まぁ、わたしが学園で攫われたからなんですが。
え? 護衛の癖にあっさりと攫われるなよって? いやごもっともなんですが。
でもね? 最近アン様への襲撃がホント酷くて……。女学院の警備に公爵家の護衛を追加してもらって……と色々対策しても収まらない襲撃。
わたし自身が護衛だとはまだバレてないけど、それ以外の護衛については公爵様の方からアン様に伝えてもらった。本人に狙われてる自覚がある方が、いざって時に違ってくるしね。 それに……命を狙われること自体は正直今までもあったらしい。 それは『王太子の花嫁候補』って言うだけじゃなく、対外的には女性であるアン様を拉致して、身代金や公爵様の立場を危うくしようと動く者達の仕業だったりとか……。公爵様への逆恨みとかまぁ色々。 高位貴族の宿命だよ、とはティボー公爵様の弁だけど、誰だって命を脅かされるのはストレスだ。なので、今回襲撃が頻繁に行われたことによって、アン様が精神的に少々参ってしまっても仕方なくて……。
それはアン様のお心が弱いとかでは決してなくて。 ……どんどん元気のなくなっていくアン様を見ていると……わたしもなんだか苦しくて。なのでっ!
ティボー公爵様にもご許可を取って、こちらから打って出ることにしたのだ。 証拠がないとか、隣国との関係が…とかそんなの、顔色の悪いアン様を前にしたら吹っ飛ぶというものだ。 アラン様モードの時も、普段の傍若無人な態度(世間でアレは俺様系というそうな)は鳴りを潜め、なんだか静か過ぎて……わたしの調子も狂うしね。いっちょ本気出しますよっ!
……と思った矢先にわたしが襲われたので、これ幸いと攫われてみたわけです。 恐らくわたしが拉致された事は公爵家の護衛の方も直ぐに気づくでしょうし、そしたら現場を抑えて言い逃れのできない状「ちょっとっ!! 公爵家の騎士達が大挙して押し寄せてきてるじゃないっ! ちゃんと手紙に一人で来るように書いたんでしょうねっ?!」 扉の外がにわかに騒がしくなった。 金切り声を上げているのは隣国の王女サマだろう。「一人で来なかったら、人質の命はないとも書いたのよねっ!? え? 田舎令嬢の一人や二人の命より、公爵家を脅迫した犯人を捕まえることを重要視した? ですてぇぇぇぇ!?」 ……でしょうね。 普通に考えて、自分より爵位の低い人間の命より、自らの家の矜持の方が大事だ。 冷たいとか、人の命に代えられないだろうという意見もあるだろうが、貴族は高位になればなるほど、矜持を穢されるというのは不名誉だ。 ていうか、絶対王女サマだって同じような立場になったら、同じように自分の矜持を傷つけたからって怒りそうなお人柄よね? 今までの態度を鑑みるに。 それに……。 そこまで考えて、一つ頭(かぶり)を振る。 太ももにくくり付けておいた短剣を構えて、コトに備える。 ていうか、身体検査も何もしなかったなぁ……。 田舎令嬢として甘く見られたのか、そもそもそこまで考える頭がなかったのか。 考えても仕方ないかと、じっと扉に集中する。 すっと耳を澄ませば、壁の向こうから剣戟の音と、何かが争う音が聞こえてきた。「え?! もう来たの?! 早くないかしら?! えぇ? わたくしが尾行されていた?! 気づいていたならどうして伝えないの?! ちょ……どこに行くの?! え? もう飽きたから帰るっ!? ちょっ!! どういうこと?! わたくしがこの国の王妃になるのを手伝ってくれるって……?! え……?」 仲間割れ? というか、王女サマの話し相手って……だれ?「ちょっと! 待ちなさいっ!! ちょ…
「何よなによなんなのよっ!! 自分が手を貸すから、絶対上手くいくって言ってたのに!! どうしてこうなるのっ!? おかしいでしょう!! おかしいじゃないっ!! わたくしはこの国の王太子に輿入れして、いずれ王妃になる人間よっ! さっさとわたくしを解放なさいっ!! この無礼者がっ!! ねぇ……痛いの……痛いのよ……離してくださらない? 腕が痛いわ? 床に押さえ付けられて苦しいの。 ねぇ……離して? 離しなさいっ! 無礼者っ! わたくしを誰だと思っているの?! 王族よ? 高貴な人間なのよ?! わたくしをこんな床に這いつくばらせるなんて、許されると思っているの?! 今すぐわたくしを離しなさいっ! そして自害なさいっ! それだけの事を貴方達はしているのですっ! 高貴なわたくしを跪かせたことを後悔しながら、死になさいっ!!」 