로그인「お前のおかげで妻との関係が改善したよ。ありがとうな」
小声で言ってきたその顔は以前よりも少し柔らかくなっている。
「良かったわね。これからも奥さんのこと大切にして!もう二度と合コンなんか行くんじゃないわよ」
私がそう言うと佐藤は「もう行かないよ」と苦笑してから、笑顔で顔の前で手を振ったので、私も胸の前で小さく振り返した。
そのまま会場の外に出て、トイレに行くために受付を通り過ぎたが、佳奈の姿はない。
(べ、別にあの人に会いたかったわけじゃないんだから。私には関係ないし!)
そう思い、歩いているとちょうど入れ違いでトイレの角から佳奈が出てきた。
「あっ―――――」
お互い気がつき、小さく声を漏らす。私たちは静かに見つめ合っていた。
「結婚したんですね。おめでとうございます。」
数秒の沈黙の後、向こうから声を掛けてきた。知人に話しかけるような穏やかな声だが、瞳の奥には複雑な感情が渦巻いているのが分かった。私は平静を装って言葉を選ぶ。
「ええ。おかげさまで。あなたも啓介と結婚したの
隼人side物心ついた時から、香澄ちゃんは俺の隣にいた。俺がすること一つ一つに喜んで、転べばすぐに駆け寄って抱き上げてくれる。優しくて温かい香澄ちゃんが大好きだった。従兄弟だから姉ではないけれど、俺からしたら本当の姉弟みたいに近い存在だと小さい頃は思っていた。あの男――律が蓮見家に来るまでは。「隼人、弟の律よ。これから一緒に暮らすことになったの」香澄ちゃんが律を紹介した日のことは、今でも鮮明に覚えている。律は表情が暗く、瞳は物思いにふけているように虚ろでどこか遠くを見ていた。背も低くて骨が浮き出ていそうな痩せ型で、お世辞にもパッとしない男だった。(なんか暗い感じの変な奴が来たな……。香澄ちゃんの弟は、俺だけでいいのに)最初は、奪われた居場所を取り戻そうとする子供じみた独占欲だった。だが、高校生の律は、会うたびに身長が伸び、俺との体格差は広がるばかりだった。蓮見家という整った環境で、律はどんどん知識や語学を吸収していった。身体つきも逞しくなり、初めて会った時の弱々しさは消え、表情には力強さが宿るようになっていた。律に対して特に興味はなかった。しかし、中学一年の夏休みの終わりに俺は決定的な敵意を抱いたのだった。「え? 律、もうこの参考書の問題全部終わったの? これ、相当難
香澄side「え?ねえ?隼人?……んっ」話を続けようと、隼人の顔を覗き込もうとする私に、隼人は自分の唇を重ねて言葉を遮った。彼の柔らかい唇の感触と生温かい息が、私の呼吸を奪い、舌をねじり込み何も言い返せなくなっていた。キスの直後、隼人は私から少しだけ離れ、乱れた呼吸を整えながら申し訳なさそうに俯きながら小さく口を開いた。「ごめん、こんな風に強引にするつもりじゃなかったのに……先輩が香澄ちゃんって呼ぶのも、香澄ちゃんが気がつかないふりをするのも、全部嫌になっちゃって」(隼人は、私が気づかないふりをして逃げていたことをすべて見透かしていたんだ……)少し前から、隼人が冗談ではなく本気で言っているのではないかと感じる瞬間は確かにあった。だけど、その気持ちに正面から向き合うことが、私にとっては何よりも怖かったのだ。弟のように可愛がっていた従兄弟と、今度は恋人や夫婦として向き合うなんて、なんだか悪いことをしているような罪悪感と純粋な関係を壊してしまう後ろめたさが伴っていた。「ねえ、今キスをして、香澄ちゃんは嫌だった?俺の事は完璧に無理だと思った?俺は、香澄ちゃんをずっと一人の女性として見ていたよ。香澄ちゃんは、ずっと前から俺にとって特別な女性なんだ」
香澄side二次会が終わり、友人達とはその場で別れて、私と隼人は二人で都会の夜景を見渡しながら迎えの車が来るのを待っていた。「隼人、さっきは本当にありがとう。隼人がいてくれて助かったわ。でも、狙っているだなんて大袈裟に言わなくても良かったんじゃない?思わず私までビックリしちゃった」「俺は本気で言ったんだよ。さっき先輩に言ったことは、すべて本心だ」どう顔を合わせていいか分からなくて夜景を見つめる私に、隼人からの強い視線を感じる。横目でチラリと見た、隼人の表情は真剣そのものだった。「隼人?最近、どうしたの?そんなからかうようなことばかり言わないでよ。私は、言われ慣れてないんだから反応に困っちゃうよ」隼人の真剣な眼差しから逃れるように、私はわざとおどけた様子で上段っぽく返した。そうしないと二次会からずっと激しく脈打っている心臓の鼓動が治まりそうになかった。「だめ?それは迷惑ってこと?」「……そういうわけじゃないけど。でも、隼人にお似合いな子はたくさんいるよ。