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「やあ、待ってたよ」
一人、離れた席にいるスコルが手を振る。
ハティは、スコルの向かい側に座った。「あのテオ様が、とうとうつがいを得られると思うと、感慨深いと思っていたが……」
既に、自身は食事を終えていたスコルが、ハティのためにお茶を煎れてくれる。
「お相手に、一番戸惑っているのは、テオ様だろうな……」
ふうっと息を
「それで? ハティから見て、どうなんだ?」
「どう……とは?」テオは、アーティを執務室に連れて戻った。「ここが執務室」「テオ様の仕事場ですね」「ん〜、まぁ、それはそうなんだけど……」 窓辺へ寄り、テオはバルコニーに続く窓を開ける。「俺の仕事は、あそこに見える黒の森から、魔物を溢れさせないことが第一だ」 バルコニーの先には城下町が広がり、街を囲う城壁がある。 そしてその向こうに、不気味に沈んだ黒の森が広がっていた。「書類仕事はあるが、いわゆる〝領地経営〟のような用向きはほぼない。辺境は税金は全面免除されている。そもそも作物らしい作物は育たないからな」「どうやって、暮らし向きを立てているのですか?」「魔獣から取れる魔石、黒の森に生える特殊な薬草、それらを穀物と物々交換だ。あとは、この土地でギリギリ育つ根菜と魔物肉で食いつないでいる」 手すりに寄り掛かり、テオは振り返る。 アーティは、素直な驚きを顔に表したまま、遠くに見える黒の森を眺めていた。「防護壁が、森の瘴気を完全に防いでいる。ここいら一帯は、まぁ、安全地帯だ。俺とフェンリル騎士団は、定期的に森に入って魔物を間引く」「どれくらいの頻度で森に?」「森の瘴気の濃度が高まったら……だが……。まぁ、年に三回から四回程度、一週間ほどだな」「一週間も、森で過ごすのですか?」「浅層の魔物を一掃しないと意味がないからな。精鋭だけで行って帰るだけなら三日もありゃ足りるが、騎士団全部で雑魚まで狩るとなると、それぐらいの時間は必要になる」 テオはアーティを促して、執務室に戻った。 そこにはスコルが居て、二人のためにお茶を用意してくれている。「冷えてないか?」「大丈夫です」「瘴気の所為で、ここら一帯は気温があまり上がらない。日中で、日当たりの良い場所に居ても、体の芯が冷えることがあるから、服は厚着を心がけたほうがいいだろう」 ソファに座ったアーティに、スコルが肩掛けを掛けた。「おそれい
その日、テオが案内してきた男は、色は地味だが非常に仕立ての良い服を着ていた。 背丈はテオよりも大きく、肩幅があり、背筋が真っ直ぐに伸びた……まるで軍人のような人物だ。「あれ、誰だ?」「中央から、花嫁を輿入れさせるための視察かなにかか……?」 離れた場所でヒソヒソと、兵士や傭兵たちが囁いている。「あー、みんな、集まってくれ」 修練場の台に立ったテオが言った。「こちらは、あー……、アーサ=ソール殿だ。親しくアーサー様と呼んでやってくれ。皆、失礼のないように!」 テオは、それしか言わなかった。 が、その〝失礼のないように〟の一言で、場に居る者は、それが件の〝花嫁〟であると察した。「テオ様!」 エルドが挙手をする。「なんだ?」「華燭の典は、いつですか?」「あ〜、半年……か一年後だ!」「ずいぶん、先ですね」「貴族の場合、招く客とかの都合もあるし、用意も大変だから、時間掛かるんだよ……」 ざわざわと、波紋のように囁き声が広がる。「とにかく! くれぐれもよろしく頼むぞ」「はい、閣下!」 全員が、特に命もないのに敬礼をした。 正規の兵も、傭兵も、分け隔てなく気を配るテオに、全員が礼を示したのだ。「じゃあ、今後ともよろしくな」 皆の礼に礼を返し、テオはアーティを連れて修練場から去っていった。「あのデカイのが、オメガ……?」「しかも……、笑みの一つもない」「当たり前だ。中央から辺境に送られて、不満紛々なんだろうさ」 ざわめきの中、アンディとエルドは顔を見合わせる。「あれが……奥方様……?」「冗談じゃない! 俺は認
