LOGIN大手広告代理店、東央エージェンシーの底辺社員・星野ルナ。
彼女の直属の上司となった九条 蓮(くじょう れん)部長は、社内で「氷の暴君」と囁かれていた。 しかし、それは彼が感情に流されず、常にプロとしての仕事を完遂させるがゆえの異名だった。 「星野、この企画書だが。……論理の飛躍がある。ここを埋めれば、もっと説得力が増すはずだ」 九条の声は常に低く、落ち着いている。厳しい指摘ではあるが、そこにはルナを萎縮させるような棘はない。 むしろ、ルナが自力で答えに辿り着けるよう、絶妙なヒントが散りばめられていた。 ルナが残業でデスクに突っ伏していれば、いつの間にかブランケットが掛けられ、傍らには「糖分は脳のガソリンだ」と書かれた高級なチョコレートが置かれている。 (部長は、本当は誰よりも優しい……) ルナは、そんな彼の不器用な思いやりに、いつしか救われていた。 だが、そんな穏やかな緊張感は、視察先のホテルの大階段で一変する。 「部長、本日の議事録ですが――」 一歩先を行く九条の背中を、ルナは重い資料を抱えて追っていた。その時、大階段の陰から子供が勢いよく飛び出してくる。 「危ない……っ!」 ルナは反射的に子供を避けようとして、体勢を崩した。 (あ、時間……!) ルナはポケットの中の【小型時間操作デバイス】に手を伸ばそうとする。だが、指先が触れたのは虚空だった。 急ぐあまり、ポーチごとデスクに置き忘れてきたのだ。 「……っ!」 回避不能。大理石の角が、ルナの後頭部に迫る――。 その瞬間だった。 「……星野!」 鋭い声と共に、強い力がルナの体を横からさらう。 激しい衝撃が走る。しかし、それは冷たい石の感触ではなかった。九条がルナを抱きしめたまま自らが下敷きになり、彼女を守り抜いたのだ。 「……目を開けろ。怪我はないか」 至近距離で見つめ合う二人。九条の瞳には、いつもの沈着冷静さはなく、今にもルナを飲み込みそうなほど激しい【焦燥】が渦巻いていた。 「ぶ……部長……」 「黙っていろ。お前が負傷すれば、俺のチームの損失だ」 九条はそう言いながら、ルナの腰を抱き寄せる腕に、さらなる力を込める。その手は、かすかに震えていた。 「お前は、俺が選んだ『戦力』だ。……俺の許可なく勝手に壊れることは、絶対に許さない」 言葉はどこまでもストイックだが、ルナを見つめるその視線は、もはや上司のそれではない。 九条は動揺するルナを軽々と横抱きにし、そのまま待機させていた専用車の後部座席へと彼女をエスコートした。 密室となった車内。隣り合わせに座る二人。 ルナは、先ほど彼が漏らした「独占欲」にも似た言葉の熱が忘れられず、震える声で問いかけた。 「あの、部長……。さっきの言葉……。私、ただの部下なのに……どうして、あんなに……」 九条は、すぐ隣に座るルナの方へ、静かに体を寄せた。 彼の長い指がルナの頬をかすめ、耳元の髪をそっと払う。その瞳は、逃げることを許さないほど真っ直ぐに、ルナの心臓を射抜いていた。 「星野。お前は本当に、何も気づいていないのか」 部長の唇が、ルナの耳元に触れるほどの距離まで近づく。 その答えが零れ落ちる、まさにその瞬間――。 ※第3話予告 5秒止めた世界で、甘い逆襲 九条部長のマンションで突きつけられる、衝撃の真実。 「お前が思うほど、俺は冷静じゃない」 揺れる心。しかし、会社ではルナの「秘密」を奪った同僚による卑劣な罠が動き出していた。 部長の腕の中で、ルナは失ったデバイスを取り戻し、逆転の【5秒】を刻めるのか!? 【次話、九条部長の素顔とルナの同僚への反撃が交差する! 衝撃の展開が。お見逃しなく!】深夜のオフィス。フロアの明かりは落とされ、九条のデスク周辺だけが、都会の夜景をバックに青白く浮かび上がっていた。サオリの嫌がらせを退け、プロジェクトのデータを無事復旧させたルナと九条は、二人きりで最終確認を終えた。「星野。……まだ、帰さないと言ったら、どうする?」九条が椅子から立ち上がり、ゆっくりとルナとの距離を詰める。ルナの背中が壁に当たり、逃げ場がなくなる。九条の長い腕がルナの顔の横で壁を叩いた。いわゆる「壁ドン」の形に、ルナの心臓は爆発寸前だ。