LOGIN「お名前は?」
「特に考えていない。食事を取るだけだから、必要ないだろう」 わたくしは、成長したツェーザルの姿を目の前にして落ち着かなかった。戦争の英雄となった後のツェーザルの顔は、遠目に見ただけだ。 塔に来ていた男は、顔や声を隠していたけれど、体にはとくに変化を加えていなかった。身につけている服も宝石も、記憶に残っている。 今、大公を参考に変化させたというツェーザルの姿は、塔に来ていた男と重なって見えた。 塔の男は、髪色さえ教えてくれなかった。ただ、形や刺繍の柄は変わっても、いつでも濃いめの色の上着を身につけていた。アクセサリーも白金の物がほとんどだった。ツェーザルの黒い髪と瞳に合う色味だ。 レストランに着いた。 馬車を降り、白い建物を見上げた。壁には蔦が絡まり、アーチ型の窓には色ガラスが嵌められている。看板には月桂樹の葉が掘ってある。『ロアベアバウム』という有名店だ。お兄様の話題にも上ったことがある。「お名前は?」 「特に考えていない。食事を取るだけだから、必要ないだろう」 わたくしは、成長したツェーザルの姿を目の前にして落ち着かなかった。戦争の英雄となった後のツェーザルの顔は、遠目に見ただけだ。 塔に来ていた男は、顔や声を隠していたけれど、体にはとくに変化を加えていなかった。身につけている服も宝石も、記憶に残っている。 今、大公を参考に変化させたというツェーザルの姿は、塔に来ていた男と重なって見えた。 塔の男は、髪色さえ教えてくれなかった。ただ、形や刺繍の柄は変わっても、いつでも濃いめの色の上着を身につけていた。アクセサリーも白金の物がほとんどだった。ツェーザルの黒い髪と瞳に合う色味だ。 レストランに着いた。 馬車を降り、白い建物を見上げた。壁には蔦が絡まり、アーチ型の窓には色ガラスが嵌められている。看板には月桂樹の葉が掘ってある。『ロアベアバウム』という有名店だ。お兄様の話題にも上ったことがある。 店内に入るとハーブと焼けた肉の香りがした。途端に空腹を感じる。 黒大理石の床には店のシンボルである月桂樹のモザイクが施されている。壁には、帝国に伝わる神話をモチーフにした絵画が飾られ、ハープの音色が静かに流れていた。 奥に通され、ツェーザルと向かい合って座った。 深い緑色をしたビロード張りの椅子は、とても座り心地が良い。 ツェーザルは予めコース料理を頼んでいてくれた。 前菜のクリームスープにはサフランが浮いていた。何より、メインにはわたくしの好きな子羊のローストが出た。ソースに甘みがあって肉の味に奥行きが出ている。ひと噛みごとに溢れる旨みを、存分に味わった。 わたくしは、一度目の人生で、堪えきれないほどの飢えを経験したからか、あるいは、塔に来ていた男と食事を取っている気分になったからか、深い喜びを感じていた。 食事を終え、レストランを出た。馬車に戻った途端、切なさを感じた。
普段は、公爵邸に服飾師を呼ぶため衣装室にはあまり足を運んだことがなかった。 たどり着いたのは、貴族の令嬢たちがこぞって通う『ブラウアー・フォーゲル』という人気の衣装室だった。予約なしでは入れないらしいが、朝一番で公爵家の名を使って無理矢理時間を空けてもらったのだ。わたくしは申し訳なく感じていたが、『傲慢な公女』のイメージを作るのには、有効だった。 店に到着してすぐに、ウーテが馬車の中からいなくなった。御者が扉を開けてくれたので外を見ると「アナスタシア嬢」と、見たこともない男から声をかけられた。 今度のウーテは、栗色の巻き毛を持つ細身の青年に扮していた。整った顔にはまだ少年のあどけなさが残り、灰緑色の瞳がキラリと輝く。唇は花のように色づいていた。薄いベージュのコートがよく似合っている。「ティエリが、アナスタシア様をご案内します」「ティエリ、今日はよろしくね」 ティエリの手を取り、馬車から降りた。御者には公爵邸にもどっておくよう言いつける。 『ブラウアー・フォーゲル』の扉の上には、青い鳥をかたどった繊細な真鍮の看板が掲げられていた。