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ほどなくして、母からスマホに直接電話がかかってきた。その声はひどくかすれていて、疲れと悲しみがにじみ出ている。「玲奈。お母さんたちがしたこと、本当にごめんなさい……こんなに長い間、お母さんの見る目がなかったせいで、あなたに辛い思いをたくさんさせてしまった……そして、私たち家族はあなたにひどい仕打ちをした。あのね、お父さんと話し合って決めたの。今日から、澪とは縁を切ることにしたわ。澪はもう、私たちの娘じゃない。それに翼も……翼も厳しく叱ったわ。地方の支社に異動させて、一人でしっかり反省させることにしたから!」私は電話の向こうの声を聞いていたけど、心は不思議なくらい穏やかだった。「お母さん」私は落ち着いた声で、そう切り出した。「もうすぎたことだから。謝罪なんていらないよ」「いいえ!玲奈、謝らせて!お母さんが間違っていたんだから。本当に、お母さんが間違っていたって、やっと分かったの……」母は電話の向こうで声にならないほど泣いていた。遅すぎた後悔の念が、電話越しにも痛いほど伝わってくる。「お母さんのこと……許してくれる?ほんの少しだけでもいいから……」「許すとかそういう話じゃないよ」私は母の言葉を遮る。自分の声には、相変わらず何の感情もこもっていなかった。「ただ、もうこんなことで感情をすり減らす必要はないから。澪をどうするかは、お母さんたちの問題でしょ。私には関係ない」電話の向こうは長い沈黙に包まれた。ただ、必死に抑えているような嗚咽だけが聞こえてくる。しばらくして、母の声がまた聞こえてきた。それはとてもおそるおそるといったもので、すがるような響きを帯びている。記憶の中にある、いつも上品でプライドの高かった母とは、まるで別人のようだった。「玲奈……あの……今年のお正月……少しだけでもいいから、顔を見せに帰ってきてくれないかしら?顔を見せてくれるだけでいいの……あなたが一番好きなもの、作って待ってるから……それにお父さんは……白髪がもうこんなに増えちゃって……」電話越しに聞こえる、すっかり老いてしまった声を聞いていると、ずっと昔のぼんやりとした暖かい記憶が頭をよぎった。それは多分、澪がまだいなかった頃のお正月の記憶。台所で忙しそうに立ち働く誰かの姿と、おいしそうな料理の匂い
明里の手と声は震えていたが、その眼差しはますます冷たく、鋭くなっていく。「あなたが『失うのが怖い』ものって、一体何?私たち家族のこと?それとも、内田家があなたに与えてくれるすべてのこと?はたまた、両親の愛情?それとも、内田家のお嬢様という肩書きや恵まれた暮らし、祐介と釣り合うための身分?」澪はその眼差しに怯え、声を詰まらせる。もう顔に血の気がなく、真っ青だった。唇は震えていたけれど、まともな言い訳はもう出てこないようだ。「答えなさい!」明里は、ほとんど叫ぶように言った。「これらはあなたがやったことなの?本当にあんなことを言ったの?本当のことを言いなさい!」とてつもないプレッシャーに、澪の心の壁はついに崩れ落ちた。澪は支離滅裂だったが、白状し始める。「そうよ、私。メッセージを送ったのは私……合格通知のことも私がやったわ。でも、お母さんたちに何も間違いがないって言えるの?普通、他人をかばって身内を蔑ろにする?私がお姉ちゃんに色々できたのって、お母さんたちが黙認してたからでしょ?お姉ちゃんがお母さんたちを捨てた途端、後悔して全部私のせいにするなんて、そんなのあんまりじゃない!」その言葉を聞いて、明里は全身の力が抜けていくようだった。よろめきながら後ろに下がり、ソファに崩れ落ちる。その目は、虚ろに宙を見つめていた。声もなく、涙だけがとめどなく流れ落ちていく。7年間……丸々7年間もの間娘を失っていた。そしてその元凶が、こともあろうに、自分が家に連れて帰り、あれほど可愛がってきた娘だったなんて。哲也は最後に、床で震えている澪に目をやった。「澪」哲也の声は静かだったが、怒鳴り声よりも人を凍りつかせた。「お前が内田家に来た日から、俺はお前に不自由な思いをさせたつもりはない。何不自由ない暮らしをさせて、大切に育ててきた。玲奈よりも、お前には甘かったくらいだ。それなのに、お前が内田家に返してくれたものは、何だ?策略、嘘、そして……俺の娘の人生を壊そうとした!」一呼吸おいた哲也の一つ一つの言葉は、まるで床を震わせるようだった。「よく聞け。今この瞬間から、お前と内田家は、一切関係ない。養子縁組の解消に関する書類は、明日、弁護士がお前に届けるだろう。お前が持っている内田家の資産
