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第十七話:百貌様

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-10-13 21:40:21

翌日。

じりじりと照りつける太陽が、アスファルトを白く光らせる。教室の窓から吹き込んでくる風は熱を帯びて、昨日までの出来事がまるで遠い夢だったかのように、退屈な日常を運んできた。

昼休み、俺たちは、三人で屋上にいた。

金網のフェンスに寄りかかりながら、買ってきたパンを齧る。目の前では、まだ少しだけ顔色の悪い智哉が、必死に焼きそばパンを頬張っていた。

「……で、マジで大丈夫なのか? お前」

「お、おう! もうへっちゃらだって! 昨日一日寝たら、スッキリしたぜ!」

空元気なのは、見え見えだった。だが、無理にでもそう振る舞おうとするのが、こいつのいいところでもある。

俺は、昨夜の出来事を、掻い摘んで智哉に話して聞かせた。廃墟で見つけた日記のこと。婚約指輪の在処。そして、秋崎叶さんの魂を、俺たちが解放したことを。

話が進むにつれて、智哉の口の動きが止まっていく。やがて、あんぐりと口を開けたまま、焼きそばパンを持つ手も忘れて、俺と穂乃果の顔を交互に見つめた。

「まじかよ……。それで、輝流と穂乃果ちゃんは、二人きりで、あの赤い服の女を成仏させたってのか……」

智哉は、信じられない、といった様子で呟いた。

「ああ。話してみれば、ただ悲しんでるだけの人だった。やっぱり幽霊は、ただ怖いだけのものじゃない。俺はそう思ったな」

俺がそう言うと、隣に立つ穂乃果が、どこか遠い目をして、苦笑いを浮かべた。

「私は…まだ輝流みたいに割り切れないけど…うん。忘れられない思い出には、なったかも……」

その言葉に、智哉が悔しそうに唇を噛む。

「なんか……俺がダウンしてる間に、そんな大事になってるなんてな……」

俯いてしまった智哉の肩を、俺は軽く叩いた。

「お前が気を失ってくれたおかげで、逆にスイッチが入ったようなもんだ。礼を言うぞ」

「そ、そうか…? なら、いいんだけどよ…」

そうだ。だからこそ、話さなければならない。

「智哉。お前に、相談したいことがある」

「へ?」

「昨日、秋崎叶さんの家で見つけた本に、気になることが書いてあったんだ。…あの神様のことだ」

「神様…」と智哉が呟いた途端、屋上の空気が少しだけ重くなった気がした。

俺は、慎重に言葉を選ぶ。

「なあ、智哉。お前んちも、この町じゃ一番の古株だろ。昔、この神鳴山に『山坐神(やまいますかみ)』って呼ばれてた、慈悲深い守り神がいたって話、聞いたことあるか?」

「やまいますかみ…?」

智哉は、首を捻った。

「いや…初耳だな、そんな名前。俺がじいちゃんから聞かされてたのは、そんな優しい神様じゃねえよ。むしろ、絶対に近づいちゃいけねえ、ヤベェやつがいるって話だけだ」

「ヤベェやつ…」

「ああ。なんでも、無数の顔を持ってて、一度でも目ぇ合わせたら攫われる、とかなんとか…。確か、じいちゃんはそいつのこと、こう呼んでたな。『百貌様(ひゃくぼうさま)』って」

