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受付用のカウンターデスクやキャビネットが運び込まれただけで、クリニックの待合室らしくなってきたなと、腕組みしながら和彦は思う。そんな和彦の傍らを、診察室に置くデスクを抱えた業者が通り過ぎていく。
医療機器の搬入はまだ先だが、ひとまず家具や備品だけは、運び込んでもらうことにした。できることなら、早いうちに人が過ごせる環境を整え、ここで書類仕事などをしたいと考えているのだ。そうすれば、いざ開業してから使い勝手が悪いと不満を洩らすこともないはずだ。 来週は、クリニックに置く家電製品を買いに行く予定で、買い物好きの和彦としては楽しみにしている。当然のように千尋もつき合ってくれることになっており、すでにもう、家電量販店巡りをメインとしたデートプランは出来上っているそうだ。 エレベーターホールから待合室まで通じる廊下の窓には、カーテンレールの取り付け工事が行われていた。カーテンがいいかブラインドがいいかずっと迷っていたのだが、改装工事が終わった待合室の雰囲気を見て、ようやくカーテンに「――あそこだ、先生」 あそこ、と言われても和彦にはわからない。車がすれ違うのもやっとの通りの左右には、住宅や商店が並んでいるのだ。 車は狭い駐車場に入り、降りた和彦は辺りを見回す。古い建物が多いなと思っていると、賢吾に呼ばれてあとをついていく。どうやら護衛の組員は車に待機させておくようだ。 和彦が物言いたげな眼差しを向けると、賢吾は軽くあごをしゃくった。「店は目の前だ。それに、これから優雅な気分を味わおうってのに、護衛をつけてたら不粋だろ」「……優雅?」「いい品を揃えてある店だからな。目が肥えるぞ」 そう言って賢吾が、駐車場前の店の扉を開ける。〈準備中〉の札が表になっているのもお構いなしだ。 電気がついている店の中を覗き込んだ和彦は目を見開くと同時に、かつて賢吾に言われた言葉を思い出した。「春には、着物の着付けができるようになってもらうって言ってたが、もしかして――……」「着付けをするためには、まずは肝心の着物がないとな」 賢吾に肩を押され、店に足を踏み入れる。さほど広くない店内には、数え切れないほどの反物が並んでいた。艶やかなものから、渋い色合いのものまで、さまざまだ。「ここは、長嶺の人間がずっと贔屓にしている呉服屋だ。今日は昼まで、貸切にさせてもらった。人目を気にせず、じっくりと選びたかったからな」 促されるまま靴を脱ぎ、畳敷きのスペースに上がる。物珍しさはあるが、高価そうな反物に迂闊に近づけず離れて眺めていると、着物姿の初老の男性が奥から出てきて、親しげに賢吾と言葉を交わす。風情や会話の内容からして、この呉服屋の主人のようだ。 会釈した和彦を、その主人が頭の先から爪先までじっくりと見つめたかと思うと、反物を選び始める。「すごい色男さんだとうかがって、こちらも気合いを入れて、反物を仕入れておきましたよ。賢吾さんがお好きそうな色目のものから、若い方向きのちょっと粋なデザインまで」「おう。これからちょくちょく世話になると思うから、よさそうなものがあったら取っておいてくれ。こうして、その色男も連れてきたしな」
ダイニングでお茶を飲む和彦を見るなり、賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。何か企んでいると思わせるには十分な表情で、和彦は露骨に警戒して見せた。「すっかり顔色がよくなったな」 和彦の隣のイスに腰掛けた賢吾が、テーブルの上の食器にちらりと視線を向けたあと、身を乗り出すようにして顔を覗き込んでくる。湯のみを置いた和彦は小さく頷いた。「熱さえ下がったら、あとは楽になった。咳も出ないし、食欲も戻ったし。……熱のおかげで、ゆっくり休めた」 ちょうど今は、遅めの朝食をとり終えたところだ。土曜日は一日中布団の中で過ごして、お粥とヨーグルトばかり胃に流し込んでいた。