Mag-log inわたくしはツェーザルから、ダンスを申し込まれる覚悟をした。大公家の方が身分が高いため、断りづらい。
しかし、わたくしの予想とは違い、ツェーザルは丁寧なお祝いの言葉をくれただけだった。
ツェーザルはどこか中性的で美しい顔をしている。塔に来ていた男とは体格が違う上に、瞳も予想している色ではない。
しかし、穏やかな話し方があc似ている気がした。わたくしは、真偽を確かめたくなり、挨拶だけで立ち去ろうとするツェーザルを引き留め、自らダンスに誘った。誕生日の贈り物としてねだったのだ。
ツェーザルは戸惑いの表情を浮かべながら「私と踊って問題ないのか?」と訊いてきた。
公爵家の政治的立場を案じてくれているのだろう。
「この場にいないあの方としか踊れないのであれば、わたくしは自分の誕生を祝う宴で、壁の花になってしまいますわ」
「それは、そうだが……」
「ダンスがお嫌なのであれば、テラスでご一緒にお話しでも」
「いや、踊ろう」
ツェーザルが手を差し出してくれたので、わたくしはその手に手を載せた。
ツェーザルのダンスの腕前は、可もなく不可もないといったところだった。
一度目の人生で、ツェーザルとは一度も話したことがなかった。マクシミリアンとツェーザルの関係が複雑だったからだ。
マクシミリアンは第一皇子として生まれ、15歳のときには皇太子となった。しかし、貴族の中にはツェーザルを次期皇帝にと画策する派閥があった。
わたくしも皇后となるまで知らなかったが、皇室の財政は酷いものだった。ひとえに、マクシミリアンの父、アウグストの愚策のせいだった。わたくしが成人した頃、皇室の財政が潤っていると思い込んでいたのも、アウグストが頻繁に贅沢な舞踏会を開いていたからだ。
わたくしの生家、ローゼンフェルト公爵家は、帝国で指折りの富豪だった。そのローゼンフェルト公爵家も、レマルク大公家には及ばなかった。
最初の人生で、わたくしは何も知らずに、会場に現れないマクシミリアンを待ち続けた。一度、皇后として国政の一端を担った経験が、当時の無知故の純粋さを奪ってしまった。
わたくしのための舞踏会は、皇室に対して、公爵家の富を見せつける目的で開かれたのではないかと、穿った見方をしてしまう。それだけでなく、舞踏会を使い、皇太子とわたくしとの婚約を進めるよう催促したのではないか。そうでなければ、わたくしの結婚相手として相応しい年頃の令息を大勢集め、ツェーザルまでも招いた理由がわからない。
マクシミリアンはきっと、そんな思惑に反感を抱いて遅れてきたのだと、今ならわかる。
結婚するまで知らなかったが、マクシミリアンにはアカデミー時代から秘密の恋人がいた。皇帝は息子のスキャンダルを隠すため、その恋人カロリーネを、皇太子付きの侍女として皇宮内に住まわせていた。
もしかしたら、今頃二人は一緒にいて『何も知らない公爵令嬢が皇太子を待ち続ける様』を想像しながらあざ笑っているかもしれない。
途端に、ふつふつと怒りが湧いた。
「どうした?」
ツェーザルがわたくしの感情の変化に気づき、訊ねてきた。
「大公子様と踊っているときに、ほかのことを思い出してしまい、失礼いたしました」
「そなたの立場なら、私も同じように憤るであろう」
マクシミリアンに対する怒りだと察したようだ。
「そなたが足を痛めているから遠慮していたが、余計なことを考えられないようにしてやろう」
わたくしの手を握る手にツェーザルがほんのわずか力を加えた。手のひらから熱が流れ込んでくる感覚があった。途端に体が軽くなり、足の痛みが消えた。
その後で、ツェーザルがわたくしの腕を強く引いた。
ツェーザルのリードが、力強く、速く、変化した。
「ダンス、お上手なのですね」
わたくしは驚きのあまりつい言葉にしてしまった。
「そなたの兄よりは、上手いかもしれない」
「兄と比べるならば、この会場にいるほとんどの殿方が、お上手かもしれませんわ」
「かもしれんな」
ツェーザルが笑った。あどけない笑顔を見て、彼がわたくしより、いくつか年下だったことを思い出した。
数年後には、隣国に侵攻するため出征する運命だ。戦争に勝利し帰還したときの精悍な面持ちの印象が強く残っていたせいで、同一人物だと知りながら、記憶の中で結びつけられていなかった。
ツェーザルはまだこれから、背が伸びるのだ。
わたくしはツェーザルが塔に来ていた男なのではないかと感じた。
男と話した内容を、思い浮かべた。
一度目の人生のとき、大広間でツェーザルを見かけた記憶はない。わたくしとマクシミリアンが踊るのを遠くから見ていたと話していたのだから、ずっと目立たない場所にいたのかもしれない。
