ANMELDEN耀石グループはトレンドを取り下げた。しかし、あの記事はあまりにも広く拡散されてしまっていた。わずか30分で閲覧数は4億を突破し、記事に登場する人物もすべて現実と一致していた。――立花結安と葉山章真。高校時代の人気者だった藤堂駿もヒロインと交流があり、あの夜、芸能記者に撮られた相手も彼だった。そして女性教師の正体もすぐに特定され、結安の高校時代の担任・三浦先生だと判明した。ネット上では、一斉に結安への誹謗中傷が始まる。【シェリーってこんな子だったなんて……最近ちょっと好感持ってたのに。昔のセクシー路線のほうが本性だったってこと?元から男好きなんじゃない?】【18歳で恋愛して子どもまでできるなんて、普通じゃないでしょ】【しかもちゃんとお金持ちを選んでるし】【私たちが18歳の頃なんて、まだ子どもみたいなもんだったよ】【ほんと。立花結安って何人もの男を手玉に取ってるじゃん。不良少女そのもの。ある意味すごいけど、『蒼穹の花』の主演なんて絶対ダメでしょ。こんなモラルのない女優を見てファンが真似したらどうするの?】【『蒼穹の花』はキャスト変更しろ】【制作委員会に電話しよう。主演交代だ】……コメントはあまりにも多く、削除しても削除しても追いつかなかった。面白半分で騒ぐ一般ユーザーだけではない。結安のライバルである神崎琴葉も大量のネット工作員を投入し、結安を徹底的に叩かせていた。一気に潰そうという勢いで、状況は最悪だった。桐生から再び電話が入る。影響が大きすぎた。耀石グループは直ちに危機管理対応を取らなければならない。だが、この時点ではDNA鑑定の結果はまだ出ていなかった。章真は数々の企業買収や情報戦を勝ち抜いてきた男だったが、ネット上を覆い尽くす悪意だけは相手にしきれなかった。何億人もの口を封じることなどできない。プラットフォーム側も莫大な費用を投じて拡散を抑えようとしていたが、それでも勢いは止まらなかった。結安は目を覚ました。ベッドの上に身を起こし、自分に向けられた黒い噂を静かに見つめる。あの記事を書いたのはよりにもよって自分の恩師だった。先生を守ろうとして前に立った結果――逆に噛みつかれることになった。顔を上げると、章真の深い瞳と視線が重なる。夜が明けるのを待つし
章真は玄関をくぐり、静かなホールへ足を踏み入れた。そのままゆっくりと2階へ向かう。こんな気持ちは初めてだった。穏やかで、どこか満たされていて。その奥には、ほんの少しだけ甘い幸福感が混じっている。階段を上りながら、ふと想乃の身体から漂うミルクのような優しい香りを感じた。幼い子どもだけが持つ、あの柔らかな匂いだった。主寝室の扉を開ける。結安はリビングスペースで静かに座っていた。薄いバスローブを羽織っている。抵抗することを諦めたのだろう。あれほど長い時間をともに過ごしたあとでは、今さら取り繕う気力も残っていなかった。その方が、お互い余計な力を使わずに済む。扉が開く音に、結安は顔を上げる。その視線は驚くほど落ち着いていた。章真もまた彼女を見つめ返す。しばらくして、買ってきた袋をローテーブルへ置き、そのままウォーターサーバーへ向かう。お水をコップへ注ぎ、結安のもとへ戻る。結安は袋をゆっくり開けた。中には数種類の緊急避妊薬。どれも信頼できるメーカーのものだった。その隣には、サイズ違いではなく同じXLサイズの避妊用品が何箱も並んでいる。色も種類もさまざまだった。結安は目を見開いた。まさか彼が自分からこれを買ってくるとは思わなかった。けれど同時に理解する。彼が自分を簡単に手放すつもりなどないことも。そんなことを考えていると、章真がお水を差し出した。結安が顔を上げる。ちょうどそのとき、彼女の手には避妊用品の箱が握られていた。視線が重なる。言葉にできない気まずさが漂う。結安が何か言おうとした、その瞬間だった。章真のスマートフォンが鳴り始めた。着信音は妙に可愛らしい。明らかに特定の相手専用だ。もっと私を見て。もっと私を好きになって。私はあなたのスイートハニー。……子どもっぽいメロディだった。こんな着信音を設定するのは、きっと若い女の子だろう。――あの子だ。結安はそう思った。章真は画面を見て、一度は着信を切る。だがすぐに同じ番号から鳴り始める。章真は結安を一瞥すると、窓際まで歩き、小さな声で電話へ出た。「どうした。クリスマスは帰ってこなくていい。正月になったら宇佐美をそっちへ行かせる。いい子だ