公爵家の護衛に床へと押し付けられた王女サマが金切り声で叫ぶ。 言っている事は滅茶苦茶だし、激高したかと思えば、急にしおらしくなり、再び激高するという、情緒の乱高下が凄い。 ……これが、アレに関わった結果だというのなら、『厄介な隣人』はその名の通りの存在なのだろう。「……なんだコレは……? 狂ってるのか?」 綺麗な縦ロールだった金髪を振り乱して、ドレスが乱れるのも躊躇せず、自らを抑えつけている護衛から逃れようと、ジタバタと身体を動かす王女サマを見て、アラン様が呆れたように零した。 その声にピクリと反応した王女サマが顔を上げて、その視界にアラン様を映した。「まぁ! まぁ! 王太子様! わたくしを助けに来てくださいましたのね?! どうぞどうぞお早くっ! わたくしをこの無礼者たちから解放してくださいっ!」 暴れたせいでぐちゃぐちゃに乱れた髪とか、涙と汗で滅茶苦茶になったお化粧とか。 確
「うぁぁぁぁぁぁ!!! なによなによなによっ!! なんでそんなタヌンが王太子様の花嫁になるのよっ!! 許せないっ! 許せるわけがないわっ!! なんなのなんなのなんなのっ?! 上手くいくっていったじゃないっ!! どうしてあの女はここにいないの?! おかしいおかしいおかしい!! 全部わたくしの思い通りにならないなんてっ!! おかしいのよぉぉぉぉ!!!」「くっ! なんだこの力はっ?!」 慌てて再捕縛しようとした護衛達が、王女サマの腕の一振りで吹き飛ばされる。「なっ?!」 その異様な光景に、わたしを庇うように背に隠すアラン様。 ……守られるなんて経験がないので、ちょっとキュンとしたのは秘密だ。「おかしいおかしいおかしい゙ぃ!! お゙かじい゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙!!!」 え……こわぁ……。 真っ赤な唇が、耳元まで裂けたように見える。 同じくらい真っ赤な舌が、大きく裂けた口元からにょろりと覗く。 凶器かな? と思うくらい伸びて尖った爪をそういう武器のように構えて、狂気に染まった碧眼を炯々と光らせて…… アラン様に迫る王女サマ。 だからわたしは……。「っ?! レアっ?!」 アラン様の前に出て、鋭く尖った爪を、相手の手首を掴んで止め……切れない?! なんて力なのっ!? 力で押し負けそうになって、慌てて横に流す形にすれば、勢いだけで突っ込んできていた王女サマがぐらりと前に体勢を崩す。 前のめりに倒れる勢いのまま、無防備なお腹へ向けて、膝蹴りを放つ。「ぐげっ!」 高貴なお姫様らしからぬ呻き声をあげて、王女サマの身体がどさりと床に倒れ……壊れた操り人形のようにぴょんと立ち上がった。……その動きは既に人間の可動域を超えている。 そして、くる
「……何か言い訳はあるか?」 ティボー公爵家の豪奢なタウンハウスの一室。 足を高々と組んで、我が家には絶対になさそうな豪奢な椅子にふんぞり返って座るロベール・アラン・ティボー・ル・ロワ様。 というかそんなに足を高く組まれると、スカートの中が見えて……あ、今日はご令息のお姿なので大丈夫ですね。はい。 そして、一応わたしも令嬢なんで、椅子の前……と言うか、下で正座するのはできれば止めたいのですが? って、この状況、既視感ありますね?「……いったいなんのことか、わかりかねますが?」 だらだらと冷や汗を流しながら、つぃぃっと目の前の御仁から目を逸らす。 ……ガシリと女性にしてはしっかりとした、男性らしい指先がわたしの顎を掴む。 そのまま正面を向かされ、視界一杯に広がったのは……。 綺麗な紅眼に不機嫌な色を乗せ、これまた不機嫌そうに歪んだ、アラン様のお顔だった。 ……こんなお顔をさせる為に、頑張った訳じゃないんだけどな? チクリと胸を刺す痛みは何処から来るのか……。 顎を掴まれたまま、立ち上がるよう促されて、そのまま流れるようにアラン様のお膝の上に横座り……ってなんで?! 距離感おかしくないですか?!「距離感おかしくないですか?!」「……問題ない。婚約者同士のふれあいだからな」 スパンと断言するアラン様。 って、そのお話、まだ納得していないんですが?!「……いいのか? お前が俺の婚約者だったから……今回の件、お咎めなしになったんだけどなぁ」 不本意が顔に出ていたのだろう。 アラン様がそのお美しい顔を意地悪気にニヤニヤさせて、わたしの
