ログイン「え、結婚するの?おめでとうー!!!」
この前、休憩室で私のことを話していた後輩のうちの一人が結婚を機に退職すると、みんなの前で発表した。
「ありがとうございます。彼が部長に昇進して大阪に行くことになって……それでプロポーズされたんです」
「それって栄転じゃない!すごいー!!結婚後はどうするの?」
「土地勘もないですし、しばらくはのんびりしようかなって。彼は、働かなくてもいいよって言ってくれているんですけど……」
周りが聞いていない情報まで小出しして、さりげなくマウントを取ってくる後輩に笑顔で祝福の言葉を掛けた。
(私が夢見ていた結婚して専業主婦に後輩がなるのか……。)
「何をそんなに迷う必要があるんだ?」
昼休み、蓮見から来たメッセージに溜め息をつく。
(分かっているわよ。こんな好条件を断る理由がないことも……でも、私のプライドが許さないの!!)
あと三ヶ月で仕事の決断しなくてはいけない。分かっているが、積極的に転職活動をする気になれず日にちだけだ過ぎていたある日のことだった。
カツカツカツ、カッ――――
(やっぱり、誰かにつけられている気がする。)
ここ一か月ほど誰かにあとをつけられているのでないかと感じるようになっていた。最初は偶然かと思い、歩く道や時間を変えたが気配が消えることはない。
アパートに戻り、部屋の窓のカーテンをしめようとしたその時だった。はっきりと顔は分からなかったが、向かいの建物の住人がこちらを見つめている。目が合うとニコリと笑い、手を振ってきた。
「きゃあ……」
急いでカーテンを閉めたが、部屋が知られていることへの恐怖に身震いがして、しばらくその場を動けずにうずくまっていた。
「誰?一体いつから見ていたというの?」
翌日以降は、明るい道を選びながら背後にも注意して家までの道を歩いていた。あとは角を曲がるだけだと、安堵していたその時だった。
曲がる予定の角から男性が飛び出してきて、急に私の手首を掴んできた。
「久しぶりだね、会いたかったよ」
「きゃ……。」
「そんなに驚かないで、僕だよ。前に一度会ったでしょ」
そう言って親しげに話しかけてくる男性の顔を見ると、以前プレミアム合コンで会った気がする。しかし、好みではなくて連絡先も交換しなかったため、もう名前も覚えていない。
「離してください。こんなことしたら訴えますよ」
私が強い口調で言うと、男性はすぐに手を離したが狼狽える様子はない。
「嫌だな、手を握ったことは謝るけれど久々に会えて嬉しかったからただの挨拶だよ。訴えるだなんて大袈裟だな」
「……っ!!」
「この近くに住んでいるんだね。それならまたどこかで会えるかもね」
(この人、わざと……。偶然会ったとは思えない!!それに住んでいるって、まさかこの人がストーカー?)
そう言って再び私の腕に触れようとした時だった。
「それ以上は、やめてもらえますか」
蓮見が男の腕を強く掴んで、冷たい瞳で睨みつけている。
「何なんだ?俺はただ知り合いにあったから声を掛けただけで……」
「へえ、知り合い。それにしては随分嫌がられている気がしますが」
蓮見は自分のスマホを取り出して、動画を男に見せつけた。先ほど私が男に出くわして「訴える」と言っているところから撮られている。
「お前こそなんだ。盗撮だろ、犯罪だぞ」
「彼女は僕の妻だ。妻を守るために撮ったのがどこが犯罪なんだ?」
「くそっ……」
男は、走って逃げ去って行った。
「なんでここにいるのよ?」
「ボディーガード、とでも思えばいい。返事が遅いから聞きに来た」
男に手を掴まれたとき、怖くて心臓が止まるかと思った。そして助けを求めた時に浮かんだのは、蓮見の顔だった。しかし、お礼を言うべきなのに素直になれない私を、蓮見は何も言わず黙って横に立っていた。
会社の車で家まで送ってもらい、ドレスとスーツを脱ぐために寝室に入ってから、律にふと気になっていたことを尋ねた。「そういえば、合コンの時に私が覚えていなくても話をすれば思い出すかもしれないのになんで言わなかったの?」律は一瞬動きを止め、不貞腐れたようにこちらを見てからジャケットを脱ぎ始めた。「そんなの……あの時、凜が興味があったのは俺じゃなくて大手企業に勤めて若くして肩書きを持つ『蓮見律』だと思ったからだ。名刺を受け取って目の色を変えた凜を見て、お金があって何でも出来る男を求めていると思った。だから、かっこよくないところを見せたら幻滅されると思ったんだ。」そう、あの時、私は高収入で清潔感があり、背も高く顔もいい、見た目とお金の両方を持ち合わせたスーパーダーリンを求めていた。そんな私が、男子にからかわれて小さくなっていた中学の同級生と出くわしても恋愛には発展しなかっただろう。「ふふふ、そうだったんだ。でも、これからはかっこ悪いところも全部見せていいよ。私が好きで一緒にいたいのは、ありのままの律なんだから」律はネクタイを外してシャツのボタンに手を掛けていたが、私の言葉を聞くと甘えるようにすぐさま抱き着いてベッドに押し倒してきた。「ありがとう、凛。好きだ、愛している―――――」「私も。律のことが大好き――――」
