로그인刻々と迫りくる嵐を迎え撃つべく、アーサーは急ぎ教会内の点検を終え、外回りを確認しようと教会の扉を開けた。
だが、すでに外は叩きつけるような雨。視界は白く煙り、これ以上の野外点検は不可能に思えた。 「これじゃあ、もう外は見に行けないな。嵐が早くどこか行くようにお祈りをしなくちゃ」 諦めて中へ戻ろうとしたその時──視界の端に、「異質な何か」が映った。 教会の入り口から少し離れた軒下。そこに、白いフードを被った大男が腰を下ろしていた。 アーサーと目が合った瞬間、男は驚いたように目を見開いて固まった。 丈夫そうな白い革ののフードから覗く髪は、老人のように白く、けれど手足は逞しく若さに満ちている。そして何より、そのフードの間から覗く赤い瞳の輝きに、アーサーは見覚えがあった。 (彼だ……一目見たいと願っていた、あの嵐を祓わんとする鐘の音と響きは、今も絶えることなく教会を震わせている。
その中でアーサーは、温まったスープを手に礼拝の広間に戻った。そこには、先に渡された毛布に包まり、ぼろ布で髪に付いた水気を拭いている男の姿があった。 目深に被っていたフードを外したその顔は、イングランド人とは少し違うが、若く端正な顔立ちをしていた。 (かっっこいい!) 一瞬、その美しさに息を呑んで立ち尽くしてしまったが、すぐさま正気に戻ると、アーサーは男にスープの鍋と器、そして匙を差し出した。 「どうぞ。少しは温まるはずです」 男はそれを受け取ると、無言のまま、だが確かな感謝を示す会釈をして、手際よくスープを器に注ぎ始めた。 意外にも素直に鍋を受け取り、礼まで示してくれた男の様子に、アーサーの胸に温かな灯がともる。 さて、施しが済んだからには、今度こそ嵐を追い払うための祈りを捧げなくてはいけない。アーサーは紫のストラを肩にかけ、準備しておいた聖水と福音書を手に取ると、一人で教会の東西南北の扉と窓を巡り始めた。 四方の闇に向かって聖水を撒き、震える指先で十字を切っていく。 「聖なる父よ、全能永遠の神よ、この場所を顧みてください……」 一歩ずつ祝詞を紡ぎ、神の守護を願い求めていく。四つ目の角、もっとも嵐が激しく叩きつける西の扉まで辿り着いた時、アーサーは翻って福音書を天に掲げ、外の闇に潜む悪意へ断固たる拒絶の意志を叫んだ。 「主の十字架を見よ! 敵対する者よ、逃げ去れ! ユダの族の獅子は勝利した……主よ、その光をもって、この暗闇を打ち払いたまえ!」 そんなアーサーの必死な様子が気になったのか、男はスープを口に運ぶ手を止め、少し低いがよく通るバリトンボイスで言葉を発した。 「一体、何をしているんだ」 不意の問いかけに驚き、アーサーは弾かれたように顔を上げた。見た目の若さに違わぬ、張りのある声を聞けたことがどこか嬉しい。 「あ、その……嵐を祓うための、排斥の祈祷をしていました」 男は「そうか」とだけ短く答え、再び黙々と食事に戻った。 だが、アーサーが祭壇の前へと歩み寄ると、男は自ら鍋を抱え、信者用の長椅子の方へと静かに身を寄せていった。 図らずも祭壇の前を『奪還』した形となったアーサーは、改めて外の闇へと向き直る。福音書を胸に抱き、嵐の背後に潜む悪意を射抜くように、全力の叫びをぶつけた。 「私は汝に命じる。すべての嵐の力、大気中のすべての悪意よ。主の御名によって、この地を去れ! 雷を鎮め、主の民を害することなく、深淵へと退け!」 最後は膝を突き、組んだ手に縋るようにして神の慈悲を乞う。 「主の御声は力強く、主の御声は威厳に満ちている……主はその民を平和のうちに祝福されるであろう。アーメン……」 そこからは、時間の感覚が消え去った。アーサーは何度も立ち上がり、また膝を突き、嵐が去ることを願って祈祷の動作を繰り返した。 その背中を、男はずっと見守り続けていた。「アーサー、アーサー!」
