LOGIN森の戦いを終えてから数時間後、エリシアたちは夜明けとともに街へ戻った。
まだ空が淡い群青に染まる頃、街の門をくぐると、人々が徹夜で瓦礫を運び出している姿が目に入る。暖かなスープの匂いが漂い、救護所ではメイドたちが包帯を交換していた。「……みんな、おつかれさま。」
エリシアが低く声をかけると、作業していた人々が振り向いて笑みを見せる。だが、その笑顔の裏には不安が潜んでいるのを彼女は見逃さなかった。カイラムは無言で剣を拭きながら、門の外を見つめている。
「あの仮面の男……あのまま帰したのは気に食わん。」「でも、あれ以上やってたら被害が出てたわ。」ユスティアが肩をすくめる。「情報を持ち帰らせてしまったことも気になるけどね。」クレインは腰を下ろし、手のひらを見つめていた。
まだ微かに震えるその指に、戦いの重さが宿っている。「……彼、最後に俺を見ていた。何か言いたそうに。」「それでも、あんたは剣を振るった。立派だったわ。」エリシアは優しく微笑むが、その胸には痛みがあった。ヴァルドが大きな手で肩を叩く。
「戦いは戦いだ。迷うのは当然だが、それを乗り越えるのもまた力だ。」「……はい。」クレインは力強くうなずく。そのとき、ネフィラが舞うような足取りでやってきた。
「街中でまた噂を聞いたわ。西門の近くで、外套を着た怪しい連中が夜な夜な動いているらしいの。」「……やっぱり、街の中にも潜んでる。」エリシアは眉をひそめ、すぐに作戦を練り始めた。「まずは夜警を増やすわ。ユスティア、結界を強化できる?」「もちろん。」集まった仲間たちの間に、決意の熱が再び生まれる。
だが同時に、誰もがまだ見えぬ脅威を感じていた。◆◆◆
夜が明けきる頃、街の広場では小さな集会が開かれていた。
焚き火を囲教室に残った“黒い線”。まるで世界そのものに刻まれた裂け目のようなその痕跡は、見るだけで魂がざわついた。王城へ戻るとすぐ、緊急会議が招集された。参加者は、いつもの面々——カイラム、ユスティア、リビア、レーン、そして私と三魂。会議室の中央には、解析用に切り取られた黒い残痕が浮かんでいた。ユスティアが震える指で魔導板をめくる。 「……この残痕、完全体の残滓とは構造が一致しません。“影”であることは確かですが……まるで、別の起源を感じます」「別の?」 私は思わず身を乗り出す。リビアは羽根を揺らしながら言った。 「空白王は消滅したはずじゃ。となれば、あれは……その“前”の影か、もしくは“別の系譜”の影かもしれぬ」「別の系譜……」カイラムが腕を組んで唸る。 「空白王以外に影を操る存在がいるということか。だとすれば危険だ」レーンは剣を磨きながら軽く返す。 「まあ、出てきたらぶっ倒すだけだろ?」「いや、今回はそう簡単じゃないよ……」 私は黒い線を見つめながら言った。 「影は……私たち三魂に“コアを返せ”って言ったの。完全体にも似てたけど……どこか違ってた」ユスティアが驚いて顔を上げる。 「三魂の“核”を……?」ユキナが小さく頷く。 『……あのこえ……すこし……しってる……』クロトは唇を噛む。 『……ボク……あのにおい……なつかしい……』ルーメは震える声で言う。 『ママ……なんか、かなしいにおい……した……』悲しい? 影から?胸がきゅっと締め付けられる。「……三魂、怖かった?」三人は同時に首を振り、手を伸ばしてくる。ユキナ『……おねえちゃんと、いっしょなら……だいじょうぶ……』 クロト『ボク……まもる……こんどは……もっと……』 ルーメ『ママ!! ルーメ、つよくなる!!』「……ありがとう」三魂は震えながらも、前を見ていた。その姿に、胸がじんわりと温かくなる。カイラムが立ち上がり、机に手を置く。「この影については改めて調査班を組む。エリシア、お前と三魂にも協力を頼むことになる」「もちろん。私たちは……逃げないよ」ユスティアは頷きながらも、少し表情を曇らせた。 「しかし……影の出現が学校というのが気になります。“偶然”とは思えません」「狙われてる……ってこと?」リビアが静かに言う。「三魂は空白王の残した“光の継承”。
