LOGINそれから数分と経たないうちに、早くも誰かがドアの外に朝食を届けてきた。洗面所で身支度を整えながら、夕凪は考えを巡らせていた。これほど早いとなればデリバリーのわけがない。彼の助手かボディガードあたりが手配したに違いない。ということは、外の配信者を追い払う手段など、彼にはいくらでも用意できるということだ。ならば、なおさら心配する必要はない。身支度を終えてリビングに戻り、届いた容器のフタを開けると、肉うどんのたまらない香りがふわりと漂い、一気に食欲が刺激された。うわっ、すごくいい匂い!この男、いったいどこでこんな当たりのお店を見つけてきたの?匂いだけでこんなにそそられるんだから、実際に食べたらどれほど美味しいんだろう?そう思うと、もう他のことなど考える余裕もなくなり、彼女はすぐさま箸を割って幸せそうに頬張り始めた。めちゃくちゃ美味しい!出汁は濃厚で、お肉は口の中でホロホロとほどける。麺の一本一本にまでスープの旨味がしっかりと染み込んでいて……一口食べただけで、「ほっぺたが落ちる」なんてありふれた表現が安っぽく思えるほどの絶品だった。彼女は我を忘れて、ズズッと勢いよく何口もすすり込んだ。やがてすっかり満足して顔を上げた時……目の前の男が、自分の朝食には一切手をつけることなく、どこか不思議そうな顔でこちらをじっと見つめていることに気がついた。突然の視線に夕凪は気まずくなり、慌ててティッシュで口元を拭った。「何ですか?私の顔に何かついてます?」修一はハッと我に返った。誤魔化すようにコホンと二度ほど咳払いをした……だが、それがかえって不自然さを際立たせてしまう。「いや、違う。ただ……初めて会った時から昨夜、そして今朝の今に至るまで、君のやる事なす事すべてが、俺の知る『普通の女』の常識を遥かに超えているな、と思って見ていただけだ」彼は少し間を置いてから、再び口を開いた。「言い換えれば、君という人間が、ますます分からなくなってきたということだ」そう言って彼女を見つめる修一の瞳には、彼がこれまでの人生で他人に向けたことのない、霧がかったような微かな戸惑いの色が浮かんでいた……なぜなら、他人の腹の内が読めないなど、彼にとって生まれて初めての経験だったからだ。この女は……表面上は他の女たち、たとえば知景のような
よかった、修一は自分を止めなかった。だが、考えてみれば当然だ。相手はあの神崎修一なのだ。彼の方こそ、自分に付きまとわれることを恐れているはずだ……しかし、ドアを押し開けて外に出ようとした瞬間、廊下の突き当たりに記者らしき男がいるのが見えた。男はうつむき加減でカメラをいじり、何かの設定を調整しているようだった。ドアが開く音にビクッと肩を揺らした男が勢いよく顔を上げ、そのまま二人の視線がぶつかった。二秒後、まるで雷にでも打たれたかのように、二人は同時にハッと我に返った。男の反応は素早かった。即座にダイヤルを回してカメラを構えると、夕凪と背後のドアへレンズを向けたのだ。だが、夕凪の反応は彼よりもさらに上をいっていた。男がカメラを構えてシャッターを切ろうとした瞬間には、夕凪はすでに修一の部屋の中へと舞い戻っていた。微塵の躊躇いもない、流れるようにスムーズな一連の動作だった。あまりの早業に、男はすっかりもぬけの殻となった廊下を見つめ、思わず自分の目を疑った。そして、ゴシゴシと目を擦った……まさか?本当に見間違いだったのか?たった今、修一の部屋から一人の女が出てきたはずだ。もし本当なら、世間を揺るがすほどの特大スクープだぞ!カメラに収めてSNSですっぱ抜くことができれば……フォロワーも再生数も爆上がり間違いなしだ!それなのに……どうして今は影も形もないんだ?本当に、ただの見間違いだったのだろうか?一方、ドアの内側では、夕凪が背中をぴったりとドアに押し付け、荒い息を吐きながら後から込み上げてくる恐怖に身を震わせていた。視線を向けると、修一は相変わらず平然とソファに座り、あろうことか足を組んでさえいた……怪我をしていない方の手でスマホを持ち、淡々と言い放つ。「何が食べたい?早く言え」夕凪は絶句した。この時になって、彼女はようやく悟った。だから止めなかったのだ!私が外に出られないことを、最初から知っていたくせに!だったら、どうして一言注意してくれなかったのよ!危うく特大スクープの的になるところだったじゃない!夕凪は腹立たしさを覚えつつ、信じられないという表情で尋ねた。「あなたの部屋の外に……どうして……記者がいるんですか?」修一は顔を上げることもなく答えた。「奴らは記者じゃない、ただの配信者だ
