Se connecterそこから話題は、自然と咲月という人物へ移っていった。
琴乃は一度呼吸を整えるように目を伏せ、それから二人を見回した。 「アタシの見解を共有するわね。美琴と悠斗君の話にあった、悠斗君の血に咲月様の血筋が流れているって説――アタシは、かなり的を射てると思う」 悠斗は黙ってその先を待った。琴乃の声には、思いつきを口にする軽さではなく、いくつかの断片を自分の中で並べ終えた者の重みがあった。 「理由としては、悠斗君も美琴から聞いてると思うけど、アタシたちの故郷――蛇琴村に、咲月様の情報がまるごと残っていないのよ」 「まるごと……」 思わず悠斗が呟くと、琴乃は小さく頷いた。 「そう。残っているのは名前だけ。彼女が何をして、何を成し遂げたのか、それが一切わからないの。琴音様の妹という立場にありながら、ここまで綺麗に空白になってるのは……さすがに、何か意図を感じるわ」 「蛇琴村にはね、『年代記』が残ってるのよ。大まかな歴史はちゃんと辿れる。飢饉も、祭事も、巫女が何をして村を守ったかも――琴音様のことなんて、驚くほど細かいくらいよ」 部屋の空気が少しずつ沈んでいく。 歴史は辿れる上で、名前だけが残っている。 その不自然さは、むしろ何かを隠していると語っているようなものだった。存在しなかったのではない。存在していたはずなのに、そこへ至る道筋だけが、誰かの手で丁寧に削り取られている。 「彼女は何者だったのか。どうして彼女だけ、空白の中に埋もれてるのか……」 琴乃の声は静かだったが、その問いには長く引っかかり続けてきた重さが滲んでいた。 「以前、美琴とも話していたんです」 悠斗は記憶を辿るように言った。 「なんだか、意図的に消したんじゃないかって」 「そう。それなのよ」 琴乃はすぐに言葉を継いだ。 「仮に咲月様が蛇琴村を出たんだとしたら、それだけでも本来は文献に残るはずなの。あの人の立場は、それくらい重い。にもかかわらず、何も残っていない」 その言い方には、村の記録のあり方を知っている者らしい確信があった。偶然抜け落ちた、では済まされない。そう断じるだけの実感があるのだろう。 美琴が、膝の上で指先をそっと重ねた。 「私、考えていたんだけど……」 少しためらうような間が落ちる。 「仮に村がそこまでするとしたら、咲月様が何か罪を犯したんじゃないかって。……私が言えることじゃないけど……」 言い終える声はわずかに細かった。自分の祖先に連なる話だからこそ、口にするだけで胸の奥を擦るのだろう。 「……美琴」 琴乃の声音が、少しだけやわらぐ。 「いつも言っているけど、自分の祖先の罪まで背負わないで」 その一言に、美琴は小さく目を伏せた。琴乃はそれを見てから、静かに話を戻す。 「……でも、たしかにその線もあるわ。何か、村を追われるほどの罪を犯した。そのせいで蛇琴村にいられなくなった――そう考えることもできる」 「だから、村には記録が残っていないと?」 悠斗が問い返すと、琴乃はすぐには頷かなかった。 「これはあくまで推察よ」 その声は落ち着いている。感情に引っ張られた断定を、自分でしっかり制している響きだった。 「今の時点で言い切るべきじゃない。でも、推理のひとつとしては入れておくべきね。咲月様の記録だけがここまで不自然に欠けてる以上、何かがあったと見る方が自然だもの」 悠斗は息をつきながら、畳の上へ視線を落とした。 咲月。 名前だけが残り、肝心の生きた跡だけが消されている人物。 もし本当にその血が自分に繋がっているのだとしたら、その空白はただの昔話ではなくなる。隠された過去が、静かに今へ食い込んできているような感覚があった。 「……ひとつ、いいですか?」 少し間を置いてから、悠斗が口を開く。琴乃は静かに頷いた。 「ええ」 「咲月さんって人の情報がほとんど残ってないことは分かりました。でも、蛇琴村って、そもそもどの辺にある村なんですか?」 「ここ、花守温泉郷よりもっと北よ。そこの窓から覗いてごらんなさい」 促されて、悠斗は立ち上がった。畳を踏む足音を小さく響かせながら窓辺へ寄り、ガラスの向こうへ目を向ける。 「一番奥に、少し黒ずんだ山が見えない?」 「……見えます」 遠く連なる山並みのさらに向こうに、ひときわ重たく沈んだ色の山があった。