三魂との慌ただしくもあたたかい生活が始まって三日後。王都はすっかり“光の三魂の噂”で持ちきりだった。そして今日、ついに——「三魂の《はじめての登校》の日です!!」ユスティアが宣言した。「えっ、登校!? 三魂が!? 学校に!?」ユスティアは胸を張って頷く。「はい! 王城付属の初等魔導学院が、三魂のために特別授業を用意しました。魂状態での知識習得、基礎魔術、社会適応訓練……どれも重要です!」「いや社会適応ってそんな……赤ちゃんみたいに扱わなくても……」リビアが羽をふわりと揺らす。「主殿よ、三魂は“存在として”は幼いぞ? いわば魂の乳児じゃ」「えっ……じゃあ学校で大丈夫……?」その瞬間、三魂が勢いよく飛び込んでくる。ユキナ『……がっこう……こわくない……?』 クロト『……ボク……べんきょう……できる……?』 ルーメ『がっこう!! ママといっしょ!? ママもいく!?』「うん、今日は私も一緒だよ」三人はぱぁぁと輝く。レーンが私の肩を叩く。 「頼んだぞエリシア。三魂は国の宝だからな!」「え、責任重い!!」カイラムは淡々と言う。 「問題があればすぐ呼べ。俺も随伴する」「学校に宰相が同行するの!? 重役すぎるよ!?」◆◆◆王城付属・初等魔導学院。文字通り“王族と特別生”のための学校だ。校庭には既に教師陣が整列していた。「エリシア様、お待ちしておりました!」「三魂の皆さま、本日はよろしくお願いします!」三魂がきゅっと私の服の裾に隠れる。ユキナ『……おねえちゃん……て、てを……』私は手を差し伸べる。「大丈夫、みんな一緒だよ」クロトも手を握り返す。 『……なら……がんばる……』ルーメは逆に元気いっぱいに飛ぶ。 『ママとがっこう!! ママとイス!! ママとベッド!!』「なんで学校にベッド!? もうやめて!?」教師が苦笑いしつつ案内を始める。「三魂の皆さまには、本日“はじめての魔力安定授業”を受けていただきます」「魔力安定?」ユスティアが説明する。「はい。三魂は半実体化が安定したばかりなので、自力での魔力制御に慣れる必要があります」「なるほど……」授業室に入ると、生徒たちがざわついた。「あれが三魂の……!」「すごい、光ってる……!」「かわいい……!」ユキナは恥ずかしそうに私の影に隠れ、クロトは無言で距
王都に戻って最初に行われたのは——祝賀でもなく、式典でもなく。「……三魂専用の“おへや”計画会議、ですか?」私は思わず聞き返した。ユスティアが、まるで国家機密を扱うような真剣な顔で頷く。「はい。三魂はエリシア様の魂と安定的に接続していますが、物理的な生活空間は別途必要です。魂格の安定、魔力循環、生活導線、安全性……あらゆる観点から“住まい”を整える必要があります」「魂の生活導線って何!?」一方、三魂はというと——ユキナ『……おへや……ひろい……?』 クロト『……ボク……ベッド……ほしい……』 ルーメ『ルーメ、キンピカのイス!! ママのベッドとなり!!』「ルーメの欲望が強いよ!? 初手で王族レベルの要求してない?」レーンがどかっと椅子に座りながら笑う。「まぁまぁ、子どもなんだし好きに言わせてやれよ。叶うかどうかは別としてな!」リビアは顎に羽根を当て、真面目に考え込んでいる。「三魂は魂従者として半実体化した。寝床ひとつとっても、魔力が循環する素材でなければ安定しないじゃろう」「そんな難しい問題なの!?」カイラムは書類をめくりながら淡々と答える。「当然だ。三魂の居住区は王城内に設置する。安全性、結界管理、生活動線、エリシアの部屋との距離——どれも重要だ」「いや、部屋との距離って……」カイラムはきっぱりと言った。「お前が三魂と離れたら不安になるだろう?」