LOGIN◎あらすじ◎ 航空自衛隊の訓練生・真壁百合緒は、自身の体格が同期と比べて貧弱であることを悩んでいた。 訓練教官である若桐守に相談を持ち込む。 しかし真壁は、己の背中がとんでもない色気を放つことを、全く知らなかった。 ◎作品説明◎ こちらは〝空に墜ちる〟のパラレルです。 本編で殉職している若桐さんが、存命のまま付き合いが続いたら? という設定です。 若桐さんと真壁の日常きりとり短編を、本編を読んでなくても楽しめるカタチになってます。 基本コメディ、時々おセンチ。 ◎その他◎ こちらの作品は、複数のサイトに投稿されています。 物語の内容はすべてフィクションです。 実在の人物・団体・事件・場所とは一切関係ありません。 表紙:Len様
View More教官室のノックの音は、少し控えめだった。
「あいてるぞー」
室内に残っていた若桐守(わかぎりまもる)は、帰り支度の手を止めて答えた。
「失礼します」
「なんだ、真壁か。どうした?」扉を開けて入ってきたのは、訓練生の真壁百合緒(まかべゆりお)だった。
スラリと背の高い頭頂部が、ドアの鴨居をかすめる。 バランスの取れた体は、もったりと見えがちな深緑のフライトスーツですら、どこかのモデルのように見えた。 姿勢良く立つと、きっちりと襟元まで上がっているジッパーも含めて布地に張りを与え、息苦しさを感じさせない。 だが、その視線はわずかに下がって床に落とされていて、かえって落ち着かない気配を漂わせた。「お時間よろしいでしょうか?」
「いいぞ。なんだ? 座学か? 実技か?」 「いえ……あの……」生真面目な性格ゆえに、平素なら真っ直ぐにこちらを見る視線が、相変わらず床をさまよっている。
常に〝気をつけ〟を保つ真面目さが、今は失われ、右手が左手の袖口をつまんでは引っ張っていた。「……体格のことで」
「体格が?」 「……あの……」一瞬、若桐を見た視線が、再び自信なさげに落とされて──
その態度から、若桐は真壁が本気で悩み、どうしようもなくなって相談に来たのだと察した。「どっか、痛めたのか?」
「いえ……。実は……、自分は筋肉がつきにくい体質のようで……。同期と比べると、どうしても見劣りすると言うか……」 「響野を比較対象にしてるなら、やめとけ。ありゃ、化け物だ」笑い飛ばす若桐の声に、真壁はかすかに眉を寄せた。
「ですが……、背中が貧弱と指摘されまして……」
どうせ成績優秀な真壁に対する、やっかみかなにかだろう……と思ったが。
これは言葉でなだめたところで、聞く耳は持たないな……と、若桐は心の内で嘆息する。「そこまで言うなら見せてみろ。上だけでいい。気になってんのは背中だろ?」
「あ、はい」若桐が肩のバッグを机に下ろす間に、ジッパーが下がる音がした。
上衣を腰まで脱ぎ、下に着ていたTシャツをためらいなく頭上へ抜き取る。 その動きは、訓練中と同じく無駄のない所作で、全く惜しみなく肌を露わに晒してきた。「なんだ立派な……」
そこそこに褒め、筋肉ばかりつけたところで、飛ぶのにあまり関係がない……と言ってやればいいだろう──などと思っていた若桐だったが。
目の前に現れた背中を前に、言葉を失う。首筋からまっすぐに伸びる背筋。
しなやかで均整の取れた筋肉が、呼吸に合わせて静かに動く。 その上をかすめる光が、わずかな汗を煌めかせる。 肩甲骨の滑らかな起伏。引き締まった腰の曲線。 すべての無駄をぎ落とした、精緻な彫刻のような背中だった。こぼれるような色香が、そこにたゆたっている。
思わず近付いて触れたい衝動にすら、駆られた。(いや、いや、いや! しっかりしろ、俺っ!)