辺境の朝は、テオの「馬引け!」の一声で始まる。 フェンリル騎士団に所属する騎士のアンディは、今朝もその声に、厩舎から馬を引き出した。「おはようございます、テオ様」「よう、アンディ。おふくろさんの具合、どうだ?」「閣下からいただいた薬のおかげで、だいぶん楽になったと言ってます」「薬つっても、ただの滋養強壮薬だ。ちゃんとメシ食ってるか、気をつけてやれよ?」「はい!」 馬上にあっても、テオは決して他人を見下さない。 門番であろうが、監視塔の一兵卒であろうが、名を覚え、背景を知り、細やかに声を掛けてくれる。 魔物の侵攻があった時、命を掛けて辺境を延いては国を守る、部下の顔と名前を覚えているのは当然だ……と言って。(この方になら、命も背中も預けられる) フェンリル騎士団に所属している者には、さほど珍しくもない〝絶対の忠誠〟を、アンディもまた持っていた。 そんな辺境に激震が走ったのは、王都からやってきた使者が原因だ。「テオ様が、つがいを賜ったらしい」 最初はそんな話だった。 だが、詳細が分かるにつれ、騎士団の空気は怒りに染まる。「賜ったんじゃない、押し付けられたのだ」 噂を耳にしたアンディは、憤った。「中央は、いつだって辺境をコケにしているのさ」 相槌をうったのは、傭兵のエルドだった。 騎士団にとって、金で冒険者を雇い入れる〝傭兵〟の存在は、恥と思われかねないが。 此処、辺境においてその存在は、戦力としても、また黒の森での薬草採取における護衛としても、非常に有益な存在として優遇されていた。「罪人のオメガを追放同然に辺境へ寄越して、それを〝下賜〟と呼ぶとは……」 中央のやり方に、腸が煮えくり返る思いだ。「だが、どうせすぐに逃げ帰るんじゃないのか?」 食事を共にしていた魔導騎士のセドリックが、やや冷めた口調で言った。「おまえは腹が立たんのかっ!?」
食事が済んだところで、テオはアーサーを居間に招く。 ハティに目配せをして、居間を整えさせ、食後のお茶をこちらにセッティングさせた。「先刻の話の続き……なんだけどね」「はい。私は王命により、グレープニール家に嫁いでまいりました。ティーウ様より子種を賜り、辺境伯家の繁栄のため……」「待った、待った、待った!」 テオはアーサーの言葉を遮った。「確かに王命で、アーティ……いやアー……」「私の名が呼びづらいのでしたら、なんと呼び捨てていただいても構いません」「ん〜……」 腕組みをし、つくづく困り果てたように、テオは天井を仰ぐ。「ごめん。じゃあ、アーティと呼ばせてもらう」「はい、閣下」「そっちも閣下じゃなくて、テオって呼んでくれ。落ち着かないから」「かしこまりました、テオ様」 ふうっと息を吐き、テオはアーティを上から下まで眺めた。 椅子に座っても、決して姿勢を崩さず、背中は真っ直ぐで全身が緊張している。「まず、曲がりなりにもアーティは辺境伯夫人……つまり、この城の中でナンバーツーだって自覚を持ってもらえるかな?」「ナンバー……ツー?」「そう。城主の俺の次に偉いの。だから、スコルとハティに様付けは不要。てか、厳守して」 テオは、そこで初めてアーティの表情が崩れるのを見た。 戸惑い、強張っている。「辺境は、常に黒の森からの魔物侵攻に備えているから、結構気性が荒いし、生きるの死ぬのの話が普通にある。だからわざと、城の中の空気が緩くなるようにしてるんだ。だが、上下の逆転は絶対に許さない。それが崩れたら、有事の際に支障をきたすから」「わかり……ました……」「あと、スコルから聞いてると思うけど。華燭の典をするまでは、夜の通いもし
