LOGINわたくしは、あまりの眩しさに目を細めた。
この大広間には見覚えがある。天井の中央には大きなシャンデリアがつるされている。魔法石をふんだんに使ってあり、舞踏会の時間に点灯させるには、10人もの魔法師が半日かけて魔力を充填する必要があった。
わたくしにその話を教えてくれたのは祖父だったはずだ。
大広間にはシャンデリア以外にも至る所に、魔法石の照明が設置されている。ろうそくの炎より明るいが、稀少な魔法師の手配には膨大な費用がかかる。裕福な公爵家であっても特別なときにだけ使う大広間だった。
わたくしが成人を迎えた18歳の誕生日には、両親の結婚式以来二十数年ぶりに大広間が使われた。兄の成人式では使われなかったというのに。
理由ははっきりしていた。わたくしが、皇太子の婚約者として相応しいことを他の貴族に見せつけるためだった。
身につけているドレスや、視界に入る招待客から、その日であるとわかる。決して良い経験ではなかったのに、なぜ、死を間近に控えて思い出しているのだろう。
男と最後に会った日に、舞踏会の話をしたせいかもしれない。
あの日のわたくしは、お父様とファーストダンスを踊ったあと、次に皇太子だったマクシミリアンと踊るつもりだった。なかなか現れないマクシミリアンを待っていたせいで、まったく舞踏会を楽しめなかったのだ。他の男と踊っている最中にマクシミリアンが来ると心証が悪いと考え控えていた。マクシミリアンが日付が変わる頃まで来ないとわかっていれば、他の誰かと踊っていた。そうすれば、あの日勇気を出せなかったという男と踊れていたかもしれなかった。
「ナーシャ、大丈夫か?」
お兄様の声が聞こえ、わたくしは振り向いた。
お父様譲りの淡い色の金髪と、お母様譲りの若葉色の瞳。いつでも優しく見守ってくれていたお兄様の眼差しが懐かしすぎて、わたくしは思わず涙を流した。
「ナーシャ、辛いのであれば一緒にテラスへ出よう」
お兄様がハンカチでわたくしの涙を拭ってくれた。
ちょうど曲が終わった。
わたくしはテラスに出るよりも、あの日お兄様と踊れなかった無念を、走馬灯の中で晴らしたかった。
「お兄様、わたくしと踊ってくださらない」
「皇太子殿下を待つと言っていたのに、良いのか?」
「ええ、あの方のことは忘れて、楽しみたいのです」
踊り始めてすぐ、なぜお兄様とはほとんど踊ったことがなかったかを思い出した。
お兄様はダンスが不得意だった。
お母様によく似た優しい顔立ちと、アカデミーの騎士課で上位に入るほどの剣の腕前があっても、このぎこちないリードでは令嬢達にはもてない。
記憶の中で完璧に近かったお兄様の、欠点を思い出し、わたくしはついおかしくなり笑った。
「さっきまで顔色が悪かったから心配していたが、もう大丈夫そうだな」
「お兄様のおかげですわ」
「それは、光栄だ」
お兄様は得意げな顔をした後、わたくしの手を強く引いて、勢いよくターンをした。
わたくしは体が振り回される感覚に驚いて、思わず「キャッ」と声を漏らした。
その直後、足を踏まれ、思わず「え?!」と兄の顔を見た。
「痛かっただろう」
兄は困ったような顔をしている。
わたくしは足に強い痛みを感じて、戸惑っていた。死ぬ前に見ている夢ではないのかと、疑問を抱く。
曲は続いている。ステップを踏むたび、足に痛みが走る。わたくしは今いる場所が現実なのか、確かめたかった。
「お兄様、もう一度足を踏んでみてくださらない?」
「ナーシャ、成人した途端、冗談を言うようになったのだな。しかし、あまり面白くないぞ」
「冗談ではありませんよ」
お兄様は何を思ったのか、わたくしに謝ってきた。
「わざとではないんだ。気をつけるからそう責めないでほしい」
過去にはした覚えのないやり取り、しかし、お兄様の言いそうなことだった。
踊り終わってすぐに、兄から休憩室に誘われた。大広間を出て長い廊下を歩きながら、自分が時間を遡った可能性を考えていた。
「足は痛むか?」
足の痛みは、たいしたことはない。しかし、ひとまずは落ち着いて考えたかった。
「お兄様、舞踏会がはじまってから、どのくらい時間が経ちました?」
「まだ、一時間は経っていない」
