LOGIN七緒はぼんやりと彼女を見つめ、熱っぽい声で呟いた。「……鹿耶。お前、すげえ綺麗ッスよ……」「はぁ?何それ、クサい台詞……」鹿耶は顔を真っ赤にして文句を言ったが、それが酒のせいなのか、照れ隠しなのかは自分でも分からなかった。それから十数分後。二人は揃って泥酔状態に陥っていた。七緒はかろうじて残っていた最後の理智を振り絞り、タクシーを拾うと自分のマンションの住所を告げ、そのまま座席で気を失うように眠り込んでしまった。「お客さん、着きましたよ」運転手の声でハッと目を覚ました七緒は、隣でぐにゃりと眠りこけている鹿耶を抱え上げるようにして車を降りた。千鳥足でフラフラとしながら、なんとか彼女を自分の部屋へと運び込む。……なんだかこの状況、前にもあったッスね……あの一線を越えた夜のことがフラッシュバックし、七緒の胸の奥がドクンと鳴った。ベッドルームに辿り着き、鹿耶の華奢な体をそっとマットレスの上に下ろす。そのまま立ち去ろうと身を翻した瞬間、七緒はアルコールで狂った足元を滑らせ、ベッドの上に重く倒れ込んでしまった。「んん……」甘い吐息とともに、鹿耶の細い腕がスルリと七緒の胸板に絡みついてきた。ビクッと肩を震わせた七緒は、彼女の腕をそっと解こうとした。しかし、ベッドに下ろしたそばから、またすぐに腕が回ってくる。何度か無言の攻防を繰り返した後、七緒はついに諦めて深い溜息をついた。互いの体から、甘く熱いアルコールの香りが漂ってくる。すぐ目の前には、無防備な鹿耶の寝顔があった。七緒は胸が締め付けられるような切なさを覚え、目が痛くなるほど彼女を見つめ続けた後、ようやく限界を感じて視線を逸らした。しかし、鹿耶の寝相は決して良い方ではなかった。彼女は寝返りを打つと、七緒の体にぴったりと覆い被さるような体勢になった。彼女の頬が七緒の首筋にすり寄る。「……っ」柔らかい唇から漏れる温かな吐息が、敏感な首の皮膚を直接撫でる。そのくすぐったさと、肌越しに伝わってくる柔らかな感触に、七緒の体の中で抑え込んでいた熱い衝動が一気に発火した。もう、限界だった。プツンと理性の糸が切れた七緒は、その衝動に抗うことをやめ、鹿耶の体をきつく、壊れそうなほど強く抱きしめ返した。鹿耶もまた、その強い力に呼応するように彼
「見逃すわけないでしょう」水琴は一刀両断に切り捨てた。「でも、よく考えなさい。主犯か、それともただの従犯か……それは単なる量刑の重さだけの問題じゃないわよ。あなたがすべての罪を被って破滅するかどうかの瀬戸際なのよ」「……話すわ!」紗夜はついに白旗を揚げた。「全部話して。あとの裏付けは私が自分で調べるから」紗夜はギュッと目を閉じ、小刻みに震える肩を抱きしめながら叫んだ。「音羽琉里よ……!全部、あの女が計画したの!」「なるほど。じゃあ、雅が第一の身代わりで、第二の身代わりがあなただったってわけね」最初からこの事件は単純ではないと踏んでいたが、カマをかけてみたらあっさりとボロを出した。「……ええ、そうね。そういうことになるわ」紗夜は力なく頷いた。虚ろな目でテーブルの模様を見つめながら、まるで自分自身を嘲るようにポツリと漏らした。「雅さんも私も、結局はあの狂った女にいいように踊らされていただけ……本当に、滑稽なピエロだったってわけね」……あの日、鹿耶が顔を真っ赤にして逃げ出してからというもの、七緒はずっと深い自己嫌悪に陥っていた。突然現れた「彼氏」への嫉妬で頭に血が上り、彼女からの「私のことが好きなの?」という真剣な問いに、気の利いた答えを返すこともできず、ただ勢い任せに思いをぶつけてしまった自分。