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第2話 

Author: むぎゅ
目ざとい社員が退職願の文字に気づき、その話はたちまち社内をざわつかせた。

ほどなくして、澄音が辞めるという噂は会社中に広まった。

各部署の社員がちらほら、澄音の執務室へやって来て、彼女を引き留めようとした。言い方はそれぞれ違っていたが、要するに伝えたいことは一つだけであった。

清陽の仕事に対する要求はあまりにも厳しく、澄音以外に彼を納得させられる人間はいなかった。厄介な案件や面倒な後始末があるたび、皆は澄音が何とかしてくれると当てにしていた。

誰もが口を開けば「社長だって琴川さんがいないと困りますよ」と言った。澄音は、引き留めに来る同僚たちを、落ち着いた態度で一組ずつやんわりと受け流した。

その騒ぎは、ついに清陽の耳にも入った。

退勤時間の直前、清陽はアシスタントに命じて、澄音を執務室へ呼ばせた。

澄音がドアを押し開けると、目の前の光景に思わず動きが止まった。

清陽は、若い女性を抱くようにして社長椅子に座っていた。

「お前の退職願は受理した。ただ、社内の業務が立て込んでいる。今月末までは残れ。手元の仕事は先に恋羽へ引き継げ」

心の底から冷たいものがせり上がり、澄音はその場に立ち尽くした。

清陽はその女性の背中を押して澄音の前に立たせ、ひどく柔らかな声で言った。

「紹介する。星野恋羽(ほしの こはね)。俺の新しい秘書だ」

目の前の女性はとても若く見えた。顔立ちは、澄音とどこか似ていた。六割ほどは重なって見えるだろうか。

周りでは、清陽は澄んだ瞳と整った顔立ちの、華奢な女性を好むと言われていた。どうやら、その噂は間違っていなかったらしい。前任と後任の秘書が、ここまで似た顔立ちだったのだから。

澄音の胸には、鈍い痛みが重く広がった。彼女はどうにか苦い笑みを作り、恋羽を連れて執務室を出た。

たった1日で、清陽は澄音の代わりを見つけていた。若々しく可憐で、白い花のような女性だった。

そうだ。自分のような女性はいくらでもいた。清陽が本気になるはずなどなかった。

間違っていたのは自分のほうだった。清陽にとって自分が特別な存在だと、思い込んでいただけだった。

それから1か月、澄音は手元の仕事を少しずつ恋羽へ引き継いだ。

けれど恋羽は仕事に身が入らず、細かなことさえまともにこなせなかった。

澄音が書類の確認を頼んでも、恋羽は雑に目を通すだけだった。最後には契約書の部数すら合わず、各部署で次々に支障が出たにもかかわらず、恋羽はその責任を澄音に押しつけた。

こうした小さなトラブルは毎日のように起き、澄音もさすがにうんざりして、何度か注意した。

恋羽は納得せずに口答えし、しょっちゅう清陽の執務室へ駆け込んでは告げ口をした。

だが清陽は事の是非など気にも留めず、毎回、恋羽の肩を持った。

澄音が入社してから4年間で受けた理不尽より、この1か月に受けた理不尽のほうが多いほどだった。

月末が近づくころには、澄音は私物をすべて片づけ終えていた。彼女は翌朝、空港へ取引先を迎えに行く件を恋羽にもう一度念押しし、退職に必要な手続きも先に済ませた。

段ボール箱を抱えて家に戻ると、澄音はベッドに横になった。けれど一晩中寝返りを打つばかりで、夜が明けてからようやく眠りに落ちた。

この邸宅は、以前に清陽が澄音へ買い与えたものだった。仕事を辞めると決めた以上、すべてを断ち切るつもりであり、当然この場所からも出ていくつもりだった。

荷物をまとめてこの家を出ていくつもりでいた矢先、清陽からの着信音が鳴り響き、澄音は眠りから引きずり起こされた。

通話ボタンを押すと、電話の向こうからすぐに、怒りを含んだ清陽の叱責が飛んできた。

「澄音!お前、空港へ迎えに行かなかったのか?取引先を空港で3時間も待たせたせいで、相手はもう元の都市へ引き返してしまった。契約も白紙だ。分かっているのか!」

澄音の胸が強く跳ねた。

確かに、すべて恋羽へ引き継いだはずだった。恋羽は行かなかったのだろうか。

澄音が口を開きかけると、清陽はそれを遮った。声は凍りつくほど冷たかった。

「今すぐ会社へ来い」

電話は一方的に切れた。

澄音は連日の疲れに加えてほとんど眠れておらず、体中が重かった。それでも不調をこらえ、会社へ駆けつけた。

今日は澄音の最終出社日だった。同僚たちは澄音の姿を見るなり集まってきて、体調を気遣い、名残を惜しむ言葉をいくつもかけた。

澄音は1人ずつ挨拶を返し、それから清陽の執務室へ向かった。

ドアを押し開けると、清陽は冷えきった表情をしていた。その視線は鋭い刃のように澄音へ向けられ、彼女の体を貫こうとしているかのようだった。

「澄音、取引先を空港に置き去りにするのが、お前の仕事に対する姿勢か?」

澄音の心は、鋭い爪で引っかかれたように痛んだ。彼女は目を伏せた。

「社長、私はもう退職いたします」
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