となると、マクシミリアンはまだまだ来ない。マクシミリアンと顔を合わせたくなかった。しかし、主役であるわたくしが、皇太子を待たずに帰るわけにはいかない。
お兄様と二人、小さめの休憩室に入った。休憩室に入るのは初めてだった。大きな窓にはビロードのカーテンがかけられ、壁紙は黒地に金のツタ模様で、高級感がある。
ソファに座るよう言われた。お兄様はわたくしの正面に跪き、自分が踏んでしまった方の靴を脱がせた。
「少し腫れているな」
「痛みは、それほどではありません」
お兄様は「飲み物を頼んでくる」と、いったん部屋を出て行った。
一人になり、わたくしは目を閉じた。
十年間、閉じ込められていた塔の部屋が、鮮明に思い出せる。塔での生活も決して夢ではない。足の痛みと手に触れるソファーの弾力と、思わずもらしたため息と、何もかもが、夢を見ているわけではないと訴えかけてくる。
わたくしは、過去に戻ってきたとしか考えられない。
それならば、なぜ、過去に戻ったのか。
気になりはするが、今考えることではなかった。
マクシミリアンが会場に来るまでに、わたくしには、探し出さなければならない人がいる。はやる気持ちを抑えられなくなり、立ち上がった。お兄様を待たずに休憩室を出て大広間に戻る。足の痛みに構っていられなかった。
男の手がかりはそう多くなかった。わたくしとアカデミーに通っていた時期が重なっていること、この舞踏会に来ていることと、ダンスを踊ったときに感じた背丈とリードの上手さ。
そして、よく深い青の宝石を身につけていたので、青い目をしているのではないかと、時々想像していた。
わたくしは、招待客の名簿を確認すれば、対象を絞れると思いついた。
「アナスタシア嬢」
背後から名前を呼ばれた。声に聞き覚えがある。ゆっくりと振り返る。
お兄様の友人、デニス・ゲルハルトが立っていた。背丈が、塔に来ていた男と近い気がした。わたくしは、デニスの顔をじっくりと見た。瞳の色はグレーだ。
「ダンスを申し込もうと、探しましたよ」
一度目の人生でも、デニスはダンスを申し込んできた。あの時は、わたくしではなくお兄様が断った。
わたくしは途端に興味を失った。
「実は、さきほど兄と踊ったときに足を踏まれてしまいましたの」
遠回しに断りをいれた。
「ご心配には及びません。私はダンスが得意です」
デニスはわたくしの意図をくみ取ってくれなかった。次はどう断ろうかと考えあぐねているうちに、わたくしの周囲に同じ年頃の令息が集まってきた。わたくしの周囲で様々な香水が入り交じり、なんとも言えない不快な香りになった。
わたくしは今すぐこの場を離れたくなっていた。わたくしを取り囲む令息達の間でざわめきが起こった。人いきれをかき分けてわたくしの前に現れたのは、大公子ツェーザル・レマルクだった。
わたくしは、我に返り、大公子に挨拶をした。大公の家系は、皇位継承権を持つ由緒正しい血筋だ。
大公子は滅多に公の場に出てこないため、間近で見るのは初めてだった。背はそれほど高くない。胸元に水色のブローチをつけ、髪も瞳も暗闇の色をしている。
「殿下……わたくしにはとても、妃は務まりません」 実際は一度目の人生で、すべてを捧げてその役割を十分に果たした自負があった。その末路が冷たい塔での幽閉だった。だからこそ、皇太子妃になるわけにはいかない。どんなに尽くしても報われないと、分かっているからだ。 「そなたがたとえ、文字も読めない平民であったとしても私の妃になるしかない運命なのだ」 わたくしは、マクシミリアンの言葉の意味を測りかねていた。 「『何を愚かなことを』と思っていそうだな。しかし、それが変えられない運命というものなのだ。そなたが私の婚約者となる理由は、公爵家の令嬢であるからでも、美しいからでも、理知的であるからでもない。もちろん私の寵愛があるわけでもない」 マクシミリアンの深紅の瞳が、冷たい光を放っていた。わたくしは、かつての夫であるマクシミリアンから突きつけられた『愛情がない』という言葉に、言いようもない虚しさを感じていた。 「皇帝陛下がそなたに固執する理由は、神託が降りたからに他ならない」 わたくしは、あまりの驚きに息をするのも忘れていた。前世では、知らされていなかった事実だ。