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一三一話:空白の巫女

Auteur: 渡瀬藍兵
last update Date de publication: 2025-07-22 19:25:11

 そこから話題は、自然と咲月という人物へ移っていった。

 琴乃は一度呼吸を整えるように目を伏せ、それから二人を見回した。

「アタシの見解を共有するわね。美琴と悠斗君の話にあった、悠斗君の血に咲月様の血筋が流れているって説――アタシは、かなり的を射てると思う」

 悠斗は黙ってその先を待った。琴乃の声には、思いつきを口にする軽さではなく、いくつかの断片を自分の中で並べ終えた者の重みがあった。

「理由としては、悠斗君も美琴から聞いてると思うけど、アタシたちの故郷――蛇琴村に、咲月様の情報がまるごと残っていないのよ」

「まるごと……」

 思わず悠斗が呟くと、琴乃は小さく頷いた。

「そう。残っているのは名前だけ。彼女が何をして、何を成し遂げたのか、それが一切わからないの。琴音様の妹という立場にありながら、ここまで綺麗に空白になってるのは……さすがに、何か意図を感じるわ」

「蛇琴村にはね、『年代記』が残ってるのよ。大まかな歴史はちゃんと辿れる。飢饉も、祭事も、巫女が何をして村を守ったかも――琴音様のことなんて、驚くほど細かいくらいよ」

 部屋の空気が少しずつ沈んでいく。

 歴史は辿れる上で、名前だけが残っている。

 その不自然さは、むしろ何かを隠していると語っているようなものだった。存在しなかったのではない。存在していたはずなのに、そこへ至る道筋だけが、誰かの手で丁寧に削り取られている。

「彼女は何者だったのか。どうして彼女だけ、空白の中に埋もれてるのか……」

 琴乃の声は静かだったが、その問いには長く引っかかり続けてきた重さが滲んでいた。

「以前、美琴とも話していたんです」

 悠斗は記憶を辿るように言った。

「なんだか、意図的に消したんじゃないかって」

「そう。それなのよ」

 琴乃はすぐに言葉を継いだ。

「仮に咲月様が蛇琴村を出たんだとしたら、それだけでも本来は文献に残るはずなの。あの人の立場は、それくらい重い。にもかかわらず、何も残っていない」

 その言い方には、村の記録のあり方を知っている者らしい確信があった。偶然抜け落ちた、では済まされない。そう断じるだけの実感があるのだろう。

 美琴が、膝の上で指先をそっと重ねた。

「私、考えていたんだけど……」

 少しためらうような間が落ちる。

「仮に村がそこまでするとしたら、咲月様が何か罪を犯したんじゃないかって。……私が言えることじゃないけど……」

 言い終える声はわずかに細かった。自分の祖先に連なる話だからこそ、口にするだけで胸の奥を擦るのだろう。

「……美琴」

 琴乃の声音が、少しだけやわらぐ。

「いつも言っているけど、自分の祖先の罪まで背負わないで」

 その一言に、美琴は小さく目を伏せた。琴乃はそれを見てから、静かに話を戻す。

「……でも、たしかにその線もあるわ。何か、村を追われるほどの罪を犯した。そのせいで蛇琴村にいられなくなった――そう考えることもできる」

「だから、村には記録が残っていないと?」

 悠斗が問い返すと、琴乃はすぐには頷かなかった。

「これはあくまで推察よ」

 その声は落ち着いている。感情に引っ張られた断定を、自分でしっかり制している響きだった。

「今の時点で言い切るべきじゃない。でも、推理のひとつとしては入れておくべきね。咲月様の記録だけがここまで不自然に欠けてる以上、何かがあったと見る方が自然だもの」

 悠斗は息をつきながら、畳の上へ視線を落とした。

 咲月。

 名前だけが残り、肝心の生きた跡だけが消されている人物。

 もし本当にその血が自分に繋がっているのだとしたら、その空白はただの昔話ではなくなる。隠された過去が、静かに今へ食い込んできているような感覚があった。

「……ひとつ、いいですか?」

 少し間を置いてから、悠斗が口を開く。琴乃は静かに頷いた。

「ええ」

「咲月さんって人の情報がほとんど残ってないことは分かりました。でも、蛇琴村って、そもそもどの辺にある村なんですか?」

「ここ、花守温泉郷よりもっと北よ。そこの窓から覗いてごらんなさい」

 促されて、悠斗は立ち上がった。畳を踏む足音を小さく響かせながら窓辺へ寄り、ガラスの向こうへ目を向ける。

「一番奥に、少し黒ずんだ山が見えない?」

「……見えます」

 遠く連なる山並みのさらに向こうに、ひときわ重たく沈んだ色の山があった。そのあたりだけ雲が妙に厚く、空の色まで鈍って見える。ほかの山々より明らかに標高が高く、これだけ離れていてもなお、ひとつだけ突き出すようにそびえていた。

