Войти「えっ……」
何事かと思った和彦が声を洩らした瞬間、男たちを掻き分けるようにして姿を現したのは――。 反射的に立ち上がった和彦の前に、殺気を含んだ空気を漂わせた三田村が立ち止まる。 三田村の無表情は相変わらずだ。だが、それでも和彦にはわかる。三田村はひどく怒っていた。 「どうして……」 「――帰るんだ、先生。ここは、先生みたいな人が一人でいていい場所じゃない」 三田村に片手を差し出されたが、和彦はムキになってその手を払い除ける。 「どうして、あんたが来たんだっ」 「先生の様子を見に行ったうちの若い衆が、インターホンに応答がないことを不審に思って部屋に入ったんだ。そこから大騒ぎだ。先生がいないといってな。千尋さんが変な奴に絡まれて、組全体がピリピリしているんだ。そんなときに、大事な先生がいなくなったらどうなるかわかるだろ。俺も呼び出されて、組長から直々に命令された」 「ぼくを捜せと?」 「正確には、犬らしく鼻を利かせて、先生を連れて戻れ、だ」 賢吾らしい物言いだ。「先生に、こんなみっともない言い分をぶつけるつもりはなかったんだ。……こういうとき、どう自分を取り繕えばいいか、この歳になるまで学習してこなかった。そうする必要を感じてこなかったからな」「みっともないなんて、言うな。ぼくの〈オトコ〉は……みっともなくなんてない。みっともないというなら、この世界で、誰かに守ってもらわないと生きていけないぼくのほうだ」 優しい男は、和彦の言葉を無視できなかったのだろう。数秒の間を置いて三田村は振り返った。「先生は――」「三田村、疲れたか? いろんな男に守られて……寝ている、ぼくとの関係に」 驚いたように三田村は目を見開き、再び和彦と向き合ったかと思うと、強い力で肩を掴んできた。「そんなことはないっ。組長や千尋さんのオンナになった先生に、手を出したときから、俺は覚悟していた。この世界で生きている限り、先生は絶対に俺だけのものにはならないことを。それに、この世界から抜け出した先生は、俺には見向きもしないことも。……先生に一瞥すらされないぐらいなら、俺はこの世界に先生を繋ぎとめ続ける。長嶺の人たちのオンナでい続けてくれと、願い続ける」 三田村の覚悟は、健気である反面、非情ともいえた。もし、三田村以外の男が言ったなら、勝手なことをと怒ったかもしれない。もっとも、三田村以外の男が、こんなことを言うはずがないのだが。「……鷹津は別なんだ。あの男は、ヤクザのようではあるが、こちら側の世界の人間じゃない。なのに、先生の番犬として側にいる。それが俺を嫌な気持ちにさせる……」 ハスキーな声を際立たせるように、低く抑えた口調で三田村が言う。表情には出ていないが、その声にはさまざまな感情が入り混じっており、三田村自身の内面を物語っているようだ。 肩を掴む三田村の左手の上に、自分の手を重ねた和彦は、手の甲の抉れたような傷跡を撫でる。「ぼくは、あんたに甘えているんだ。なんでも受け入れてくれて、優しくしてくれるから、ぼくが何をしようが、あんたは平気なのかと思っていた
和彦は少し考えてから、再び窓の外に視線を向ける。建物の中でじっとしているのがもったいなくなるような天気のよさと、風景の美しさだ。何より風が心地いい。「外の空気を吸いたい。つき合ってくれないか?」「……ああ」 今日の三田村はやはりどこかおかしい。和彦は、三田村と一緒に一階に下りながら、さきほどから感じていた違和感が、自分の気のせいではないと確信していた。 いつもの三田村であれば、和彦の望みに応じるとき、こう答えてくれるはずなのだ。『先生の望み通りに』と。 だが、今は――。 一階に降りると、まずキッチンを覗く。買ってきたものを冷蔵庫に入れている中嶋に、遠慮しつつ声をかけた。「庭にいるから、何かあったら呼んでくれ」 ごゆっくり、という言葉に送られて外に出ると、まず和彦は思い切り背伸びをする。