凛side「香澄さん!隼人さん!」会合が終わり、二人の元へ行くと私を見て優しく微笑んでくれた。隼人さんは香澄さんの腰に手を添えている。「凜ちゃん、無事終わったわね。律もおめでとう!良かったわね」「はい、ありがとうございます!それにしても二人が結婚するなんて本当にビックリしました。お二人は一体いつから?」「ふふ。このことは誰にも言わずにしてきたの。隼人とは、私があのマンションに引っ越すちょっと前から付き合っていたのよ。」「え?そんな前から……!?」「ええ。隼人は律のことを一番ライバル視していて、律の動向を一番近くで探るためにあそこに私が引っ越したの。隠していてごめんね。でも結婚も決まったから、隼人と別の新しいところに引っ越すわ」思い返せば、香澄さんの隣にはいつも当たり前のように隼人さんがいた。引越しパーティーの時も早く来ていた隼人さんが準備の手伝いをしていて、私が手伝うと言うと香澄さんは遠慮したが、それは私を受け入れていないわけではなく、それ以上に隼人が近い存在だったからなのだと今になって理解した。「凜ちゃん、これからも律のことをよろしくね。律、頭はいいけど本当に不器用で女心分かっていないところあるから、凜ちゃんを苛つかせることもあるかもしれないけど……」
凛side「あの、香澄さんは……香澄さんもノルマに対して300%と律以上の実績を上げています。なぜ香澄さんではないのでしょうか?」円華さんが、言葉に気をつけつつも会長に尋ねた。ここまでくると個人戦ではなく、反律グループの最後の抵抗になっていた。会長はその空気を理解した上で説明を述べた。「香澄も実績で言えば申し分ない。ただ、本人から話があってな。今日まで黙っていた方がいいと思って内密にしていたが、香澄と隼人が結婚して夫婦になるんだ。隼人の会社と関係性が強く、香澄が元々やっていた事業とも近い三番目の企業に就任した方が、グループ全体のメリットが最大化されると判断した。」隼人さんと香澄さんの結婚は、後継者の人事発表に負けないくらいのサプライズでその場にいた皆の顔が、嫉妬と諦念の色に染まっていた。「そんな……三社でグループ全体の七割を占めるというのに、その代表が隼人さんと香澄さんと律?隼人さんと香澄さんの二人でグループの四割強の規模を持つぞ。それに対抗できる唯一の規模を持つ会社の代表が律になるなんて……」圭吾さんは床に崩れ落ちそうなほど落胆していた。私は、隣で堂々としている律に小さく微笑んだ。律は、僅かに私の方を振り向くと「ありがとう」とアイコンタクトで伝えてきたように見えた。
凛side一年後―――――前回、懇親会が行われた会場と同じ場所で孫世代全員が集まり、各会社の人事が発表された。「蓮見の次期代表取締役だが、隼人。お前がやってくれ」「はい、ありがとうございます。精一杯精進します」予想通り、一番大きな会社の代表には隼人さんが選ばれた。みな自分の名前が呼ばれることを期待はしていたものの、隼人さんが一番になるのは、周知の事実で誰も咎めるものはいなかった。「次に二番目の会社の代表だが……」律の祖父にあたる会長が口を開くと、全員が息を飲んで会長へと緊張の混じった視線を送っていた。圭吾さんや円華さんは、いつ名前が呼ばれてもいいように胸を張り、微かに口角を上げてその時が来るのを待っている。事前の予想では、最有力候補は香澄さんで、次に圭吾さん、円華さん、そして律にも可能性があるらしい。テーブルクロスの下で律が私の手に触れていたので、ギュッと握り返し、私たちは一番下座の席でその時を待っていた。「律、お前に任せたい―――」律の名前が呼ばれた瞬間、予期せぬ雷鳴のように部屋中に響き渡り、孫た
凛side「ねえ、私のために何かしてくれるのは嬉しいけれど、今までのままこっそりだと、律がしてくれたことが分からないまま過ぎちゃう。感謝も出来ないし誤解するかもしれない。だから、これからは直接言って、直接渡して」律は私の手に自分の手を重ねてた。中学の細くて背が低くてまだ声変わりのしていない気弱な律ではなく、身長が伸びて大きな手と骨ばった指の大人の律が私を優しく包みこむ。「分かった。これからはそうする。それにもう凜から目を離したくないんだ」「メールも小森さんじゃなくて、律が返事してよ?」「小森?何の事だ?そんなことを一度もしていないぞ」「え?だって結婚したばかりの頃、全然メールくれないって怒ったら、小森さんに返信させているって」「……そんなことも言ったな。なんて打てばいいか迷ってなかなか送れなかったんだ。指摘されてあの時は、そう言ったんだ」「何それ。律のこと、簡単に嫌いになったりしないから、そんなこともう言わないでね?」私の言葉に、律はゆっくりと身体の向きを変えると私のおでこにチュッと音を立ててキスをした。手首を掴み私を優しくソファに寝かせると、覆い
凛side久々に戻ると、家の中は汚いとまではいかないが、シンクにはコップが出されたままだったり、脱いだままの服がソファにかけられていたり、テーブルの隅には未開封の郵便物が溜まり、ところどころ散らかっていた。「なんだか何もやる気にならなくて……」私が言う前に弁解のように言う律にじろりと視線を向けると、律はリビングを抜けて書斎へと入っていった。「今、片付けるから、これでも読んでいて」そう言われて手渡されたのは、私たちを繋いだあの本、『魔女の星屑』の第三巻だった。表紙には三巻を記す「Ⅲ」の数字が誇らしげに書かれている。ペラペラとめくっていると最後の方のページから小さな封筒が床に落ちてきた。「あ、それ……」律は焦って回収しようとするが、それより先に手を伸ばしてとった。「何これ?手紙?」宛名のところには「前田凜さんへ」とシャープペンシルで書かれている。書体も少し幼くて、大人になってから書いたものではないことがすぐに分かった。「付箋代わりに使っていたのを忘れていた。回収しておけば良かった……」照