「……っ」そんなストレートな言葉を言わないでほしい。心臓に悪い。いや、嬉しいけども!!!ユキナが小さな手を上げる。『……おねえちゃんの……ちかく……がいい……』クロトも口を開く。『……ボク……エリシア……みえないと……さびしい……』ルーメは両手をぶんぶん振って叫ぶ。『ママのベッドとなり!! ちがう? ママのベッドのうえ!!』「最後の選択肢は絶対だめ!!」会議室に笑い声が広がる。ユスティアは眼鏡を押し上げながら、ものすごい勢いでメモを取っている。「三魂の希望:・エリシア様の近く・個別の寝床・金色のイス(ルーメ)……承認可能性の検討対象とします」「ユスティア、真面目にメモしなくていいよ!? 検討対象に入れないで!?」レーンはにやにやしながら言う。「でもよ、エリシア。お前の隣に三つ部屋作るって、なんか……一家だよな」「い、いっか……!」その単
廃寺からの帰路は、驚くほど静かだった。あれだけ荒れていた空白核の暴走が消えたせいか、空気そのものが軽く澄んでいる。風も、光も、世界が“ほっと息をついた”みたいに穏やかだ。三魂は私の周りをふわふわと飛び回っている。ユキナは白い布のような衣がひらめき、クロトは黒影をまとった少年の姿、ルーメは金色の羽を持つ小さな天使。三人とも、完全に“世界に存在できる魂”になったのだ。ユキナが袖を引きながら言う。 『……おねえちゃん……あれ……なに……?』視線の先には、王都の城壁。 遠くからでも見えるくらい、たくさんの人が門に並んでいた。レーンがにやりと笑う。 「そりゃあ、国を救った英雄が帰ってくるんだ。盛大に迎えてくれるさ!」「へ、英雄なんて……」リビアがため息をつく。 「事実じゃろう。主殿が世界を救ったのは確かじゃ」「いやいや、みんながいたおかげで私は……」クロトが腕にしがみつく。 『エリシア……エラい……ボク、しってる……』ルーメも胸に飛び込んでくる。 『ママ、マモッタ! ママ、ゲンキ! エラい!』「いたたた……わかった、ありがとう……!」カイラムは小さく笑い、指揮官の顔に戻る。 「行くぞ。王都が待っている」◆◆◆門が開いた瞬間——眩しい光と歓声が押し寄せてきた。「エリシア様ー!!」「お帰りなさいませ!!」「宰相様もご無事で……!」「三魂様だ!! あの光の子たちが……!」ユスティアが私を守るようにそっと腕を広げる。 「エリシア様、押し寄せられると危険ですので……!」三魂は初めての大声にびくっと震えた。ユキナは袖につかまり、『……ひと……いっぱい……』クロトは私の後ろからひょこっと顔を出し、『……コワイ……でも……エリシアと、いる……』ルーメは両手を広げて、『ワァァァ!! おっきいこえ!! わらってる!!』「ルーメは強いね?」そんなやり取りをしていると——前方から、誰よりも早く私に飛びついてきた人がいた。「エリシアぁぁぁぁ!!!」「お母様——!?」私の母は涙ぼろぼろ、髪ぐしゃぐしゃで、私を抱えてぐいっと振り回す。「もうっ……! 心配で心配で……!!」「ま、待って、三魂が落ちる落ちる……!」父も駆け寄ってきて、なぜか腰を押さえながら叫んだ。「エリシア!! 無事か!! 腰は無事!! 父も無事!! 世界も
虹色の光がゆっくりと収束していく。 四魂統合の輝きが世界樹の冠に吸い込まれ、静寂が戻りつつあった。完全体——空白王はもういない。 破壊されたのではなく、光に包まれ、魂の核そのものが“浄化”されたように感じた。ただの虚無ではなかった。あれは孤独と渇望の魂だった。……かわいそうに、と思ってしまった自分がいる。でも、終わった。「……みんな、大丈夫?」光の粒から三魂が姿を現す。ユキナはふわりと私に抱きつき、『……おねえちゃん……つかれた……でも……へいき……』クロトは息を整えながら、『エリシア……まもれた……ボク……つよくなった?』ルーメは半泣きで胸に飛び込み、『ママぁぁ……ママ……マモレタ……ルーメ……エラい……?』