LOGIN車に乗り込むと、待ち合わせ場所を告げ、傍らに置いた袋に目を向ける。念のため、昨日デパートで買ったものはすべて持ち歩いていた。今日中にすべて渡せれば上出来だが、残念なことに、和彦と関係の深い男たちは皆忙しい。
これから会う千尋にしても、決して暇を持て余せる立場ではないのだ。もしかすると、和彦と夕食をともにするために時間を作ったのかもしれない。 夕食後、長嶺の本宅に少し顔を出そうなどと考えているうちに、車が車道脇に停まる。ちょうど、千尋との待ち合わせ場所であるビルの前で、和彦は車中から外を眺める。 すでに日が落ちかけた街中は、それでなくても人通りが多い。千尋はどこにいるのかと目を凝らしてみれば、待ち合わせらしい人がたむろしているスペースに、やけに人目を惹くスーツ姿の青年が立っていた。それが千尋だとわかり、和彦はそっと目を細める。 外見の若さだけなら、それこそやっとスーツが様になってきた新入社員のようでもあるが、物腰やまとっている雰囲気は、明らかに同年代の青年が持ち得ないものだ。覇気と鋭さ、危うい凶暴性のようなものを秘め、それでいて、強ここまで聞いて、さすがに和彦も察するものがあった。眉をひそめて黙り込むと、何事もなかった様子で鷹津は金網に肉をのせていく。このとき和彦の視線は吸い寄せられるように、肉を焼く鷹津の右手に吸い寄せられていた。シャツの袖からわずかに、まだ生々しい傷跡が覗いているのだ。「――お前の考えは?」 鷹津に声をかけられ、ハッとする。「それだけじゃ、なんとも……。なんでもない二つの事実を、強引に関連付けているとも取れる」「今、お前が言ったんだろ。人脈を求める人間が、お前の父親と繋がりたがると。名門の佐伯家というだけでなく、佐伯家にいる独身息子個人も、かなりの価値があるしな。職業的に隙がなく、見た目も、申し分がない。結婚するとなると、高く売れそうだ」 露骨な表現に顔をしかめた和彦だが、否定の言葉は出なかった。あり得ないと断言できるほど、和彦は今の佐伯家の内情を知らない。つまり、あり得る話でもあるのだ。「……別世界の話を聞いているようだ。ぼくが家にいるときは、兄の結婚話なんて出たこともなかったから。そうか。もうとっくに、そういう歳なんだな……」 仲が悪いという以上に、殺伐とした兄弟関係であるため、和彦は兄である英俊の私生活に立ち入ることはおろか、あれこれと想像を巡らせることすら避けてきた。ここにきて、他人の口から思いがけないことを聞かされ、戸惑うしかない。 鷹津は、そんな和彦を興味深そうに見ていた。口元がわずかに緩んでいることに気づき、きつい眼差しを向ける。「変な顔をするな」「いや、途方に暮れたようなお前が、おもしろくてな。そうか、そんなに意外な話なのか」「あくまで、ぼくの感覚だ」「この件、もっと突っ込んで調べてやろうか?」 和彦が返事をためらう間、鷹津は淡々と肉を食べていた。その姿を眺めながらなんとなく、普段からこんな感じで、この店で一人で食事をしているのだろうかと、想像してしまう。それとも、誰かと悪だくみの相談をしながら――。「――……動くのは、少し待ってほしい。ぼくが実家のことを嗅ぎまわっていると知
和彦は後部座席のシートで身を固くしていたが、助手席に座る組員は平然と、携帯電話で誰かと連絡を取り合っていた。 おそるおそる背後を振り返ると、この数日で見慣れてしまった総和会の車はついてきていない。「相手もムキになって追いかけてはこなかったようですね」「……まあ、向こうにしても、本気で誰かがぼくに接触するとは思ってないんだろう。あくまで、ぼくに見せ付けるのが目的だったんじゃないか」 そんな会話を交わしているうちに、鷹津に指定された場所に到着する。飲み屋の多い一角で、人だけではなく、タクシーで混雑している。路地に入り込むと、抜け出すのに苦労しそうだと思い、和彦だけ車を降りる。「帰りは鷹津に送らせるから、今日はもうぼくについてなくていい。