「大公子様が声をかけてくださったのは、わたくしが困っているとわかったからですか?」
「いや、偶然、通りかかっただけだ」
わたくしは、ツェーザルが人混みをかき分けて近づいてきたことを知っている。
「それは、嬉しい偶然です……」
もし本当に、ツェーザルが塔に来ていた男ならば、わたくしはどうすればよいのだろう。それに、決めつけるにはまだ早かった。
「もうすでに一つわたくしのお願いを聞き入れていただきましたが、もう一つお願いを聞き入れていただけませんか?」
音楽が終わり、わたくしたちは向き合ったまま立ち止まった。
「内容を聞いてから答えよう」
「大公子様と、もう少しお話しがしたいのです」
『わたくしの愛する人かもしれない』と思いながら、ツェーザルを見つめた。
ツェーザルは目を伏せたあと「それは、できない」と言った。
わたくしは、拒絶され涙が溢れそうになった。
「なぜ、そなたが私と話したがるのかわからないが、この場では人目がありすぎる。それほどに望んでいるのであれば、そのうち、そなたの家に使いを寄越そう」
わたくしは「ありがとうございます」と、ツェーザルに深々と頭を下げた。
ツェーザルが立ち去ったあと、わたくしは少し冷静になった。
マクシミリアンと敵対しているに近いツェーザルとわたくしが親密である印象を持たれると、公爵家にも悪い影響があるかもしれない。
ツェーザルが塔に来ていた男なのであれば、多少の危険をおかしても関係を築きたいところだが、まだ、確信はない。ツェーザルだと決めつけずに、他の候補者を探す必要がある。一度、考えを整理するために、親しくしている令嬢、マルガレータから情報を得ようと考えた。
わたくしはマクシミリアン以外の男性に興味をもつことも許されず生きてきたため、他の令息のことはほとんど知らなかった。
マルガレータは、真っ赤なドレスを着ていた記憶がある。わたくしは会場に目を走らせた。
そして、お兄様が怒った顔をしてこちらに向かってくるのを見つけた。
わたくしはツェーザルから、ダンスを申し込まれる覚悟をした。大公家の方が身分が高いため、断りづらい。 しかし、わたくしの予想とは違い、ツェーザルは丁寧なお祝いの言葉をくれただけだった。 ツェーザルはどこか中性的で美しい顔をしている。塔に来ていた男とは体格が違う上に、瞳も予想している色ではない。 しかし、穏やかな話し方があc似ている気がした。わたくしは、真偽を確かめたくなり、挨拶だけで立ち去ろうとするツェーザルを引き留め、自らダンスに誘った。誕生日の贈り物としてねだったのだ。 ツェーザルは戸惑いの表情を浮かべながら「私と踊って問題ないのか?」と訊いてきた。 公爵家の政治的立場を案じてくれているのだろう。「この場にいないあの方としか踊れないのであれば、わたくしは自分の誕生を祝う宴で、壁の花になってしまいますわ」「それは、そうだが……」「ダンスがお嫌なのであれば、テラスでご一緒にお話しでも」「いや、踊ろう」 ツェーザルが手を差し出してくれたので、わたくしはその手に手を載せた。 ツェーザルのダンスの腕前は、可もなく不可もないといったところだった。 一度目の人生で、ツェーザルとは一度も話したことがなかった。マクシミリアンとツェーザルの関係が複雑だったからだ。 マクシミリアンは第一皇子として生まれ、15歳のときには皇太子となった。しかし、貴族の中にはツェーザルを次期皇帝にと画策する派閥があった。 わたくしも皇后となるまで知らなかったが、皇室の財政は酷いものだった。ひとえに、マクシミリアンの父、アウグストの愚策のせいだった。わたくしが成人した頃、皇室の財政が潤っていると思い込んでいたのも、アウグストが頻繁に贅沢な舞踏会を開いていたからだ。 わたくしの生家、ローゼンフェルト公爵家は、帝国で指折りの富豪だった。そのローゼンフェルト公爵家も、レマルク大公家には及ばなかった。 最初の人生で、わたくしは何も知らずに、会場に現れないマクシミリアンを待ち続けた。一度、皇后として国政の一端を担った経験が、当時の無知故の純粋さを奪ってしまった。 わたくしのための舞踏会は、皇室に対して、公爵家の富を見せつける目的で開かれたのではないかと、穿った見方をしてしまう。それだけでなく、舞踏会を使い、皇太子とわたくしとの婚約を進めるよう催促したのではないか。そうでなければ