誰かが自分を呼んでいる。温かな手の感覚と、背中のぬくもりに意識が浮上した。 「アーサー、しっかりして!」 見上げた視線の先にあったのは、母の心配そうな顔だった。 「母、さん……?」 祭壇に以下アーサーがウルフに渡した、村で増えている体調不良者に関する調査資料。■診療所を受診した体調不良者の特徴(証言者ルーシー) 主な症状は次の通り。 ・激しい腹痛、嘔吐、急な高熱、倦怠感 ・皮膚のかゆみ、紅斑(かぶれ)、炎症を伴う肌疾患 腹痛や発熱を発症した患者については、いくつか共通点が見られる。 ・食事の後、一定時間を経て発症 ・料理の水は川から汲んだものを使用 また、皮膚の炎症については、 ・川での洗濯や農作業の後に発症 という傾向が確認されている。 受診後の様子は以下の通り。 ・薬の処方:即効性は無いが、服用後に効果があったとの報告あり。 ・教会による祝福:祝福の最中に回復の兆候あり■祝福を施した司祭の意見(証言者アーサー) 確かに僕は患者に対し按手や香油の塗布などの祝福は施しましたが、僕の私見としては、祝福が効いたというよりは時間経過で回復したようにも感じました。 しかし、救いを求める患者にとって神の祝福は、一定以上の効果をもたらしたとも感じます。■村全体を通した聞き取り調査(証言者アリス・ミルナー) 呪いの疑いを発症した患者とそうでない村民の違いについて、次の点が分かりました。 ・体調不良を訴えた患者のほとんどが、ウィンドル川の水に何らかの形で触れている ・井戸水のみを使用している者には、同様の症状はほぼ見られない ・発症者は主に、家事や作業に従事している子供、主婦、農夫 さらに、水の汲み上げ位置を調べたところ、 ・ミルナー家の施設より下流に被害が集中 ・上流では被害は確認されていない もしかしたら水の問題が我が家の下流にあるのかもしれません。 これは何かの参考になりますでしょうか。アリスより。 難しい顔で報告書を読み込んでいるウルフの手元へ、アーサーが身を寄せた。紙の端を覗き込みながら、遠慮がちに口を開く。「やっぱり、川の水に問題があるのかな……?」 「ん
■村における教会の役割について 1. 行政・戸籍の拠点としての役割 現代の市役所のような役割ですが、記録の仕方が14世紀独特です。 唯一の公的証明: 村人が「キリスト教徒である(=人間として認められる)」証明は、教会の洗礼によってなされます。 記録の対象: 出生台帳はありませんが、土地の相続や身分の証明が必要な際、司祭や書記が「いつ誰が洗礼を受けたか」の証言や、什一税の受領記録を証拠として提出しました。 2. 社会福祉・公共施設の役割 教会は村で唯一の「公共予算(什一税の3分の1)」を持つ機関でした。 救貧と宿泊: 什一税の一部は「貧民救済」に充てることが法で定められています。行き倒れの旅人への食事や、身寄りのない老人への施しは教会の義務でした。 共有スペース: 住民が修理費を払っている「身廊(しんろう)」は、ミサの時間以外は村の集会場、あるいは緊急時の穀物置き場や、法廷が開かれる場所として使われる事もありました。 3. 司法の「聖域」としての役割 国王の法律が及ばない、独立した法域としての役割です。 聖域権(サンクチュアリ): 罪を犯した者が教会の扉を叩き、中に入れば、40日間は役人も手出しができません。この間、教会側が逃亡を助けたり、あるいは法的な交渉を仲介したりすることがありました。 4. 経済・金融の拠点としての役割 教会は村で最も堅牢な建物であり、読み書きができる人間(司祭や書記)がいる唯一の場所でした。 貴重品の保管: 村の共有財産や、重要な契約書、あるいは村人から預かった貴重品を、鍵のかかる「聖具室(サクリスティ)」や頑丈なチェストで保管する金庫のような役割を果たしていました。 度量衡(計量)の基準: 什一税を正確に徴収するため、教会には標準となる「枡(ます)」や「天秤」が備え付けられており、村人同士の取引の基準としても使われました。 5. 教育と情報伝達の役割 公的な告知: 国王からの布告や、司教からの命令、あるいは行方不明者の捜索などは、日曜日のミサの際に司祭の口から全村人に伝え