章真はそっと結安の額へ口づけを落とした。「もう一人、子どもを授かろう」結安はかすかに身をよじる。――そんなこと、できるはずがない。何も答えず、ただ静かに涙を流した。少し落ち着くと、床へ落ちていた服を拾い、一枚ずつ身につけていく。そして浴室を出ようとした、そのとき――章真が後ろから細い手首を掴んだ。「どこへ行く?」結安は振り返らない。掠れた声だけが静かに返る。「薬を買いに行くの。私は妊娠しない。もし授かったとしても、生まない」……章真は眉を寄せた。シャンデリアは眩しく輝き、互いの身体にはまだ熱が残っている。それなのに胸の奥だけが冷え切っていた。触れ合ったはずなのに、かえって心は遠ざかった気がする。章真は低く問いかける。「じゃあ想乃はどうなんだ。産まないと言っていたのに、どうしてあの子は産んだ?」結安は答えられなかった。重苦しい沈黙が流れる。やがて章真は無言でシャツとスラックスを身につけ、ジャケットを手に取った。どこか投げやりな口調で言う。「俺が買ってくる。品揃えのいい薬局へ行って、何種類か買ってくる。メーカーも製造日も、お前が自分で選べ」ぶっきらぼうな言い方だった。だが、それは章真なりの最大限の譲歩でもあった。見た目こそ穏やかで理知的だが、その本質は誰よりも強引な男だ。一度決めたことを曲げる人間ではない。もし人の意思を尊重できる男だったなら、何年も前に彼女を無理に引き留めることなどしなかっただろう。結安は呆然と立ち尽くす。章真は深く彼女を見つめた。怒りはまだ胸の中に残っている。それでも、大きなベッドで眠る想乃へ目を向けた瞬間、その表情は自然と和らいだ。そっと娘の頬へ口づけを落とす。胸の中まで温かくなり、怒りは半分以上消えてしまった。……1階へ降りると、蝶野はまだ起きていた。手には雑巾を持ち、夜遅くまで掃除をしている。章真は苛立ったように言う。「使用人が足りないのか。こんな仕事まであなたがやる必要はないだろう」蝶野は肩をすくめた。「歳を取ると、少し身体を動かさないと夜眠れないんですよ」章真は一度だけ睨みつけ、そのまま玄関を出て車へ乗り込む。向かった先は24時間営業のドラッグストアだった。緊急避妊薬
章真が想乃を抱き取ろうと手を伸ばす。その瞬間、二人の手がわずかに触れ合った。結安の肩がびくりと震える。その小さな反応を章真は見逃さなかった。じっと彼女の顔を見つめる。これまで何度も身体を重ねてきた。つい数時間前にも、ウォークインクローゼットで互いに向き合ったばかりだ。それでも今、彼女を目の前にすると胸の奥が静かに熱を帯びていく。だが娘の前だ。章真はその感情を押し殺した。想乃は父親の首へ腕を回したまま、じっと章真の口元を見つめている。――やっぱり伸びてる。そんなふうに真剣に観察しているらしい。章真は娘をドレッサーの前へ抱いていく。そこは昔、結安が毎日座っていた場所だった。想乃は椅子へちょこんと腰掛け、背筋をぴんと伸ばして待っている。章真はドライヤーを手に取る。すると想乃が得意げに言った。「パパ、ヘアオイル!」思わず章真は笑ってしまう。「そんなことまで知ってるのか」言われるまま数滴だけ髪になじませ、それから丁寧に乾かし始めた。……浴室では、結安が静かに後片づけをしていた。寝室からは想乃の元気な歌声が聞こえてくる。保育園で覚えた歌なのだろう。「くまさんがさんびき。パパくま、ママくま、こぐま。パパくまはつよくてげんき。ママくまはきれい。こぐまはかわいい。こぐまはわたし、想乃です」少し音程は外れている。