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第7話 失われた言葉

last update 최신 업데이트: 2025-08-08 20:20:01

 夜明けは、冷気と共やってきた。

 廃屋の壁の隙間から吹き込む風が、セレスティナの痩せた体を容赦なく刺す。ぼろぼろの囚人服一枚では、辺境の朝の寒さは骨身に染みた。彼女はゆっくりと身を起こし、手枷の嵌められた手首に走る鈍い痛みで、自分がまだ生きていることを確認する。空腹で胃がひりつき、全身の筋肉が過酷な旅の疲労を訴えていた。しかし、彼女の心は静かな湖面のように、何の感情も映し出さなかった。ただ、今日もまた一日が始まるのだと、事実として認識するだけだった。

 しばらくすると、外から怒鳴り声と、扉を乱暴に蹴る音が聞こえてきた。

「起きろ、蛆虫ども! 作業の時間だ! さっさと広場へ出てこい!」

 昨日彼女をこの廃屋へ放り込んだ役人とは別の、痩せて神経質そうな男の声だった。セレスティナは言われるがままに立ち上がり、おぼつかない足取りで外へ出る。

 灰色の町の朝は、昨日と同じく埃っぽく、そして絶望的なほどに静かだった。彼女と同じように、あちこちのあばら家から、生気のない人々がぞろぞろと引きずり出されてくる。皆、一様に痩せこけ、その目は地面の泥以外、何も見ていないようだった。

 彼らは町の中心にある、だだっ広いだけの広場に集められた。そこに立っていたのは、数人の兵士と、彼らを監督する役人たちだった。彼らの顔には、この町の住民を見下す侮蔑と、こんな辺境にいることへの不満が隠しきれずに浮かんでいる。

「今日の作業は、西地区の瓦礫撤去だ。先の戦争で崩れたままになっている建物を片付ける。いいか、怠ける奴には鞭をくれてやるから、そのつもりで働け!」

 監督役の一人が喚き散らす。人々はそれに何の反応も示さず、ただ言われるがままに列をなし、作業場所へと歩き始めた。セレスティナもその流れの中に身を任せる。

 彼女の存在は、その陰鬱な行列の中にあって、ひどく異質だった。着ているものは他の者たちと同じように汚れ、顔や手足も泥と埃にまみれている。しかし、背筋を伸ばして歩くその姿には、どうしても育ちの良さが滲み出てしまう。だが、その美しい顔貌は能面のように無表情で、かつてすみれ色と讃えられた瞳は、今はただ虚空を映すばかり。そのアンバランスさが、周囲の好奇の目を集めていた。

 作業現場は、想像以上に悲惨な場所だった。

 かつては商家か何かだったのだろうか、無残に半壊した建物がいくつも並び、焼け焦げた梁や崩れた石壁が山をなしている。セレスティナたちの仕事は、その瓦礫を一つ一つ手で運び出し、荷車に積むことだった。

 彼女は、監督役人に突き飛ばされるようにして、一つの瓦礫の山へと追いやられた。そして、指示されるままに作業を始める。重い石を持ち上げ、運ぶ。釘の突き出た木材を、手のひらに刺さるのも構わずに片付ける。

 すぐに指先は裂け、血が滲んだ。だが、痛みは感じなかった。ただ、目の前の瓦礫を右から左へ動かすという、単純な作業を繰り返すだけ。汗が額から流れ落ち、泥と混じって頬を伝うのも気にならない。

 昼近くになり、疲労と空腹で人々の動きが鈍り始めると、監督の兵士が振り回す革鞭が空気を裂く。

「何をぐずぐずしている! 動け、この穀潰しどもが!」

 鞭が、セレスティナのすぐ隣で働いていた老人の背中を打った。老人は苦痛の声を上げてうずくまる。周囲の者は、見て見ぬふりをした。下手に同情すれば、次は自分の番だと知っているからだ。