心の中でかぶりを振って、踏みとどまる。
はっきり言って、見てはいけないものを見たような気分になっていた。航空教官などをやっていれば、男の体など履いて捨てるほど見る機会がある。
だが、その背中に情欲を抱いたのはこれが初めてだった。 自分の視線が、ある種の熱を帯びたまま外せなくなっていることに、ごくりと喉がなる音で気付く。 ハッとして、若桐は視線を無理やり真壁の背中から逸らした。「……服着ていいぞ」
「あの……」 「いいから、すぐ着ろ」とにかく、早くその〝危険なもの〟を視界から追い出したくて。
不自然なまでに顔をそむけて、若桐は言った。しかし──
「あの……、でも教官、ご覧になってませんよね?」
「なにが?」 「だって今、僕のこと、見てませんよね?」真壁がこちらに、一歩近づく気配を感じ、若桐はほとんど無意識のうちに半歩下がって逃げる。
「いや、見たよ。見た、見た。すごく綺麗な筋肉だ。申し分ないぞ」
「でも……」更に詰め寄ってくる真壁の気配に、若桐はもう一歩下がろうとした。
「おわっ!」
「教官っ!」なにかにつまづきバランスを崩した若桐を、真壁は支えようと手を伸ばし、そのまま二人は一緒に倒れた。
「あたたたた……、真壁、大丈夫か?」
「はい……、すみません……」顔を上げると、間近に真壁の顔があった。
抱きとめる形で、腕の中に半裸の体が収まっている。 あの背中に、手のひらが触れていた。(手……離さないと……)
だが、そう考えた理性は、間近に迫った真壁の無防備な表情に打ち砕かれた。
その吐息が掛るような距離に、若桐の思考はショートする。 微かに香る、石鹸の香り。 汗の匂いも混ざっているはずだが、まさに百合緒の名のごとく、花のような甘い匂いしかしない。 ドクン……っと、胸の奥で音がした。「……っっ!」
気付いた時には、キスをしていた。
ぐいと引き寄せ、指を差し込んだ後頭部の丸み。 舌で舐め上げた下唇の柔らかな感触と、うすく開いた口の奥で戸惑っている舌。 しかし目を見開いたのは一瞬のことで、真壁はすぐにもまぶたを閉じて、若桐のキスに応じてきた。 絡めた舌が、ぎこちなく動きを真似てくる。温かく、甘い。
呼吸が重なり、真壁の手が若桐の胸の生地を、ぎゅうと掴んでいる。ふと、腿になにか異物感を感じて──
それが真壁の反応だと気づいた瞬間、理性が一気に戻った。「おわっ!」
「ふえっ?」ほとんど突き飛ばすようにして、体を起こして真壁から距離を取る。
真壁は、ぺたりと床に座ったまま、ぽやんと若桐を見ていた。「い……今のナシ!」
「教官……?」 「すまん! 本当にすまん! 今のはナシだ!」 「……ナシ?」ぼんやりした表情のまま、真壁はこくんと頷いた。
「失礼しました……」
シャツを身に着け、真壁は頭を下げると、教官室から出ていった。
ドッと汗をかき、若桐は椅子に座り込む。「……やっちまった……」
机に突っ伏し、若桐は頭を抱えた。
真壁の色気にあてられて、ついキスまでしてしまったが。(どうすんだ、これ。バレたら懲戒免職だぞ……)
料亭を出たところで、静浜に戻る若桐を送るために、真壁は響野たちと別れた。 二人で連れ立って、駅までの道を歩く。「本当は、守さんが副官になってくれたらな……って思ったんですけど……」「莫迦。副官ってのは、若いのが勉強のために付く職だ。こんなロートルで、席を埋めたら駄目だろう」「はい……。きっと守さんにはそう言って断られるだろうと思ったから……」 そこで真壁は、立ち止まった。 若桐が、気付いて振り返る。「どうした?」「浜松と静浜だって、遠いって思うのに……」「なんだ。今までだって散々遠い所に赴任してただろ?」「……僕、少しでも早く傍に戻りたいと思って、すごく頑張りました」 それは、若桐も痛いほど分かっている。 真壁の昇進が異例の速さだった理由は、当人の努力の賜物だ。 だが、その真意は出世ではなく、希望の赴任先に留まる〝発言力〟が欲しかったからだと知っているから。「……でも、今度の赴任先は市ヶ谷です。いつ戻れる……どころか、もう浜松に戻ること自体が無理かもしれない……」 ぎゅうっと、真壁が両手を握る。 光線の加減で顔は見えなかったが、声の震えは泣いているようにも聞こえた。「あ〜、それだけどな……」 若桐は、後頭部をポリポリと掻いた。「実は、市ヶ谷に来ないかって話。まだ生きてるんだ……」「えっ……?」 立ち止まったままの真壁の傍に、若桐が歩み寄る。「まぁ、会える頻度は、今とあんまり変わらんかも知らんがな」 真壁は、若桐の体を抱きしめた。「莫迦っ、こんな街中で……」
