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第4話 泥中の白百合

مؤلف: 霜月イヅミ
last update تاريخ النشر: 2025-08-05 20:09:57

 どれほどの時間が過ぎたのか、セレスティナには分からなかった。

 アランが去った後、彼女は冷たい石の床に崩れ落ちたまま、身じろぎ一つしなかった。思考は麻痺し、感情は凍てつき、ただ虚無だけが心を支配していた。かつてすみれ色に輝いていた瞳は、今は光を失ったガラス玉のように虚空を彷徨うばかりだ。

 不意に、牢の扉が乱暴に開け放たれた。

「おい、いつまでそうしている。出ろ」

 無遠慮な声と共に、二人の衛兵が入ってくる。その目には、かつて公爵令嬢に向けられた敬意など微塵もなく、汚物でも見るかのような侮蔑が浮かんでいた。

 セレスティナは反応しない。いや、できなかった。衛兵の一人が苛立たしげに舌打ちをすると、彼女の腕を掴んで無理やり立たせる。抵抗する力は、もはや残っていなかった。人形のように引きずられ、薄暗い地下牢の廊下を歩かされる。

 壁の松明が、彼女のやつれた顔を不気味に照らし出した。銀糸のようだった髪は埃にまみれて艶を失い、上質な絹のドレスは見るも無惨に汚れ、ところどころが裂けている。その姿は、数日前まで王都の華と謳われた令嬢の面影をどこにも留めていなかった。

 連れていかれた先は、さらに奥まった場所にある雑居牢だった。鉄格子の扉が開けられると、衛兵は彼女を乱暴に中へ突き飛ばす。

「ありがたく思えよ。本来なら反逆者の娘など、即刻処刑されてもおかしくないんだからな」

 嘲るような声が背後で響き、重い音を立てて扉が閉ざされた。

 牢の中には、すでに数人の女囚たちがいた。じめじめとした空気は淀み、黴と汚物の臭いが鼻をつく。彼女たちは一斉に、新入りであるセレスティナに視線を向けた。好奇、嫉妬、そして底意地の悪い愉悦。その視線は粘り気をもって、彼女の全身に絡みついてくるようだった。

「まあ、噂の公爵令嬢様じゃないか」

 顔に大きな傷跡のある女が、嫌らしい笑みを浮かべて立ち上がった。

「ずいぶんと落ちぶれたものだねえ。私たちと同じ、泥水の中へようこそ」

 甲高い笑い声が、牢獄に響き渡る。他の女たちも、それに倣って下卑た笑いを漏らした。

 セレスティナは何も答えず、ただ壁際にうずくまった。かつて彼女が暮らしていたアルトマイヤー公爵邸の部屋が、遠い夢のように思い出される。陽光が満ちる窓辺、磨き上げられた調度品、そして壁一面に並べられた愛しい書物たち。そのすべてが、今は手の届かない幻だ。

 食事として与えられたのは、水で薄めたような味気ないスープと、石のように硬い黒パンだけだった。セレスティナはそれに口をつける気にもなれず、ただじっと膝を抱える。

 夜になっても、眠りは訪れない。藁が申し訳程度に敷かれただけの寝床は硬く冷たく、誰かの嗚咽や、悪夢にうなされる声が絶え間なく聞こえてくる。寒さと空腹、そして絶望が、容赦なく彼女の体力を奪っていった。

 数日が経つ頃には、彼女はほとんど言葉を発しなくなっていた。

 看守の命令にも、囚人たちの嫌がらせにも、ただ無感動に応じるだけ。その虚ろな瞳は、もはや何も映さない。感情を殺すことだけが、この地獄で自らを保つ唯一の術だった。

 かつて薬草学の知識を父と語り合った聡明さも、アランの甘い言葉に頬を染めた初々しさも、今は厚い氷の下に閉ざされている。

「気味が悪いね、あいつ。まるで人形じゃないか」

 囚人の一人がそう囁くのを、セレスティナはどこか遠くで聞いていた。

 人形。そう、自分はもう人ではないのかもしれない。心を持たない、ただ息をするだけの存在。そうでなければ、この痛みと屈辱に耐えることなどできはしない。

 ある日の午後、牢の格子の向こうを、新しい看守が通りかかった。彼はセレスティナの姿を認めると、同僚に声をかける。

「あれが、あのアルトマイヤーの令嬢か。噂に聞く白百合も、泥に塗れればただの雑草だな」

 下品な笑い声が遠ざかっていく。

 白百合。その言葉に、セレスティナの心の奥底で何かが微かに疼いた。だが、その痛みもすぐに霧散していく。

 生きる気力は、一日一日と確実に削り取られていた。父の無念を晴らしたいという思いさえ、今は重い疲労感の中に沈んでいく。

 このまま、ここで朽ち果てていくのだろうか。

 それでいいのかもしれない。もう、何も考えたくなかった。何も感じたくなかった。

 すみれ色の瞳から最後の光が消え、彼女は静かに心を閉ざした。泥中に横たわる、名もなき石のように。

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