思えば、冷遇されるようになったのは、現皇帝が亡くなったあとだった。神託を守ろうとした皇帝がいなくなり、マクシミリアンが神託に逆らった結果が、前世での謀略だったのかもしれない。処刑されずに生かされていた理由も、神託の内容にあるのだとしたら……、わたくしは内容を知っておきたいと考えた。 「どのような、神託なのでしょうか?」 「そなたには教えられない。皇帝陛下と、皇位継承権を持つ者にしか、知らされないのだ」 前世でのわたくしをあれほど苦しめたマクシミリアンとの婚姻。その原因である神託を、わたくしは知ることができない。あまりの理不尽さに、唇を嚙み締めて感情を抑えようとした。 マクシミリアンの手が視界に入った。思わず身を引く。手は、かまわず伸びてきて、わたくしの唇に指先が当たった。刃
不安を抱えたまま、当日を迎えた。 朝から、メイド数人がかりで準備をさせられている。お父様の命令だった。 ドレスもお父様が選んだ。リボンやレースも使われていないスッキリとしたデザインだが、光沢のあるシャンパンゴールドの生地が、それだけで美しい。胸元や腰のあたりにドレープがあり、華やかさも感じられた。 アーティファクトは指輪と腕輪なので、手袋の下につけられる。 ウーテから「ツェーザル殿には内緒にしてほしい」と言って渡されたネックレスがある。小さな透明の石がキラキラと輝くデザインで、ちょうど、今日のドレスに合っていた。 ウーテがこのネックレスの存在をツェーザルに秘密にした理由は、生活魔法とそう変わらない魔力で、弱めの攻撃魔法を連続で打ち続けるアーティファクトだからだ。 わたくしも、マクシミリアンを相手に、攻撃魔法を使う気はない。ただ、身につけるだけで、いくらか心を強く保てる気がしていた。 皇室から迎えの馬車が来た。 一度目の人生で、何度となく使った純白の馬車だ。これだけ準備をしても、不安しかなかった。 時間は残酷なもので、すぐに皇太子宮に到着した。 馬車から降りながら、白亜の大理石で建てられた宮殿を、わたくしは憂鬱な面持ちで見上げた。 建国当時の皇室の力を象徴する、巨大で美しい宮殿だ。 執事長が、迎えに出て来た。マクシミリアンは、また何かと理由をつけてわたくしを待たせたあげく帰るころに現れて、上辺だけの謝罪をするつもりなのだろう。 わたくしにとっても、顔を合わせる時間が短い方がありがたい。 そう思ったのに、通された応接室には、マクシミリアンの姿があった。 「アナスタシア嬢、どうしたのだ?」 わたくしは驚きのあまり挨拶が遅れてしまった。慌てて、皇太子に向けての最上のお辞儀をした。 「私が、この場にいないと思っていたのだろう?」 細めた瞼の隙間から、真っ赤な瞳が覗いている。 「そのようなことは……」と、否定した。 「そなたには訊ねたいことがたくさんある故、こうして待っていたのだ」 わたくしは促され、精巧な象嵌が施された肘掛け椅子に腰掛けた。 皇室を象徴する、白と金で統一された空間から、逃げ出したい衝動に駆られていた。 皇太子妃としてここに住んでいたころ、この応接室を幾度となく使った。白
約束したとおり、ツェーザルは三日おいて会いに来た。最初に「噂の広がり具合を共有しに来た」と言った。噂は順調に広まっていた。週刊新聞の記事は、互いの近況報告をする。出席する予定のティーパーティや舞踏会も知らせた。 ウーテについては雇用関係なので、わたくしから話さなくても知っているはずだと省いた。ベイゼルについては、説明しようがない。いっそのこと、時間を遡ったと説明できれば楽なのにとも思う。 ウーテとツェーザルの協力のおかげで、順調に進んでいる。これ以上を望むのは欲張りすぎだとわかっている。 そして、お父様がわたくしと音楽会に行ってくれることを話した。 「それならば、私はその日ウーテと出かける打ち合わせが必要だな」 お父様とわたくしが音楽を聴いている間、二人がわたくしが男性と会っていたように見せるのだ。ウーテがわたくしになりすますのだろう。見た目を変えていても、デートをするのはツェーザルとウーテなのだと気づいて、胃が痛んだ。 音楽会の当日になった。わたくしは人目をひくよう、赤いドレスを選んだ。金糸で織られた花模様が裾にあしらわれている。