彼が気絶していて本当に良かった。もし起きていたら、恥ずかしくて顔から火が出るどころか、今すぐ穴があったら入りたいくらいだった……彼女は慌てて顔を背け、彼の均整の取れた肉体から目を逸らした。心の中で「煩悩退散、煩悩退散!」と念仏のように唱えた。この男は私のタイプじゃないし、向こうだって私がタイプなわけがない!二人に何か間違いが起こるなんて、万に一つもあり得ない……絶対に、余計な妄想なんかしてはダメ!ああ、神様、お許しください……心臓が狂ったように高鳴る中で、彼女は自分に言い聞かせるように言い訳をした。きっと、一人身の期間が長すぎたからよ!だからこんな……この時、夕凪はついに、彼をソファに寝かせようという考えを完全に放棄した。第一に、彼は重すぎて、自分の力ではとても持ち上がらない!第二に、運ぼうとすれば、嫌でも自分の体が彼の体のあちこちに触れてしまうからだ……だから、もうこれでいい!夕凪はため息をついた。ついに諦め……運命を受け入れて、彼と一緒にそのまま床に横たわった。幸い、床には厚い絨毯が敷かれていた。彼女は再び渾身の力を振り絞り、足を使ってソファの上にあるクッションとブランケットを少しずつ引きずり下ろした……苦労の末、ようやく枕の代わりと、一枚のブランケットを手に入れることができた。彼女はブランケットを自分に掛け……少し考えてから、親切心で彼にも端っこだけ掛けてあげた。これだけのことですっかり息が上がり、彼女は疲労困憊していた。こうして二人はそのまま、床の上で「身を寄せ合って眠る」ことになったのだった。……翌朝。刑務所に入って以来、元々は驚くほど寝付きが良かった夕凪も、次第に眠りが極端に浅くなり、少しの物音でもすぐに目を覚ますようになっていた。そのため、隣でかすかな物音がした瞬間、彼女はすぐに目を覚まし、目を開けた。するとちょうど、彼女の体から起き上がろうとしていた修一と顔を突き合わせる形になり、至近距離で見つめ合うことになった。夕凪は言葉を失い、完全に固まった。この時ほど、自分の眠りが浅いことを呪ったことはない……もしできるなら、一秒前に時間を巻き戻したい……そうしたら、絶対にまだ眠っているふりをするのに。修一の方も、彼女が突然目を開けるとは予想していなかったようだ。
だが、その直後、彼女は再び窮地に陥った。今やこの男は完全に気絶しており、その巨体がすっぽりと彼女の胸の中に倒れ込んでいる……彼はあまりにも体格が良く重すぎるため、彼女の力ではとうてい押し戻すことなどできなかった。何度か試み、火事場の馬鹿力まで出してみたが……結局は無駄骨に終わった。それどころか、もがけばもがくほど状況は悪化し、最終的には彼の体重が完全に彼女の上にのしかかってしまった……この男を抱えたまま、夕凪の心は絶望と無力感でいっぱいだった。もしこれが他の女なら、特に知景であったなら……あの男の方からこんな風に胸に倒れ込んできたら、興奮のあまり死んでしまうかもしれない!こんな絶好のチャンス、まさに天からの授かり物じゃないか!もし少しでもよこしまな考えを起こして、この男をベッドに連れ込み……後になって『彼に無理やりどうこうされた』とでも言いがかりをつければ、彼は否応なしに彼女を妻として迎えるしかなくなるのだから……そう、かつての夕凪なら、まだ世間知らずだった頃の彼女なら、国内でもトップクラスの『超ハイスペックな独身貴族』であるこの男が胸に飛び込んできたとなれば……大興奮していただろう!この機に乗じて彼をベッドに引きずり込み、自分のものにしようと企んだかもしれない……だが、彼女はすでに、峻という男からあまりにも痛ましい教訓を与えられているのだ!