日曜日になってようやく動き回れるようになり、食事も通常のものに戻してもらったが、胃腸も問題ないようだ。「そりゃよかった。ただ、寝込んだときぐらい、もう少しわがままを言ってもらいたかったがな」「あんたは何もしてないだろ。面倒をみてくれたのは、ここの組員たちだ」「なんだ。俺に看病してほしかったのか?」 ヌケヌケと言う賢吾を、和彦は横目で睨みつける。そんな二人のやり取りがおかしいのか、空いた食器を片付ける組員は笑っている。「……とにかく、体調はもう大丈夫だ」「本当か? 遠慮はするなよ」 やけに強く念を押され、気圧されながらも和彦はしっかりと頷く。「遠慮はしてない。本当に元気になった」 昼前にはマンションに戻りたい、と言葉を続けたかったが、突然賢吾が片手を伸ばしてきたため、そちらに気を取られる。何事かと身構えると、大きな手が頬に押し当てられた。「確かに……熱は下がったみたいだ」「そう言ってる――」「だったらこれから、出かけられるな」 目を丸くする和彦に対して、畳み掛けるように賢吾は続ける。「出かけると言っても、ただ車で移動して、行った先で突っ立ってりゃいい。病み上がりの体でも、そう負担にならないはずだ」「……行くって、どこに…&helli
三田村が返事に困ったような顔をしたとき、今度は座卓の上に置いた携帯電話が鳴った。土曜日にクリニックから呼び出しがかかるはずもなく、つまり電話は、和彦のプライベートに関わりのある相手からということになる。 和彦が視線を向けると、心得たように三田村は携帯電話を持ってきてくれた。 液晶には見覚えのない番号が表示されているが、直感めいたものが働き、熱で弛緩しきっている体にピリッと緊張が駆け抜ける。それが傍目にもわかったらしく、三田村の手が肩にかかった。「どうかしたのか?」「……いや、電話の相手が――」 無視するわけにもいかず、和彦は電話に出る。『――千尋から聞いた。熱を出して寝込んでいるそうだが、大丈夫かね?』 電話越しだと、より賢吾に似て聞こえる声の主は、守光だ。「ええ、急に熱が出て……。仕事の疲れも溜まっていたのだと思います。ここのところ忙しかったですから」 当り障りのない受け答えをしながらも和彦は、実は内心では激しく動揺していた。さすがに今は思考も正常とは言い難く、迂闊な発言をする恐れもある。何より傍らには、三田村がいるのだ。『原因の一つは、わしだろうな。まだあんたは、わし相手に緊張するから、精神的な負担をかけただろう。――肉体的な負担も』 和彦の心臓の鼓動はドクドクと大きく脈打ち、また熱が上がったのか、体が燃えそうに熱くなる。支えを欲しがって片手を伸ばすと、すかさず三田村が握り締めてくれた。「あの……」『息が苦しそうだ。何も言わんでいい。わしが一方的に話すから』 守光の指摘通り、和彦の息は上がっていた。『勝手だと思うだろうが、わしと会うことを負担に感じないでほしい。わしはただ、賢吾と千尋が大事にしているあんたと、打ち解けたいんだ。身内として、な。堅気だった人間の常識では到底理解できないこともあるだろうが、少なくとも、長嶺組と総和会は、敵意も害意もあんたに向ける気はない。この世界が、あんたにとって安らげる場であってほしいと願っている』 柔らかな声で語る守光だが、総和会会長の肩書きを背負って
**** 脇から体温計を取り出した和彦は、微妙な表情を浮かべる。 朝、目が覚めて、いくらか体が楽になっていることに気づき、さっそく熱を測ってみたのだが、さすがに平熱に戻るほど甘くはなかったようだ。それでも、高熱が続くよりはよほどいい。 そう自分に言い聞かせながら、枕元に用意された新しい浴衣に着替えていると、内線が鳴った。これから朝食を運ぶと言われ、まだ食欲がない和彦は一度は断ったのだが、なんとなく押し切られてしまう。 慌てて帯を締め、脱いだ浴衣を畳んだところで、障子の向こうに人影が映る。「――先生」 呼びかけてきたのは、ハスキーな声だった。目を丸くした和彦が見ている前で障子が開き、トレーを手にした三田村が姿を現す。 