「ぶ、部長……。あの、私……」「お前はさっき、自分のしたことは自分に返ると言ったな。ならば、俺の時間をこれほどまでにかき乱した責任、どう取るつもりだ?」至近距離で交わる視線。九条の瞳には、上司としての厳しさを超えた、一人の男としての濃密な独占欲が渦巻いている。ルナが思わず目を閉じると、不意に耳元でクスクスと、微かな笑い声が聞こえた。「……腹の虫が鳴っているぞ。腹が減っては、戦(いくさ)はできん」九条が離れ、デスクから取り出したのは、意外すぎるものだった。「これを食べろ」差し出されたのは、どこにでもあるコンビニのおにぎり。ルナは呆然としてそれを受け取った。実はルナは、社内でいつも孤立していた。地球の複雑な食文化に馴染めず、昼食はいつも一人で「カロリーメイト」や「ゼリー飲料」を無機質に流し込むだけ。そんな彼女を、サオリたちは「味気ない女」「宇宙人みたい」と陰で笑っていたのだ。「部長……これは?」「開け方が分からないのか? 貸せ」九条は手際よくフィルムを剥き、完璧な三角形を維持したままルナに手渡した。「一口食べてみろ。その『効率重視』の食事よりは、マシなはずだ」ルナは恐る恐る、そのおにぎりを口に運ぶ。次の瞬間、彼女の脳内に衝撃が走った。「な、何ですか……これ……ッ!」パリッ、と鼓膜にまで響くほど小気味よい音を立てる海苔。その内側には、一粒一粒が立っている、ふっくらと甘い白米。そして中央に鎮座する、絶妙な塩気の紅鮭。「海苔が……乾いているのに、お米を包んでいる……! それなのに、お米はこんなに優しくて……。
「星野。お前は本当に、何も気づいていないのか」 専用車の後部座席。九条部長の低く甘い声が、ルナの耳を熱くさせる。 吐息が触れそうな距離。部長の瞳は、まるで獲物を追い詰める肉食獣のような光を宿していた。 「それは……私が、部長にとって必要な『戦力』だから……ですよね?」 震える声で答えるルナ。九条はわずかに目筋を細め、フッと自嘲気味に口角を上げた。 「……半分は正解だ。だが、もう半分は――」 その答えが紡がれる直前、九条のスマホが激しく振動した。 「……九条だ。何? プロジェクトのメインデータが消えただと?」 電話の向こうからの悲鳴に近い報告に、車内の空気は一瞬で氷点下へと変わる。九条は即座にプロの顔に戻り、運転手に「会社へ戻れ」と短く命じた。 「星野、足を冷やしながら車で待っていろ。すぐに済ませる」 「あ、私も行きます! 私のミスかもしれないし……っ」 怪我を心配する九条を振り切り、ルナは無理やり車を降りてオフィスへと急いだ。 しかし、そこで待ち受けていたのは、想定外の【悪意】だった。 フロアに入った瞬間、静まり返るオフィス。 同僚のサオリが、ルナのデスクに置かれた「あのポーチ」を手に、勝ち誇ったような笑みを浮かべて立っていた。 「あ、ルナ。おかえり。大変なことになってるわよ? あなたが担当したクライアントへのプレゼンデータ、全部消えちゃったみたい」 「えっ……そんなはずは……」 「それより、これ何?」 サオリがポーチから取り出したのは、ルナの時間操作デバイスだった。 「変な機械。これで部長を誘惑してたの? さっき、階段で部長に抱きついたっていう目撃情報も入ってるわよ。底辺社員の分際で、姑息な手を使って……!」 周囲の同僚たちの冷ややかな視線が刺さる。 (違う……それは、私の大事な……!) ルナが手を伸ばそうとしたその時、サオリは意地悪な笑みを浮かべ、わざとデバイスを床に叩きつけようとした。 「こんなガラクタ、壊れちゃえばいいのよ!」 その瞬間、ルナの胸に熱い何かが込み上げた。 (……今度こそ、逃げない!) ルナは一歩踏み出し、床に転がったデバイスを必死の思いで掴み取った。 指先が冷たい金属に触れた瞬間、デバイスが淡い光を放ち、ルナの脳内に【再起動完了】の文