本当に、あまりにも痛ましかった!脳内がトラウマで埋め尽くされるほどに……だからこそ、こういうタイプの男からは、ただひたすら遠ざかり、できる限り遠くへ逃げ出したいとしか思わなかった。彼女は俯き、腕の中の男を見つめながら、なんとかして彼を自分の体から引き剥がす方法を考えなければと思っていた。だが、顔を近づけた瞬間……思わずハッと息を呑んだ。これまで、彼女はいつも遠くからこの男を見ていた。あるいは、彼が陰鬱な顔で冷ややかに彼女を見下ろし、硬くよそよそしい口調で言葉を放つ時ばかりだった。しかし今、彼はとても静かに、目と鼻の先で彼女の腕の中に横たわっている。そこで初めて気がついた……この男、本当に顔が整っている!その眉も、目も、鼻筋も……正直言って、峻よりも美しい!微かな呼吸のたびに、その長いまつ毛が震えている……高く通った鼻筋は険しい山頂のようで、ただでさえ冷酷な彼
滝のような汗をかき、額の髪もすっかり濡れて顔に張り付き、まるで水の中から引き上げられたばかりのようだった。「終わりました……」彼女はうつろな目で虚空を見つめ、力なく呟いた。修一は彼女の頭上で深く息を吸い込んだ。「さっきまでひどく怯えていて、手も出せなかったじゃないか。どうして急にできるようになったんだ?」彼の声は低く嗄れていた。夕凪にはもう、顔を上げて彼を見る気力すら残っていなかった。彼女はゆっくりと深呼吸をして……かすれ声で言った。「さっき、神崎社長のおっしゃった通りです。私が呆然としていようが、怯えていようが、結局は時間を無駄にするだけですから。向き合わなければならないのなら、覚悟を決めて立ち向かうしかありません」だから、そのことに気がついた瞬間、心境は一変したのだ。体の震えは止まり、心の奥底の恐怖も消え去った。頭の中にはただ一つの思いしかなかった。もう後戻りはできない、なら覚悟を決めて前に進み、自分がやらなければならないその処置を、最善を尽くしてやり遂げるのだと。だからこそ彼女は完全に冷静になり、緊張を解き……静かで安定した指先で針と糸を握り、縫合を始めることができたのだ。彼女の言葉を聞いて、修一は再び思わず胸を衝かれた。実際、その言葉は聞くだけなら簡単で、理にかなっているように思えるが、いざ実行に移そうとすれば途方もなく難しく、途中で心が折れてしまうのが普通だ。それをやり遂げるには、よほど強靭な精神力が必要になる。並の男でさえ到底不可能なことだ!それなのに、一見ごく普通で、何の存在感もないこの女が……それをやってのけたのだ。いったいどうやって成し遂げたんだ?どうして彼女は……これほどまでに強靭で冷静な心を持っているんだ?修一が信じられない思いを抱いているのとは対照的に、夕凪はとても落ち着いていた。夕凪はとうの昔から知っていた。自分の骨の髄には、祖父の血が流れていることを。だから、祖父にできることなら、自分にだって当然できるはずなのだ。「お水をお持ちしますね。少し横になって休んでいてくだ……きゃっ……!」夕凪は彼を支え、ゆっくりと仰向けに寝かせようとした。ところが、その高く逞しい体が何の予兆もなく、まっすぐ彼女の方へと倒れ込んできたのだ。夕凪は無意識に手を伸ばし、彼を受
かつて瀬戸グループの社長令嬢だった彼女が、これまでの人生でこんな凄惨な場面を見たことなどあるはずがない。たとえ刑務所に入り、あらゆる辛酸を舐めてきたとはいえ、目の前のこのあまりにも血生臭く残酷な光景は……依然として彼女の心理的限界を優に超えていた。修一の額から大粒の汗が転がり落ちるのと同じように、彼女の頬にも大量の汗が流れ落ちていた。彼女は歯を食いしばって言った。「やっぱり……私……お医者様を呼んできます!縫合してもらいましょう……少し待っていてください!」彼女は弾かれたように立ち上がり、医者を呼びに外へ飛び出そうとした。嘘でしょ……!私にそんなこと、できるわけがない!だが、彼女が部屋を出るよりも早く、背後から修一の氷のような声が響いた。「君が医者を連れて戻ってくる頃には、俺はここで死んでいるだろうな」その言葉に、彼女の足はピタリとその場に硬直した。