LOGIN玉木真吾(たまき しんご)と一緒に過ごした十年。私たちは、互いに苦しめ合い続けた十年でもあった。 彼は愛人をよく替え、私はL市中から嘲笑される存在になる。 一方の私は、毎日のように彼のカードを使い、彼の金を散財し、街中を騒がせながら浮気相手を叩きのめし、有名な悪妻と呼ばれるようになる。 がんの診断書が下りたその日、もう何もかもが限界だと悟る。 私は真吾に電話をかけた。「真吾、約束する。私たち、離婚しよう」 電話の向こうで、彼は新しい女を腕に抱き、鼻で笑う。「沖田紗月(おきた さつき )、本気でその作り話を信じると思ってるのか? その手はもう何度目だ。つまらない」
View More秋の墓地は、荒れ果てて、もの悲しい。枯れた木々には、数枚の葉だけが心細く残り、風に揺れている。冷たい風が唸るように吹き抜け、墓地を悲しみのオーラで包んでいるかのようだ。真吾は、私の墓碑の前に座ったまま、まるで時間に縛られたかのように動かない。ときおり、目だけがわずかに動くが、その表情は虚ろだ。朝から夜まで、夜からまた朝へ、墓地の職員が声をかけるまで動こうとしなかった。その声で、彼の意識は、遠くから風に乗って戻ってきたようだった。一晩過ぎ、瓶の酒はすっかり冷え切っている。それでも彼は迷いなく持ち上げ、一気に喉へ流し込む。そして、私の骨壺を抱え、ふらつきながら立ち上がった。背後で、墓地の職員が感慨深げに言う。「このご夫婦、本当に仲が良かったんですね。奥さんが亡くなって、丸一日一晩、墓前に座り続けるなんて」「ええ、こんなに真摯な愛情、今どき珍しいですよ」そうだろうか。残念だけれど、彼らは勘違いしている。人は慣れ合えば倦み、そばにいるときには大切にしない。死んでから、どれだけ装っても、何の意味があるというのだろう。その後、私の遺骨は真吾の手で海へ撒かれた。生前、私は彼に言っていた。自由に憧れている、死んだら必ず海に撒いてほしい、と。遠くの海鳥と一緒に、風に揺られたいのだと。遺骨が海へ消えたとき、私もまた消えた。死後とは、ただの虚無だ。すべてが終わる。この世に、もう紗月はいない。……【真吾・番外編】遺骨が撒かれ、想いも断たれた。あの日以来、真吾は大病を患った。顔色は青白く、体はさらに痩せ、まるで別人のようだ。かつての面影は、どこにもない。多くの人が、彼を見舞い、言葉をかけた。「真吾、もう手放したほうがいい。もしかしたら、紗月はもう生まれ変わって、幸せに暮らしているかもしれない」「そうだよ。出会いも別れも縁だ。縁が尽きたなら、前を向くべきだ」「君は彼女に十分尽くした。もう、何も負い目はない」真吾は答えない。ただ、黙って窓の外の木の梢を見つめている。L市の冬は、訪れるのも去るのも早い。厳しい冬が過ぎると、すぐに初春が来て、枝先には新しい芽が吹く。ときおり、小鳥が飛んできては、賑やかにさえずる。その音が、真吾を15年前の春へと連れ戻した。彼らは高校の教
数日後、真吾は私の葬儀を執り行った。夫としての立場で。彼は、当時私が病気だとは知らなかったという理由で、裁判所に離婚申請の却下を求めた。葬儀は盛大なものとなり、L市中の人間が集まった。かつて真吾のそばで私を嘲笑っていた連中も、例外ではない。彼の仲の良い友人たちだ。彼らは口々に、前を向け、あまり悲しむなと真吾を慰める。正直、慰める必要はないと思う。彼は放っておいても前を向く人間だ。私のために孤独や寂しさに耐えるような男だとは、どうしても思えない。どうせ形だけだ。瀬奈も姿を見せていた。ほんの数日で、大病を患ったかのようにやつれている。かつての華やかさは、影も形もない。彼女は真吾のもとへ行こうとしたが、健人に止められた。「瀬奈、今の真吾の気持ちを考えたら、会うべきじゃない」瀬奈は苦笑を浮かべる。「一目見る資格すら、もうないの。長い付き合いだったのに」健人はそれ以上何も言わず、瀬奈も中へは入らなかった。葬儀の空気は重く、厳粛だ。誰かの声が聞こえる。「若いのに、気の毒だな」「もう離婚していたのに、元夫が葬儀まで出すなんて、義理は通してるね」「本当に、世の中は無常だ」それは確かに。私自身、真吾が葬儀を出してくれるとは思っていなかった。当時は離婚状態だったのだから、無視してもよかったはずだ。野ざらしにされなかっただけでも、上等だと思っていた。まさか、ほんの少しとはいえ、まだ情が残っていたとは。葬儀が終わり、弔問客を一人ずつ見送ったあと、私の遺体は火葬に回された。残ったのは、わずかな灰だけ。私の墓は、祖母の隣に建てられ、寄り添うように並んでいる。それから数日間、真吾は毎日私の遺骨を抱え、墓碑の前に座って話しかける。風の日も雨の日も、彼は動かなかった。やがて訪れる回数は増え、体つきは目に見えて痩せていく。かつての意気揚々とした面影はなく、髪は乱れ、無精ひげが伸び、目は赤く腫れている。唇は乾いてひび割れ、目の下には濃い隈が浮かぶ。「紗月、また来たよ」彼は口元をわずかに引き、かすれた声でそう言う。その声は、晩秋の風にさらわれていく。その頃から、私の姿も次第に薄れていく。きっと、私ももうすぐ去るのだ。彼は墓碑の前に腰を下ろし、お酒を取り出し、飲みながら話し