ティエリが扉を押すと、澄んだベルの音が優雅に響いた。甘い香りがあふれ出てきた。 わたくしは、心を躍らせた。ドレスを新調するのは、十年ぶりだった。それに、皇后だったころは自分の好みでは選べなかった。いつでも、皇后らしいドレスを着せられていた。 店内は、驚くほど明るく、開放的だ。床は寄せ木細工で、歩くとヒールが軽やかな音を立てる。クリーム色の壁紙には、うっすらと花模様が浮かんでいる。ドレスのデザインを邪魔しないよう、配慮されているのだろう。 他の令嬢達に目撃してもらえるよう、あえて貸し切りにはしなかった。予約制のため、客はそう多くないが、年頃の令嬢たちは話好きだ。公女が美青年を連れて衣装室を訪れた噂は瞬く間に広がるだろう。 店内のあちこちに、最新のデザインをまとった木製のマネキン人形が置かれていた。胸元を大胆に飾り立てた紫紺のドレス、花飾
マルガレータと過ごした楽しいひとときが終わったあと、わたくしはしばらくの間、自室で招待客リストの確認作業をおこなった。 ツェーザルに惹かれているのは確かだが、『塔に来ていた男』を特定することで見えることもあるはずだと考えている。 わたくしは机の引き出しから一度目の人生での記憶を書きだしてあるノートを取り出した。 塔の中でアンが話してくれた内容はいつも断片的だったが、皇后のときに見聞きした貴族同士の関係性など別の要素を補完すれば、全体が見えるようになるかもしれない。 お父様が招待客を選んだのだから、皇帝寄りの貴族が多いはずだ。ツェーザルを呼んでいたことから、大公側の貴族も含まれていたと思われる。 今現在の貴族の関係性は、お兄様に聞くのが早い。 二度目の人生が始まってから、まだ、三日しか経っていない。過去で、わたくしがマクシミリアンの婚約者となったのは成人を迎えてから半年後だ。それまでに結果を出さなければならない。 やるべきことを、一つ一つこなしていく。 まだ、マクシミリアンからの招待状は届いていない。わたくしは、このまま届かなければいいのにと思っていた。 明日は、もらった招待状に返事を書く予定にしている。出席するのは、三つだけだ。 アンを下がらせ、部屋の明かりを消した。 すると、窓を叩く音が聞こえた。警戒しながら窓に近づいていた。 「私だ」 ツェーザルの声が聞こえた。わたくしは急いで窓を開け、ツェーザルを招き入れた。 「アナスタシア、突然の訪問、すまない」 「ツェーザル様、どうなさったんですか?」 「どうしてもそなたに伝えなければならないことができた」 急用ができたのだ
マルガレータには、公爵邸に来てもらった。アンを呼んで、庭園を見渡せるテラスにケーキやお茶を用意させた。 アンには、少し離れたところに控えておくよう申しつけた。 お兄様に頼んで、招待客のリストを入手してある。 「相変わらず綺麗なお庭」 マルガレータは嬉しそうだ。アカデミーに通っていた頃は時々家に呼んでいた。卒業してからは、皇太子妃教育が本格化して、なかなか時間がとれなくなったのだ。 成人を迎えた日の舞踏会がひとつの区切りとなったので、しばらくはレッスンが休みなのだ。 おかげでわたくしは、皇太子の婚約者候補から外れるための計画が進められている。 ウーテを公爵家で雇い入れる計画は、具体的になる前になくなった。大公の考えはわからないが、ツェーザルは味方になってくれると信じている。けれど、ベイゼルも逃したくない。 将来、活躍をする者が、全員舞踏会に来ていたわけではない。早めに探し出し、公爵家に有利な状況を作りあげる。 なんとしても、皇室の力を削ぎながら、公爵家の基盤をより強固にする必要がある。マクシミリアンが理由をつけて公爵家を排除できないようにするために、常に目を光らせて先回りする。 わたくしには、皇后として国政に携わった知識と経験がある。 そして、塔にいる間に、アンからもたらされた情報の数々。ほとんどが民衆の噂や、週刊新聞の記事、わたくしを題材にした娯楽小説の内容だったが、そこに、マクシミリアンが世論をどう誘導したかの手がかりがあるに違いない。 わたくしにとっては、辛い内容ばかりなので、男の方はそういう内容には一切触れなかった。その優しさがわたくしを支えてくれたのは変わりないが、今は、配慮を知らなかったアンのくれた情報がわたくしの武器となる。 マルガレータも、わたくしが守りたい対象の一人だ。 テラスに用意されたケーキを見て、マルガレータは歓喜の声をあげた。 「公爵家の菓子職人のケーキがまた食べら