数年の月日が、ゆっくりと流れた。大学院での勉強も順調に進み、仕事にもだんだんと慣れてきた。私の生活は湖のようにとても穏やかだった。金箔が施された分厚い招待状が、私が勤めている学校に届くまでは。差出人の名前は書かれていなかった。しかし、この嗅ぎ慣れた匂い。封筒越しでもはっきりと感じとれる、高級な香水と作り込まれた上品さが混じり合ったようなこの香りは知っている。澪と祐介からの結婚式の招待状だった。中には、澪と祐介のウェディングフォトが添えられていた。招待状には、日時と場所のお知らせのほかに、手書きの小さな文字がびっしりと書かれていた。綺麗な字だったが、一語一句が針のように鋭い。【お姉ちゃん、私結婚するの。祐介とね。お父さんとお母さんの本当の娘だからって何?結局、私には勝てなかったじゃない?どう?外での惨めな生活は、お姉ちゃんにお似合いなんじゃないかな?知らないと思うけど、私、祐介とはずっと前から付き合ってたの。お姉ちゃんに隠れてこっそり会うなんて、スリル満点だった。言っておくけど、この家に私がいる限り、お姉ちゃんがお父さんやお母さんの愛情を受けることなんて絶対にできないから!人に濡れ衣を着せられるのって、辛いでしょ?けど、自業自得!だってお姉ちゃんは生まれた時からお嬢様で、私は執事の娘だった。ただ運が良かっただけ!でも、今ではお姉ちゃんの全てが私のものなんだから!そっちは南山市みたいな田舎で、ずっと苦しんでればいいのよ!いっそそこで死んで、一生帰ってこなければいいのに!】私は招待状を握りしめてしばらく眺めていた。それから、その写真を母のかつての番号に送った。数日後の深夜、母からラインでメッセージが届いた。【玲奈、どうして澪はあなただけにそんなものを?澪……本当に澪が?澪はそんな子じゃない。あなたたちの間に何か誤解があるんじゃないの?】私は画面を見ながら、これまで澪に陥れられてきた証拠を一つひとつ整理して、分かりやすいファイルにまとめて返信した。ファイル名はシンプルに。【澪のこれまでの言動に関する報告とそれに関する証拠】……内田家では、哲也が手元の資料を一枚一枚めくっていた。その顔色はみるみるうちに青ざめていく。数枚の写真とチャットの履歴を奪い取るように見た明里の唇は震えていた。その目
南山市での生活は穏やかだった。学校の近くにあるちょっといいアパートを借りた。広くて日当たりも良く、家具も全部そろっている。大学に入ってから、親から一円も仕送りをもらっていなかったので、持っていたブランド品を全部売ってお金にした。金額でいえば、かつて内田家の令嬢だった私にとっては、はした金だった。しかし南山市では、余裕をもって、むしろ贅沢な暮らしができるくらいのものだった。生活のために必死に働く必要もない。ルームシェアの騒がしさに耐えることも、安い画材で我慢することもない。おかげで、学業だけにすべてのエネルギーを注ぐことができた。私は二つの学位の同時取得を目指した。忙しい毎日ではあったが、幸いなことに、努力は無駄にならなかった。卒業時には、教育と芸術の両方の卒業資格を手に入れた。地元の教員採用試験を受けて、新設された中学校の美術教師に応募した。競争は激しくなくて、筆記試験も面接も順調にパスし、すぐに採用通知が届いた。それと同時に、願書を出していた国内トップの美大の大学院からも、合格通知が届いた。給料と大学院の研究費で日々の生活はまかなえた。ブランド品を売ったお金もまだ残っていたけど、それにはもう手をつけなくてよくなった。この数年間、母からのメッセージはちょくちょく届いていた。最初の頃はたった一行だけ。まだ怒りが収まっていない様子で、私を試すような上から目線の文章だった。【玲奈、いつまで意地を張ってるの?自分が間違ってたって分かったなら、さっさと帰ってきなさい。外で恥をさらすのはやめてちょうだい】私は目を通しただけで、特に返信はしなかった。そして、その番号を着信拒否にした。数ヶ月後、また別の新しい番号からメッセージがきた。口調は少し柔らかくなっていたけど、相変わらず棘があった。【お父さんがまた胃を悪くして、入院したの。娘なんだから、一度くらいお見舞いに来たらどうなの?】私は信頼できる昔の友人に頼んで、こっそり様子を確かめてもらった。父は確かにお酒の飲み過ぎで入院していたけど、たいしたことはなく、定期的な検査のようなものだった。だから私はこう返信した。【様子は聞きました。大したことはないというようなので、しっかりお医者さんの指示を聞いて安静にして下さい。お大事に】向こうから