イヤリングもネックレスも、滴型のルビーをつける。普段より随分華やかな装いだ。 お父様は、深紺のロングコートを着ていた。襟元と袖には金糸で家紋が刺繍されている。そして、わたくしがプレゼントしたカフスボタンをつけてくれていた。 コンサートホールには、お父様専用の特別な馬車で向かう。漆黒に塗られた馬車には、家紋の金色の聖杯が描かれている。馬車をひく馬も、黒馬だった。 じつは、わたくしは音楽を鑑賞するのが苦痛だった。一度目の人生の際、他国からの使者が来るたびコンサートが開かれた。皇室のために用意された部屋で、マクシミリアンと並んで、何時間も正面をまっすぐ見つづけた経験のせいだ。 今回は、お父様とわたくしが長時間一緒に過ごすことが大切だった。 コンサートホールに着いた。大公家主
「アナスタシア」 ツェーザルの手が肩に触れた。 「顔色が悪い」 「ごめんなさい。皇宮を見て、殿下のことを思い出してしまい……」 「この場所を選んだのは私だ。配慮が足りなかった」 ツェーザルに抱きしめられた。 「震えている……」 ツェーザルの香りと温もりに包まれて、徐々に落ち着いていった。 「ツェーザル様、本当に……湖は美しくて、連れてきてくださったこと、感謝しています」 せっかく楽しかった時間を、マクシミリアンのせいで台無しにしたくなかった。 「湖は他にもある。また一緒に行こう」 わたくしは頷いた。 岸に戻ると、すぐに馬車に乗せられた。 「そなたの負担も考えず、無理な計画を立ててすまなかった」 わたくしはツェーザルのせいではないと、否定した。予定を中断し、帰らされそうになっていた。 「皇太子妃の婚約者に選ばれないために、できることはすべてしておきたいのです」 ツェーザルは受け入れてくれた。 その代わり、次に訪問した大聖堂の回廊では、ずっとわたくしの肩を抱いて、支えながら歩いた。 最後に立ち寄ったカフェでも常にわたくしを気遣ってくれた。 カフェを出ると、マルガレータがちょうど到着した。 ツェーザルとマルガレータは、お互い、初対面として挨拶を交わしていた。 ツェーザルに別れの挨拶をし、マルガレータと馬車に乗り込んだ。 馬車の中でマルガレータは「真っ赤な髪が素敵な方だったわね」と話しかけてきた。
「お名前は?」 「特に考えていない。食事を取るだけだから、必要ないだろう」 わたくしは、成長したツェーザルの姿を目の前にして落ち着かなかった。戦争の英雄となった後のツェーザルの顔は、遠目に見ただけだ。 塔に来ていた男は、顔や声を隠していたけれど、体にはとくに変化を加えていなかった。身につけている服も宝石も、記憶に残っている。 今、大公を参考に変化させたというツェーザルの姿は、塔に来ていた男と重なって見えた。 塔の男は、髪色さえ教えてくれなかった。ただ、形や刺繍の柄は変わっても、いつでも濃いめの色の上着を身につけていた。アクセサリーも白金の物がほとんどだった。ツェーザルの黒い髪と瞳に合う色味だ。 レストランに着いた。 馬車を降り、白い建物を見上げた。壁には蔦が絡まり、アーチ型の窓には色ガラスが嵌められている。看板には月桂樹の葉が掘ってある。『ロアベアバウム』という有名店だ。お兄様の話題にも上ったことがある。 店内に入るとハーブと焼けた肉の香りがした。途端に空腹を感じる。 黒大理石の床には店のシンボルである月桂樹のモザイクが施されている。壁には、帝国に伝わる神話をモチーフにした絵画が飾られ、ハープの音色が静かに流れていた。 奥に通され、ツェーザルと向かい合って座った。 深い緑色をしたビロード張りの椅子は、とても座り心地が良い。 ツェーザルは予めコース料理を頼んでいてくれた。 前菜のクリームスープにはサフランが浮いていた。何より、メインにはわたくしの好きな子羊のローストが出た。ソースに甘みがあって肉の味に奥行きが出ている。ひと噛みごとに溢れる旨みを、存分に味わった。 わたくしは、一度目の人生で、堪えきれないほどの飢えを経験したからか、あるいは、塔に来ていた男と食事を取っている気分になったからか、深い喜びを感じていた。 食事を終え、レストランを出た。馬車に戻った途端、切なさを感じた。