そのあたりだけ雲が妙に厚く、空の色まで鈍って見える。ほかの山々より明らかに標高が高く、これだけ離れていてもなお、ひとつだけ突き出すようにそびえていた。 「その山の麓に、蛇琴村があるの」 琴乃の声が、背後から静かに届く。 「山の名前は、白蛇山。千年前には、そこに大きな白蛇がいたって伝わっているわ」 白蛇。 その言葉だけで、山の黒ずんだ輪郭が急に生き物じみて見えた。雲をまとった山肌が、巨大な何かの背を伏せているようにも思えてくる。 「当時の祖先たちは、その白蛇を天災みたいなものとして恐れたの。だから、生贄という戒めの文化を作り出した」 生贄。 悠斗は窓の向こうを見たまま、息を浅くした。千年前の人間たちは、それほどまでに追い詰められていたのか。山ひとつに怯え、誰かを差し出さなければならないと思い詰めるほどに。 「でも、それも歴史の初期だけよ」 琴乃はそこで一度、記憶を確かめるように言葉を選んだ。 「……いえ、正しくは、琴音様が白蛇様を宥めて、その文化を無くしたと文献には載っているわ」 「すごいですね……」 悠斗は思わずそう漏らした。 「神と対話して、それを呑ませるなんて」 素直な感嘆だった。人ならざるものと向き合い、その怒りを鎮める。そんなことが本当に出来たのだとしたら、それはもう巫女という言葉だけでは足りない気がした。 けれど同時に、引っかかりも残る。 それほどの存在だった琴音が、なぜ呪いそのものになってしまったのか。 そこに至る理由を、悠斗はまだ知らない。知ろうと思えば、いずれ美琴に聞くしかないのだろうと、胸の奥で静かに思った。 「そうね」 琴乃が小さく頷く。 「さすがに千年も前のことだから、どこまでが真実なのかは測りかねるわ。でも、迦夜なんてものが実際にいる以上、白蛇も実在したと考える方が自然でしょうね」 窓の外では、白蛇山の上に重たい雲が垂れ込めたままだった。 ただの山だと言い切るには、その姿はあまりにも禍々しい。悠斗はしばらく黙ったまま、その黒い稜線を見つめていた。遠いはずの場所なのに、そこだけが異様に近く感じられた。 「って、こうして整理してみても、空白ばかりね。答えにはまだ遠いわ」 琴乃が小さく息を吐く。集めた断片は増えているはずなのに、肝心なところだけが霧の中にある。そんなもどかしさが、その声音には滲んでいた。 「あっ、そうだ。琴乃姉さん」 ふと思い出したように、美琴が顔を上げる。 「昨晩、初詣に行ったときに引っかかったことがあったの。もしかしたら、これ……当たりかもしれないって思って」 「なに?」 琴乃が視線を向けると、美琴は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。 「この土地に伝わっている、花守巫女。その由来を知れたの。花守巫女は、一本の桜の苗を、とても大事に持ち歩いていたらしいの」 その瞬間、悠斗の中で何かが引っかかった。 「……これは、関係あるかわからないですけど」 二人の視線が自分へ集まる。 「僕の故郷、桜織市には、桜翁って呼ばれてる木があるんです」 「……しかも、その木」 美琴が静かに言葉を継いだ。 「樹齢は千年って言われてるみたい」 「…………」 琴乃はすぐには返さなかった。驚いたというより、頭の中で一気にいくつもの点が線へ変わっていく、その途中にいるような沈黙だった。 やがて、琴乃がゆっくり口を開く。 「つまり……花守巫女が咲月様で、その人が桜織という地へ流れ着いた先で、桜翁を植えた――そういうこと?」 「私は、そうなんじゃないかって考えてる」 美琴ははっきり頷いた。 「それに、桜翁に対して、悠斗くんは呼ばれてるような感覚があるって言ってた」 その言葉に、悠斗は小さく息を呑んだ。 確かに、自分でもうまく説明できない感覚があった。桜翁のそばに立つと、ただの大木を前にしている気がしない。見上げているはずなのに、向こうから見つけられているような、不思議な感覚が残るのだ。 「これは……一気に繋がってきたわね」 琴乃の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。 「ふふ。まるで、パズルみたい」 「美琴は、僕と桜翁に繋がりがあるから、そう感じるんじゃないかって言ってます」 悠斗がそう補うと、琴乃はすぐに頷いた。 