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第2話

Autor: 萌木しい
冬弥の声は低く、雪よりもひんやりとしていた。どこか人を寄せつけない響きがある。

「……帰るところだったの」瑞希はうつむき、そう答えた。

彼は瑞希がやって来た方向に目を向けた。

表情からは何を考えているのか読み取れない。それがかえって、瑞希には気まずかった。

冬弥は京介の親友だ。自分が車を走らせていた方向が若葉苑とは逆だったことも、京介がこの何年も好き勝手に遊び回っていたことも、当然知っているだろう。

自分は今や、あの仲間内で噂話のネタにされ、笑いものになっていた。

「修理代がわかったら、明細を送って。こっちから振り込むから」

京介と関わりのある人間と、これ以上一緒にいたくなかった。

冬弥はぶつかった二台の車に目をやった。それからふと視線を落とし、瑞希の目元に気づいた。長いまつげの下、泣いた跡がまだ残っている。

そのまま視線を下げると、彼女の左手が目に入った。薬指には、もう何もはまっていなかった。

「助手席に乗って」

冬弥はそっけなく言った。

瑞希が戸惑っている間に、彼はさっさと彼女の車の運転席に乗り込み、秘書にベントレーを運転していくよう指示した。

秘書は、このあと大事な取引先との会食が控えていると言いかけた。だが、冬弥の有無を言わせない顔つきを見て、黙って従うことにした。

冬弥は、車の外に立ったままの瑞希に目を向けた。

「乗って。送るから」

「ありがとう。でも、必要ないわ」

瑞希は彼に車から降りるよう促した。けれど冬弥は、聞く耳を持たなかった。

「そんな状態で運転できるのか?またベントレーかフェラーリにでもぶつけるつもりか?」

「……」

風雪にさらされ、瑞希の鼻先は赤くなっていた。彼女は腹立たしげに冬弥を睨んだ。

こんなに顔がいいのに、どうして平気でそんなひどいことが言えるのだろう。

だが、彼の言葉はそれで終わらなかった。

そう思ったのも束の間、冬弥はさらに冷たい一言を放った。「乗らないなら、俺がこのまま行くぞ」

「ちょっと、これ私の車なんだけど!」瑞希は思わず声を荒らげた。

「だから、乗れって言ってるんだ」

「……」

結局、瑞希は自分の車の助手席に乗り込んだ。

住所を伝えると、冬弥は「わかった」とだけ答えた。ナビを設定することもなく、長い指でハンドルを握り、黙ったまま車を走らせた。

瑞希のマンションに着くまで、二人は一言も口をきかなかった。

やがて車がマンションの前に着き、瑞希がシートベルトを外して降りようとすると、冬弥がちらりと彼女を見た。「何か忘れてないか?」

冬弥に言われ、瑞希は不思議そうに振り返った。

「修理代」冬弥が言った。

もちろん、払うつもりはある。ただ、言われてみれば、まだ彼の連絡先を知らなかった。瑞希はスマホを取り出した。「QRコードを読み取って、連絡先を交換してもいい?修理代の明細はあとで送ってくれればいいから」

冬弥は特に断ることもなく、彼女と連絡先を交換した。

スマホをしまった瑞希は、少し迷ってから、改めて彼に向き直った。「今日は送ってくれてありがとう」

そして、もう一つ付け加えた。「この辺り、タクシーがなかなかつかまらないから、帰りは私の車を使っていいよ。明日、取りに行くわ」

冬弥は軽くうなずくと、そのまま車を走らせて去っていった。

……

その日の夜、瑞希のスマホに冬弥からメッセージが届いた。

送られてきたのは位置情報だけだった。明日、車を取りに行く場所のようだ。ほかには何も書かれていない。

瑞希は「わかったわ。ありがとう」と返信した。

それきり、返事はなかった。

送られてきた位置情報を開き、地図で調べてみると、普通に車を走らせても一時間はかかる場所だった。今日のような吹雪なら、なおさら時間がかかったはずだ。

ということは、冬弥はこの時間になって、ようやく着いたのだろうか。

三時間もかけて。

冬弥ほどの立場にいる人間にとって、時間がどれほど貴重か、瑞希もよくわかっていた。

彼女は冬弥の真っ黒なプロフィール画像を見つめ、しばらくぼんやりしていた。

実は、瑞希が冬弥と知り合ったのは、京介と出会うよりも前だった。

冬弥と京介は大学の同級生だったが、瑞希は冬弥と同じ高校、同じクラスで、一時期は隣の席に座っていたこともある。

当時の冬弥は、いつも学年トップの成績を誇っていた。高校一年生にして、数学コンテストの県大会で優勝したほどだ。

その一方で、口数が少なく、近寄りがたいほどクールで、誰とも積極的に関わろうとしなかった。隣の席にいた瑞希でさえ、まともに話した記憶はほとんどない。

それなのに、瑞希のほうは一時期、彼に夢中になっていた。

冬弥の家庭環境は、ただ「貧しい」という言葉だけでは片づけられないほど過酷だった。

父親は人を死なせた罪で服役中で、数千万円もの賠償金を抱えていた。母親は精神を病んでおり、五歳年下の弟もいた。

家族三人が食べていくためのすべてを、まだ高校生だった冬弥が背負っていたのだ。

とはいえ、学校という場所では、成績さえよければ認められる。

裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らしていた当時の瑞希には、彼が置かれた境遇の厳しさを実感することなどできなかった。