その言葉を聞いた瞬間、隣にいた穂乃果が、息を呑んで、きゅっと唇を結んだのが分かった。だが、彼女は何も言わなかった。

「百の貌(かお)の神様、か…」と俺が呟く。

「俺たちが読んだ、慈悲深い守り神とは、まるで正反対だな。全く別の神様なのか、それとも…」

俺がそこまで言うと、智哉は「うーん」と唸りながら、困ったように頭を掻いた。

「わりぃ、輝流。そこまでは、俺も全然…。じいちゃんも、ただ『怖い神様だから近づくな』の一点張りで、詳しいことは何も…」

だが、智哉は何かを思いついたように、顔を上げた。

「でも、親父なら、何か知ってるかもしれねえ。うちの親父、ああ見えて、町の歴史とか、昔話とか好きなんだよ」

「…本当か?」

「おう! 今日の帰り、早速聞いてみるよ! 俺がダウンしてた間の借りは、ここで返さねえとな!」

そう言って、智哉はニカッと笑った。ようやく、いつもの調子が戻ってきたらしい。

その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが、気だるげに鳴り響いた。

***

放課後。俺と穂乃果は、並んで帰路についていた。

西日が長く影を伸ばし、遠くから聞こえる運動部の声が、夏の終わりの気配を運んでくる。屋上での会話の後、穂乃果はどこか考え込むように、ずっと黙ったままだった。

「ねぇ…輝流」

先に沈黙を破ったのは、穂乃果だった。

「ん?」

「昼休みか…智哉くんの前では言えなかったんだけど…私…気がついた事があって…」

その声は、震えていた。

「智哉くんが叶さんを見たっていう時に背後にいた怪物…。それって……」

「あの時に智哉くんが話してくれた、百貌様っていう神様と…特徴が…一致してない…?」

その言葉に、腕に粟立つような悪寒が走った。

智哉を寝込ませた、山の怪物。穂乃果から又聞きしたその特徴が、脳内でフラッシュバックする。

──その身には、過去の行方不明者たちの無数の顔が、張り付いている。

まさか。

まさか、智哉が見たソレが、その恐ろしい神様だというのか…?

俺たちは、言葉を失ったまま、ただ長く伸びる自分たちの影を、踏みしめて歩いた。

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    俺は、目の前にある古びた玄関のドアノブに手をかけた。ひやりとした、錆の浮いた鉄の感触。 どうせ開かないだろう、という予感はあった。力を込めて捻り、引く。が、がちり、と硬い感触が手に伝わるだけで、扉はびくともしない。 「……まあ、そうだよな」 左腕に、穂乃果の指が食い込むのを感じる。ほとんど全体重を預けられているせいで、少し動きにくいな。 「裏手を見てみるか」 「うん…」 家の側面に回り込み、生い茂った雑草をかき分ける。建物の影になった場所は、ひどく空気が湿っていた。 裏庭へ抜けた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。 裏庭の、朽ちかけた縁側の下。そこに、黒く変色した染みが、べったりとこびりついていた。まるで、何か大きな獣でも引きずったかのような、おびただしい量の痕跡。 「なんだ、これは…」 声が、掠れた。隣で、穂乃果が俺の顔を不安そうに見上げる。 「ど、どうしたの…?」 穂乃果が首を傾げる。 「何か見えるの…?」 その言葉に、はっとする。俺の視線を追う穂乃果の瞳には、ただの不審だけが浮かんでいる。 ……まさか。この、おびただしい量の血痕が、こいつには見えていない、というのか? 「……いや、なんでもない」 今余計な事を言っても、こいつを不安にさせるだけだ。そう考えた俺はかぶりを振ると、その禍々しい痕跡から目を逸らし、穂乃果の腕を引いて再び玄関へと戻った。裏手の窓も、雨戸が固く閉ざされていて入れそうになかった。 「やっぱり、戸締りくらいはしてるよな…」 「うん……管理してる人がいるんだろうしね…」 穂乃果がそう呟き、諦めの空気が漂った、その時だった。 ──カチャリ。 乾いた金属音が、やけにクリアに響いた。二人同時に、音のした玄関の方を振り返る。 「今の音は……?」 俺が呟くと、穂乃果がごくりと喉を鳴らす。 「…げ、玄関……だよね」 「ああ、見てみよう」 俺は、まるで何かに引き寄せられるように玄関へ歩み寄ると、もう一度、冷たいドアノブに手をかけた。 さっきと同じように、捻って、引く。 すると、 キィィィィン……、 今までが嘘のように、重く、軋むような音を立てて、扉がゆっくりと開いた。 中から、黴と埃が混じった、淀んだ空気がどっと溢れ出す。 おかしい。さ

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