「ええ、その可能性は高いわ。アナタの先祖が咲月様だと考えるなら、桜翁に呼ばれているような感覚も、十分筋が通る」 そこまで言ってから、琴乃は少しだけ表情を引き締めた。 「ただ、まだ断定はできない。ここは慎重に見ないといけないわね」 浮かび上がった線は確かに魅力的だった。けれど、魅力的だからこそ飛びついてはいけない――そんな冷静さが、琴乃の言葉にはあった。 「でも、この説なら」 琴乃は静かに続ける。 「アナタにどこから巫女の血が流れているのか、その筋道は見えてくる。ばらばらだった情報のあいだに、一本、太い線が通るのよ」 悠斗は黙ってその言葉を受け止めた。 咲月。花守巫女。桜翁。そして、自分の血。 これまで別々に浮かんでいた名前たちが、ようやくひとつの形を取り始めている。まだ推測の域を出ない話だとしても、その仮説はあまりにも自然で、否定する方が難しいように思えた。 部屋の中にはしばし静けさが落ちる。### 作品をより良くするための挑戦 この作品は、**物語の良さを最大限に引き出すため**に、大きく二つの改訂を行います。 一つ目は、視点の変更です。 当初は一人称で書いていましたが、**三人称一元視点(悠斗の内面に寄り添う視点)** に変更しました。これは、読者の皆さまにより深く物語の世界に没入していただくための選択でした。 一人称では表現しきれなかった、**静かな空気感**、**日常に滲み出る異常**、そして**じわりと背筋を這い上がる怖さ**。それらを、より豊かに、より美しく描くことができたと感じています。 二つ目は、内容のテコ入れです。 物語の核心は変えず、展開やシーンの構成を見直します。より自然な流れで、より緊張感のある展開で、悠斗と琴音の物語が読者の心に届くように。 ### でも、変わらないもの どれだけ手を加えても、**絶対に失いたくなかったもの**があります。 それは、**この物語が持つ温かさと切なさ**。 春の桜、夕陽の茜色、風に揺れる髪。そんな美しい日常の中に、静かに、でも確かに存在する「この世ならざるもの」との繋がり。 **悠斗の優しさ**と**美琴の儚さ**。二人の間に流れる、言葉にならない想い。 それらは、最初に書いた時から、ずっと変わらず、この物語の心臓として脈打っています。 ### 最後に この物語が、皆さまの心に、少しでも残るものであれば幸いです。 怖さの中にある優しさ。日常の中にある奇跡。そして、縁が結ぶ不思議な物語。 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
皆さん、物語を読んでいただきありがとうございます! ここでは、物語をさらに深く楽しんでいただくために、いくつかの裏設定を少しだけ解説したいと思います。 Q1. 迦夜(かや)って、結局何だったの? 第七章で悠斗たちを苦しめた《迦夜》。彼女たちは、琴音の呪いによって生まれた「歴史への怨嗟の集合体」です。 しかし、琴音が戦いの最中に言ったこのセリフ、気になりませんでしたか? > 『ぐぅ……! 吸収し損ねた迦夜の残骸か……! はみ出し者の分際で、妾に逆らうとは……っ!!』 実は、琴音はこの千年もの間、自らが振りまいた呪いが生み出す怨念を、その身に吸収し続けていました。 迦夜の力も怨みも。 つまり、悠斗たちが戦った迦夜は、その巨大な器から**ほんの少しだけ溢れ出してしまった「残骸」**にすぎません。 Q2. なぜ沙月(さつき)の血筋だけが、他の巫女より長生きできたの? 美琴の血筋をはじめ、多くの巫女たちが二十代という若さで命を落とす中、なぜ沙月の子孫だけは比較的長く生きられたのか。 その答えは、**沙月が呪いの元凶である琴音の「実の妹」**だったからです。 力の源流に最も近い血を持つ沙月は、琴音の力を扱える器でした。 (もちろん、全く呪われていない訳ではありません) 例えるなら、他の巫女たちの呪いの進行速度を「2倍速」とすると、沙月の子孫は「等速」で進む、というイメージです。 それ故に、他の巫女よりは長く、三十代~四十代まで生きることができました。 悠斗に一切呪いがないのは、沙月の子孫への強い想いから繋がった、祈りという名の奇跡なのです。 