同期の四人に若桐を加えた宴席は、真壁の昇進と響野の第二子誕生を祝って、遅くまで続いた。「そういう狩谷も、二佐に昇進だって?」「じゃあ、三佐は響野だけか……」「いや、この先、真壁の副官として、ばんばん上がるだろ? あっちゅーまに狩谷も追い越されるぞ」 酔いが回った堂島は、狩谷の背中を叩く。「実際、そうかもな。今回の俺の人事は、跡部一佐が抜けたから、席を詰めただけだし」「おまえはウザい上司がいなくなって、清々したろ?」「そもそも、跡部が狩谷に圧掛けてたの、狩谷が真壁の同期だったからだしなぁ」 響野の言葉に、真壁は溜息を吐く。「僕、あんなに跡部さんに嫌われていたなんて、全然気付きませんでした」「いやぁ、あの人が一番拗らせてたの、若桐さんだろ?」「なんで、俺なんだよ?」 不満そうな若桐に対し、響野に同調した堂島が首を振る。「や、絶対若桐教官にでしょ。おかんネットワークに組み込んでもらえなかったって、あんなにがなってたじゃないですか」「おまえらは、本当に分かっちゃないな!」 ぐいっとビールのグラスを空けてから、若桐は堂島と響野にビシッと指を向けた。「あいつは、山城に認めてほしかったんだよ! だからこそ、戒告処分された跡部を、山城が築城に呼び寄せたんだろ!」「えっ? あれって左遷じゃないんですか?」「ちゃうわ! 跡部レベルの佐官が、足の引っ張り合いで虚偽の密告したなんて理由で戒告されたら、もう完全に出世できなくなるだろ? あのまま放っておいたら、本人が依願退職しちまうからって、山城は引き止めるために呼んだんだ」「ええ〜? 俺ならあんなことされたら、幻滅して切りますけどねぇ」「俺はぁ! あの人の拗らせは、藤原教官への恋心だったと思いますけどねぇ!」「うわ! 狩谷、おまえいつのまにウイスキーなんか飲んでんだよ?」「駄目だ、こいつ完全に酔っ払ってる!」 場の空気は、すっかりお開きムードになった。
数ヶ月後。 防衛省の人事発表に、真壁の名があった。「39歳にして、将補に昇進か」「同期として、誇らしいぞ!」 件の料亭で、響野が真壁のために席を用意してくれていた。 席には堂島と狩谷もいる。「おめでとうございまーす」 タブレットの向こうの麗子が、腕に小さな赤ん坊を抱いて挨拶をしてきた。「おおー! 麗子ちゃんこそ、出産御苦労様! おめでとう!」「おめでとうございます」 画面を覗き込み、一同が口々に祝いを述べる。 途端に腕の中の赤ん坊が、ほにゃほにゃと泣き出した。「あ、ごめんなさい。離席するわ」 挨拶もそこそこに、画面が暗くなった。「出産には、立ち会ったのか?」「今回こそはね!」 ふんっと、響野の鼻息が荒い。「奏真(そうま)くんの時は、立ち会わなかったのか?」「里帰り出産だったんですが、俺は百里にいましたし」「あ、そうか」「今日は、いいのか?」「や、カミサンまだ実家なんすよ。俺より親父さんのほうが浮かれてて、帰してくれないんす」「おまえと二人より、実家のほうが子育て楽なんじゃないのか?」「それは言わんでください……」 げんなり顔で響野が言った。「まぁ、そう言うな。これは、俺らから……」 出産祝いと書かれた祝儀袋を、全員がポケットから取り出して差し出した。「すまんなぁ。ありがたくいただく」「おまえ、相変わらずカミサンにアタマ上がらないのか?」「うちのカミサン、最強だから……」 ため息を吐く響野に、堂島が笑う。「そんなら、ズームが切れたの、困ったな……」 ほぼ独り言のように、真壁が言った。「なんだ?」「実は、西條を副官として帯同したいと思って打診をしたら、響野が来るからいやだと言っ
