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第2話

Author: 匿名
電話の向こうの中山智也(なかやま ともや)は、数秒黙りこんだが、次に発した言葉には驚きが滲んでいた。

「内田さん。2週間前に億単位の結納金でプロポーズした時、好きな人がいるから、その話はもうしないでほしいと俺に言ってたよね……なのに、どうして急に心変わりしたの?」

綾菜は深く息を吸った。その声は掠れていたが、とても落ち着いている。

「もし駄目であれば、他をあたるから」

そう言って綾菜が電話を切ろうとした瞬間、受話器から智也の冷静だが、しっかりとした力強い声が聞こえてきた。

「1ヶ月待ってくれないか?必ず盛大に迎えに行くから」

呆気に取られた綾菜だったが、「分かった」と小さく呟いた。

綾菜の祖母の体はここ数年、どんどん弱っていた。しかし、そんな祖母の一番の願いは、自分の花嫁姿を見ること。

智也……結婚相手としては、確かに申し分ない。

電話を切った途端、背後から雄太の優い声が聞こえてきた。

「綾菜、誰と電話してたんだ?1ヶ月後に何かあるの?」

雄太の口調はとても自然で、穏やかな笑みまで浮かべている。

さっき駐車場で見た、冷たくて無情な姿とはまるで別人だった。

綾菜が口を開くより先に、雄太が後ろからそっと彼女を抱きしめ、綾菜の肩に顎をのせた。

「健康診断の結果は出た?」

綾菜は心臓が締め付けられるのを感じた。

自嘲気味に口元を歪める。

結果なんて、雄太はとっくに知っているはずなのに。

その白々しい態度に、吐き気がした。

そっちが芝居をしたいというのなら、こっちも最後まで付き合ってあげようではないか。

綾菜は雄太がわざわざ手配したその偽の健康診断書を、そっと彼の方へ押しやる。

報告書を受け取った雄太の表情は少しも変わらない。

なぜなら、全てが筋書き通りなのだから。

「大丈夫だよ、綾菜」雄太は綾菜の髪にそっとキスを落として、何でもないことのように言う。「貧血なんてたいしたことじゃないし、有名なお医者さんを探して、体質を改善してもらえばいいんだから。そうすれば俺たちはすぐに入籍できる……そしたら、お前はずっと俺の妻だ。そうだろ?」

綾菜は目を伏せ、その奥にある皮肉な色を隠した。

貧血は確かに重い病気じゃないし、入籍するのに法的な問題もない。

だが、雄太の父親の黒崎大輔(くろさき だいすけ)が結婚の条件として、「健康診断で問題がないこと」というのを出したのだった。

黒崎家は名家だから、病気がちな嫁を迎えることを許さなかった。

たとえ軽い貧血だとしても、診断書には「健康状態に異常あり」と書かれてしまうだろう。

だから、綾菜はこの何年も、体質を改善するため、多くの苦い薬を飲み、好きな食べ物も我慢して、様々な病院を巡った。全ては、健康な体で嫁入りするために。

しかし今、綾菜の中では疑いがどんどん膨らんでいた。

この「条件」とやらは、本当に大輔が言ったものなのだろうか。それとも……雄太が作り出した、ただの言い訳という可能性もあるのではないか?

そんな綾菜の冷たい態度を見て、雄太はそっと綾菜に顔を近づけ、彼女の唇にキスをしようとした。

これはいつもの雄太の機嫌の取り方だった。

これまでの綾菜は、雄太にこうされるとすぐに絆されてしまっていたし、自分の考えすぎだ、なんて自分を責めたりもした。

しかし、今の綾菜は雄太の唇が触れる寸前で、そっと顔を背けてキスを拒んだ。

「どうした?」雄太の目つきが少し険しくなり、その声には、珍しく不安の色が滲んでいる。

綾菜は静かに首を横に振った。「なんでもない。ただ、少し気分が悪くて」

その時、部屋のドアが静かに開けられ、使用人が入ってきた。

使用人は笑顔で、つやつやした柿でいっぱいの籠を持ちながら、心から羨ましそうな口調で言った。

「内田様、旦那様は本当に優しいですね!この柿は、わざわざ空輸されたものだそうですよ。なんて幸せなんでしょう!」

綾菜は籠いっぱいの柿を見つめると、ふと手を伸ばして使用人を止めた。

実は綾菜、柿がそんなに好きではなかった。

しかし以前、雄太に「柿は貧血にいい」と言われ、それ以来、綾菜はその言葉を信じて、柿の季節になるたびに無理して食べていたのだ。そればかりか、「大好物だ」と嘘までついていた。