自分がなぜ彼に惹かれたのか、今となってはよくわからない。優秀な人に惹かれる性分だったのか。それとも、単に顔が好みだったのか。

ある日の放課後、瑞希は教室に残っていた冬弥に一枚のメモを渡した。【冬弥って、すごくかっこいいよね。私の彼氏になるチャンスをあげるよ。どう?】

けれど、冬弥から返事はなかった。

あの頃の白石家は、まだ破産して何億円もの借金を抱える前だった。何の苦労も知らず、怖いものなど何もないお嬢様だった彼女は、しばらくの間、かなり積極的に冬弥にアプローチしていた。

けれど、ある日、冬弥は自分から席を替えてしまった。それ以来、彼は瑞希に目を向けることさえなかった。

それをきっかけに、瑞希も冬弥とはほとんど関わらなくなった。

次に二人が顔を合わせたとき、瑞希はすでに京介の恋人になっていた。

京介が瑞希にアプローチしていた頃、冬弥に彼女の好みを尋ねたことがあったと、瑞希はあとになって京介から聞いた。そのとき京介は、冬弥のことを「俺たちが付き合うまで、いろいろ力になってくれた恩人だ」とまで言っていた。

本当かどうかは、今となってはわからない。

……

翌日、雪がやみ、ようやく晴れ間がのぞいた。

瑞希が車を受け取りに来たところで、母親の朝倉芙美(あさくら ふみ)から電話がかかってきた。週末に京介と一緒に実家へ食事に来るように、という話だった。

「お母さん、私、京介に離婚を切り出したの。これからは、家で食事するときも彼を呼ばなくていいから」

「……」芙美はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「京介が外で女を作ったから、それだけで離婚するっていうの?」

それだけ?

瑞希の胸に、かっと怒りがこみ上げた。

周囲の人間は皆、京介と結婚できた瑞希を幸運な女だと思っていた。

京介の父親は桐原市の政界で大きな影響力を持つ人物で、京介自身も莫大な資産を持っている。一方、瑞希が結婚した頃には、白石家はすでに名家としての名を残すだけの存在になっていた。

そんな瑞希を京介は何不自由ない暮らしへと迎え入れた。没落したお嬢様に、再び裕福な生活を与えてやったのだ。

金も地位も権力もある夫なのだから、瑞希は多少のことには目をつぶり、夫に合わせて生きていくべきだ、と。

「離婚はそんな簡単に決めていいことじゃないのよ。瑞希、もう少し冷静になって考えなさい。あなたももうすぐ三十歳でしょ。京介と同じくらい条件のいい人を見つけるどころか、普通の男性だって、あなたを選んでくれるとは限らないのよ。

結婚生活は、お互いに歩み寄っていくものでしょう?あなたがそんなに意地を張ってばかりいたら、京介だって疲れてしまうわ。男には男のプライドがあるんだから、あなたも少しは折れることを覚えなさい」

胸の奥に押し込めていた怒りが、今にも噴き出しそうだった。

「お母さん、私はこんなことを言われるために、離婚の話をしたんじゃない。

京介と結婚して五年間、家のことでも何でも、私はいつだって彼の気持ちや彼の利益を一番に考えてきた。彼に後ろめたいことなんて、一度だってしていない。

それなのに、京介はどうなの?私はあの人の言いなりになるために結婚したんじゃない!何度も浮気されて、そのたびに恥ずかしい思いをしてきた。それでも、もう終わりにしたいと思うことさえ許されないの?

お母さんまで、みんなと同じことを言うの?京介にお金があって、立派な家があって、権力があれば、それだけで私には十分だっていうの?私がこの五年間、家庭を大事にしてきたことも、京介のために譲ってきたことも、ずっと我慢してきたことも、全部どうでもいいっていうの!?」

瑞希は感情を抑えきれず、声を張り上げた。

けれど、芙美は少しも取り乱さなかった。そして、たった一言で瑞希を黙らせた。

「瑞希、忘れないで。京介と結婚すると決めたのは、あなた自身でしょ。誰かに無理やり結婚させられたわけじゃないのよ」

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