テオは、日が昇る前に起床する。「馬引けっ!」 その一声に、厩舎で既に万端整った馬が引き出され、テオは夜明け前の巡回に出るのだ。「夜勤、ご苦労だった」 黒い森に面する門と、領都を防護する壁沿いに設えられた監視の塔を回り、夜通し見張っていた兵たちを労う。 森の入口まで、馬の運動がてら疾駆けで巡り、戻ったところで早朝の鍛錬をして、それから朝食の席に着く。「おはようございます」「あ……、うん。おはよう……」 食堂で、アーサーは椅子の横に立って、テオが来るのを待っていた。「待たせた? ごめんね。……朝食の時間、伝わってなかった?」「いえ。家令のスコル様から、朝食は午前六時と承っておりました」 アーサーの言葉に、テオは首をかしげた。「うん……。伝わってたのは、いいけども……」 ハティに席を引かれ、テオは椅子に座る。 アーサーもまた、使用人に椅子を引かれて席についた。「あの……さ」「なんでしょう?」「スコルを様付けで呼ぶのは、なんで?」「はい?」「だって……、一応、……きみは、俺のつがいちゅーか……。辺境伯夫人になりに来てるんでしょ?」「建前では、そうなります。ご迷惑を掛けて、申し訳ありません」「いや、王命だし。そこは謝るところじゃないからね?」 テオの発言に、アーサーは殊更驚いた顔でこちらを見ている。「ちょっと、すり合わせをしたほうが、良さそうだな……」 ふう……っと、テオは嘆息する。 その瞬間、アーサーはびくっと身を竦ませた。 テオは、ふと目を眇め、ちらっとハティに目配せをする。 ハティは、そ
主の夕食が済んだところで、ハティはキッチンに向かった。 そこでは使用人たちががやがやと夜の食事をしていた。「やあ、待ってたよ」 一人、離れた席にいるスコルが手を振る。 ハティは、スコルの向かい側に座った。「あのテオ様が、とうとうつがいを得られると思うと、感慨深いと思っていたが……」 既に、自身は食事を終えていたスコルが、ハティのためにお茶を煎れてくれる。「お相手に、一番戸惑っているのは、テオ様だろうな……」 ふうっと息を吐いたハティに、スコルは困ったような笑みを浮かべた。 スコルは、テオとハティより一回り年上の四十代である。 ハティはテオの乳兄弟だが、スコルは代々グレープニール家の家令を勤めている家系の生まれだった。 家令見習いだった頃から、二人の面倒を見てきたスコルは、言わばハティとテオの〝兄貴分〟でもある。「それで? ハティから見て、どうなんだ?」 「どう……とは?」 「私はベータだ。相手の人格は測れるが、オメガの品格はわからない」 「ああ……、うん……。……正直に言って、本当にオメガなのか、俺にもよくわからない」 「見た目は、アルファにすら見えるしな」 「そこも含めて、調査をして欲しいと、テオ様に頼まれた」 ハティの言葉に、スコルは眉を顰める。「三日後から、間引き討伐だろう? ハティが抜けて大丈夫なのか?」 「いや、この案件は〝手段を選ばず〟とのことだ」 「ああ、なるほど……」 含みのあるハティの言い回しに、スコルは頷く。 前回の調査は、とにかく時間が無い中で〝出来る限り最速で、集められる限りの情報を〟と命じられた。 故にハティが、領内で最も俊足を誇るテオの愛馬を借り、直接王都に行って調べてきたが。 今回は、グレープニール家の暗部の使用も認めるということだ。「この一件は、謎が多すぎるしな」 「テオ様は色々察しているようだが……。戦場の心理戦なら、容赦なく切り込むことも出来るが。色恋となる