あなたを心から愛してくれる、相応しい女性が」「そんなこと平気で言えるんだ?香澄ちゃんは、俺が他の誰かと結婚しても平気なの?」少しだけ寂しさを帯びている隼人の声に、私まで切なくなり思わず隼人の顔を直視した。「結婚する予定があるの?もしあるんだったら心から祝福するわ。隼人のこと小さい頃からずっと見てきたから、挙式会場でタキシード姿の隼人の姿見たら泣いちゃうかもね」涙は涙でも感動の温かい涙を思い浮かべながら、私は心から微笑んだ。その瞬間、隼人の顔から笑顔が消えて、彼の瞳が一瞬にして冷たい炎に変わったように見えた。次の瞬間、私は隼人に力強く抱きしめられていた。隼人の逞しい腕の中に閉じ込められ、彼の体温とスーツの匂いに包まれいる。「なんで、笑って言えるの?俺は、香澄ちゃんが結婚するって分かったら笑えない。そんな風に祝福できないよ。一生、誰にも渡したくない」密着するようにぴったりと抱きしめられて、隼人の吐息が私の髪や耳元に当たる。
香澄side「香澄、どこ行っていたの?探したんだよ。あれ、その人は?知り合い?」「そう。私の従兄弟の隼人。隼人、私の友人で大学時代の同級生なの」友人に隼人を紹介をすると爽やかな笑顔で友人たちに会釈をしている。少しうっとりした顔で友人は私に話しかけてきた。「隼人君っていくつ?かっこいいね。香澄の親戚にこんなイケメンがいるなんて知らなかった!」「七個下よ。小さい頃から天使のような美少年だったけれど、いつの間にかこんなに立派な大人になってね。私にとっては弟みたいな存在なんだ」「隼人くんも二次会には行くの?行くなら、私たちと一緒に会場まで行こうよ!」こうして私の友人と隼人の友人とみなで移動することになり、二次会の会場についてからも各々が談笑をしている。隼人は瑠理香やほかの友人に話しかけられて、私も隼人の先輩と話をしていた。「香澄ちゃんって隼人と親戚なの?と、いうことは将来は蓮見家を継ぐ人?」隼人の先輩は、酒が入ったせいか遠慮なく核心に触れてきた。彼の探るような視線は、少しばかり不快感がある。「……そうですね。いずれはそうなるかと思います」
香澄side「今日は、これから用事があるからまた来るね。隼人もまたね!」祖父母宅を出た帰り道、頭の中では先程の隼人の言葉が何度も反芻されていた。隼人の眼差しがフラッシュバックして心がざわつく。(もし私が従兄弟でも何でもなくて、隼人の見た目であんな言葉を言われたらときめいて即決するよね。きっと隼人はモテるんだろうな……。隼人はいつからあんな言葉を覚えたのだろう)天使のお人形のように可愛かった私の隼人は、いつしか女性を喜ばせる言葉も得意になっていた。「待って!これだと、私、隼人にも先を越されてしまう。七個も下の隼人が先に結婚をしたらショックかも……。でも、隼人が結婚して式場でタキシードを着て幸せそうに歩いているところを見たら、感動で号泣しちゃうんだろうな」この時の私のショックという思いは、『年が七個も離れているのに先に結婚をすること』に対するもので、実際に結婚式場で隼人の幸せそうな顔を見たら、自分まで幸せな気持ちになると思っていた。私は隼人の提案を、縁談疲れを気遣った「弟からのエール」のようなものだと都合よく解釈していた。二週間後の土曜日―――――私は、大学の友人の結婚式に参列していた。旦那さんは偶然にも隼人の大学の先輩で、隼人は新郎側、私は新
香澄side「はー、またか……」クリアファイルの中にある書類を見て嘆いている私を見て、隼人が声をかけてきた。週末の昼下がり、祖父母の家で久しぶりに顔を合わせた私たちは、お茶を飲みながら話をしていた。「香澄さんが溜め息なんて珍しいね。どうしたの?」「律が結婚したでしょ?それで私への結婚圧力が強くなって、どんどん縁談を入れられているのよ。毎月三件ペースでこなしているわ。ひどい時は土日両方で嫌になっちゃう」最近の縁談事情を隼人につい愚痴ってしまった。その言葉に、隼人は考え込むように指で口元を押さえている。隼人の視線は、私の顔ではなくテーブルの上に広げられた縁談相手のプロフィールへと注がれていた。蓮見家は、縁談をする前に相手だけでなく相手のご両親の職業や家族構成・学歴など、相手のことを徹底的に調べる。そのため、縁談というのは名ばかりで企業の重役面接のようだった。そして、蓮見家が相手の家柄を気にするように、先方も同じことを考えて事前にこちらの情報収集している。「初めまして」と挨拶をするのに、私の出身校や仕事内容まで把握していて、こちらが口にする前に話題に出してくるのである。おかげで、無言で気まずくなることはないが、どこまで把握しているのだろうという疑念と、値踏みされている感覚しか残らず話が弾むことはなかった。