自分がどうやって彼のそばに戻ったのか……どうやって救急箱から縫合器具を取り出したのか、彼女自身にも分からなかった……だが、針を握る彼女の手は激しく震えており、まともに固定することすらできなかった。顔色は紙のように蒼白で、血の気はすっかり失せている。彼が出血過多で死ぬ前に、夕凪の方が恐怖でショック死してしまいそうだった。彼女の手は宙に浮いたまま震え続け、頭の中は真っ白になっていた……修一はすでに目を閉じ、陰鬱で冷徹な顔つきのまま……彼女が針を刺すのを待っていた。だが、どれほど待っても、一向に痛みが走る気配がない。彼が不意に目を開けると、彼女はまだ呆然として彼を見つめていた。この瞬間の彼女は、他の世間知らずで頭の空っぽな女たちと何一つ変わらなかった。修一の胸の奥で、微かな失望がよぎった。なぜ自分が失望しているのか、彼自身にも分からなかったが……彼の視線は途端にさらに冷たく、暗く沈んだ。首を向け、冷ややかに言った。「瀬戸夕凪。君がそうして呆けていれば、時間を無駄にするだけだ」その口調はとても静かだった。だが、その言葉に彼女は再び激しく震えた。その一言が、まるで彼女の心臓に真っ直ぐ突き刺さったかのようだった……次の瞬間、修一は強烈な刺すような激痛を覚えた。無意識に視線を落とすと、目の前にしゃがみ込んでいる女が……相変わらず
それにしても、なぜ峻はあんなことを言ったのだろう。「正式に娶った妻」だと?夕凪はすでに離婚協議書を置いてきた。峻が判を押しさえすれば、所定の手続きを経て二人の婚姻は終わる。晴れて自由の身になれるはずだ。それこそ、峻がずっと望んでいたことではないのか。――ふいに、背後でVIPルームの重い扉が内側から引き開けられた。夕凪はびくりと身を竦め、我に返るや否や逃げ出そうとした。「待て」呼び止められた。しかも、この低く冷たい声はまさか……?聞き間違えるはずがない。あの人、峻だ!夕凪の頭の中が真っ白になり、足が凍りついた。一歩も動けない。背筋が棒のように硬直し、指先から急速に
だが、夕凪はすぐに飛びつくことはしなかった。不安げに眉を寄せる。「でも……」言いかけて、口をつぐんだ。桐生家と御堂家は商売敵だ。この男の厚意を素直に受け取っていいものか。司はにやりと笑った。「そんなに警戒するなよ。大荷物抱えて仕事を探し回ってるってことは、行く当てがないんだろ?俺はただ、困ってる人間に手を貸してやろうってだけだ」それでも夕凪の警戒は解けない。司はその様子を見て、声を上げて笑った。「あんたを利用するつもりなら、今すぐ御堂さんに電話してるさ。わざわざこんな地味な仕事を回す必要がどこにある?まあ、働くか出ていくかはあんたの自由だ。好きにしろ」そう言い残
嫁ぎ先には怖くて戻れない。実家にも帰れない。――行き場が、どこにもない。夕凪はあてもなく、身を切るような寒風の中を歩き続けていた。鼻先は真っ赤で、体の震えが止まらない。ふと、子どもの頃に読んだ「マッチ売りの少女」を思い出した。寒くて、腹が減って、一文無しで――今の自分は、まさにあの少女そのものだ。足が止まった。目の前に、二十四時間営業の看板を掲げたファストフード店がある。窓越しに見える店内には、夜を明かすホームレスたちの姿があった。もう、ここしかない。夕凪は歯を食いしばり、迷惑を承知で店に入った。隅の席を見つけ、テーブルに突っ伏す。外で凍え死ぬよりはマシだ。けれ
二十分後。忠はアクセルを踏み抜かんばかりの勢いで車を飛ばし、ようやく最短時間で峻を本家へ送り届けた。玄関をくぐるなり、御堂グループの次期総帥ともあろう峻が、またしても祖母にこっぴどく叱り飛ばされた。峻は一言も言い返さず、黙って叱責を浴びていた。が、頭の中では別のことを考えていた。御堂家の先代当主と夕凪の外祖父――瀬戸グループの創業者は、血の繋がりこそないが義兄弟の契りを結んだ仲だ。夕凪は幼い頃からしょっちゅう本家に遊びに来ていた。静江には三人の息子と一人の娘がいて、孫も五、六人、さらに外孫娘もいる。けれど昔から誰よりも可愛がっていたのは、血の繋がりのない夕凪だった。御堂家の