そんなことをつらつら考えていると、到着したのは王太子殿下の私室だった。 私室といっても寝室とか本当に私的なお部屋ではなく、機密性の強い内容を話し合ったりする特別なお部屋の一つだ。 部屋の中へ入ると、そこには既に先客がいた。 国王陛下と、ティボー公爵様、普段は王太子殿下の護衛についているわたしの次兄も部屋の隅にいて、油断なく気配を探っている。 その視線がちらりとわたしを見て、一度逸れて……勢いよく戻された。それはお手本のような二度見だった。 まぁ、わたし血まみれだしね。しょうがない。本来であればこのような姿で陛下の前に出るのはどうかと思うが、緊急時だからご堪忍いただこう。「おぉ! レリアーヌ! 無事だったとは聞いているが、本当に怪我はないのか?」 開口一番、陛下がわたしに声を掛ける。 その様にアラン様がぎょっとしている気配がした。「……我が国の太陽にご挨拶申し上げます」 そう言って淑女の礼をとる。摘まんだスカートは血まみれだけどねっ!「よいよい。私と其方の仲ではないか。この場では堅苦しい態度は不要だ」「いや、どんな仲ですか!」 アラン様が思わずといった感じで叫ぶ。でも確かに……どんな仲なのかわたしも伺っていいですか? 陛下。 だけど今はそれどころじゃない。報告が先だ。「国王陛下にご報告申し上げます。此度の案件……『厄介な隣人』が関わっておりました」 礼をとったままそう告げると、しぃんと部屋の中が静まり返った。 はっ…と誰かが息を吐く音と、ごくりと誰かが嚥下する音が、静まり返った部屋に響く。「……それは……誠か?」「……はい。バタンテールの名にかけて。 関わった者達のご遺体を検めていただければ……それは確かかと」「『厄介な隣人』?
「さて、今回の件、レリアーヌから『厄介な隣人』が黒幕であるとの事だが……」「はい。間違いございません。姿は確認できませんでしたが、あの特徴的な笑い声が聞こえてきましたので。 それに例え姿を見ていたとしても、『厄介な隣人』にとって姿は何の確証を与えるものではありません。 更には隣国の王女殿下の変容、あれは『厄介な隣人』が手を貸した結果だと思われます。 ……さすがに、普通の人間ではあのような変容を与える事など出来ますまい。 そして王女殿下に付き従っていた人間の有様から鑑みるに、あの状態は『厄介な隣人』が手を貸した代償として生気を奪っていった結果だと思われます」 そう、随分と昔からその存在が語り継がれている『厄介な隣人』は、不思議な力を持つと言われている人外だ。 享楽主義で人々を混乱の渦に巻き込む為だけに、理不尽にその不思議な力をふるうという、文字通り『厄介な隣人』なのだ。 その姿は、現れた時々によって全然異なっていて、本人かどうかは見た目で判断するのは難しい。 ただ、その特徴的な笑い方と、銀の瞳の色だけが『厄介な隣人』を見分けると、我が一族には伝わっている。 そもそも我が一族がこの国の配下にくだった理由も、『厄介な隣人』の存在が大きいと言われている。 それだけ『厄介』な存在なのだ。 そんな愉快犯のような存在が、何故今回隣国の王女サマを唆してアン様を狙ってきたのか……?「そうか……」 沈痛な面持ちで陛下が深く椅子に背を預ける。「……ここ何年かは静かなものだったのですがね」 ぽつりとティボー公爵様も呟く。 「……隣国の王女の変容は……それほど酷いものなのか?」 陛下に問われるも、一瞬だけ答えを躊躇する。 耳元まで裂けた口、野生動物の鉤爪のように変容した手、わたしがかどわかされた直後に王女サマが誇ってい
「レリアーヌ、其方にも苦労を掛けたな。まさかこんな形で其方の力を借りることになるとは……」「……発言を」 わたしの言葉に、こくりと陛下が頷かれる。「皆様は、わたくしをアン・ティボー公爵令嬢様の護衛に付けた段階で、『厄介な隣人』の介入を想定されていたのですか?」 わたしの言葉に、複雑そうな顔をする陛下と公爵様。 何となく何かを察しているらしいアラン様は、不機嫌な様子を隠さずに、むすりとした表情を浮かべている。「……いや、なんといえばいいのか……。『厄災』とティボー公爵令息の間には、今回の件以外にもちょっとあってな。 それもあって、レリアーヌにアンの護衛を頼んだのだ。 ついでに、レリアーヌとアランの相性を見て、いずれは二人を婚約者にと……。 女学院の中で互いの為人を知っていけばと思っていてな」 十八になれば、アンはアランに戻るしな、と陛下。 て、突然話が飛躍したな? アラン様の女装は成人までってこと? そりゃまぁ、アラン様はティボー公爵家の嫡男だし、いずれは女装をやめなきゃならない日が来るんだろうけど……。 それよりも……。 「わたくしが……公爵令息様の婚約者……ですか?」 いや、無理だろう。田舎令嬢には荷が重い。「……嫌なのか?」 何やらじっとりとした視線が隣から向けられた。「嫌というか……難しいのでは? 「何故だっ?!」 いや何故って……」 粗忽な田舎者ですし? 地味で目立たないですし? むしろ女装したアラン(アン)様の方がよっぽどお綺麗ですし?「本当は、俺の妃にしようと思ってたんだけどなぁ」「「はぁっ?!