三田村は、和彦の姿を見るなり表情を和らげた。「三田村、どうして……」 布団の傍らに座った三田村に問いかけると、答えより先に、肩に羽織りをかけられる。礼を言った和彦は、改めてまじまじと三田村を見つめる。「ぼくが寝込んでいると、知っていたのか?」「昨夜のうちに、本宅の人間から連絡をもらっていた。今朝は、寝ている先生の様子を見て黙って帰るつもりだったんだが……、顔を見せていけと、千尋さんが言ってくれた」「千尋が?」 深夜にこの部屋にやってきた千尋だが、いつ出ていったのか和彦は知らない。もしかして、朝方までついていてくれたのかもしれないが、本人に尋ねたところで答えてくれるとも思えない。 和彦がつい笑みをこぼすと、不思議そうに三田村は首を傾げた。「どうかしたのか?」「いや……。ぼくの周囲には、過保護な人間が多いと思ったんだ。たかが風邪で、なんだか大事だ」「たかが、と言うけど、熱が高いんだろ」 三田村が片手を伸ばしてきたので、和彦も身を乗り出して額に触らせる。無表情がトレードマークのはずの男は、一気に厳しい表情になった。「……熱いな」「これでも、昨夜よりは少し下が
「ダイニングに、チョコレートと一緒に、あんたへの酒を置いてある。……まだ誕生日プレゼントはもらってないけど、何か贈ってくれるらしいから、先にお返しをしておく」「はっきりと、バレンタインだからだ、と言ったらどうだ」「……好きに解釈してくれ」 ため息交じりに洩らした和彦は布団を引き上げ、口元を隠す。立ち上がった賢吾が客間を出ていくとき、こう言い残した。「用があれば、いつでも内線を鳴らせ。とにかく先生は、熱が下がるまでおとなしく寝てろ」 振り返った賢吾の表情は、怖いほど真剣だった。自分でも不思議なほど、そのことが和彦には嬉しかった。本気で心配してくれているとわかったからだ。** 夜が更けるにつれ、本宅は息を潜めるように静かになっていく。ただし、完全に人の気配が絶えることはない。 夜勤として常に誰かが詰め所にいて、外部からの連絡を受けているし、深夜になって帰宅してくる者もいる。そのため寝ている人間を起こす必要がなく、何かあれば詰め所にいる人間を気兼ねなく呼びつけてくれと、お粥を運んできた組員に言われた。 そのお粥を苦労して少し食べたあとから、和彦の意識は曖昧だ。うつらうつらとしていると、組員に話しかけられ、生返事を繰り返しているうちに着替えさせられ、薬を飲まされた。ときおり汗も拭ってもらった記憶もある。 わざわざ内線で人を呼ぶまでもなく、まさに痒いところに手が届くような甲斐甲斐しさだ。 先生にはいつも組員の面倒をみてもらっているから、と言われたような気がするが、もしかすると夢かもしれない。 熱を出して体はつらいが、人から世話を焼かれる状況は和彦にとっては新鮮で、同時に、心地よかった。 ヤクザの組長の本宅で、人恋しさを癒されるというのも妙な話だが、とにかく和彦は救われていた。 実家を出て一人暮らしを始めてから、病気で寝込んだときの自分はどうしていただろうかと、朦朧とした意識で思い出しているうちに、何度目かの浅い眠りに陥る。 ふと、傍らに人の気配を感じた。組員が様子をうかがいに来てくれたのだと思い、目を開くことすらし
無理やり笑みをつくって歩き出そうとしたが、千尋に腕を掴まれ引き止められる。人目があるというのに間近に顔を寄せられ、和彦のほうが動揺してしまう。「千尋、本当に何もないんだ」「……先生、まだ顔が赤いよ。それに、目の焦点がおかしい」 そこまで言われてやっと和彦は、自分の体調の悪さが疲労ではなく、病気からくるものだと知った。足元が覚束ないのは、熱が高いせいだ。 自分の額に手をやったが、体温はよくわからない。額だけでなく、てのひらまで熱くなっていた。急に体に力が入らなくなり、その場に座り込みそうになったが、寸前のところで千尋に支えられる。「先生、本宅に帰ろう」 顔を上げるのもつらくて、和彦はうつむいたまま頷いた。