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#9.第二話「神父アーサーと白い〝野獣〟」③

Author: あともす
last update publish date: 2026-07-14 19:00:29

 刻々と迫りくる嵐を迎え撃つべく、アーサーは急ぎ教会内の点検を終え、外回りを確認しようと教会の扉を開けた。

 だが、すでに外は叩きつけるような雨。視界は白く煙り、これ以上の野外点検は不可能に思えた。

「これじゃあ、もう外は見に行けないな。嵐が早くどこか行くようにお祈りをしなくちゃ」

 諦めて中へ戻ろうとしたその時──視界の端に、「異質な何か」が映った。

 教会の入り口から少し離れた軒下。そこに、白いフードを被った大男が腰を下ろしていた。

  アーサーと目が合った瞬間、男は驚いたように目を見開いて固まった。

 丈夫そうな白い革ののフードから覗く髪は、老人のように白く、けれど手足は逞しく若さに満ちている。そして何より、そのフードの間から覗く赤い瞳の輝きに、アーサーは見覚えがあった。

(彼だ……一目見たいと願っていた、あの流浪人るろうにんだ……!)

 直感で理解した。だが、男はすぐに視線を逸らし、アーサーの姿など見えないといった素振りをし始めた。

(そうか、嵐が来たら森でキャンプどころじゃないよね)

 男はアーサーから顔を背けたまま、ただ教会の壁に背を預けていた。

 だが無視されても、アーサーは引かなかった。困っている人を放っておくことは、彼の魂が許さない。

「よろしければ中で休みませんか? その立派な革のフードは確かに雨にも強そうですが、こんな軒下じゃ嵐までは防げませんよ。それに、お体が既に濡れています。それでは休まりきらないでしょう」

「……」

 彼からの返事はない。男は一瞥しただけで、またすました顔をするばかりだ。

(くっ、このぉ……僕はその程度じゃ諦めないぞ!)

「困っている方に対して門戸を開くのは教会の義務なのです。慈悲のために温かいスープやパン、毛布も用意してございますが、興味がないのでしたらそこから出て行っていただけますか? 教会に用がない方を敷地に置いていかないようにと、司祭長に申し付けられておりますので」

 その強気な態度と、言葉に反して大きく開け放たれた扉。

 不審者相手に一歩も引かない司祭の様子に、男はやっとアーサーを真っ直ぐ見て、面食らった顔をした。

 そして男はやおら立ち上がると、無言のまま教会の中に入った。

 しかし、あろうことか彼は祭壇の真ん前に陣取ると、その場にどかりと座り込んでしまったのだ。

(異教徒、なのだろうか……)

 その余りに不遜な態度に、今度はアーサーが面食らう番だった。そんな場所に座るのは、「そんなに慈悲を与えたいなら貰ってやってもいい」という彼なりの挑発だろう。

 アーサーは慌てて教会の扉を閉め、閂(かんぬき)を下ろした。こんな不祥事を村人の誰かに見られでもしたら、あの恐ろしい代官トーマスの耳に届いてしまう。

 扉を固く閉めた後、改めて彼の姿を見ていると、アーサーは自分がひどく興奮しているのを感じた。

 物語の中から飛び出てきたような流浪人をこんな間近で見るのは、初めての体験だった。聞きたいことは山ほどあるが、まずは彼にすべきことがあった。

「ちょっと、待っていてくださいね」

 アーサーは男に一声かけると、足早に教会のキッチンへ向かった。

 そこには、ワークテーブルで琥珀色の蜂蜜酒(ミード)を勝手に楽しんでいるマーサがいた。

「マーサさん! 嵐を逃れてきた旅の方が居るので、スープを温めて頂けませんか?」

「え?」

 いつも一歩引いた接し方をするアーサーが、切羽詰まった様子で現れたことに、マーサはポカンとした。

「後、毛布とぼろ布を幾つか用意してもらえませんか!?」

「わ、わかりましたわ」

 勢いに押されて頷いたマーサの手を、アーサーは嬉しそうに握った。

「ありがとうございます。マーサさんはやっぱり頼りになりますね!」

 握られたマーサの手には、アーサー特製の新品の石鹸があった。これはアーサーが管理している養蜂の副産物で作った貴重な品だ。その価値を知っている元貴族のマーサの顔が、パッと明るくなる。

「あらまあ、いつもありがとうございますわ。アーサー様」

「それと、旅の者は気難しい異教徒だから、スープも毛布も僕が持って行くし、僕が良いと言うまで礼拝場に立ち入らないでくれるかい? その代わり、そのお酒は好きに飲んでしまって良いから」

 アーサーの言葉に、マーサは何度も頷いた。石鹸を懐にしまい込み、早速スープを温める作業に取り掛かる。

 嵐を祓わんとする鐘の音と響きは、今も絶えることなく教会を震わせている。

 その中でアーサーは、温まったスープを手に礼拝の広間に戻った。そこには、先に渡された毛布に包まり、ぼろ布で髪に付いた水気を拭いている男の姿があった。

 目深に被っていたフードを外したその顔は、イングランド人とは少し違うが、若く端正な顔立ちをしていた。

(かっっこいい!)