大手広告代理店、東央エージェンシーの底辺社員・星野ルナ。 彼女の直属の上司となった九条 蓮(くじょう れん)部長は、社内で「氷の暴君」と囁かれていた。 しかし、それは彼が感情に流されず、常にプロとしての仕事を完遂させるがゆえの異名だった。 「星野、この企画書だが。……論理の飛躍がある。ここを埋めれば、もっと説得力が増すはずだ」 九条の声は常に低く、落ち着いている。厳しい指摘ではあるが、そこにはルナを萎縮させるような棘はない。 むしろ、ルナが自力で答えに辿り着けるよう、絶妙なヒントが散りばめられていた。 ルナが残業でデスクに突っ伏していれば、いつの間にかブランケットが掛けられ、傍らには「糖分は脳のガソリンだ」と書かれた高級なチョコレートが置かれている。 (部長は、本当は誰よりも優しい……) ルナは、そんな彼の不器用な思いやりに、いつしか救われていた。 だが、そんな穏やかな緊張感は、視察先のホテルの大階段で一変する。 「部長、本日の議事録ですが――」 一歩先を行く九条の背中を、ルナは重い資料を抱えて追っていた。その時、大階段の陰から子供が勢いよく飛び出してくる。 「危ない……っ!」 ルナは反射的に子供を避けようとして、体勢を崩した。 (あ、時間……!) ルナはポケットの中の【小型時間操作デバイス】に手を伸ばそうとする。だが、指先が触れたのは虚空だった。 急ぐあまり、ポーチごとデスクに置き忘れてきたのだ。 「……っ!」 回避不能。大理石の角が、ルナの後頭部に迫る――。 その瞬間だった。 「……星野!」 鋭い声と共に、強い力がルナの体を横からさらう。 激しい衝撃が走る。しかし、それは冷たい石の感触ではなかった。九条がルナを抱きしめたまま自らが下敷きになり、彼女を守り抜いたのだ。 「……目を開けろ。怪我はないか」 至近距離で見つめ合う二人。九条の瞳には、いつもの沈着冷静さはなく、今にもルナを飲み込みそうなほど激しい【焦燥】が渦巻いていた。 「ぶ……部長……」 「黙っていろ。お前が負傷すれば、俺のチームの損失だ」 九条はそう言いながら、ルナの腰を抱き寄せる腕に、さらなる力を込める。その手は、かすかに震えていた。 「お前は、俺が選んだ『戦力』だ。……俺の許可なく勝手に
「ああっ、またやった……!」 オフィスに私の情けない叫びが響いた。手元から滑り落ちたのは、淹れたてのコーヒー。 地球の重力というのは、どうしてこうも気まぐれなのだろう。銀河系の端っこから調査にやってきて三ヶ月。私は未だに、この星の物理法則と仲良くなれずにいた。 名前は星野ルナ。大手広告代理店で「万年ドジっ子」のレッテルを貼られた底辺社員。 ……というのは仮の姿だ。 本当の正体は、銀河の果てから地球の文化を調査しに来た【 観測者(エイリアン) 】。そして、指先ひとつで時間を「5秒」だけ操れる、銀河でも希少な能力の持ち主である。 でも、その力を使うことは厳禁だ。 もし地球人に正体がバレれば、即・母星へ強制送還。私の地球での「おにぎり探求生活」は終わってしまう。 「星野。……怪我はないか」 低く、落ち着いた声が頭上から降ってきた。 九条蓮(くじょう れん)。 我が社の誇る超エリート上司。常に背筋を伸ばし、一分の隙もないスーツ姿の彼は、社内一ストイックな男として知られている。 「す、すみません、九条部長……! すぐ片付けます!」 「謝罪はいらない。だが、君は自分の歩幅を理解していない。……これを使いなさい」 彼は甘い言葉をかけるわけでもなく、無造作に自分の白いハンカチを差し出した。 周囲の社員は「また部長に詰められてる」と遠巻きに見ているが、違う。彼は、私が火傷をしていないか、一番に確認してくれたのだ。 「他人の評価を気にする暇があったら、自分の足元を見なさい。私は、君の価値は他人の物差しで決まるものではないと考えている」 ぶっきらぼうな言い方。でも、周囲が「無能」と笑う中で、彼だけは私を「一人の社員」として正当に、ストイックに評価してくれている。 ――かっこいい。 私が、彼が絶体絶命の窮地に陥るたびに、こっそり時間を止めて救っているのは、私なりの恩返しでもあった。 その日の夕方。事件は起きた。 新プロジェクトのプレゼンのため、九条部長と共にビルを出て移動していた時のことだ。 歩道を歩く九条部長の背中を見ながら、私は心の中で 「歩く姿もトレンディドラマの主役みたいだなぁ」なんて場違いなことを考えていた。 その時だった。 ガガガッ、という不穏な金属音が上空から響いた。 見