カフェでのバイトは大変だったけど、すごく充実していた。ある日、私はいつものように店のロゴが入ったエプロンを着て、カウンターで忙しく働いていた。すると、どうやらグルメブロガーのような若い女性が、スマホで私や店内をぐるりと撮影していた。その時は特に気にしていなかった。しかし数日後、店長が困ったような顔で私を呼び止め、スマホを差し出してきた。「内田さん、これ……ちょっと見てくれる?」それは地元のゴシップ掲示板のスレッドだった。しかもそのタイトルは、すごく悪趣味なもので……【衝撃!元お嬢様、落ちぶれてカフェ店員に!実家の没落か、それとも本人の堕落か?】スレッドに名前はなかったけど、添えられた写真は、まぎれもなくカフェの制服で働く私の横顔だった。薄くモザイクはかかっていたが、私を知っている人ならすぐに見分けがつくだろう。本文はとにかく大げさで、内田家の教育が失敗したのだとほのめかす内容だった。娘が家出して、わざわざ「誰にでも出来るような仕事」に就いて、家の恥をさらしている、と。コメント欄はもっとひどく、やらせの書き込みと、事情を知らない野次馬が一緒になって好き勝手言っていた。【名家の顔に泥を塗るにもほどがある!】【お嬢様でいればいいものを、わざわざ人に使われる仕事なんて。頭がおかしいんじゃない?】【妹さんの彼氏を奪おうとして、家を追い出されたって聞いたけど。自業自得だね!】【最近は、どんなやつでも『社会勉強』とか言い出すからな】【見た感じ、もうお嬢様の面影なんてないね。普通のバイトの子と変わらないじゃん】スマホをぎゅっと握りしめると、その冷たさが心まで伝わってくるようだった。誰の仕業か考えなくてもわかった。澪に決まっている。こんなに姑息で悪質なやり方で、私の「卑しさ」と自分の「無垢で優位な立場」を証明しようとするのは、澪しかいないのだから。案の定、私のスマホが鳴り始めた。画面には母、父、そして翼の見慣れた番号が、次々と表示される。私は全部着信拒否してからブロックした。でも彼らは諦めなかったようで、すぐに知らない番号からひっきりなしに電話がかかってくるようになった。電話に出ると、母のヒステリックな声が耳を劈く。「玲奈!小さい頃からあなたを何一つ不自由なく育ててきたというの
電話が鳴った時、私はカフェでバイトをしていた。スマホの画面には祐介の名前が表示されている。少し迷ったが、通話ボタンを押した。しかし、すぐには耳に当てなかった。「玲奈」祐介の声がスマホの向こうから聞こえてきた。なんだかわざとらしく疲れたような、低い声を出している。「もういい加減にしろよ。いつ帰ってくるんだ?」しかし私は何も答えなかった。祐介の声が少しだけ和らぐ。「玲奈。今夜のことで、澪がすごくショックを受けてるんだ。自分のせいでみんながケンカしたって思ってずっと泣いてる。それに、お前のお母さんもかなり怒ってるんだよ。だから戻ってきて、澪とお母さんにちゃんと謝れ。そうすれば、この話は終わりになるんだから。それに……お前が謝れば俺たちはまた元に戻れるんだ」「謝る?」私の声は自分でも驚くほど落ち着いていた。「澪に謝るの?どうして?私が大学に行けなくなったことを?それとも、澪の嘘つきな性格を?」祐介の声がまた低くなった。「玲奈!澪のことまだそんな風に思ってるのか?澪がどんな子か、みんな知ってるだろ!純粋で優しい子なんだ。そんな子がお前を傷つけるわけないじゃないか?お前は捻くれすぎだ!澪みたいに、もっと素直になれないのか?」澪みたいに?思わず鼻で笑ってしまいそうだった。「祐介」私は祐介の言葉を遮る。そして、ゆっくりと冷たく言葉を紡ぐ。「もう澪を庇わなくたっていいんだよ。あなたたちのこと、もうとっくに気づいてるから」電話の向こうが、急に静かになった。しかし、私は焦らず続ける。「いつから?私がコンクールの準備で忙しかった時?それとも、もっと前から?私に隠れて、私の両親がいる家で澪とこっそり会うなんて、どんな気分だった?すごくスリルがあって刺激的だったんじゃない?私っていう表向きの彼女がいれば、両家の関係とか色々都合が良かったんでしょ?それで裏では、か弱くて可哀想な澪を抱いて刺激を求めてたってわけ?」「玲奈!ふざけたこと言うな!」図星を突かれた動揺と怒りで、祐介の声は裏返った。「お前どうかしちまったのかよ?澪を陥れるためなら、そんな最低なことまで言えるのかよ!俺と澪は何もない!ただ澪が可哀想だったから、少し気にかけてやっただけで!お前の心