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16.白石孝之の調査録

Author: 渡瀬藍兵
last update Petsa ng paglalathala: 2025-10-12 20:17:58

 俺と穂乃果は、その場に立ち尽くしていた。

 開かれた日記の最後のページには、もう何も書かれていない。

 七月六日。そこで、叶の言葉は途切れていた。

 妙な居心地の悪さが、胸の奥に沈んでいく。

 白紙のページは、ただ白いだけだ。

 なのに、そこには何かがびっしりと書き込まれているような気がした。

 書かれなかった言葉。

 書けなかった理由。

 そして、その翌日に起きたこと。

 背中を、冷たい汗が一筋流れた。

「輝流……これ……」

 穂乃果の声も、ひどく小さかった。

 考えたくはない。

 でも、そういうことなのだろう。

 叶は、その次の日に死んだ。

 本来なら、新婚旅行に行くはずだった七月七日。七夕の日に。

 電車に轢かれて。

「輝流、見て……」

 穂乃果が震える手でスマホを取り出した。

 画面をこちらへ向ける。そこに映っていたのは、古い新聞を撮影した画像だった。端が少し歪んでいて、画面の光に反射して読みにくい部分もある。

「これは?」

「一応、私も……輝流に渡した新聞とは別に、調べてたの。そしたら、やっぱりおじいちゃんの書斎にいろいろ残ってて」

 穂乃果は画面を握る指に力を込めた。

「おじいちゃんは、間違いなくこの事件を追ってたんだと思う。たぶん、不審に思うところがあったんだよ」

「読んだのか?」

「……ううん」

 穂乃果は首を横に振る。

「輝流と一緒に見るべきだと思ったのと……あと、怖かったから。なんとなく、ひとりでは読めなかった」

 その気持ちは分かる。

 この家に入る前なら、少し大袈裟だと思ったかもしれない。

 でも今は違う。

 叶の日記を読んだあとでは、この画面の中に写っている文字が、ただの過去の記事には見えなかった。

 俺はスマホの画面へ意識を集中させる。

 そこには、叶の最後について書かれていた。

 七月七日。

 秋崎叶さんが婚約者と共に歩いていたところ、列車が近づいてきた。

 その直後、叶さんは安全柵をくぐり抜け、線路へ飛び込んだとされている。

 事故当日、叶さんは本来予定していた新婚旅行を取りやめ、来年へ延期していた。

 また、家族の証言によれば、叶さんは婚約者と共に、急遽他県へ移る準備を進めていたという。

 そこで記事は一度切れていた。

 穂乃果が指で画面を滑らせる。

 次に映ったのは、別の切り抜きだった。新聞記事というより、記事の余白か、裏面に書き残された調査メモのようにも見える。

 そこには、白石孝之のものらしい筆跡で、こう残されていた。

 世間は、これを自殺だと言った。

 多くの報道も同じだった。新婚旅行が取りやめになったことで精神的に不安定になり、自暴自棄になった末の自殺だ、と。

 そんな馬鹿なことがあるか。

 彼女は事件の直前まで、幸福の絶頂にいた。婚約し、旅行を楽しみにし、未来の生活を語っていた。

 にもかかわらず、彼女は突然、逃げるように他県への引っ越しを計画している。

 そこには、何かがある。

 私は秋崎叶さんの母親に話を聞こうとした。

 しかし、ご両親は頑なに口を閉ざし、私は家から追い返された。

 ただ、その時の目だけは忘れられない。

 恐怖が染みついた目で、彼女は私にこう言った。

 ――この件を、深掘りしないでください。

 穂乃果の指が、そこで止まった。

 俺は続きを促すように、無言で画面を見る。

 穂乃果は小さく息を吸い、もう一度画面を下へ送った。

 それから私は、婚約者へ接触することにした。

 辛いだろう。

 残酷なことだとも分かっている。

 それでも、真実を知らなければならない。そんな衝動が私を動かしていた。

 だが、叶さんの死から十日後。

 婚約者は、自ら命を絶っていた。

 彼が住んでいた部屋の近隣住民は、彼が事故後から明らかに様子をおかしくしていたと語っている。夜中に発狂する声や、悲鳴のようなものが聞こえることもあったらしい。

 その中で、気になる言葉があった。

 彼は何度も、同じことを口にしていたという。

 ――顔を貼りつけた何かが、近づいてくる。

 私は、この言葉に手がかりを感じた。

 顔を貼りつけた何か。

 まずは、これを調べる必要がある。

 そこまで読んだところで、穂乃果のスマホを持つ手が震えた。

 俺は画面から目を離せなかった。

 顔を貼りつけた何か。

 叶の日記に書かれていたものと、同じだ。

 黒くて、手足が長くて、身体にいくつもの顔が張りついている何か。

 叶を見ていたもの。

 叶を追っていたもの。

 そして、婚約者のもとへも近づいていったもの。

「……繋がったな」

 自分の声が、思ったより低く響いた。

 穂乃果が、青ざめた顔で俺を見る。

「輝流……」

 俺は答えず、もう一度、日記の最後のページへ視線を落とした。

 七月六日。

 母親は叶に言った。

 早く遠くへ行け。

 この町から離れろ。

 つまり、母親は知っていたのだ。

 叶に何が迫っているのかを。

 そして、それがただの気のせいではないことを。

 俺は、白紙のページを指先で押さえた。

 この日記は、ここで終わっている。

 けれど事件は、ここから始まっていた。

 

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