あまりに勢いをつけすぎたせいで足元がふらついたが、背後に立っていた三田村にすかさず支えられた。振り返った和彦が礼を言うと、何事もなかったように三田村が離れた。 一体どうしたのかと問いかけようとした和彦だが、さすがに建物の前で話すことではないと思い、庭へと移動する。 庭には、和彦の名の知らない花たちが植えられており、穏やかな風に揺れている。まさか、こんなにきれいな――少女趣味すら感じる手入れされた庭を、巨大な暴力団組織が管理しているとは、誰も考えもしないだろう。ある意味、カムフラージュとしては完璧すぎる働きをしているともいえる。「――三田村、ここに咲いている花の種類、わかるか?」 腰を屈めて花を覗き込んでいた和彦は、傍らに立つ三田村を見上げて問いかける。三田村は、ごっそりと感情をどこかに置き忘れたような無表情だった。初夏の陽射しが降り注いでいるというのに、三田村が立っている場所だけ、温度が違っているようだ。もちろん、低いほうに。「先生がわからないのに、俺みたいな奴にわかるはずがない」 ここで会話が途切れ、二人の間に沈黙が流れる。姿勢を戻した和彦は、花ではなく、三田村の顔を覗き込んだ。「なんだか、あんたらしくない話し方だ。……何か、あった
** 組員二人が乗った車が走り去る光景を、和彦は玄関前に立って眺める。 てっきり一泊して帰るものだと思っていただけに、リビングで三田村とわずかな時間話しただけで、車に引き返す姿を見て驚いたのだ。この別荘には離れがあるため、組員二人が宿泊したところで、手狭になることも、存在が気になることもない。それでも慌ただしく帰っていったということは、賢吾に厳命されているのかもしれない。 もしくは、組員たちが気をつかってくれたのか――。「……余計な手間をかけさせたみたいだな……」 和彦がぽつりと洩らすと、車を見送って戻ってきた三田村にこう言われた。「そんなことを言われたら、夜中だろうが遠慮なく先生を叩き起こして、仕事をしてもらっている俺たちの立つ瀬がない。先生にゆっくりしてもらうためだ。あいつらも、手間どころか、先生を休ませてやれると、ほっとしているさ」「ぼくにつき合わされるあんたも同じ気持ちか、気になるところだ」 いつもの三田村であったなら、誠実で優しい言葉で応じてくれるはずだ。だが今日は、違った。 ふっと表情を曇らせた三田村が、らしくなく視線を逸らす。「先生のバッグを、二階に持っていこう。部屋はもう整えてある」 目の前を通り過ぎた三田村の背を、訝しみながら和彦は見つめる。三田村の様子が、明らかにおかしかった。いつもであれば、こちらが気恥ずかしくなるぐらい、真摯で優しい眼差しを向けてくれる男が、和彦を直視しようとしないのだ。「三田村――」 階段に足をかけようとした三田村に声をかけようとしたところで、外で車のエンジン音がした。和彦は足を止めて振り返る。「まさか、総和会からつけられた護衛の人間……」「俺よりも早く来て、いろいろと準備をしてくれていたようだ。先生と親しくしているということで、つけられたんだろ」 総和会から派遣された護衛は、もしかして南郷ではないだろうかと身構え――怯えていた和彦だが、三田村のその言葉を聞き、それは杞憂だったと知る。 ほっとすると同時に、玄関の扉の
** 連休初日から慌ただしいと、後部座席のシートに体を預けた和彦は、ほっと息を吐き出す。 賢吾に言われるまま、数日分の着替えなどを急いでバッグに詰め込み、急き立てられるように車に押し込まれたのだ。 じっくりと服を選ぶ余裕もなく、和彦の今の格好は、ジーンズとTシャツ、かろうじて掴んできたジャケットという軽装だった。車で移動するだけなので、ある意味、正しい選択だったかもしれない。 業者の到着を部屋で待つという賢吾とは、玄関前で別れた。長嶺組組長という多忙な身でありながら、〈オンナ〉の部屋にまで気を配らないといけない立場というのは、少しは同情してもいいのかもしれないが、和彦の連休の予定をすべて無視してくれたことで、差し引きゼロといったところだ。 