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第5話 最果ての地へ

last update Last Updated: 2025-08-06 20:12:37

 牢獄の時間は、意味もなく流れていった。

 朝が来て、夜が来る。その繰り返しが何日続いたのか、セレスティナはもう数えるのをやめていた。彼女はただ壁に寄りかかり、虚ろな目で一点を見つめて日々を過ごす。他の囚人たちも、もはやこの生ける屍のような元令嬢に興味を失い、関わろうとはしなかった。

 その日は、いつもと少し違っていた。

 昼食の時間が過ぎても、牢内は異様な静けさに包まれていた。やがて、複数の足音が響き、セレスティナのいる牢の前で止まる。看守長らしき恰幅のいい男が、羊皮紙を手に威圧的な視線を投げかけた。

「囚人番号三百十二番、セレスティナ・アルトマイヤー。貴様に判決が下った」

 男は芝居がかった口調で、高らかに告げる。

「本来であれば、国家反逆罪に連座し死罪は免れぬところ、ヴァインベルク宰相閣下の寛大なる御心により、一等の減刑が認められた。よって貴様を、王国で最も過酷な土地、北の辺境への永久追放とする」

 辺境。その言葉に、他の囚人たちが息を呑むのが分かった。そこは、先の戦争で最も大きな被害を受け、いまだ復興もままならない無法地帯。冬は極寒の雪に閉ざされ、夏は疫病が蔓延する。罪人や浮浪者が流れ着くその場所は、死ぬよりも辛い生き地獄だと噂されていた。

 しかし、セレスティナの表情は変わらない。死も追放も、今の彼女にとっては同じことだった。どこで朽ち果てるかの違いでしかない。

「おい、聞いているのか」

 看守長が苛立ちを滲ませる。セレスティナはゆっくりと顔を上げ、ただ無言で彼を見返した。その瞳には何の感情も浮かんでいない。男は気味悪そうに顔を歪めると、部下たちに顎をしゃくった。

「連れて行け。護送の馬車はもう来ている」

 二人の看守が牢に入り、セレスティナの両腕を掴む。彼女はされるがままに立ち上がり、引きずられるようにして牢を出た。

 連れていかれた先で、ぼろぼろの囚人服に着替えさせられ、手には冷たい鉄の手枷がはめられた。その重みが、自分が罪人であるという事実を改めて突きつけてくる。

 地上へ続く階段を上り、眩しい日の光にセレスティナは思わず目を細めた。久しぶりに吸う外の空気は、しかし自由の香りなどしなかった。彼女が引き出されたのは、王城の広場だった。そこには、罪人を護送するための、窓に鉄格子がはめられた粗末な馬車が一台停まっている。

 そして、広場には大勢の民衆が集まっていた。

 反逆者の娘が辺境へ送られる。その噂を聞きつけ、見物にやってきたのだ。

 セレスティナが姿を現した瞬間、群衆から一斉に野次が飛んだ。

「あれがアルトマイヤーの娘だ!」

「国を裏切った売国奴め!」

 かつて、この同じ広場で、民衆は彼女に喝采を送った。銀の髪をなびかせ、父の隣で微笑むその姿を「アルトマイヤーの白百合」「王都の姫君」と讃え、憧れの眼差しを向けていた。

 その同じ口が、今は憎悪に満ちた言葉を吐き出している。

 彼女は俯くこともせず、ただまっすぐに前を見据えて馬車へ向かう。その無表情で気高いとさえ言える態度が、かえって群衆の神経を逆なでした。

 最初に飛んできたのは、腐った野菜だった。それが彼女の肩に当たり、汚れた汁を飛び散らせる。それを皮切りに、次々と罵声と共に何かが投げつけられ始めた。

「お前の父親のせいで、俺の息子は戦争で死んだんだ!」

「贅沢三昧しやがって!」

 泥の塊が頬を打ち、小さな石が額に当たって鈍い痛みが走った。血が流れ、囚人服を赤黒く染めていく。

 だが、セレスティナは眉一つ動かさない。痛みさえ、もはや彼女の心には届かなかった。周囲の喧騒も、自分に向けられる憎悪も、まるで分厚いガラスを隔てて聞いているかのようだ。

 群衆の中に、かつてアルトマイヤー家から施しを受けた者がいなかっただろうか。父である公爵の善政によって、救われた者がいなかっただろうか。きっといたはずだ。だが、今は誰も彼女を庇おうとはしない。彼らは皆、正義という名の熱狂に浮かされ、石を投げる側に回っている。

 人間とは、かくも愚かで、かくも残酷なものか。

 セレスティナは、その光景をただ目に焼き付けていた。

 ようやく馬車に押し込まれ、扉が閉められる。それでも、しばらくは窓の鉄格子から石や泥が投げ込まれ、罵声が降り注いだ。

 やがて、御者の鞭の音が響き、馬車がゆっくりと動き出す。王都の街並みが、遠ざかっていく。生まれ育ったこの美しい都を、彼女は二度と見ることはないだろう。

 馬車が王都の門をくぐり、辺境へと続く荒れた街道に入った頃、ようやく喧騒は完全に途絶えた。

 ガタガタと絶え間なく揺れる馬車の中、セレスティナは壁に背を預けると、そっと目を閉じた。

 もう、何も考えるのはよそう。

 何も、感じるのはよそう。

 彼女は意識を手放すように、深い眠りの中へと沈んでいった。まるで、死んだように。

 かつて「白百合」と呼ばれた令嬢の輝きは、民衆の憎悪と泥の中で完全に失われた。今はただ、罪人という名の荷物として、最果ての地へと運ばれていくだけだった。

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