それでも、たまらなく可愛らしかった。結安は思わず微笑む。その一方で胸は痛んだ。目元がじんわりと熱くなる。それでも涙はこらえ、浴室をきれいに片づけていく。赤い子ども用の洗面器を所定の場所へ戻す。今夜は客室で眠ろう。もう章真と同じ部屋にはいたくない。それに薬も買いに行かなければならない。昼間のことが頭をよぎる。念のため、備えておきたかった。結安はできるだけゆっくり片づけを続けた。30分ほど経つ頃には、ドライヤーの音も止み、想乃の歌声も聞こえなくなっていた。屋敷全体が静まり返る。ようやく身支度を終えた結安は、客室で休みたいと章真へ伝えるつもりで浴室を出た。洗面スペースへ足を踏み出した、その瞬間だった。寝室から章真が現れる。何も言わない。ただ彼女の前へ歩み寄り、その肩を抱き寄せた。「……っ
章真は想乃を抱いて2階の主寝室へ戻った。ようやく取り戻したばかりの娘だ。どれだけ見つめても見飽きることがない。想乃は父親の膝の上にちょこんと腰掛け、小さなボールで楽しそうに遊んでいた。自分が愛されていることを、きっと本能で感じているのだろう。好きなだけ見つめられてもまったく気にしない。ふと顔を上げれば、大きな瞳がきらきらと輝き、小さな顔立ちは人形のように整っている。可愛い子どもは、それだけで自然と自信を持つものだ。幼稚園でも先生たちの人気者なのだろう。最初はボールで遊び、次は章真のシャツのボタンを指先でつつき、やがて顎へ手を伸ばした。お髭を触ってみたかったらしい。けれど章真の顎はきれいに剃られていて、ちくちくする髭は一本もない。想乃は少し残念そうに、小さくふうっと息をついた。その様子を章真はただ黙って見つめ続ける。一瞬たりとも目を離したくなかった。父親というものは、娘には特別弱い。まして4年間も知らずに過ごしてきた娘が、ある日突然目の前に現れたのだ。その空白を埋めたいという思いと、何もしてやれなかった後悔だけで胸がいっぱいになる。……1階では、結安が章真の意図に気づいていた。彼はわざと自分へ役目を与えている。幸い蝶野は結安の立場を理解してくれていて、必要なものはすべて先に用意してくれていた。連れてきた家政婦がそれを2階へ運ぶ。想乃はまだ幼いとはいえ4歳。章真が一人で入浴を手伝うには気を遣う年頃だった。結安も一緒に2階へ向かう。その背中を見送りながら、蝶野は複雑な表情を浮かべていた。結安にはここへ残って幸せになってほしい。けれど同時に、自分の望む人生を自由に歩んでほしいとも思ってしまう。階段を上がる途中、家政婦がそっと結安へ話しかけた。「想乃ちゃんのお父さん、本当に立派な方ですね。想乃ちゃんのこと、とても大切にされているのが分かります。おじい様もおばあ様も、立花さんをすごく気にかけていらっしゃるし……葉山さんのお話、考えてみてもいいんじゃありませんか。子どもには、やっぱり家族が必要ですから」……家政婦が想乃を思って言ってくれていることは、結安にもよく分かっていた。だから否定もせず、ただ静かに微笑むだけだった。それ以上は
結安はゆっくりと顔を上げる。その瞳の奥には、壊れそうなほど脆い色が宿っていた。章真はこれまで見せたことのない眼差しで彼女を見つめている。それは少女ではなく、一人の女性を見る男の目だった。想乃が生まれる前には、一度として向けられたことのない眼差し。長い沈黙の末、彼は低く囁く。「どうして駄目なんだ。結安……ビジネスの世界はもともと残酷なものなんだ。もしあの結末を知っていたなら、俺はあんなことはしなかった。お前の家の会社なんて、失っても構わなかった。……信じられないだろうけど。過去は変えられない。だからせめて、償わせてくれ。想乃を育てさせてくれ。そして……もう一人、子どもを授かろう。もう一人家族が増えれば、この家はきっと変わる。子どもたちが大きくなったら、俺のすべてを想乃と、その子に託す。……そうしたら駄目か。お前に返せなかったものを、全部子どもたちへ返させてくれ」――償う。