 一瞬、その美しさに息を呑んで立ち尽くしてしまったが、すぐさま正気に戻ると、アーサーは男にスープの鍋と器、そして匙を差し出した。

「どうぞ。少しは温まるはずです」

 男はそれを受け取ると、無言のまま、だが確かな感謝を示す会釈をして、手際よくスープを器に注ぎ始めた。

 意外にも素直に鍋を受け取り、礼まで示してくれた男の様子に、アーサーの胸に温かな灯がともる。

 さて、施しが済んだからには、今度こそ嵐を追い払うための祈りを捧げなくてはいけない。アーサーは紫のストラを肩にかけ、準備しておいた聖水と福音書を手に取ると、一人で教会の東西南北の扉と窓を巡り始めた。

 四方の闇に向かって聖水を撒き、震える指先で十字を切っていく。

「聖なる父よ、全能永遠の神よ、この場所を顧みてください……」

 一歩ずつ祝詞を紡ぎ、神の守護を願い求めていく。四つ目の角、もっとも嵐が激しく叩きつける西の扉まで辿り着いた時、アーサーは翻って福音書を天に掲げ、外の闇に潜む悪意へ断固たる拒絶の意志を叫んだ。

「主の十字架を見よ! 敵対する者よ、逃げ去れ! ユダの族の獅子は勝利した……主よ、その光をもって、この暗闇を打ち払いたまえ!」

 そんなアーサーの必死な様子が気になったのか、男はスープを口に運ぶ手を止め、少し低いがよく通るバリトンボイスで言葉を発した。

「一体、何をしているんだ」

 不意の問いかけに驚き、アーサーは弾かれたように顔を上げた。見た目の若さに違わぬ、張りのある声を聞けたことがどこか嬉しい。

「あ、その……嵐を祓うための、排斥の祈祷をしていました」

 男は「そうか」とだけ短く答え、再び黙々と食事に戻った。

 だが、アーサーが祭壇の前へと歩み寄ると、男は自ら鍋を抱え、信者用の長椅子の方へと静かに身を寄せていった。

 図らずも祭壇の前を『奪還』した形となったアーサーは、改めて外の闇へと向き直る。福音書を胸に抱き、嵐の背後に潜む悪意を射抜くように、全力の叫びをぶつけた。

「私は汝に命じる。すべての嵐の力、大気中のすべての悪意よ。主の御名によって、この地を去れ! 雷を鎮め、主の民を害することなく、深淵へと退け!」

 最後は膝を突き、組んだ手に縋るようにして神の慈悲を乞う。

「主の御声は力強く、主の御声は威厳に満ちている……主はその民を平和のうちに祝福されるであろう。アーメン……」

 そこからは、時間の感覚が消え去った。アーサーは何度も立ち上がり、また膝を突き、嵐が去ることを願って祈祷の動作を繰り返した。

 その背中を、男はずっと見守り続けていた。

「アーサー、アーサー!」

 誰かが自分を呼んでいる。温かな手の感覚と、背中のぬくもりに意識が浮上した。

「アーサー、しっかりして!」

 見上げた視線の先にあったのは、母の心配そうな顔だった。

「母、さん……?」

 祭壇に縋すがっていたはずなのに、と思い至った瞬間、血の気が引いた。

(まずい、あの流浪人さんが見つかってしまう!)

 異教徒を独断で招き入れた背徳感が一気に押し寄せ、慌てて周囲を見回すが、そこにいたのは駆けつけたエレインやピーター、そして不安げな村人たちだけだった。

 もう、男の姿は、どこにもない。

 代わりに、長椅子の上には空になった鍋と器が整然と置かれていた。しかし、貸し出した毛布も、水気を拭ったぼろ布も、彼と共に消えていた。

 皆が来る前に、密かに立ち去ったのだろう。

 アーサーが胸を撫で下ろしていると、ピーターが厳しい顔で声を荒らげた。

「何が『母さん』ですか! 貴方はここで気絶していたのですよ」

「え、……嵐は?」

「もう去りました。戻ってきたら貴方が倒れているのですから、肝が冷えましたよ」

 嵐が消えたという言葉に、アーサーは深い安堵を覚えた。村の男たちも、安堵したような笑みを浮かべて近づいてくる。

「司祭様、俺たちのためにこんなになるまで祈ってくださったんだな」

「もしかして、命まで捧げてくださったのかと思っちまいましたよ」

「死人は一人もいねえ。雹も降らなかった。司祭様、本当にありがとうございます!」

 村人の感謝に頭を下げながら、アーサーは一人で消えた男のことを想った。

 彼は面倒を避けるために、アーサーが意識を失っている隙に去ったのだろう。

(……だからって、気絶した僕を放置して行くこともなかったのに)

 少しだけ寂しさが過るが、せっかく出会えた「流浪人」に見送りの言葉さえかけられなかったことが、何より残念だった。

 ふと、ポケットに奇妙な重みを感じ、指先を滑り込ませた。

 取り出したのは、見慣れない皮紐のペンダントだった。金の針が混じった水晶と、深みのあるメノウが、繊細な金細工で飾られている。

 一目で、村では手に入らない貴重なものだと分かった。

(これって……!)

 これは、あの男からの「礼」なのだ。

 アーサーは慌ててそれを隠すようにポケットへ戻した。

 黙って去ってしまった寂しさは、その重みに上書きされた。粗野に見えたあの男の、あまりに律儀で高潔な置き土産に胸が高鳴る。

(また、会いたい……)

 指先に残るペンダントの冷たさを愛おしく感じながら、アーサーは去った男への興味をいっそう強く抱きしめるのだった。

【続く】

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