「その山の麓に、蛇琴村があるの」

 琴乃の声が、背後から静かに届く。

「山の名前は、白蛇山。千年前には、そこに大きな白蛇がいたって伝わっているわ」

 白蛇。

 その言葉だけで、山の黒ずんだ輪郭が急に生き物じみて見えた。雲をまとった山肌が、巨大な何かの背を伏せているようにも思えてくる。

「当時の祖先たちは、その白蛇を天災みたいなものとして恐れたの。だから、生贄という戒めの文化を作り出した」

 生贄。

 悠斗は窓の向こうを見たまま、息を浅くした。千年前の人間たちは、それほどまでに追い詰められていたのか。山ひとつに怯え、誰かを差し出さなければならないと思い詰めるほどに。

「でも、それも歴史の初期だけよ」

 琴乃はそこで一度、記憶を確かめるように言葉を選んだ。

「……いえ、正しくは、琴音様が白蛇様を宥めて、その文化を無くしたと文献には載っているわ」

「すごいですね……」

 悠斗は思わずそう漏らした。

「神と対話して、それを呑ませるなんて」

 素直な感嘆だった。人ならざるものと向き合い、その怒りを鎮める。そんなことが本当に出来たのだとしたら、それはもう巫女という言葉だけでは足りない気がした。

 けれど同時に、引っかかりも残る。

 それほどの存在だった琴音が、なぜ呪いそのものになってしまったのか。

 そこに至る理由を、悠斗はまだ知らない。知ろうと思えば、いずれ美琴に聞くしかないのだろうと、胸の奥で静かに思った。

「そうね」

 琴乃が小さく頷く。

「さすがに千年も前のことだから、どこまでが真実なのかは測りかねるわ。でも、迦夜なんてものが実際にいる以上、白蛇も実在したと考える方が自然でしょうね」

 窓の外では、白蛇山の上に重たい雲が垂れ込めたままだった。

 ただの山だと言い切るには、その姿はあまりにも禍々しい。悠斗はしばらく黙ったまま、その黒い稜線を見つめていた。遠いはずの場所なのに、そこだけが異様に近く感じられた。

「って、こうして整理してみても、空白ばかりね。答えにはまだ遠いわ」

 琴乃が小さく息を吐く。集めた断片は増えているはずなのに、肝心なところだけが霧の中にある。そんなもどかしさが、その声音には滲んでいた。

「あっ、そうだ。琴乃姉さん」

 ふと思い出したように、美琴が顔を上げる。

「昨晩、初詣に行ったときに引っかかったことがあったの。もしかしたら、これ……当たりかもしれないって思って」

「なに?」

 琴乃が視線を向けると、美琴は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。

「この土地に伝わっている、花守巫女。その由来を知れたの。花守巫女は、一本の桜の苗を、とても大事に持ち歩いていたらしいの」

 その瞬間、悠斗の中で何かが引っかかった。

「……これは、関係あるかわからないですけど」

 二人の視線が自分へ集まる。

「僕の故郷、桜織市には、桜翁って呼ばれてる木があるんです」

「……しかも、その木」

 美琴が静かに言葉を継いだ。

「樹齢は千年って言われてるみたい」

「…………」

 琴乃はすぐには返さなかった。驚いたというより、頭の中で一気にいくつもの点が線へ変わっていく、その途中にいるような沈黙だった。

 やがて、琴乃がゆっくり口を開く。

「つまり……花守巫女が咲月様で、その人が桜織という地へ流れ着いた先で、桜翁を植えた――そういうこと?」

「私は、そうなんじゃないかって考えてる」

 美琴ははっきり頷いた。

「それに、桜翁に対して、悠斗くんは呼ばれてるような感覚があるって言ってた」

 その言葉に、悠斗は小さく息を呑んだ。

 確かに、自分でもうまく説明できない感覚があった。桜翁のそばに立つと、ただの大木を前にしている気がしない。見上げているはずなのに、向こうから見つけられているような、不思議な感覚が残るのだ。

「これは……一気に繋がってきたわね」

 琴乃の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。

「ふふ。まるで、パズルみたい」

「美琴は、僕と桜翁に繋がりがあるから、そう感じるんじゃないかって言ってます」

 悠斗がそう補うと、琴乃はすぐに頷いた。

「ええ、その可能性は高いわ。アナタの先祖が咲月様だと考えるなら、桜翁に呼ばれているような感覚も、十分筋が通る」

 そこまで言ってから、琴乃は少しだけ表情を引き締めた。

「ただ、まだ断定はできない。ここは慎重に見ないといけないわね」

 浮かび上がった線は確かに魅力的だった。けれど、魅力的だからこそ飛びついてはいけない――そんな冷静さが、琴乃の言葉にはあった。

「でも、この説なら」

 琴乃は静かに続ける。

「アナタにどこから巫女の血が流れているのか、その筋道は見えてくる。ばらばらだった情報のあいだに、一本、太い線が通るのよ」

 悠斗は黙ってその言葉を受け止めた。

 咲月。花守巫女。桜翁。そして、自分の血。

 これまで別々に浮かんでいた名前たちが、ようやくひとつの形を取り始めている。まだ推測の域を出ない話だとしても、その仮説はあまりにも自然で、否定する方が難しいように思えた。

 部屋の中にはしばし静けさが落ちる。

 

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