その日の晩。司祭館を抜け出したアーサーは、昼間のトーマスとのやり取りをウルフに報告した。話を聞き終えたウルフは、みるみるうちに顔を紅潮させ、怒りに任せて声を荒げた。「ふざけるな! 勝手に俺を教会の『慈善の庇護下』に入れるんじゃない! 償いだと? 俺は貴様の教会に施しを受ける筋合いも、頭を下げるいわれもない!」 普段無口なウルフが、怒りのあまり尾を踏まれた狼のように声を上げ、その怒気が夜の森をざわつかせる。アーサーは子犬のように肩を落とすが、それでも目を逸らさなかった。「俺は誰の飼い犬でもないのに、貴様は俺の行動に『教会の公的な必要性』という鎖を掛けた。……おかげで、あの代官の監視を正面から受けることになったんだぞ。これで俺の居場所は、かえって危うくなったんだぞ!」 これまで距離を測られるに過ぎなかったウルフの存在は、アーサーの一言によって、公然と監視の対象へと引き上げられた。静かに暮らしたいという望みからは、最も遠い位置に追いやられたに等しい。「ごめんよウルフ。君が憤るのも当然だと思う。僕も本当は君の自由を勝手に縛るような言葉を使いたくはなかった。でも、あの場は仕方なかったんだ」 アーサーは一度息を整え、言葉を選びながら続ける。「代官殿は、君を『領民の恐怖の源』として攻撃し、そこから僕を追い詰めようとした。だから僕は逆に、『君は教会の慈善の対象であって、私情ではない』と位置付けた。あれが唯一の論理的な盾だったんだ。……君とルーシーを守るためには」 ウルフはすぐには返さず、低く息を吐いた。怒りは消えていないが、ぶつける先を見失ったように背を向ける。 アーサーはその前に回り込み、真っすぐ目を見て言った。「その代わり、犬の件では譲歩を引き出せた。これは時間稼ぎだ。僕たちには、まだやるべきことがあるはずだろ」 胡坐をかくウルフの膝に置かれた大きな手に、アーサーはそっと自分の手を重ねる。「今のうちに体調不良の本当の原因を突き止めよう。流浪人の呪いでも、バートンの警備犬でもないと証明できれば、君への干渉の口実は消える」 ウルフは一瞬その手を見下ろし、わずかに眉をひそめた
今回はこの作品を読むに当たって、非常に野暮な話をします。 真面目に話すと、そもそも論で本編を読む邪魔になるので「こまけぇことは良いんだよ!」と、話の展開を純粋に楽しみたい方は、ここで解説を読むのを止めてください。 そのくらい野暮な話をします。 よろしいですか? ここから先は引き返せませんよ? では〝何故、流浪人ウルフの存在が自治体レベルで揉めるのか〟についての解説をします。 まず。何故、流浪人(定住せず放浪している存在)が忌み嫌われていたかなのですが、以下の理由になります。1.定住共同体の外にいるため、身元保証がない。 中世の村社会では、人は家・土地・主人・教区・隣人集団の中で把握されます。流浪人はそこから外れるので、責任の所在が不明になります。2.治安上疑われやすい。 盗み、暴力、放火、逃亡者、追放者、兵崩れなどと区別しにくい存在でした。3.施しと救貧の負担になる。 教会や共同体には貧者への施しの義務感がありますが、よそ者まで受け入れる余裕は限られます。4.宗教・道徳面で疑われる。 教区に属していない、礼拝や告解を受けているか分からない、身元不明である、という点が警戒されます。5.災厄の原因にされやすい。 病、家畜の死、盗難、不作などが起きたとき、共同体の外部者は疑いの対象になりやすいです。 現代でホームレスと呼ばれている人たちも、浮浪者と呼ばれて忌避されることがありますので、時代は変わっても不審者への警戒は変わらないと思いますが、今よりも人間そのものに人権が無かったので扱いは酷かったと思います。 そんな不審者と、私生児とは言え(公的には実子だが)貴族であるアーサーが関わるのは、善意とか司祭の慈悲で収まる問題ではありません。