あと、車を撒いたことで何か言われたら、ぼくの指示だったと言ってくれ」「大丈夫ですよ。先生はご心配なく」 その言葉に送られて和彦は、にぎわう路地へと入る。鷹津には、とにかく路地を歩いていろと言われたのだが、その意味はすぐにわかった。「――今夜は、誰も連れてないのか」 前触れもなく、背後から声をかけられる。聞き覚えのある声に振り返ると、黒のソリッドシャツにジーンズという定番の格好をした鷹津がいた。いつの間に、と和彦は目を丸くする。すると鷹津は、ニヤリと笑った。「お前を誘拐するのは、簡単そうだな。護衛がついてなかったら、無防備そのものだ」「……仮にも刑事が、物騒なことを言うな。それより、実家の話って?」 和彦の問いかけは、あっさり無視された。先に歩き始めた鷹津の背を睨みつけた和彦だが、往来で問い詰めるわけにもいかず、仕方なくあとを追いかける。 鷹津は人気のない細い路地へと入り、その突き当たりにあるこじんまりとした古い店の前で立ち止まる。「ここだ」 素っ気なく言って鷹津は店に入り、ため息をついて和彦もあとに続く。 店に一歩足を踏み入れると、なんとも食欲をそそる匂いが鼻先を掠めた。あちこちのテーブルから煙が立ち上り、そこに、肉の焼ける音も加わり、反射的に和彦の腹が鳴る。肉が食べたいと自覚はしていな
中嶋から意味ありげな視線を投げかけられたが、和彦は露骨に無視する。タイミングよく、数人のグループがジャグジーにやってきたため、入れ替わる形で和彦は立ち上がる。あとを追うように中嶋もジャグジーを出ようとしたので、すかさず和彦はこう言った。「せっかく筋肉が解れたんだから、そのままプールで泳いできたらどうだ。ぼくはもう、たっぷり体を動かしたから、先に帰るけど」 更衣室までついて来るなという和彦の牽制がわかったらしく、中嶋は苦笑を浮かべる。「俺が、先生の一人の時間を邪魔したから、怒ってますね」「ぼくが怒っていると言ったところで、君は怖くもなんともないだろ」「いえいえ。先生に嫌われたらどうしようかと、内心ドキドキしてますよ」「――……本当に、秦に口ぶりが似てきたな」 そう言って和彦は軽く手をあげると、更衣室に向かう。さすがの中嶋も、今度ばかりは追いかけてはこなかった。** ジムを出た和彦は、湿気を含んだ風に頬を撫でられ、思わず空を見上げる。闇に覆われているせいばかりではなく、厚い雲も出ているのか、星はおろか、月の姿すら見ることができない。 そろそろ梅雨入りだろうかと、その時季特有の鬱陶しさを想像してため息をつく。それをきっかけに、一時遠ざけていた現実が肩にのしかかってきた。オーバーワーク気味に体を動かして気分転換をしたところで、抱えた状況は何も変わっていないのだ。 もう一度ため息をついて、ジムの駐車場がある方向を一瞥する。待機している長嶺組の車に乗り込むと、当然のように、総和会の車も背後からついてくるのだろう。さきほど中嶋と話した内容もあって、心底うんざりしてくる。 少しの間、一人で外の空気を堪能しようかと、間が差したようにそんなことを考える。魅力的な企みではあったが、数十秒ほどその場に立ち尽くしていた和彦は、結局、駐車場に向かっていた。長嶺組の男たちに迷惑をかけるのは、本意ではない。 和彦が駐車場に入ってすぐに、待機していた長嶺組の組員の一人が車から降り、出迎えてくれる。総和会の車は、駐車場の外に停まっていた。「――……気