で、結局どうなったかというと。 隣国の王女サマのご遺体と、その仲間達のご遺体……と呼べるかどうかの物を持って、我らが王太子殿下が隣国へと乗り込んだらしい。 最初は溺愛していた|王女《むすめ》を無残に殺された国王が大激怒して、わたしの身柄は隣国へと引渡され、我が一族も全員死罪、隣国との開戦待ったなしだったらしいが……。 王女サマのご遺体からも見て取れる変容が、仲間達の人の手ではとても行えない無残な遺体の様子が、全て『厄災』の手をとったからだと明らかになった瞬間、風向きは変わった。 ……それだけどの国でも『厄災』は禁忌とされていて、その嫌悪感は根強い。 だからこそ、『厄災』の手をとるような愚かな王女を育てたと隣国の王は、自分の息子でもある隣国の王太子に糾弾され、あっという間にその座を追われ、王女の生母でもある側妃、というか向こうの国でも側室制度はないそうだから、非公認の愛妾共々、離宮へと追放されたらしい。 そして、空座になった玉座を継いだ隣国の王太子は、むしろ我が国に謝辞の意を表明し、わたしは『厄災』の手下と化した|異母妹《おうじょ》を退けた勇気ある者として讃えてくれたそうな。……て、そこまで言わせるって、あの王女サマはお異母兄様に嫌われ過ぎじゃないか? いったい何をしでかしてたのだろう? まぁ、深くは知りたくないけど。 それを満面の笑みで教えてくれた我が国の王太子殿下は、その時ついでに~と、とんでもない事を教えてくれた。 曰く、今までは内定という形で公にされていなかっただけの、ティポー公爵令息ロベール・アラン・ティボー・ル・ロワと、バタンテール辺境伯令嬢レリアーヌ・バタンテールの婚約を広く公にすると。 なんでも、隣国に留学しているティボー公爵令息様は、ティポー公爵令嬢であるアン様がそのお命を狙われていると知って、心配のあまり一時帰国されていたそうで。 で、その際にたまたま、たまたま? アン様と仲が良い、婚約者候補でもあったバタンテール辺境伯令嬢が、妹御の代わりに攫われた事を知ったそうな。
「ティボー様ぁ!」 うん。あんなことがあったにも関わらずアン様に声をかけてくる胆力は認めたいと思う。 そんなことを考えてしまうのは、この前アン様を激怒させた伯爵令嬢が何の躊躇もなくアン様にお声をかけたからだ。 若干アン様も驚いている気配がした。「……何か用かしら?」 アン様が僅かに首を傾げる。 その瞳には当惑が浮かんでいた。「あ、あの! わたくし! わたくしを! アン様のお兄様であらせられるアラン様の婚約者に推挙していただけませんでしょうか?!」「……は?」 アン様の機嫌が氷点下まで冷え切った。「……兄には……婚約者がいるのだけど?」 冷たい声がいつもの回廊に響く。 ていうか、いつも何かが起きる時はここだな。この場所、なんか呪われてない? アン様の背後で油断なく周囲を見渡しながら、頭の片隅でそんなことをぼんやり考えていると、どんどん二人のご令嬢の話は不穏な方向へ進んでいく。 いや、正確に言うとご令嬢は喜色も顕わに話しかけてるのだが、その内容がどんどんアン様を不機嫌にさせていくのだ。「でもアン様の不興を買ったバタンテールの田舎者など直ぐに婚約破棄されるでしょう! なので、その後わたくしの事をお選びいただきたいのです! あの田舎娘の後釜というのは些か業腹ですが、アラン様の妻になれるのであれば些細なことでございますわ!」 くるくると踊り出しそうなほど機嫌のよい伯爵令嬢に、僅かな違和感を抱く。 半歩だけ前に出て、警戒を強める。 周囲に視線を走らせても、他の気配はない。……もちろん黒い怪鳥の気配も。「……あなた、何を言っているかわかっているの?」「もちろんですわぁ! アン様を義妹とお呼びできる日を楽しみにしておりますわぁ!」 そう言ってアン様に抱きつこうとするご令嬢。 って、何考えてるの?!