真吾は私の体の前に伏せ、過ちを悔い改める。彼は何度も何度も、すまないと言い続けている。「ごめん、紗月。全部俺が悪い。お前が病気のときに離婚なんてするべきじゃなかった。許してくれないか?起きて殴っても罵ってもいい。全部受け止めるから。だから、起きてくれ。この前、俺を苦しめるって言っただろ。なのにお前は亡くなった。俺を苦しめるなら、ちゃんと起きないとだろ。もうからかわないでくれ。起きてくれ。起きてくれるなら、何でも言うことを聞く」……彼は取りとめもなく語り続ける。過去のこと、今のこと、そして未来のこと。でも、聞いている私にはただ滑稽に思える。未来なんて、最初から存在しない。私たちはもともと未来のない関係だ。これだけ長い間お互いを傷つけ合ってきたのに、別れたなら喜ぶべきじゃないのか。真吾は本当に異常だ。まさか死体フェチでもあるのか、私の手にまで触れてくる。彼の涙がぽたぽたと落ち、私の掌を濡らす。彼は何度も私の名を呼ぶ。「紗月、紗月。目を覚ましてくれ。もう二度と喧嘩しない。もう外で他の女を探したりしない。お前を怒らせない。起きてくれ。ちゃんと一緒に生きよう。もしこれが悪ふざけなら、お前が勝った。俺はお前を大切に思ってる。だから起きてくれ」本当に神経がわからない。私は顔色を失って横たわっているのに、まだ悪ふざけだと言う。もし私が首を吊っていたら、彼はブランコに乗っていると思ったのだろうか。真吾は私の亡骸の前で長い間泣き続け、医師に引き離されたとき、私の手は彼の鼻水と涙でべとべとになっていた。また一つ、彼への嫌悪感が増す。ほどなくして、私が死んだという知らせが広まる。多くの人が嘆き、メディアはこぞって報じた。【衝撃 かつてのL市の悪妻が静かに死去 玉木真吾が悔恨】大きなレッテルを貼られたものだ。もう死んで魂はふわふわしているのに、体だけがやけに重い。投稿の注目度は一気に上がり、コメント欄は騒然とする。【えっ?紗月ってあの性格最悪な女が死んだの?つい最近まで元気だったよね】【そうそう、数日前に玉木たちを一人でボコボコにしたって投稿見たけど、あの戦闘力で死ぬ】【舌なめずりしすぎて自分の毒で死んだんじゃない?】【こんなに早く 以前は暴力沙汰で何度もトレンド入りしてたのに】…
「もう、私と結婚するつもりはないの?」瀬奈の声は、かすかに震えている。彼女は首を振り、目元が赤く染まる。「そんな……やめるなんて、急すぎる。お父さんもお母さんも、友だちも、みんな待ってるのに。どうしてこんなに簡単に、私たちの結婚を捨てられるの。紗月さんがいなくなったから?確かに、あなたたちは長い間一緒にいた。でも、私だってずっとそばにいた。長い間、あなたに合わせて芝居をしてきたのに、どうして……」「芝居だって、自分で言えるんだな」真吾の声は落ち着いているが、どこか荒涼とした響きを帯びている。瀬奈の涙は止まらない。そうだ、最初から全部が芝居だった。ただ、彼女だけが深くのめり込んでいただけだ。「二億円ちょうだい」「いい」真吾は即答する。かつて私が離婚を切り出したとき、彼があっさり同意したのと同じだ。瀬奈は泣きながら外へ飛び出す。十月末の秋で、夜の空気は冷たい。健人はまだ帰らず、物陰に身を潜めていた。泣き崩れながら走り去る彼女を見て、追いかける。「どうだった?」「終わった。真吾とは完全に終わり」その言葉を口にした瞬間、瀬奈は崩れるように泣き出す。乱暴に涙をぬぐい、もう以前の体面はない。「彼は私を愛してない。最初から最後まで、一度も。彼が愛してるのは、ずっと紗月さん。でもどうして、まだ愛し合ってるのに、別れなきゃいけないの?一緒にいられるかもしれないって、希望を持たせたのに」夜風が吹き抜け、やけに物寂しい。彼女は言う。真吾が愛しているのは私だと。私は信じない。彼が私を愛するはずがない。憎まれているだけだ。十五年一緒にいて、結婚生活は十年。互いへの愛情は、日常の中ですり減っている。祖母が亡くなった年、彼は斎場の前で花火を打ち上げ、私が孤児になったことを祝った。それ以来、頼れる人間は彼しかいない。いや、違う。彼も私の拠り所ではない。その後、彼の父親が病気で入院し、私は病院に乗り込み、酸素チューブを引き抜いた。そのことで激しく争い、収拾がつかなくなる。愛情は少しずつ、確実に消えていった。かつての甘い恋人同士は、相手の死を願う敵に変わる。今の私は死んでいる。彼は喜ぶはずだ。「これから、どうするつもり?」健人の言葉は、冷たい風にかき消される。瀬奈は鼻をす
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