護衛といいながら、精神的圧迫感を与えてくるだけではないかと、毒を吐きたい気持ちをギリギリで抑え、ジムに入ってやっとほっとしたところだったのだ。 和彦はさりげなく、中嶋の横顔を一瞥する。抜かりない、と心の中で呟いていた。「……何も、ジムの中まで追いかけてこなくていいだろ。こんな場所で、誰が何をできるって言うんだ」 和彦は大げさに周囲を見回す動作をする。平日の夜のジムは、仕事を終えて訪れる〈真っ当な〉勤め人たちが多いのだ。「何より、一歩外に出れば、怖い男たちが待機している」「先生の護衛という名目で、互いの組織が牽制し合っているようですね」「もしかすると、嫌がらせかもしれない」 皮肉っぽい口調で和彦が洩らすと、中嶋は不思議そうな顔をしたが、それも数秒のことだ。すぐに察したように、声を上げた。「ああ、先日の〈あれ〉ですか」「君の言う〈あれ〉が何を指しているのか、ぼくにはわからないんだが」 素っ気なく言い置いて、和彦は立ち上がる。「先生?」「ジャグジーに入る」「だったら、俺も」 遠慮してくれないかと、眼差しで訴えてみたが、清々しいほどに気づかれなかった。もしかすると、わざと無視されたのかもしれないが。 使うなと強制する権限が和彦にあるはずもなく、仕方なく、中嶋と連れ立ってジャグジーに向かった。「――ちょっとした噂になっていますよ」 少し待ってジャグジーに二人きりになったところで、中嶋がさらりと切り出す。全身を包む泡の心地良さにリラックスしかけていた和彦だが、慌てて我に返る。「何がだ」「〈あれ〉――、先生が、南郷さんを土下座させた件」 両手で髪を掻き上げた中嶋が、流し目を寄越してくる。濡れ髪のせいもあって妙に艶やかに見えるが、同時に、中嶋の中に息づく鋭さも垣間見える。和彦から何かしらの情報を引き出そうとしているのだ。 和彦はうんざりしながら応じた。「どうせ、理不尽な理由で南郷さんに土下座をさせたとか、そんな話になっているんだろ……」「総和会の人
**** ベンチに横になった和彦は、ゆっくりと息を吐き出しながらバーベルを挙げる。上半身の筋肉が引き締まり、重さが刺激となって行き渡る。次に、今度は息を吸い込みながら、バーベルを下ろしていく。 そんなに重いバーベルを使っているわけではないが、一連の動作を時間をかけて数回繰り返していくと、全身から汗が噴き出してきて、Tシャツをぐっしょりと濡らす。 集中力のすべてを、筋肉の動きへと向けていた和彦だが、ふとした拍子に、足元付近に誰かが立っていることに気づく。トレーナーが様子を見てくれているのだろうかと思ったが、そうであれば、遠慮なく声をかけてくるはずだと思い直す。 一度気になってしまうと無視するのは難しく、大きく息を吐き出してから和彦は、ラックにバーベルをかける。すぐには上体が起こせず、呼吸を整えていると、親しげに声をかけられた。「手を貸しましょうか、先生」 その一声で、誰かわかった。和彦は口元を緩めると、遠慮なく片手を伸ばす。すかさず手を掴まれ、体を引っ張り起こされた。差し出されたタオルを受け取り、ひとまず滴る汗を拭いてから和彦は口を開く。「タイミングがいいな。今日は、連絡をしなかったのに」「先生と俺の仲ですからね。なんでもお見通しです」 中嶋にニヤリと笑いかけられ、和彦は微妙な表情で返す。ただの友人同士であれば冗談として成り立つのだが、残念ながら和彦と中嶋の仲は、そうではない。「先生、ここは笑ってくれないと。冗談ですよ」「わかってはいるが、反応に困る冗談を言わないでくれ……」 話しながら、休憩用のスペースへと移動する。イスに腰掛けた和彦は、汗で濡れた髪先を拭いながら、隣に座った中嶋の様子をうかがう。ジムを訪れ、すぐに和彦のもとにやってきたのだろう。まったく汗をかいていない。 予定が狂ったと、思わず心の中でぼやく。 こうして中嶋に声をかけられると、じゃあこれでと、トレーニングに戻るわけにもいかない。和彦はため息交じりに問いかけた。「――何か目的があって、ジムにやってきたのか?」 和彦の声から、警戒
和彦を促すように、背後から大きく内奥を突き上げられ、奥深くを丹念に掻き回される。喉を鳴らした和彦は、おずおずと片手を自分の下肢へと伸ばす。両足の間で震える和彦の欲望は、もう愛撫を必要としないほど、熱く硬くなり、反り返って濡れそぼっている。 本当は三田村に触れてもらいたいと思いながら、ゆっくりと上下に扱く。同時に、内奥で蠢く三田村の欲望をきつく締め付けていた。 三田村が深く息を吐き出し、和彦の腰から背へとてのひらを這わせてくる。