しかし、病院の待合室で待っている時、偶然目にした健康コラムの記事があった。【貧血を悪化させる食べ物とは?】

見出しのすぐ下には、こうはっきりと書かれていた。【柿に含まれるタンニンは、長期間大量に摂取すると鉄分の吸収を妨げ、貧血を悪化させる可能性があります】

雄太のように、几帳面で何事も細かく気にする人が、これを知らないはずがない。

綾菜は顔を上げ、雄太をまっすぐ見つめると、静かに言った。

「本当に……これを私に食べさせるつもり?」

綾菜は自嘲気味に口元を歪め、心の中にある疑いを確かめようとした。

雄太は一瞬きょとんとしたが、すぐに優しく頷いた。

「柿はお前の大好物だろ?それに、これを食べれば、体調も良くなるからさ」

そのあまりにも自然な口ぶりは、まるで心からそう信じているかのようだった。

綾菜は静かに微笑む。

柿を一つ手に取り、一口、また一口とゆっくりと飲み込んでいった。

しかし、数口食べただけで、お腹に鋭い痛みが走り始める。

額に冷や汗を浮かべながら、綾菜は雄太の袖口を強く掴んだ。「雄太、私、ちょっと……」

言い終わらないうちに、雄太の携帯が鳴った。

受話器からは由理恵の泣きじゃくるような助けを求める声が聞こえてくる。

「雄太さん、早く助けに来て……友達とバーにいるんだけど、変な男に絡まれてて。なんだか、すごく怖いの……」

雄太の表情が一瞬で変わった。

さっきまで綾菜を優しく見つめていた瞳には、もう焦りと緊張の色しか浮かんでいない。

雄太は勢いよく立ち上がると、綾菜に掴まれていた手を乱暴に振りほどいた。

「ごめん、綾菜。由理恵が大変みたいなんだ。だから、すぐに行かないと」

綾菜は最後の力を振り絞り、指が白くなるほど強く雄太の服の裾を掴んだ。

「由理恵が危ないなら、秘書かボディーガードを行かせればいいでしょ……私、今……本当に苦しいの。病院に連れてって……」

しかし、雄太は苛立ちを隠そうともせずに、綾菜の指をそっと引き剥がす。

「我が儘を言うな。由理恵はああいうところに慣れていないんだ。そんな子が傷つけられるのを、黙って見ていられるか」

少し間を置いてから雄太は口調を和らげたが、それはただの言い訳にしか聞こえなかった。

「お前の貧血はいつものことだし、少し我慢していれば治まるだろ?それに、俺はすぐ戻るから」

綾菜は雄太を見つめる。目の前にいる男が、なぜだか見知らぬ他人のように思え、ぞっとした。

雄太はそのまま綾菜の手を振り払うと、足早に部屋を出て行ってしまった。

綾菜は激しく痛む下腹部を押さえ、ソファの上でうずくまる。

その瞬間、生温かい液体が足の間をゆっくりと伝うのを感じた。

綾菜は恐る恐る下に目線を向ける――

真っ白なワンピースの裾に、真っ赤なしみがゆっくりと広がっていた。

なんとか体を起こそうとしたが、視界はどんどん霞んでいくばかり……

そしてついに、意識は完全に闇の中へと落ちていった。

意識を失うその最後の瞬間、綾菜の頭にはたった一つの思いだけが残っていた。

智也。1ヶ月後……必ず、迎えに来て。
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