わたくしは、あまりの眩しさに目を細めた。 この大広間には見覚えがある。天井の中央には大きなシャンデリアがつるされている。魔法石をふんだんに使ってあり、舞踏会の時間に点灯させるには、10人もの魔法師が半日かけて魔力を充填する必要があった。 わたくしにその話を教えてくれたのは祖父だったはずだ。 大広間にはシャンデリア以外にも至る所に、魔法石の照明が設置されている。ろうそくの炎より明るいが、稀少な魔法師の手配には膨大な費用がかかる。裕福な公爵家であっても特別なときにだけ使う大広間だった。 わたくしが成人を迎えた18歳の誕生日には、両親の結婚式以来二十数年ぶりに大広間が使われた。兄の成人式では使われなかったというのに。 理由ははっきりしていた。わたくしが、皇太子の婚約者として相応しいことを他の貴族に見せつけるためだった。 身につけているドレスや、視界に入る招待客から、その日であるとわかる。決して良い経験ではなかったのに、なぜ、死を間近に控えて思い出しているのだろう。 男と最後に会った日に、舞踏会の話をしたせいかもしれない。 あの日のわたくしは、お父様とファーストダンスを踊ったあと、次に皇太子だったマクシミリアンと踊るつもりだった。なかなか現れないマクシミリアンを待っていたせいで、まったく舞踏会を楽しめなかったのだ。他の男と踊っている最中にマクシミリアンが来ると心証が悪いと考え控えていた。マクシミリアンが日付が変わる頃まで来ないとわかっていれば、他の誰かと踊っていた。そうすれば、あの日勇気を出せなかったという男と踊れていたかもしれなかった。「ナーシャ、大丈夫か?」 お兄様の声が聞こえ、わたくしは振り向いた。 お父様譲りの淡い色の金髪と、お母様譲りの若葉色の瞳。いつでも優しく見守ってくれていたお兄様の眼差しが懐かしすぎて、わたくしは思わず涙を流した。「ナーシャ、辛いのであれば一緒にテラスへ出よう」 お兄様がハンカチでわたくしの涙を拭ってくれた。 ちょうど曲が終わった。 わたくしはテラスに出るよりも、あの日お兄様と踊れなかった無念を、走馬灯の中で晴らしたかった。「お兄様、わたくしと踊ってくださらない」「皇太子殿下を待つと言っていたのに、良いのか?」「ええ、あの方のことは忘れて、楽しみたいのです」 踊り始めてすぐ、なぜお兄様とはほとんど踊
「皇后」 男は、わたくしを『皇后』と呼び続けている。わたくしが廃位されたのは10年以上昔のことだ。今のわたくしは、薄暗く狭い部屋に閉じ込められているただの女でしかなかった。 生きながらえるのに最低限必要な家具だけが置かれた部屋は、帝都の北の果てに立つ石造りの塔にある。小さな窓からわずかに差し込む光が、荒削りな石のむき出しになった壁を照らしている。 この10年のあいだ、男は頻繁に塔を訪れた。にもかかわらず、わたくしは男の顔も声も名前も、知らなかった。知らないのではなく、わからないのだ。 一度男に「なにか魔法を使っているのでしょうか」と訊ねた。男は曖昧に微笑んだのを覚えている。実に不思議だった。表情の変化はわかる。目の前にいるときは、顔が見えているはずなのに、いなくなるとどうしても男の顔がどうだったか、思い出せない。 男はいつも正装をしていて身につけている装飾品も一目で高価だとわかる美しい物ばかりだった。男は自分が高貴で裕福であることを見せつけるため着飾っているのではなかった。わたくしを心から皇后として扱っているのだ。 わたくしは男が来るのをいつも待っていた。顔を教えてもくれない男が、この世の中で唯一信じられる相手だったからだ。 男は常に穏やかに話した。不思議なほど、アカデミーに通っていた頃のわたくしについてよく知っていた。なんの科目を選択していたか、誰と仲が良かったか、どんな本を読んでいたか、食堂で何を好んでいたかなど、本人が忘れていたのに、昨日のことのように話した。 男が、わたくしの没落前の話ばかりする理由はわかりきっていた。わたくしの現在や未来に、希望がなにひとつ存在しないからだ。 かつてわたくしの名は、アナスタシア・ヴィルヘルミナ・フォン・シュヴァルツェンベルクだった。帝国の月、帝国の母、シュヴァルツェンベルク帝国の皇后、それがわたくしだった。 今は廃位され、北の塔に幽閉されている。生家は取りつぶしとなり、姓を持たないただのアナスタシアとなった。 わたくしは、シュヴァルツェンベルク帝国、建国の際の功臣の家門、四大公爵家の一つ、クロイツェンベルク=ローゼンフェルトの長女として生まれた。 生まれた時から、第一皇子マクシミリアン・ルートヴィヒ・フォン・シュヴァルツェンベルクの婚約者候補に名を連ね、物心ついた時には、妃としての教育を受けていた