「……よろしかったのですか?」 まだ僅かに怒りの気配を纏っているアン様の背中に声をかける。 寮へと向かう回廊は、レリアーヌが以前先程のご令嬢と相対したところであり、黒い鳥の接触を受けたところでもあった。「なぁに? 護衛が口を出すの?」 未だ冷たさを帯びた声が石造りの回廊に響く。「……いえ、出過ぎた真似をいたしました」 レオハルトとしてアン様の背中に視線を送る。 だけど。 心の中では感情が嵐のように吹き荒れていた。 そこまでバタンテールを理解(わか)っているなら……! そこまでバタンテールを理解(わか)っているのに……! なぜ! レリアーヌ(わたし)を遠ざけられたのですか!『厄介な隣人』と渡り合える唯一の存在、それがバタンテールだというのに! だけど……アン様のお気持ちもわからなくはない。 それだけ……『厄介な隣人』に関わった人間の末路に恐怖したのだろう。 『厄介な隣人』と関わった結果の隣国王女の成れの果てを。彼女によって『厄介な隣人』の生贄に差し出された人間の末路を。 アレに自身が狙われる恐怖ではなく、アレに関わったことによって巻き込まれる人間がどうなるかということに恐怖した。 だからレリアーヌ(わたし)を遠ざけた。 あのご令嬢のような考えをする人間は、アン様がレリアーヌを見限ったと考える人間は多いだろう。 それがアレン様とレリアーヌの婚約にどう影響するか考えなかったわけではないのだろう。 だけど、それを差し引いたとしても、レリアーヌを遠ざけたかった。 『厄介な隣人』に近づけたくなかった。危険から引き離したかった。 そのお気持ちは……嬉しいけれど……。「アラン様は……優しすぎます」「え? レオハルト? 何か言ったかしら?」 くるりと振り返ったアン様からは、先程までの怒気は消えていた。 だけど少しの諦念と寂し気な雰囲気は消えていない。 だからこそ……わたしはわたしのできることをして
「まぁまぁまぁ! とうとうあの身の程知らずな小娘を断罪なさいましたのねっ! ティボー様に付き纏うなんてなんて罪深いのでしょう! 女学院にも来ていないとか……! 今更どんな顔で貴族社会に顔を出せるというのでしょうねぇ!!」 アン様の行き先を塞いで、きゃあきゃあと騒ぐ女生徒は、相変わらずのあの伯爵家のご令嬢だった。「……レアが、女学院に来ていない……?」 アン様……。足を止められたのを疑問に思ってましたが、引っかかったのはそちらでしたか。「そうですわぁ! あの身の程知らず! 恥ずかしくてお顔を出せないのではないのでしょうかぁ~! まったくそれもこれもティボー様に付き纏うからですわぁ~!! そろそろティボー公爵令息様とのご婚約も破棄されるのではないのでしょうか~?」 ざまぁみさらせと高笑いするご令嬢に、冷たいアン様の声が冷や水を浴びせた。「それはないわね。わた……アランお兄様はレアを可愛がってますもの。手放すワケがありませんわ。 そもそもなぜわたくしが、可愛いレアを断罪などしなければならないの? 何度も言うようだけど、わたくしがレアに側にいてほしいと望んだのよ?」 そこまで言うなら何故遠ざけたのか……と声を大にして言いたいが、現状アン様の護衛騎士レオハルトとしてこの場にいるので、口を開くわけにはいかない。「そ、そうはおっしゃいましてもぉ! 現にあの身の程知らずはティボー様のお隣にいらっしゃらないじゃないですのっ! 何か粗相をしてティボー様に見限られたと噂になっておりますわぁ!!」 伯爵令嬢の言葉に、アン様が僅かに舌打ちした。 まぁ、令嬢のいうこともさもありなんだけど。 あれだけアン様と行動を共にしていたレリアーヌ(わたし)の姿が急に見えなくなったのだ。 周囲から見ればレリアーヌ(わたし)が何らかの不敬を買ったのだろうと思われてもおかしくない。 ちらりとアン様に視線を投げれば、ものすごく顔を歪めている。 こほんと注意を促せば、その表情(かお)もあっという間に淑女の完璧な笑みに覆われていった。「そう……。そんな事実はないのだけ