普段は、公爵邸に服飾師を呼ぶため衣装室にはあまり足を運んだことがなかった。 たどり着いたのは、貴族の令嬢たちがこぞって通う『ブラウアー・フォーゲル』という人気の衣装室だった。予約なしでは入れないらしいが、朝一番で公爵家の名を使って無理矢理時間を空けてもらったのだ。わたくしは申し訳なく感じていたが、『傲慢な公女』のイメージを作るのには、有効だった。 店に到着してすぐに、ウーテが馬車の中からいなくなった。御者が扉を開けてくれたので外を見ると「アナスタシア嬢」と、見たこともない男から声をかけられた。 今度のウーテは、栗色の巻き毛を持つ細身の青年に扮していた。整った顔にはまだ少年のあどけなさが残り、灰緑色の瞳がキラリと輝く。唇は花のように色づいていた。薄いベージュのコートがよく似合っている。「ティエリが、アナスタシア様をご案内します」「ティエリ、今日はよろしくね」 ティエリの手を取り、馬車から降りた。御者には公爵邸にもどっておくよう言いつける。 『ブラウアー・フォーゲル』の扉の上には、青い鳥をかたどった繊細な真鍮の看板が掲げられていた。ティエリが扉を押すと、澄んだベルの音が優雅に響いた。甘い香りがあふれ出てきた。 わたくしは、心を躍らせた。ドレスを新調するのは、十年ぶりだった。それに、皇后だったころは自分の好みでは選べなかった。いつでも、皇后らしいドレスを着せられていた。 店内は、驚くほど明るく、開放的だ。床は寄せ木細工で、歩くとヒールが軽やかな音を立てる。クリーム色の壁紙には、うっすらと花模様が浮かんでいる。ドレスのデザインを邪魔しないよう、配慮されているのだろう。 他の令嬢達に目撃してもらえるよう、あえて貸し切りにはしなかった。予約制のため、客はそう多くないが、年頃の令嬢たちは話好きだ。公女が美青年を連れて衣装室を訪れた噂は瞬く間に広がるだろう。 店内のあちこちに、最新のデザインをまとった木製のマネキン人形が置かれていた。胸元を大胆に飾り立てた紫紺のドレス、花飾
舞踏会は無事終わり、わたくしは久しぶりに公爵邸の自分の部屋に戻った。 淡いピンクで揃えられた部屋は、お母様の好みだった。幼い頃から、『皇太子妃になる』という家長の決めた使命を背負って生きてきたわたくしの持ち物の中で、この部屋だけが『夢見がちな少女』を模倣していた。 そこで、アンと再会した。くせのある赤毛と、少し焼けた肌の色は変わらないが、塔にいた頃よりも随分若い。 「お嬢様、お疲れでしょう」 わたくしにとっては数日ぶりで、アンにとっては数時間ぶ
一度目の人生で、初めてマクシミリアンを憎く感じたのは、この瞬間だった。 今、当時よりも深い憎しみが湧いている。 公爵家が誇る大広間の、黄金の装飾が施された大きな扉は、まるでマクシミリアンのために作られ、ずっと主が通るのを待っていたかのように輝く。 皇族に代々引き継がれる黄金色の髪と真紅の瞳、生まれた時から自分が特別だと知っている者だけが醸し出す高貴な雰囲気があった。わたくしはマクシミリアンの存在感に、飲み込まれてしまいそうだった。 マクシミリアンの白いコートには金
ツェーザルが帰ったあとも、わたくしは結局眠れなかった。ツェーザルの表情や声を思い出しただけで胸が高鳴ってしまう。 しかし、名前を呟いてしまうと、またツェーザルを呼び出すことになる。気をつけなければならない。 今日は、ウーテとの約束があった。 ウーテには、魔法についていろいろ訊きたいことがある。 帝都でも有名なケーキ店に行く約束になっている。いつもよりリボンのついた可愛らしいデザインの服を選んだ。気づいてもらえる程度に顔の隠れる帽子も用意した。密会を演出するためだ。
ウーテはさきほどから、ツェーザルを質問攻めにしている。わたくしは、ウーテの変わりように呆れつつも、ホッとしていた。『理論上』『魔法の構築』『魔力消費』などの言葉が聞こえてくるが、二人が話している内容をほとんど理解できない。 ウーテはしばらくして、「ツェーザル殿は、天才だ」と、しみじみとした口調で言った。 「ところで、ツェーザル殿も僕と話したがってくれていたのだったね?」 わたくしも気になっていた。ツェーザルの顔をじっと見つめ、返事を待った。 「大公家で働いてほしくて、