** 喉が痛くて小さく咳き込むと、それだけで頭を揺さぶられるような眩暈に襲われる。一度意識してしまうと、体がどんどん熱に侵食されていくようで、横になっていてもだるい。 和彦は客間の天井を見上げ、ゆっくりと瞬きを繰り返す。体はつらいが、精神的には奇妙なほど安らいでいた。 耳を澄ますと、廊下を歩く足音が聞こえてくる。それに、話し声も。人の気配を感じるおかげで、心細さとは無縁でいられる。それが安らぎに繋がるのだ。 長嶺の本宅に連れて来られた和彦は、そのまま客間に通された。事前に千尋が連絡を入れておいたため、部屋は暖められ、布団も敷かれていた。浴衣に着替えて和彦が横になる頃には、加湿器まで運び込まれたぐらいだ。 和彦にはもう、自分の症状が何からくるものかわかっている。疲労が溜まってきたところに風邪を引き、自分でも驚くような高熱が出たのだ。風邪を予期させる症状にいくつか心当たりがあるが、寝込んでしまった今となっては、遅いとしかいいようがない。 千尋には悪いことをしたと思う。時間を作ってもらったのに、結局何も楽しめないまま、本宅に戻ってきたのだ。和彦に付き添っていると言っていたが、自分に代わって組員が諭してくれ、なんとか客間を出ていってもらった。 苦労して寝返りをうった和彦は、タオルに包まれた氷枕に頬を押し当てる。全身が燃えそうに熱いくせに、ゾクゾクと寒気
ガキだ、と和彦は心の中で呟く。 わかってはいるつもりだったが、予想を超えて千尋はガキだ。しかも、厄介な癇癪を抱えた、二十歳のガキ。 和彦は露骨に大きなため息をついて、ゆっくりと足を組み替える。ガキの機嫌を取るほど、実は和彦にも心の余裕はなかった。 「――……何が気に食わないんだ、お前は」 そう問いかけると、正面のソファにあぐらをかいて座った千尋がふいっと顔を背け、ぼそっと答えた。 「何もかも」 「ああ、そうか。ぼくの存在そのものも気に食わないんだな。だったら、こうして向き合っていても時間の無駄だ。帰るぞ」 ぞ
「ちひ、ろっ……、ここじゃ――」 「待てないよ、先生」 和彦のスラックスと下着を引き下ろした千尋が、続いて自分のジーンズの前を寛げる。顔を上げた千尋とまた貪るようなキスを交わしながら、和彦は片手を取られて千尋の熱く滾ったものを握らされる。当然のように千尋も、和彦のものを握り締めてきた。 「はうっ……」 熱い吐息をこぼしながら、千尋と欲望を高め合う。腰を寄せてきた千尋と高ぶり同士を擦りつけ、もどかしさに思わず和彦が腰を揺らすと、小さく笑い声を洩らした千尋に突然、体の向きを変えさせられた。 ドアにすがりついた和彦は、スラックスと下着を足
和彦の内奥を的確に指と道具で犯す男の背後に立ったのは、高そうなダブルのスーツをこれ以上なく見事に着こなした中年の男だった。四十代半ばぐらいだろうが、一目見て圧倒される存在感を持っていた。 全身から漂う空気は剣呑としており、それでいて威嚇するような攻撃的なものではなく、ただ静かな凄みを放っている。衰えを知らないような厚みのある体つきに相応しいといえた。何より、彫像のように表情が動かない顔は、冷徹そのものではあるが、端整だ。 だが、容貌はさほど重要ではない。男が持つ独特の鋭さや冷ややかさ、年齢を重ねているだけでは醸せない落ち着きが、男の存在自体を圧倒的なものにしてい
思わず賢吾を睨みつけると、唇を塞がれて両足の間をまさぐられる。ラテックス手袋越しではない、ごつごつとした大きな手に直に敏感なものを握られ、和彦は賢吾の下で身を捩っていた。両足を開かされ、腰が割り込まされる。その状態で手早く和彦のものは扱かれていた。 「うっ、ああっ……」 「うちの息子を骨抜きにした体がどんなものか、たっぷり味わわせてもらうぞ。お前も、初めての相手に愛想よくしろ。――可愛がってやるから」 もう片方の手が胸に這わされると、突起を指で挟まれて強く抓り上げられる。痛みとも疼きともつかない感覚が胸に生まれ、その感覚が消える前に賢吾の口腔に含まれて、