最初に、牧瀬がスッと前に出る。「初めまして。僕は警務の牧瀬と申します。本日は、跡部一佐に内々でお伺いしたいことがありまして……」「ちょ……、待ってくれ! 山城さん! あんまりじゃないですか!」「いや、俺も知らない。……若桐教官、これは……?」 警務と聞いて慌てる跡部と、驚き顔の山城に、若桐は首を横に振った。「俺も頼まれただけでね。だが、そう込み入った話でもない……と、こちらの牧瀬くんは言ってる」「まず、この会話を録音することをご了承ください」 牧瀬は、机の上にICレコーダーを置いた。「待て! こんな酒を飲んだあとで、調書を取られるなんて、冗談じゃないぞ!」「調書ではありません。ただ、少々お話を伺いたいだけです。ご了承いただけない場合は、場を改めてお話を聞くことになりますが?」 牧瀬の言葉に、跡部は目を泳がせたあとに、仕方ないといった様子で〝同意〟を示し頷いた。(牧瀬くん、やるなぁ……) 跡部はてっきり〝会話を録音出来ないなら、事を荒立てて公的に取調べをされる……〟とでも、思ったのだろう。 もちろん、この場を設けたのも若桐である。 牧瀬に、場を仕切っているようなふりをして欲しい……とも頼んだ。(相手が警務の人間なら、気後れするだろうからな) 牧瀬は、おもむろに一枚のコピーを取り出した。「こちらは、先日監査に送られてきた〝密告文〟のコピーです」「じゃあ、あんたは真壁の内偵をしてるのかっ! ……だが、もしそうなら、なぜ本人がここにいる!」「内偵ではありません。僕が調査しているのは、この密告書の真偽の確認です。こちらの文章に見覚えは?」「ない」「ですが、こちらの文章は、市ヶ谷の省内便で監査に送られてきたことは分かっているんですよ
「いいか……」 抱いた腰回りの細さと、触れる背中の体温。 肩口に顔を寄せれば、真壁の甘い体臭が鼻腔をくすぐる。「緊張するな」「はい」 言葉だけを聞けば、訓練生時代の会話と大差ない。(内容は、かなり違うけどな……) かすかな自嘲を含みながら、若桐は真壁の手を取り、それを下腹部へと導いた。「前開いて……」「はい」 言われるままに、真壁はベルトを外した。 取り出した自身の様子に、真壁は戸惑った顔をする。「うわ……」「ビビるな、握れ。そんで……こすって……。自分で自分の気持ちいいポイントを探すんだ」 真壁の手に手を添えて、若桐は動きを促す。「あ……っ!」 真壁の喉から
格納庫を出て、基地内の道をしばらく無言で歩く。 薄く涼しい夜風が、航空祭の名残をさらっていくようだった。 若桐は、官舎の自室に真壁を案内する。 廊下の端、突き当りは非常階段に繋がる角部屋だ。 隣室の同僚は、航空祭の打ち上げに出席するような話をしていたから、今夜は戻らないだろう。「ここ、空佐のお部屋ですか?」「肩書きはいらん。入れ」 キーを差し込み、扉を開く。 真壁が中に進む間、若桐は廊下に他人の気配がないことを確認していた。 そして、扉を閉める時も再度周囲を確認し、閉めたあとに施錠する。「最後にもう一回確認するが、本当におまえは、俺にキスされたいんだな?」「はい。そう
滑走路の向こうで、夕陽が金色に機体を染めていた。 祭りの熱気はとうに去り、格納庫の片隅だけが時間から切り離されたように静まり返っている。 背後から聞こえた足音に、若桐は振り返った。「……教官、お久しぶりです」「おお、真壁か……。一年ぶりか……?」 制服の上着越しでも分かる背筋の線は、相変わらず真っ直ぐで、影が長く伸びていた。「休日出勤、御苦労様」「ありがとうございます」 礼の所作すら無駄がなく、本人の持つ生真面目さとは裏腹に、華のある柔らかい印象を纏っている。「帰るのか?」「このあと、お時間よろしいですか?」「なんだよ? 飲みに行くなら、響野たちと行ったほうがいいんじ
教官室のノックの音は、少し控えめだった。「あいてるぞー」 室内に残っていた若桐守(わかぎりまもる)は、帰り支度の手を止めて答えた。「失礼します」「なんだ、真壁か。どうした?」 扉を開けて入ってきたのは、訓練生の真壁百合緒(まかべゆりお)だった。 スラリと背の高い頭頂部が、ドアの鴨居をかすめる。 バランスの取れた体は、もったりと見えがちな深緑のフライトスーツですら、どこかのモデルのように見えた。 姿勢良く立つと、きっちりと襟元まで上がっているジッパーも含めて布地に張りを与え、息苦しさを感じさせない。 だが、その視線はわずかに下がって床に落とされていて、かえって落ち着かない気