Q3. 忘れられた創設者・沙月の歴史 桜織市の創設者である沙月の歴史は、あまりにも長すぎるため、そのほとんどが人々の記憶から忘れ去られています。 温泉郷にかすかに「清き巫女の伝説」が残るのみで、その全貌を知るのは、桜織神社の墓守である藤次郎の一族だけです。 なぜ歴史が忘れられたのか? それは、沙月自身がそう望んだからです。 彼女は、自分の子孫たちが過酷な宿命に縛られず、自由に生きてほしいと願い、藤次郎の祖先に「真実を語り継ぐ必要はない」と伝えていました。 ちなみに、沙月には**《葵(あおい)》**という娘がいました。 白蛇様の分身体を封印する覚悟を決めた沙月は、その少し前に、娘を父方の家系へと
あれから――さらに、百年もの歳月が流れようとしていた。 悠久の風がこの白蛇山の山頂を吹き抜ける中、妾は静かに見守り続けていた。悠斗に遺した妾の血を媒体に、彼と美琴、そしてその子孫たちが紡ぐ、すべての記憶と感情を。 それが、妾が自らに課した最後の贖罪であったから。 二人は、実に満ち足りた生涯を送った。 まるで失われた時間を取り戻すかのように、笑い、愛し合い、時には些細なことで喧嘩をしながらも、固く手を携えて歩んだ。やがて、その腕に新しい命を抱き、慈しみ、育て、そして次の世代へと縁を繋いでいった。 霊砂や百合香たち、古の巫女たちもまた、穏やかに天寿を全うし、安らかな眠りについた。 その最後の魂が天へと昇ったのを見届けたとき……妾の役目も、ようやく終わったのだ。 あぁ……なんと壮大で、愛おしい記録であったことか。 妾の呪いが彼らを、そして多くの者を苦しめてしまった事実に変わりはない。 だが、妾の血を引き継いだ彼らの子孫たちが、この先も数多の物語を紡いでいく。かつてあれほど憎らしいとさえ思ったその事実が、今ではむしろ……誇らしく、喜ばしいとさえ感じるのだ。 そんなことを想いながら空を仰いでいた、その時だった。 『……姉上……』 ふと、天から懐かしい声が聞こえたような気がした。 いや、気のせいではない。魂に直接響く、凛として、それでいて慈しみに満ちた声。 『む……?』 『姉上……』 見上げると、雲間から柔らかな光が差し、天からひとつの人影が、静かに舞い降りてくる。 妾の記憶にある、ただ一人の姿。 『……沙月……!』 『迎えにまいりました』 地に降り立った妹は、以前と何ひとつ変わらぬ、穏やかな微笑みを浮かべていた。 かつては、その清廉さが息苦しくもあった。だが……それがいまは、どうしようもなく心地よい。 『ふふ……そなたの蒔いた種が、見事な花を咲かせ……こうして、妾を解放するに至った。感謝するぞ、沙月』 そう告げると、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして、そっと妾の手を取った。 差し出されたその手は、記憶にあるどの温もりよりも柔らかく、そして、暖かかった。千年の時を超え、ようやく妹の手に触れることができたのだ。 さぁ、天へと上がろう。 悠久の時を、今度こそ二人で。 そして、この地に生きる、まだ見ぬ愛しき子孫たちよ。
あれから――十六年が経った。 月日は慌ただしく流れ、私の日常も大きく姿を変えた。 私は今、この桜織市で『結び屋』という名の霊媒処を営んでいる。 古の巫女である霊砂さんたちとの交流は続き、私の方から「一緒に霊媒師をやらないか」と声を掛けたところ、彼女たちも快く受け入れてくれた。今では、皆が『結び屋』の正式な仲間だ。 皆の助けもあってか、いつしか「よく当たる」などと評判になり、かつてのような無名の存在ではなくなった。 けれど、やっていることは昔と何も変わらない。 ただ静かに、迷える霊たちの傍に寄り添い、その”想い”と向き合い――癒すだけ。 かつて、彼女がそうしてくれたように。 *** バスの車窓から、ふと紅い影を纏った霊を見つける。すぐに停止ボタンを押し、運賃を払ってバスを降りた。 いた。あの霊だ。 「こんにちは。何か、お困り事でも?」 私は、路地裏に佇むその霊に、臆することなく声をかける。 『あんた……私が見えるのね……』 「ええ。何か抱えている想いがあるはずです。私でよければお聞きしますよ」 『……なんで……なんで私が死ななきゃいけなかったの!? あいつが……あいつが悪いのに……!』 