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第612話

Author: 風羽
月末、撮影開始を控えた頃、篠宮が半日の親睦会を企画した。

予定はシンプルにバーベキュー。

場所は澄佳の所有するプライベート別荘。広大な庭園に加え、プールまで付いている。

キャストやスタッフたちは「この季節じゃ泳げないのが惜しい」と口々に言ったが、篠宮は鼻で笑う。

「見たことないって顔しないの。澄佳のプールは恒温・恒酸素式よ。秋だろうと雪だろうと泳げるんだから」

こうして、贅沢な午後が幕を開けた。

顔馴染みばかりだったので、芽衣と章真、それに願乃まで呼び寄せ、芝生には黒塗りのワゴンがずらり七、八台。庭には一流のシェフやパティシエが招かれ、果物も花も最高級。費用は相当かかった。

俳優陣は食べ飲みしながら、この現場の贅沢さに思わず感嘆の声を洩らした。

篠宮が言った。

「今のうちにしっかり楽しんで!今回ばかりは葉山社長の大奮発だから」

言うや否や、皿を手にバーベキュー台へ行き、大皿に肉を山盛り二皿。今日はダイエットなんてやめた、思い切り食べてやる——清嶺へ同行すれば、どうせ粗末な飯しか口にできないのだから。そう考えながら、肉を一皿平らげてしまった。

「篠宮さん」

耳もとで澄んだ声。振り返れば真琴だった。

「体調崩してるかと思ったわ。ほら、六つ星ホテルのシェフが腕を振るってるんだから、食べなきゃ損よ。一皿どう?」

真琴は受け取り、上品に口へ運びながら別荘を見やった。

「篠宮さん、葉山さんは?カメラマンが、ご家族もいらしてるって」

「ええ、一ノ瀬さんと子どもたちに加えて、葉山さんの兄さんと妹さんも来てるわ。初めて見るでしょうけど……特にお兄さんに会ったら腰抜かすわよ。あの容姿ときたら、十八から八十までイチコロよ」

「一ノ瀬さんと比べて?」

「それはね……甲乙つけがたいのよ。周防さんはもっと品があって、翔雅は華やかさが勝ってる。本気で選ぶなら——両方欲しいってところかしら」

真琴は小さく笑みを浮かべ、ふと洗面所の場所を尋ねた。

篠宮が指さす。

「一階の北東の角にゲスト用があるわよ。そこを使って」

軽く会釈した真琴は、示された方向へ歩み寄った……が、近づくと道を変え、廊下の反対側へ。突き当たりには二階へ続く階段がある。

濃い栗色の木製階段は磨き上げられ、光沢を放ちながら緩やかに上へと伸びている。

手すりに指をかけ、真琴は重い足取りで二
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