 セレスティナも、その光景をただ見ていた。心は動かない。可哀想だとも、酷いとも思わない。それはただ、目の前で起きた一つの出来事でしかなかった。彼女は黙々と、自分の作業を続ける。

 そんな彼女の様子を、周りの者たちは気味悪げに観察していた。

「おい、見たかよ、あのお嬢様。隣でじいさんが鞭で打たれても、まばたき一つしねえ」

「ああ。働き始めてから、一言も喋ってねえだろ。気味が悪いぜ」

「貴族ってのは、俺たちとは違う生き物なのかもな。それとも、あまりのショックで頭がおかしくなじまったのか…」

 最初は、没落した貴族令嬢という物珍しさから、嘲笑や下卑た視線を向けていた者たちも、彼女の人間離れした無感動さに、次第に得体の知れないものを見るような畏怖を抱き始めていた。

 休憩時間に、一人の老婆が、おずおずとセレスティナに声をかけた。彼女は、セレスティナの母親と同じくらいの歳に見えた。

「あんた…大丈夫かい。無理しちゃいけないよ」

 老婆は、自分のなけなしの水筒を差し出そうとする。セレスティナは、その声にゆっくりと顔を向けた。そして、老婆の顔をじっと見つめる。しかし、その瞳には何の感情も映らない。彼女は何も答えず、ただ静かに首を横に振ると、また視線を地面に戻してしまった。

 老婆は、そのあまりに虚ろな瞳に怯えたように、慌ててその場を離れた。

「だめだ、ありゃ。心がどこかに行っちまってる。まるで、魂の抜け殻だ」

 その言葉を聞いた誰かが、ぽつりと言った。

「人形みたいだ。綺麗な顔した、お人形さんだ」

 その日から、セレスティナは「人形令嬢」と呼ばれるようになった。

 その呼び名は、瞬く間に労働者たちの間に広まった。それは、侮蔑でありながら、どこか彼女の存在を的確に表現しているようでもあった。

 彼女は、誰からの指示にも、ただ黙って従った。どんなに理不尽な命令でも、どんなに過酷な作業でも、文句一つ言わずにこなした。誰かに話しかけられても、言葉を返すことはない。食事を与えられれば食べ、作業が終われば廃屋に戻って眠る。まるで、ぜんまい仕掛けの人形のように、ただ言われるがままに動くだけ。自ら何かを求めたり、感じたりすることを、完全にやめてしまっていた。

 それが、この地獄で彼女が生き延びるために、無意識のうちに編み出した処世術だったのかもしれない。感情を動かせば、あまりの絶望に心が砕け散ってしまう。言葉を発すれば、悲鳴しか出てこない。だから、彼女は心を閉ざし、言葉を捨てた。

 過酷な労働の日々は、容赦なく繰り返された。

 朝、叩き起こされて瓦礫を運び、夕暮れに泥のように疲れて廃屋に戻る。食事は、日に日に粗末になっていくようだった。水で薄めたスープと、鳥の餌のような雑穀の混じった硬いパン。セレスティナはそれを、味も感じずにただ胃に流し込んだ。

 夜、廃屋の冷たい床に横たわると、一日の出来事がぼんやりと頭をよぎる。しかし、それはもはや記憶ではなく、ただの映像の断片だった。鞭の音、人々の呻き声、監督たちの怒声。そのどれもが、彼女の心を揺らすことはない。

 彼女はもう、夢も見なくなっていた。幸福だった過去も、アランの裏切りも、父の最後の顔さえも、今は厚い氷の層の下に沈んでいる。

 失われた言葉。失われた感情。失われた記憶。

 「人形令嬢」は、ただ静かに息をしながら、灰色の町で、終わりの見えない灰色の時間を過ごしていく。彼女のすみれ色の瞳の奥底に、かつて宿っていたはずの強い意志の光が、今や誰の目にも見えないほど、深く深く沈んでしまっていた。

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