章真がそんな言葉を口にしたのは初めてだった。想乃が生まれたからだ。昔の彼は奪うことしか知らなかった。結安には、その変化が痛いほど分かる。胸が苦しく、惨めだった。頷きたくない。けれど逆らえば、彼が何をするか分からない。外には想乃も、使用人たちもいる。こんな場所で騒ぎになることだけは避けたかった。結安は小さく首を横へ振る。乱れた黒髪。涙を滲ませた白い頬。その儚さは胸を締めつけるほどだった。章真は彼女の顎へ手を添え、少しだけ力を込める。「俺を見ろ」視線が重なる。これほど深く見つめ合ったことは一度もなかった。章真はゆっくり身を屈める。唇が軽く触れた。ほんの一瞬で離れる。黒い瞳は真っ直ぐ彼女を捉えたまま、掠れた声で呟く。「……柔らかい」そのまま彼は再び彼女へ顔を寄せる。結安は小さく息を呑み、抗おうとする。けれど章真は離さない。重なった唇の距離は容易にはほどけず、結安の震えも、堪えきれない嗚咽も、そのまま静かに受け止めていた。扉の向こうからは幼い娘の笑い声が微かに聞こえてくる。二人の宝物。その存在がすぐ近くにあるという現実が、結安の胸をさらに締めつけた。乱れた服を整える余裕もなく、力の抜けた身体を章真が支える。その姿
夕梨は顔を上げ、彼の瞳をまっすぐに見返して率直に言った――「そのままの意味よ。昨夜は、ただの衝動。お互い納得した上のことだったでしょう?あなたも言ったじゃない、私たちはどちらも独身で、余計なことを気にする必要はないって」……寒真は彼女を見据えた。黒い瞳には嵐の気配が渦巻いている。だが、怒るどころか、彼は笑った。「ずいぶん成長したじゃないか、岸本夕梨。つまり、一夜限りってことか?昔はキスするだけで真っ赤になってたくせに、今じゃこんな言葉を、平然と口にできるようになった。この数日で色々ありすぎたのか?それとも……吹っ切れて、遊びを覚えた?」夕梨は寒真を恐れなかった。
夕梨はふと視線を落とし、そのとき初めて、自分がまだ寒真のコートを着ていることに気づいた。追い返そうかと思ったが、寒真の車はすでに別荘の門を出ていた。――まあいい。クリーニングして返せば。けれど夕梨は、その大事なことを忘れていた。二人はもう二度と会わない、と自分たちで決めたばかりだったのだ。……家に戻ると、夕梨はゆっくりとシャワーを浴び、ベッドに横たわってからようやく、戻ってきた写真をゆっくり手に取った。小さな額の中の写真は、時の流れで少し滲んでいたけれど、そこに写る笑顔の温度だけは変わらなかった。夕梨は静かに見つめ続け、そのままネックレスを指に絡めながら眠りに落
夕梨の唇がかすかに震えた。寒真は、その瞳に滲んだ光を見逃さなかった。実のところ、彼はさきほどからそこに立っていた。博仁の言葉も、夕梨が泣きそうになった理由も――すべて、はっきりと聞いていた。低くかすれた声で、寒真は囁いた。「泣くな。泣きたいなら……外で泣け」夕梨が人前で泣くのを何より嫌うことを、彼はよく知っていた。夕梨は唇を結び、「放っておいて」とだけ言い、彼の手を振り払おうとした。だが、その時、博仁が追ってきた。ただ夕梨を追うつもりだったはずが、そこに寒真が立っているのを見た瞬間、目の色が変わった。まさか夕梨と寒真に接点があるとは思っていなかった。
夜はすでに更け、エレベーターの数字がゆっくりと階を上がっていく。到着までの時間が、やけに長く感じられた。フロアに着いたころには、指先まで少し震えていた。玄関前の灯りは運悪く切れていて、鍵穴が見えづらい。慕美は鍵を差し込もうとするが、なかなか合わない。そのとき、背後から温かい体温がふわりと覆い、まるで影のように彼女を囲い込んだ。耳元すれすれの低い声。「貸して」二人の体が密着し、呼吸の音さえ聞こえる距離。鍵は差し込めたものの、回される前に澪安が彼女の顎を掴み、そのまま唇を奪った。薄暗い玄関先で響く、湿ったキスの音だけが妙に鮮明だった。長いキスのあと、二人はドアに