「別荘で過ごして以来、よく夢を見るんだ。中嶋を犯している先生を、こうして後ろから犯している光景を。夢なのに、ひどく興奮して、感じるんだ」 三田村の欲望が、内奥から引き抜かれていく。発情しきった襞と粘膜を強く擦り上げられ、和彦は感極まった声を上げて反応してしまう。自ら愛撫する必要もなく絶頂を迎え、シーツに向けて精を飛び散らせていた。その瞬間を待っていたように、再び三田村の欲望が内奥深くに押し入り、重々しく突き上げられる。「んあぁっ――」 衝撃に、ふっと意識が遠のきかけるが、三田村に腰を揺すられて我に返る。和彦は無意識のうちに、腰に回された三田村の腕に、爪を食い込ませていた。痛みすら心地いいのか、内奥でますます三田村の欲望が膨らむ。「あっ、う……。い、い――。三田村、気持ちいぃっ……」「〈男〉なのに、〈オンナ〉でもある先生の姿が、目に焼きついている。どうしようもなく淫らでふしだらで、魅力的だった。自惚れるなと言われるかもしれないが、俺は、先生の奔放さと、相性がいい。……いや、どんな先生でも、たまらなく愛しい」 惑乱した意識のせいで、三田村の言葉が耳に入りはするものの、頭が意味を理解しようとしない。だが、必死に言葉を紡いでくれているのだということは、わかる。なんといっても、体を繋ぎ合っているのだ。「もう、先生のいない世界は、考えられない。だから、俺の前からいなくならないでくれ。例え俺を遠ざける瞬間が訪れたとしても。この世界の怖い男たちに囚われたままでいてくれ。そうすれば、俺はいつでも、先生の存在を感じていられる。それだけでも、十分幸せだ」
さすがの賢吾も、和彦の心を煩わせるものすべてを見通すことは不可能らしい。「……最初にぼくを狙って、あんなことをした人間が、どんな顔をして、そんなことを言うんだ」「俺はいい。俺は、許されるんだ」 さすがに図々しい発言だと思って和彦が顔を上げると、待っていたようなタイミングで唇を軽く吸われた。「先生を狙って自分のものにして――見事に、骨抜きにされたんだ。そんな哀れなヤクザを、愛情深い先生なら、たっぷり甘やかしてくれるだろ?」 本当に図々しいと思いながらも、和彦はつい笑みをこぼしてしまう。 自
「それでもいいんですよ。俺にとっては、ホストクラブなんかで先輩風を吹かして、生意気なガキの面倒を見てくれて、今も腐れ縁が続いている程度のもので。過去は、どうでもいい」「――厄介な過去を背負っていたとしても?」 意識しないまま、和彦はつい鋭い問いかけをしてしまう。呼応するように、中嶋から鋭い眼差しを向けられた。「先生やっぱり、何か知っているんですね」「いや、そういうわけじゃ……」「ついでに聞かせてください。先生と秦さんの間に、何があったのか」 和彦は視線をさまよわせ、汗で湿っている髪を掻き上
「何、先生っ。そのグサッとくる言い方っ。まるで俺が、若いだけが取り柄みたいじゃん」「若いといっても、今日で二十一だろ。十歳差、というのが新鮮でよかったのに――」 悲鳴を上げた千尋が勢いよくソファから立ち上がり、和彦の隣へとやってくる。 締めたネクタイがどことなく、犬っころの首につけられた首輪に見えなくもない。千尋の必死の表情も相まって、たまらず和彦は噴き出す。「お前、可愛いな……」「先生、今、俺のことを、犬っころみたいだと思っただろ」 その言葉を肯定するように、遠慮なく千尋の頭を撫で回す。
**** 組お抱えの医者は、こういう仕事もこなさなければならないのかと、内心でうんざりしながら、和彦は箸を動かす。「先生、遠慮しないで、どんどん飲んでください」 中嶋の言葉に半ば反射的に頷く。和彦の好みをすでに把握しているらしく、膳とともに出されているのは、グラスワインだ。口当たりのいい美味しいワインだが、飲みすぎにだけは気をつけている。 中嶋の手前、形だけグラスに口をつけた和彦は、視線を泳がせたついでに、座敷を眺める。総和会の幹部がよく利用しているというだけあって、とにかく高そうな料亭だ