「本日より護衛の任をたまわりましたレオハルトと申します。どうぞよろしくお願いいたします」 美しい銀の髪を艶やかに輝かせ、紅玉のような瞳を瞬かせた美しい佳人の前で騎士の礼をとる。「……貴方が……護衛ですの?」 さらりと銀の髪を揺らし、アン様が首を傾げた。「はい。お父君であるティボー公爵様より女学院にいる間の護衛を申し付かっております」 下を向いたまま、声色を変えそう答えると、さらりと制服を揺らしながら僅かに動揺したアン様の声が聞こえてきた。「あの……貴方殿方よね? 女学院にいる間ということは寮にはついてこないのよね?」「いいえ。寮でもお供させていただきます」「女性しか入れないはずなのだけど?」「……公爵様より女学院にお伝えいただき、例外として認められております。お休みの際には寝室の扉の前で待機させていただきます」 普通の護衛騎士ならあり得ない対応だろう。 異性を女学院の寮に、それどころか貴族令嬢の私室にまで入れて待機させるのは。 だけど今回ばかりは例外だ。 色々と。そう色々と。 「……そう。部屋にも入るの……」 当惑したような、そしてちょっぴり嫌そうなアン様の声が頭上に落ちてきた。 そりゃそうだ。 アン様は今まで私室ではアラン様に戻ったり結構自由にされていた。 わたしが同室の間も、早々にバレたこともあって男の格好に戻ったりしていて自由だった。 それが今日からは寝室以外はアン様の姿でいなければならなくなったのだ。 それはちょっぴり窮屈なことだろう。 ……ふんだ。わたしを遠ざけるからですよ。 そう、女装には男装を。 という訳で、わたしは今男装して騎士の姿でアン様の前に姿を現していた。 動きやすいよう改良を重ねたシークレットブーツのおかげで、今のわたしの目線はアン様と変わらない。 ミルクティー色の髪は黒髪のカツラに収め、我が家に伝わる変装術を駆使しているので、近くで見てもレオハルト
「僕たちティボー家の初代はね、この国の初代国王の弟だったんだ。 黒目紅眼の美しい顔の持ち主だったらしくてね。数多の女性が彼の心を射止めようと必死になったらしいよ。 だけど彼が選んだのは……美しい銀の髪をした女性だったらしい。女性の方も王弟を想っていて……。 二人は相思相愛の夫婦になって、兄王から公爵位を賜った。それが我がティボー家の始まりだね」 そこで言葉を切ったティボー公爵が、すっかり冷めてしまったお茶を一口含む。 それに倣ってわたしもお茶に口を付ける。さっきまでアン様のお部屋で飲んでいたお茶と同じ味がした。「で、子宝にも恵まれ穏やかな日々を送ってた訳なんだが、ある日二人の息子が『厄災』に目をつけられたことによって彼の人生は嵐に揺られる小舟のように落ち着かない日々に代わってしまったんだよ。 彼の息子は、初代によく似た黒髪と紅眼の持ち主だったらしい。黒が好きな『厄災』は息子を手に入れようとありとあらゆる手段を講じてきたそうだ」 ティボー公爵様の話を聞きながら、首をかしげる。 だって黒髪が好きなだけなら、父親である初代ティボー公爵様でもよかったはずだ。 敢えて息子に目を付けた意味が……あるのだろうか? わたしの疑問に気づいたのだろう。 ティボー公爵が苦笑いを浮かべた。「……『厄災』はね、成人前の少年が好きなんだ」 その時のわたしの心情を察して欲しい。 |我が家《バタンテール》に伝わる内容だけでも『厄介な隣人』は非常に厄介だった。 自らの愉しみだけに他人の不幸を招くどころか引き起こす、文字通りの存在だ。 それが……。 稚児趣味とかっ! 本当に厄介だなっ!!「ははっ! 気持ちはわかるよ。君たちが一番『厄災』に煩わされてきたんだからね。 まぁ、話を戻すと、初代が『厄災』に狙われなかったのは、年が行き過ぎていたから。『厄災』は『黒をその身に持つ未成年の男児』、特に我が血族に固執していてね。 だから......代々我が家では、黒い色を持つ男児が生まれた場合、成人まで女装をさせるようになった