胸の内に渦巻く、未練と怒り。それはまだ”すれ違い”の最中なのだろう。 「よければ……あなたの話を、聞かせてくれませんか。私にも、力になれることがあるかもしれません」 これまで、幾度となく見てきた。怒りに呑まれ、世界を恨んだ霊たちも――きちんと”言葉”を交わせば、癒えるのだと。 *** 『……ってわけがあってねぇ……』 先ほどまで荒れ狂っていた霊は、今ではすっかり落ち着き、赤く禍々しかった気配も、まるで嘘のように消えていた。 「なるほど……それは、とてもお辛かったですね」 そう伝えると、彼女の身体が透き通り始める。成仏の兆候だ。 「あとは私が、あなたの想いを引き継ぎましょう」 『……ほんとに? いや……なんだか、あんたは信用できる気がするよ……』 彼女は、誤解の果てに彷徨っていた。だが、その誤解はいま解けた。約束通り、後日、彼女の言葉を伝えるために”その人”へ連絡を取るつもりだ。それが、私の仕事。私が選んだ、生き方。 『……あぁ……なんだか……心地がいいや……』 彼女の姿がさらに透け、やがて光の粒子となり、静かに――天へと昇っていっ
僕は車の中で、輝信さんと……琴乃さんの話をしていた。 彼女は、魂を賭して美琴を、そして僕を守ってくれたのだ。 美琴の言葉を借りれば──魂が攻撃されて死んでしまった場合、その魂は浄土へ昇れず、消滅してしまう。それを知っていながら、琴乃さんは迷わず僕たちを守ってくれた。その事実を思えば、あの山頂での自分の行動は……あまりにも愚かだったと、今更ながら胸が痛む。 この命は、琴乃さんと美琴、ふたりの魂に支えられて今、ここにあるのだ。 琴乃さんの想い人であり、彼女を同じように深く愛していた──輝信さん。彼がどんな反応をするか、正直、不安だった。 けれど、返ってきた言葉は……想像していたものとは違っていた。 「そうか、琴乃がふたりを守ってくれたのか……なら──ちゃんと、生きないとな。きっと琴乃も、それを望んでる」 その声は、努めて明るく振る舞う中に、微かな震えが混じっていた。ほんの一瞬だけ、その瞳の奥に深い悲しみがよぎる。でも彼は、変わらず優しく微笑んでくれた。 「……はい」 僕は深く頷いた。 *** 車内の空気は、しばらく静寂に包まれた。それでも、輝信さんは黙って僕を自宅まで送り届けてくれた。 「元気でな、悠斗君!」 別れ際、彼は笑顔で手を振った。 「俺はこれから琴乃の亡骸を弔ってくる。……また気が向いたら、あの家に来てくれ!」 その言葉を聞いて、僕は彼に尋ねた。なにか、自分にもできることはないかと。 だけど彼は、そっと首を横に振った。 「これは俺が、一人でやりたいことだから」 彼の瞳は、どこか遠い空を見つめていた。 そして、こうも言った。呪いが消えた今、琴乃さんが住んでいたあの家に住むつもりだと。そこに、彼女のための大きな墓を建てるつもりだと── (……僕も、ちゃんとお墓参りに行かないと) そう心に誓った僕に、彼は大きく手を振って車に乗り込んだ。 「じゃあな、悠斗君! 達者でなぁ!!」 その声が遠ざかっていく。 僕は、ただ静かに頭を下げて、その車を見送った。 *** 輝信さんと別れた僕は、その足で――久しぶりに、母さんのいる病院へと向かった。 バスの振動に揺られながら、窓に映る自分の顔が、やけに強張っていることに気づいた。もう何度も来ているはずの場所なのに、今日は心が落ち着かない。大切な報告があるからか、それとも、これまで
「……よく戻ったな」 長老の家の前に立ったとき、あの慈愛に満ちた声が出迎えてくれた。 琴音様のことを村人たちに伝え終え、僕はひとり、この家を訪れていた。理由はふたつ。ひとつは――琴音様が告げた、美琴の転生の話を伝えるため。この人にとっても、美琴はきっと、大切な存在だったから。 「長老……琴音様から、美琴についてのお話がありました」 「ふむ……聞こう」 僕は、琴音様が語った言葉をそのまま伝えた。十数年後、美琴は再びこの世に生を受け、僕のもとへ還ってくる、と。 「琴音様が……そんなことを……?」 長老は、にわかには信じがたいといった表情で目を細めた。だが、その深く刻まれた皺の奥で、小さな希望の灯火が宿るのが見えた。 僕は静かに頷く。 