もっとも、台無しにされたといって怒るほど、立派な計画を立てていたわけではないのだが――。 和彦はわずかにウィンドーを下ろす。外は雲一つない晴天で、初夏らしく気温は高いが、車内に吹き込んでくる風は爽やかだ。ドライブ日和ともいえ、こういう日に自分で運転をして、好きなところに出かければどれだけ気持ちがいいだろうかと、つい想像してしまう。 ただ最近は、運転は組員任せが当たり前になってしまい、かつてほど自分で運転してみたいという衝動が薄れた気がする。 朝食を抜いたこともあり、途中、目についた店に立ち寄って早めの昼食をとった以外では、車はひたすら走り続ける。観光地巡りが目的ではないので、これは仕方ないだろう。連休ということで、めぼしい場所はどこも混雑しているため、そもそも車を停めてもらう気にもならない。 賢吾や千尋が同乗していないということもあり、組員に許可をもらった和彦は、ウィンドーを全開にする。 スモークフィルム越しではない景色をしっかりと目にすることができて、それだけで非常に満足だ。「普段の送り迎えのルートだと、先生には息苦しい思いをさせていますからね」 そう声をかけてきたのは、助手席に座っている組員だ。和彦の護衛として、クリニックの送迎もほぼ彼が務めているため、そのことを言っているのだ。 和彦は風で乱れる髪を掻き上げ、笑いながら応じる。「決まっ
護衛と聞いて、まず和彦が思い浮かべた男の存在を、賢吾は察したのかもしれない。「今の先生の表情を見て思い出した。――そろそろ、俺への隠し事を話す気になったか?」 大蛇の化身のような男の追及を、これ以上避けることはできない。いつかは、打ち明けなければならなかったのだ。 それにしても朝から重い話題だと、そっとため息をついた和彦は、慎重に言葉を選んで打ち明ける。「……この間、総和会からの仕事で治療に行って、患者が目を離せない状態だったから、詰め所のような部屋で一泊したんだ」「ああ、そんなことがあったな。報告は受けている」「その部屋で休んでいて……、誰かに、体を触られた」「『誰か』、か?」 冷然とした賢吾の声に、和彦は体を強張らせる。危うく、ある男の名を口にしそうになったが、寸前のところで堪える。賢吾の、静かな――静かすぎる反応を間近で感じていると、とてもではないが言えない。 獲物に狙いを定めた大蛇が、身を潜める光景が脳裏を過ったからだ。一度身を起こしてしまうと、獲物の四肢を引き千切る残酷さと、容赦のなさを発揮する。「顔は、見ていない……。触られただけだから、騒ぎにしたくなかったんだ」「長嶺の男たちが大事にしているオンナに手を出すなんざ、ずいぶん度胸のある男だな。単なるバカの命知らずか、それとも、長嶺を……俺を恐れないだけの後ろ盾を持っているのか――」 まるで独り言のように話しながら、賢吾の手に頬をくすぐられる。その感触が優しいからこそ、和彦はあることを本気で危惧し、たまらず忠告していた。「……ぼくのことで、誰かと揉めたりしないでくれ。前に聞いたことがあるんだ。ぼくと会長のことで、長嶺組と総和会の関係が微妙になっていると。それが事実かどうかはわからない。だけど、今回のことが原因で、本当に総和会との関係がこじれたら……」「他の奴が言ったなら、自惚れるなと鼻先で笑う台詞だが、先生が言うと、シャレにならねーな。一年ちょっと前なら、長嶺組の世間知