「……という訳で護衛をクビになったんですが……」 ここはティボー公爵家の一室。 目の前のテーブルにはさっき食べ損ねた美味しそうなお菓子の数々。 だけど、さっきとは違う場所、違う人物が目の前にいらっしゃるので気軽に手を出せない。くぅ!「ははっ! 僕は君をクビにした覚えはないかなぁ?」 面白そうに笑うのはティボー公爵様。アン様の……アラン様のお父君であり、わたしの依頼主だ。「はい。わたしもご依頼主様から解任を命じられた覚えはございません。 ただ、護衛対象者が明確に拒否を示されましたので、こちらとしても別の手を考えるしか……」 ふむと思案の表情になってみると、未だ笑いを含んだままティボー公爵様がわたしに訊ねた。「だいたい何を言ってあの子を怒らせたんだい? 見た感じウチの息子の方が君を離さないよう必死だろう?」 田舎令嬢一人捕まえるために、公爵令息様が必死にならないでください。 さて、そんな公爵令息様、いや令嬢様か? を怒らせた原因ねぇ。……一つしかないけど。「ティボー公爵令嬢様の周囲に最近黒い怪鳥が出没しております」 単刀直入にそう告げれば、未だ笑っていたティボー公爵様が硬直した。「それは……」「はい。恐らく『厄介な隣人』が関わっているかと……」 わたしの言葉にティボー公爵様の纏う雰囲気が重くなる。 その反応に……やっぱり……という気持ちが浮かぶ。 それと同時にズキリとした胸の痛みとむかむかした気持ちが湧いてきた。「……そうか。それで彼女は君を遠ざけたということか……」「はい」 ふむ、と顎に指をあて、思案する公爵様。 チラリとわたしを見て目を伏せ、すごい勢いでわたしを再度見た。 この前王宮で見たお兄様の二度見に負けず劣らずの、お手本のような二度見だった。「あのね……?」「はい」「もしかしてなんだけど……」「はい」「レリアーヌちゃん、君……滅茶苦茶怒ってる?」
「もう、貴女は不要よ。同じ部屋にいるのも不愉快だわ。この場から去りなさい。レリアーヌ・バタンテール」 高貴なご令嬢らしく、扇で口元を隠し、特徴的なロアを冠する由来でもある紅い瞳を曇らせたアン様がそう告げた相手は……わたしだった。「……突然どうしました?」 何か悪いものでも食べました? と呟きながらテーブルの上を見やる。 そこにはこのお部屋では恒例となっているアン様が公爵家から持ってきた美味しいお菓子と、わたしがせっせと淹れたお茶が並んでいた。 そう、この恒例の小さなお茶会を始めるまではアン様はいつも通りだった。 いつも通りわたしを揶揄って、わたしの淹れたお茶をわかりにくく褒めてくれて、そして……。 突っかかってくるご令嬢と一緒にいた時に遭遇した黒い怪鳥の話をしたんだ。 そしたらこの有様である。 さすがに急転直下過ぎて訳が……わからなくもないけどさぁ。「どうもしてないわ。わたくしも気づいたの。貴女をわたくしの側に置くのは相応しくないって」「はぁ……」「だから......。もうこの部屋は出て行って。寮母には別の部屋を用意させるわ。 だからもう……二度とわたくしに近づかないで」「……本気ですか?」 真っすぐにアン様の紅眼を見つめる。 一瞬揺れた瞳は確固たる意志を持ってわたしを見返してきた。「あたりまえじゃない」「理由をお伺いしても?」「……理由なんてないわ。ただ……貴女を側に置くことは止めたの」 内なる感情を抑え込んでいることが明らかにわかる、僅かに震えた声でそう告げるアン様の方が……傷ついてるのに。「……さようでございますか」 わたしの返事に、アン様の瞳がぐらりと揺れる。 だけどそれを無理やりに押し込む。扇を掴んでいる手が僅かに震えているのに気付けるのは……鍛錬を重ねて動体視力を鍛えてきた成果だろう。「……そうよ」「畏まりました。……今までお世話になりました」 そう言ってアン様の