「はい。あのとき、琴音様は力強くそう言ってくれました。……あの瞳に、迷いはありませんでした」 ゆっくりと、深く頷いた長老の目から、ひとしずく涙がこぼれ落ちた。 「そうかぁ……そうかぁ……」 何度も繰り返されるその声に、どれほどの想いが込められていたのか――僕は、その涙の重みを、ただ静かに見守った。 そして――もうひとつ。 「長老、もうひとつ……お願いがあります」 「ほう? なんじゃ?」 「沙月さんの情報を……すべて、正しく書き直してほしいんです」 しばしの沈黙の後、長老は目を閉じて静かに問い返す。 「それは……構わんが、なぜ今になって?」 「沙月さんのこの村での記録は、偽られたままです。本当のことが、何ひとつ残されていない……。千鶴さんが、彼女の子孫である僕達を守るためにそうしたのは分かります。でも、今はもう――その呪いも、終わったから……」 かつて琴音様が残した呪いは、もう祓われた。今の村には、彼女を知る人もいない。それなら、もう……彼女の人生を”真実”として刻んでもいいはずだ。 「ふむ……。では、文献を作り直そう」 そう言って、長老は真っ直ぐ僕を見つめ、力強く頷いてくれた。その声に、ひとかけらの迷いもなかった。 「ありがとうございます」 知らず知らずのうちに詰めていた息が、そっと吐き出された。 「して……その沙月様について詳しく話してくれるか?」 「もちろんです」 そうして、僕は語りはじめた。あの人が歩んできた、千年の祈りの軌跡を。温泉郷で呪われた霊たちを鎮めたこと。僕に呪いが宿って
あの夏、あなたが連れていってくれた海。覚えてる? 呪いも戦いも関係ない、ただ二人きりの、初めての旅。 人魚の伝説が残る、あの小さな港町。 思い出すだけで、今も胸が温かくなるんだ。 ううん、温かいだけじゃない。少しだけ、泣きたくなるくらいに。 二人で探した宝物も、悠斗君が見とれてたあの水着も……ふふ、ちょっと恥ずかしかったけど、全部、全部が私の宝物。 見つけた「宝」が、人魚に贈られるはずだった指輪だと知った時、あなたは言ったよね。 「これは、他の人の手に渡ってはいけない」って。 その言葉が、どうしようもなく嬉しかったんだ。 足を痛めた私を背負ってくれた、あなたの背中。 思った
そして、私は力の使い過ぎで倒れてしまった。 きっと、この時また寿命を減らしてしまったのだろう。 それでも、彼の力になれたのなら、それでいいと、そう思えた。 だけど。あの時の彼の心配そうな顔が、私の脳裏にこれ以上ないほど強く焼き付いてしまったんだ。 私の無事を確認した彼は、本当に安心した様子で、微笑んだ。 ……どうしてだろう? 私は、そう思った。 私の命に、そんな価値など、ないはずなのに。 *** 次に、二人で初めての調査。温泉郷へと赴いた。 私はこの時、生まれて初めて──人生を「楽しい」と思えた。 これまでの私の記憶には、誰かと心穏やかに過ごす時間など、ひとつもなかった。遊
「っ……!」美琴が両手で口元を覆い、ただ僕を見つめていた。その瞳は、まるで信じられないものを見るかのように、震え、揺れ……やがて、堰を切ったように涙が溢れ始める。ぽろり、ぽろりと大粒の涙が頬を伝って落ちていく。その一粒一粒が、僕の胸を締め付けた。「……ずっと、好きだったんだ」この気持ちは、もうずっと前から始まっていたんだと思う。最初に出会ったあの桜の下で、一目見たその横顔に心を奪われて。でも、本当に惹かれたのは、君と一緒に過ごした時間の中で、その心に触れたからなんだ。ひたむきに努力して、霊たちに優しく寄り添っ
桜華さんたちが成仏されたあと、僕と美琴の間には、重く、気まずい空気が漂っていた。静まり返った迦夜の結界の中で、僕の心臓の、嫌な音だけが、やけに大きく響いている。 理由は…もちろん、桜華さんたちの記憶から僕の霊眼が捉えた、あの言葉だ。 『代償により……命を、削られ、苦しみ続けた』 それはつまり…美琴にも、当てはまるんじゃないのか? その、最悪の可能性が、僕の思考を支配し、全身の血の気を奪っていく。 美琴が、僕の傍から居なくなる…? そんなこと、想像するだけで、耐えられない。 「み、美琴…桜華さん達の、魂が削られるって…どういうこと……?」 声が、震える。今まで味わったことのない種