら……いま、私、なんて……なんで、羨ましいなんて……。

「美香さん? どうしたの?」

「いいえ、ちょっと……皆様、どのくらいクリームをお付けになるかを考えてしまって」

「たっぷり添えて大丈夫だよ、とても美味しいもん」

「ありがとうございます」

いけない、いけない……他人を羨んでも仕方がないこと。

ずっと、そう考えて生きてきた。

そうでなければ、「どうして」という思いで身動きができなくなってしまう。

 

「お待たせいたしました」

リビングの入口のところでお声がけをすると、お三方の会話がピタッと止んだ。私が三人の前にコーヒーを置き、そのあと朋美様がシフォンケーキを置いてくださった。

あ……先ほども食べていらっしゃったのに、ご自分の前に一番大きなものを……見なかったことにしよう。

「うわっ、美味しい! めちゃくちゃ美味しい! 大叔母様、これはどこのシフォンケーキ?」

「美香さんの手作りよ、美味しいでしょう」

「なんで大叔母様がそんなに自慢げなの……朋美までドヤ顔して……へええ、あなたが噂の家政婦さんか」

和美様に苦笑し、朋美様に呆れた目を向けていた武美様の目が私に向いた。

声にも目にも探るような気配があるけれど、気にしない。自分の仕事は完璧なんて驕る気はないけれど、和美様にご満足いただけているという自負はある。

「お祖母様に気に入られるだけあるわ」

「由美様、でございますか?」

……気に入られていた、かしら。

武美様のお祖母様で、和美様の妹ではなぶさ家に嫁がれた由美様は、和美様に料理やお菓子の感想を求められても「まあ、まあ」と仰るだけで、気に入られたという印象はない。

でも、それが嫌だという印象はない。

先程もそう思ったけれど、私を雇っているのは和美様であり、和美様が満足するならよい。味には好みもあり、万人が美味しいと思うものなんてない。

「お祖母様は人見知りでツンデレなのよ」

ツンデレ……武美様の言葉に、和美様たち他の方も頷いていらっしゃる。

「私、三日前に深夜に日本に帰ってきたのよ」

それで翌日桐谷家に乗り込んで、本日はここにいらっしゃる……バイタリティ溢れる方なのね、武美様は。

「朝起きて、久しぶりにテニスのラケットを出してきて素振りをしたの。私、中学校、高校とテニス部で、全国大会までいったのよ」

「すごいですね」

「ありがとう。昔取った杵柄というやつで平手打ちには自信があるんだけど、ちゃんと決めたいから練習しておこうかなって思って素振りをしていたの」

……ん?

「武美ちゃんの平手打ち、風の唸る音からのブワッチーンって気持ちいい音がするよね。あれで、まだ練習必要?」

それはすごいわ。

「しばらく誰も叩いていないから、ちょっと自信がなくて」

「それで、やったの? 相手は一応妊婦だよ」

「それだから、とりあえずやめておいたわ。でも吉川凛花……あの子、相変わらずね。出会って三分で引っ叩きたくなるのってあの子と武司くらいよ」

「……武司兄さん、帰ってこないわけだね。それで、由美大叔母様がどうしたの?」

「そうそう」と武美様は話の軌道を修正なさった。

「お祖母様ときたら、『美香ちゃんの茶わん蒸しがまた食べたくって。でも作ってなんて図々しいでしょう? だから茶わん蒸し好きの人を誘って和美姉さんのところに行こうと思うのに予定が合わなくて……武美、あなた茶わん蒸し好きよね。ずっと好きだったわよね。今度私と一緒に和美姉さんのところに行きましょう!』って、私は茶わん蒸しじゃなくてプリン派だっていうのに。あ、もちろんシフォンケーキも好きよ。特にこのシフォンケーキ、卵の味が濃くって最高!」

武美さんがぐるんっと私を見た。

「また作って。プリンは作れる?」

「それなりのは……お店のもののように滑らかではなく、硬めになってしまいますけれど」

「作って! あと、お祖母様に茶わん蒸しも作ってあげてほしいの。本当においしかったみたい。食事中も口を開けばため息とともに『美香さんの茶わん蒸しが食べたい』だもの。ねえ、お父さん」

武美様がお隣に座っていらっしゃった春樹様に声を掛けられた。

春樹様は先ほどからずっと、黙々とシフォンケーキをお食べになっていたのよね。甘い物は少しでいいという男性が多いから少な目にしたけれど、甘い物がお好きだったのかしら。

「そうだねえ」

……え?

この声、どこかで聞いたような……花嶺家にいらっしゃったことが……いや、何か違うし、お顔に見覚えはない……やっぱり、初めて会った方だろうか。

でも……どうしてだろう。

なぜか、春樹様を怖いと感じる。

「美香さん? 顔色が悪いけれど、どうしたの? ……美香さん!」

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