普段から組員が出入りし、何かと世話を焼いてくれているため、自分が知らないところで他人が部屋に入ることに抵抗はない。ただ和彦が驚いたのは、賢吾の周到さだ。つい数日前に食事をしたときは、何も言っていなかったし、匂わせもしていなかった。「それはかまわないが……、どれぐらい時間がかかるんだ? 夕方ぐらいまでなら、ぼくは外で適当に時間を潰しているが」「残念だな。ガラスやドアをひょいっと入れ替えるだけじゃねーんだ。バルコニーに面した窓には特殊ガラスを入れるが、これが、厚みがあってな。今のサッシにハマらないそうなんだ。だから、サッシそのものを替える。ちょっとした改装工事だな」「……つまり、一日じゃ終わらないということか」 肯定するように賢吾の息遣いが笑った。 賢吾が決めたのなら、和彦は文句を言うつもりはない。和彦の身の安全のためだというなら、なおさらだ。ここまでしなければならない状況というのは怖くもあるが、逃げられないのなら、受け入れるしかない。 連休が始まったばかりだというのに慌ただしいなと、そっとため息をつこうとしたとき、さらに賢吾が驚くべき発言をした。「工事の間、本宅に泊まればいいと言いたいところだが、せっかくの連休中、いつもと変わり映えのしない過ごし方もつまらんだろう。だから、オヤジに話をつけて、別荘を押さえた。冬に一度、先生も行ったことがある別荘だ。今は気候もいいから、のんびりと過ごせるぞ」 和彦は目を丸くして、まじまじと賢吾の顔を見つめる。やや呆れつつ、こう言っていた。「人の貴重な休みを、なんだと思ってるんだ。なんでもかんでも、ぼくに相談もなく勝手に決めて……」「気に食わんか?」「忙しいあんたが、ぼくのためにあれこれ気を回してくれることは、ありがたいと思う。だけど、少しぐらいはこっちの都合を考えてもいいだろ」「生憎、俺は仕事があって、動けん。だからこそ先生の都合を考えて、三田村を護衛につけるんだが、それも嫌か?」 あっ、と声を洩らした和彦は、次の瞬間には顔をしかめる。「――……喜ぶ顔も
「わたしも、先生にハマったと言ったら、四人目に加えてもらえますか?」「何、言って……」「秘密を共有するという前提抜きでも、先生とこうするのは、麻薬めいた魅力があるんです。一度味わうと、やめられなくなりそうな――」 秦の逞しい欲望が、蕩けて弱くなっている内奥の入り口に擦りつけられたかと思うと、ゆっくりと侵入を開始する。「あっ……」「先生、力を抜いてください。絶対に、乱暴にはしませんから。そう振る舞いたくても、わたしの今の体では無理なので、安心してください」 一度は
放埓に悦びの声を上げて感じる和彦に対して、男たちは容赦なく快感という責め苦を与えてきた。強弱をつけた愛撫と律動が間断なく和彦を襲い、精を搾り取られる。 そしてその代わりのように、熱い精を内奥に注ぎ込んでくれるのだ。 いつの間にか、賢吾は話しかけてこなくなっていた。そのため、周囲で男たちに動かれると、どこに賢吾がいるのかわからなくなる。知らない男たちの中に放り込まれているのだとしたら、和彦にとって頼るべき相手は賢吾しかいないのだ。「賢吾、さん……」 不安になって思わず呼びかけると、返事がないまま、布団に横たえた体
三田村は、ごっそりと感情をどこかに置き忘れたかのような無表情を保っていたが、一方の賢吾は、ニヤニヤと笑っていた。和彦の反応をおもしろがっているのだろうかと、最初は訝しんだのだが、どうやらそうではなく、鷹津の行動に何かしら感じたようだ。意地の悪い男は、それがなんであるか、当然和彦に教えてはくれなかった。 表面上の無表情さとは裏腹に、和彦が知るどの男よりも優しい三田村は、何かと気遣ってくれる。実際和彦は、鷹津のことを正直に話したところで、鬱屈した感情は少しも軽くなってはいない。 蛇蝎の片割れである男に侮辱されたことが、ささやかに残っている和彦のプライドを踏みにじり、
声を洩らした和彦は顔を背ける。露わにした首筋に熱い舌が這わされ、すでにもう和彦は、ベッドの上で溶けそうになっていた。 三田村の愛撫は念入りだ。まるで和彦の体を検分して、余すことなく自分の証を刻みつけようとするかのように。 両腕でしっかりと抱き締められながら肩先に軽く歯が立てられ、痛みより疼きを感じた和彦は身じろぐ。片手で三田村の背――虎を撫で、思わず問いかけていた。「三田村、怒っているか?」 和彦の問いかけの意味をすぐに理解したらしく、三田村の目元がふっと柔らかくなった。「どうして俺が怒るんだ?」「…