「もちろん! みんなすっごく強かったよ!」三人は誇らしげに光を強めた。そこへ、柔らかな声が降りてくる。「よくやったわ、エリシア」初代空白守が、世界樹の根元から歩いてくる。 その姿は最初に会ったときよりも淡く、透けていた。「初代さん……!」「あなたが四魂を“家族”として選んだから……完全体は倒せた。あなたの魂は、私よりずっと強い」胸が熱くなる。「いえ……私なんて、ただ必死で……」「いいのよ。それで。魂は誰かのために動くとき、一番強くなるの。あなたの魂は——もう“私の欠片”ではなく、完全にあなた自身のものよ」世界樹がふわりと光の花を散らす。 まるで祝福のように、四方へ輝きが舞っていく。ユキナはその光を掴もうとして跳ね、『……きれい……!』クロトは静かに眺め、『……あったかい……』ルーメはぱくっと食べようとして私に止められる。「食べ物じゃないよ!?」初代がくすりと笑う。 「さて——エリシア。あなたたち四魂は現界へ戻らなくてはならないわ」「戻る……?」初代はゆっくりとうなずく。「空白王の脅威は去ったとはいえ、世界樹のバランスが揺れている。あなたたちの光は現界に戻り、世界を安定させる“要石”にならなくてはいけない」「私たちが……要石に?」ユキナが不安そうに袖を掴む。 『……おねえちゃんと……はなれる……?』クロトも眉を寄せる。 『エリシア……ひとり……イヤ……』ルーメは首を振りながら泣きかける。 『ママ……ママと……ずっと……いっしょ……!!』初代は優しく笑って三人に手を差し伸べた。
世界樹の冠——その最奥へ向かって走り出した瞬間、足元の光景が一変した。さっきまで暖かかった光の大地は姿を消し、代わりに広がったのは透き通った“枝の道”。一本一本が光の線で描かれ、まるで夜空に浮かぶ蜘蛛の巣のように繊細で……なのに、そこを走れるほど確かな存在感を持っていた。ユキナ、クロト、ルーメの三人も、私の隣を軽やかに走っている。ユキナは白い花びらのような光を舞わせ、 クロトは靴底に影を宿して大地をつくり、 ルーメは金色の羽をきらきら輝かせながら進む。三人とも、もう“魂の欠片”ではない。——魂として成長している。私がそう思った瞬間、胸の奥が共鳴した。“……統合は、すでに始まっている……”誰の声でもない。 でも確かに、魂の奥から湧き上がる感覚だった。「みんな……準備はいい?」ユキナ『……うん。おねえちゃん、いるから……だいじょうぶ』クロト『エリシア……まもる。だから……まえ、いく』ルーメ『ママ! いっしょにいく!!』胸が熱くなる。 私は小さく微笑んで、世界樹の最頂へ続く一本の太い光の枝に足を踏み出した。その瞬間——空が裂けた。◆◆◆『————エリシアァァァ…………』声が、世界樹全体を揺らした。 光の枝葉がざわざわと震え、揺れ、根まで響く振動が伝わってくる。三魂が即座に反応した。ユキナ『……きた……!』 クロト『……アイツ……クル……!』 ルーメ『ママ……マモル!!』私は奥歯を噛みしめ、空を睨む。「空白完全体……!」光の天蓋が砕け、黒い“影とも虚無ともつかない塊”がゆっくりと顔を出した。だが——その姿は、先ほど廃寺で現れた「巨大な異形」ではなかった。もっと“形”がはっきりしている。 もっと“人”に近い。 もっと……“こちらを理解しながら狙っている”。細い輪郭。 揺れる黒銀の髪。 瞳の奥には底なしの虚無。まるで人間の姿を模したような……“空白王”。ユスティアたちが残った廃寺から叫び声を上げているのが、遠くの風に乗って微かに聞こえた。「エリシア様!! 意識を切らさないで!!」 「完全体の気配が強まりすぎです!!」 「影の防御が保たん!!」……大丈夫。 彼らの声は届いている。でも、ここはもう“別の層”。 魂の冠。 世界樹の最上階。魂の本質だけが戦える場所。完全体はゆっくりと手を伸ばした。『……カエレ……カ