「あらぁ~。物の分からぬ田舎令嬢のくせにどういう汚い手を使ったのか公爵令息様のご婚約者になったバタンテール様じゃないですのぉ~」 全ての授業が終わり、後は寮に帰るだけだと女学院の回廊を歩いていたら、いつものご令嬢にいつもの如く絡まれた。 この人も暇だなぁ。相変わらず。 確か伯爵家のご令嬢で、アラン様の婚約者の座を狙ってたから現在婚約者無し。 アラン様が隣国への留学から帰ってくるのを今か今かと待っていたのに、気づいたら『田舎令嬢』と見下していたわたしがアラン様の婚約者に収まってしまって、憤懣やるかたないのだろう。 だからって、顔を合わせたら絡んでくるのやめてくれないかな? 地味に時間をとられて鬱陶しいし、どうもわたしに絡むためにあえて探してるみたいなんだよね。 その情熱、別の事に向けたらいいことあるよ! ……なぁんてわたしが言ったら恐らく手が付けられない程になるだろうから言わないけど。 「はぁ。そうですね」「っ! 相変わらず凡庸ね! なんであなたみたいのがアラン様の御婚約者に選ばれたのかわからないわっ! 何かあくどい手を使って公爵家を脅してるの?! だったらそろそろ手を引きなさないな。取り返しのつかないことになるわよ!」 ……是非ともどう取り返しがつかなくなるのか教えてほしい。 そしてティボー公爵家を脅せるあくどい方法って、相当あくどいですけど、こんな小娘に使えると思います? むしろ脅されてるのわたしでは? ティボー公爵令嬢(アン)様の護衛だったはずなのに、いつの間にか令息(アラン)様の婚約者になっていて……。 いえ、そのおかげで隣国の王族を手に掛けたことが不問になったので、それはそれで助かったんですが。 というか、アン様? ちょっかい掛けてくる人間は粗方対処したとかおっしゃってませんでしたっけ? このお方残ってますけど? ……まぁ、消えていった方々と比べて、この方はわたしに直接突っかかってくるだけなので、あまり危険性はないですけど。 だから見逃されてるのかも?「ちょっと! 聞いて
「黒い鳥……?」 わたしが淹れた薫り高い紅茶を一口含んで満足げに息を吐くアラン様。 ふふん。そうでしょうそうでしょう。今日のは特に美味しく淹れられたと思うんですよね!「うまくなったなぁ。……最初はどうなることかと思ったが……」 ……さすがアラン様、持ち上げてから落としてきますね。 もう一口紅茶を飲んだアラン様が、音を立てずソーサーへとカップを戻す。 流れるようなその美しい動きに見惚れていると、アラン様の紅い瞳がまっすぐわたしを射抜いた。「その……黒い鳥とやらはどこで見たんだ?」「この寮の裏庭ですよ。ちょっとした雑木林のある」 そういうとちょっとだけアラン様が訝し気な表情になった。「そんな場所に何用だ? お前を呼び出して文句をつけるような相手は粗方潰したと思ったんだが……」「物騒なことおっしゃらないでください。朝の鍛錬ですよ鍛錬」 お前の方が物騒じゃないかとおっしゃりますけどねぇ。日々の鍛錬は必要なんですよ。わたし貴女様の護衛ですし? ……そういえば、隣国の件が片付いてアン様が狙われることがなくなったからお役御免では? いやでもティボー公爵(ご依頼主)様から引き上げるような指示も来てないな? だったら指示が来るまでお役目を全うするのみ。「そこで……? 黒い鳥を見たというのか? だいたいなんでそんなその鳥が気になるんだ?」「うーん? なんでですかねぇ? 多分あの鳥普通の鳥じゃなかったからですかねぇ」 お皿の上に品よく盛った焼き菓子に手を伸ばす。 白と黒の二色を組み合わせたクッキーに歯を入れると、さくりとほどけ口の中にバターの芳醇な香りと小麦粉の香ばしい香りが広がった。 さすが公爵家のお菓子! 上品なお味ですね! このお味に慣れてしまって、もう普通のお菓子じゃ物足りなくなっちゃうのでは? ……アラン様と結婚したら、ティボー公爵家に住むことになるから毎日食べられるな? ……いやいやいやいや、お菓子の為に公爵家に嫁入りするのは田舎令嬢には荷が重いわ