ウーテはさきほどから、ツェーザルを質問攻めにしている。わたくしは、ウーテの変わりように呆れつつも、ホッとしていた。『理論上』『魔法の構築』『魔力消費』などの言葉が聞こえてくるが、二人が話している内容をほとんど理解できない。 ウーテはしばらくして、「ツェーザル殿は、天才だ」と、しみじみとした口調で言った。 「ところで、ツェーザル殿も僕と話したがってくれていたのだったね?」 わたくしも気になっていた。ツェーザルの顔をじっと見つめ、返事を待った。 「大公家で働いてほしくて、アナスタシアに仲介を頼んだ」「それは悪いがお断りする」 ウーテは条件を確認する前に断った。 「あなたの現状はある程度把握している。伯爵から結婚するように言われているのだろう?」 ウーテはお兄様と同じ年齢なのだから、普通の令嬢なら、そろそろ結婚を焦り始める頃だ。「僕は、魔法の研究を続けたいから、結婚する気はない」 お兄様が聞けばショックを受けたことだろう。 「研究はただではできないだろう? 伯爵家の支援もこれ以上は期待できないはずだ。あなたがしている『魔力を持っていれば魔法を使えていた時代に戻す』研究には、古い時代の書物や道具など、稀少な物が大量に必要だと思うのだが」 ウーテは顔を顰めた。「まったくもってその通りではあるが、僕にとっては時間も稀少なのだ。大公家の仕事を引き受けると、研究時間が捻出できなくなるだろう」 ウーテの懸念はわかる。大公家は皇室に次ぐ広大な領地を所有している。当然、仕事量も多くなる。 「私が頼みたい主な仕事が、その研究だとしたらどうだ?」 ウーテがツェーザルを睨みつけた。「どういう魂胆だ? そんな虫のいい話を信じられるほど純粋ではないんだよ、僕は」 ツェーザルが口を動かした。 何かを
前回とは違い、目の前にツェーザルが現れるとわかって名前を呼んだ。もう、それほど驚きはしないと思っていたのに……。 ツェーザルがまだシャツの袖の片方しか通していない姿で現れたものだから、わたくしは心臓を掴まれたかと思うくらい、ドキリとした。 数年後には戦争の英雄になるだけあって、鍛えているのがわかる肉体だ。 髪がまだ濡れていて、前髪に滴が光っている。 わたくしはツェーザルから目が離せなかった。 「アナスタシア……嬢……」 名前を呼ばれ、我に返った。 「失礼いたしました」 わたくしは慌てて顔をそらした。頬が熱くなっていたので両手のひらで押さえた。 「すまなかった。今日は報告を受けるのにいつもより時間がかかったせいで、汗を流すのが遅くなったのだ」 ツェーザルが急いでシャツを着ていくのが音でわかる。 「いえ、連日お呼び立てしたわたくしが悪いのです」 「もう、こちらを向いても大丈夫だ」 わたくしがツェーザルの方に顔を向けると、髪まですっかり乾き、整えられていた。 「昨日の今日で呼んでもらえたということは、何か急用ができたのだろう?」 わたくしは頷いたあと「実は、ウーテ様が、わたくしに魔法を使った相手に会いたいとおっしゃっていて……」と用件を伝えた。 「私も、ウーテ・ヘルメルも互いに興味を持ったということだな」 ツェーザルの言葉を聞いて、わたくしは複雑な気分になった。一度目の人生のとき、二人に面識があったかはわからない。会っていたとしても、ウーテが魔塔主に就任して魔塔から出て来た後だろう。 ウーテはお兄様を異性として意識していないけれど、ツェーザルに対しても同じとは限らない。ウーテは自分の魔法に自信を持っていることが、言動や行動の端々に現れている。自分と同等、あるいはそれ以上の魔法が使える相手を目の前にし