トーマスはアーサーの論理的な言葉を聞き終えると、わずかに唇の端を吊り上げ、冷たい笑みを浮かべた。「ふむ。流石は我が教え子、司祭殿。理路整然とした弁舌の冴えは健在と見える。領民の動揺の原因を、私の警備犬に求めるとは」 トーマスはアーサーの指摘に対して反論は難しいと判断すると、犬の件は受け流してすぐに別の話題で反撃に移った。「司祭殿、貴方こそが最近、村人の真の不安の種となっているものに不適切な庇護を与えているではないか」 「それは……」 トーマスの言わんとすることを察してアーサーは若干顔色を悪くする。 アーサーの怯んだ隙を見逃さず、トーマスは座ったまま前にやや身を乗り出し、声を一段と落として迫った。「噂の真偽はどうであれ、得体の知れぬ流浪人の存在こそが、体調不良や不穏な噂の源だと、怯えが広がっている。そして先日、あのルーシーという女が毒草を薬に混ぜたと疑われた時、貴方はその流浪人を、護衛か何かのように横に立たせていたではないか。どこの馬の骨とも知れぬ者を、教会の権威の側に立たせるなど、代官としての私の目から見ても見過ごしがたい軽率な行為だ」「……」 痛いところを突かれてアーサーは言葉も無い。 議論を「公務」から「不適切な私的交友」へと切り替えられ、アーサーは今までの議論における優勢を一転させて追い込まれてゆく。トーマスは犬の問題を受け入れるフリをしてアーサーを油断させていた所に流浪人(ウルフ)の存在という、アーサーにとってより個人的で防御しにくい問題を突いて遣り込める手腕は見事で、彼は流石代官を任されるだけはあるだろう。 戸惑うアーサーに対しトーマスは畳みかける。「司祭殿、まずはご自身が連れ添っている『不必要な恐怖』を排除することから始めるべきではないか。それが、目上への敬意を持って私に『指導』を求める、聡明な教え子の振る舞いというものだ」 トーマスは最後に「聡明な教え子の振る舞い」という言葉を使い、目上としての権威をもってアーサーの私生活の欠点を厳しく指摘し、圧力をかけた。この反撃は、公的な治安と私的な交友の境界を曖昧にし、アーサーの立場を非常に危うくするものだった。
アーサーが犬をモフモフしながらウルフと密談をした数日後。アーサーは村人の数人を連れてトーマス・バートン邸を訪れていた。 代官邸の石壁は昼の光を受けてもどこか冷たく、門をくぐるだけで空気が一段重くなるように感じられる。連れてきた村人たちも、自然と口数が少なくなっていた。(ウルフの汚名を晴らすためにも、僕が出来る事を頑張らなくては) 村に広がる体調不良の原因をウルフが調査している間、彼の動きに代官トーマスの目が向かぬよう、アーサーは自分に出来る問題の対処に取り組むことにした。 今の立場でトーマスに働きかけられることがあるとすれば、やはり森に放たれた犬の件だろう。 村の夜警に犬を導入するなどという重要な話を、村の司祭である自分が知らぬまま進められれば──今後も教会への相談なく物事が決められていくことになる。 それは、いずれ教会そのものが村の運営に口出しできなくなることを意味していた。 信者たちの最後の拠り所を失うわけにはいかない。 そのため、森で犬を目撃した村人を探し出し、本日は証言者として同行させていた。 訪問者一同は、謁見まで通された小部屋で待機させられていた。窓は小さく、光も薄い。壁際に立つ村人たちは落ち着かない様子で手を擦り合わせたり、足元を見つめたりしている。 やがて扉が静かに開き、トーマスの妻、ヘレナ夫人が姿を現した。「お待たせいたしました。こちらへ」 柔らかな物腰でそう告げると、彼女は一同を謁見室へと導く。 重い扉が押し開かれる。 広い室内はよく磨かれているが、どこか冷ややかで、声が響く前に飲み込まれてしまいそうな空間だった。 アーサーが足を踏み入れると、トーマスが椅子から立ち上がり、慇懃に一礼する。「これは司祭様、お忙しい中、すぐにお越しいただき恐縮至極にございます。お先ぶれを頂戴し、すぐにお迎えの準備が整いました」 普段の傲岸さが嘘のような丁寧さだった。 その視線の合図だけで、従者が静かに動き、椅子を引く。 同行した村人たちは別の従者に促され、入口脇に整列させられた。 ア