結局、彼女からの連絡は途絶えたまま。完全に嫌われてしまったのだと、鬱屈とした日々を送っていた。行き場のないモヤモヤを抱えた七緒は、ここ数日、憑かれたように『BAR TWILIGHT』に通い詰めていた。ここは、あの一線を越えてしまった夜――彼が彼女を助け出し、すべてのきっかけを作った因縁の場所だ。今夜も重い足取りでフロアへ足を踏み入れた直後、七緒はハッと息を呑んだ。薄暗い店の隅の席に、見慣れた華奢なシルエットがあったのだ。間違いない、鹿耶だ。七緒の心臓が早鐘のように鳴り始めた。彼女のテーブルにはワインボトルが置かれており、グラスにはまだほとんど手をつけていない酒が注がれている。足音に気付き、鹿耶が不思議そうに顔を上げた瞬間――七緒は無言で手を伸ばし、彼女のグラスを強引に奪い取った。「……飲むな」自分でもなぜそんな行動に出たのか分からなかった。ただ、一人で酒を飲もうとしている彼女を
水琴はこれ以上、無駄話を続ける気はなかった。手元のバッグから分厚い封筒を取り出すと、テーブル越しに紗夜の目の前へと滑らせた。「これ、見てごらんなさい」氷のように冷たい声だった。「……何よ、これ」紗夜はゴクリと生唾を飲み込んだ。かすかに震える指先で封筒の口を開け、中から数枚の写真を取り出す。それは、白妙山の防犯カメラの映像を切り取ったものだった。雅の車を運転している自分の顔が、はっきりとそこに写り込んでいる。さらに、封筒の一番底には、黒いボイスレコーダーが入っていた。嫌な予感に心臓を跳ねさせながら、紗夜はひきつった指で再生ボタンを押し込んだ。『……紗夜さんが裕也に泣きついてきたんだ。どうか助けてほしいと。裕也だけじゃない、息子のために私たち大槻家は一家総出であの女に手を貸してしまった……』『紗夜さんはまず、裕也に小林社長の車へわざと追突させた。そして病院で脳神経に異常があるという診断書をでっち上げ、小林家に非を被るよう強要した。私はこれで終わると思っていた。だが、紗夜さんの本当の標的は小林家ではなく、あなただったんだ……』『その後のことはあなたも知っての通りだ。あの日、あなたが白妙山に着いた後、紗夜さんもやって来た。彼女はずっとバスルームに潜んで、一部始終を聞き耳立てていたんだ……』スピーカーから流れ出したのは、威厳に満ちつつも、どこか苦渋の滲む掠れ声――大槻茂の証言だった。あの日の出来事が、まるで昨日のことのように生々しく暴かれていく。紗夜の顔から、さっと血の気が引いた。動揺を隠すようにアイスコーヒーのグラスに手を伸ばしたが、あまりの指の震えに、危うくグラスを取り落としそうになる。「な、何を言ってるのか全然分からないわ……!私には関係ない!こんなの、ただのデタラメよ!私を陥れるための捏造じゃない!」震える声で必死にまくしたてる。水琴はフッと冷笑を漏らした。「紗夜さん、封筒の中身をもう一度よく見てみなさいよ。証拠はその音声データだけじゃないわ。それ全部に目を通しても、まだ私の前でシラを切るつもり?」「どこでこんな偽物を拾ってきたのか知らないけど……全部嘘よ!私じゃないわ!」紗夜はガタッと音を立てて席から立ち上がった。水琴は椅子の背もたれにゆったりと寄りかかり、足掻く獲物を見下ろすよ
「雅、人にはそれぞれ愛情の表現というものがあってね……」佳乃が言い訳をしようとした瞬間、「違うわ!」雅は残された力を振り絞って母の言葉を遮った。「愛し方は変わっても、目だけは絶対に嘘をつかない!」荒い息を吐きながら、雅は再び枕に深く頭を沈めた。「お母様。私は絶対にあの女の身代わりにはならない。……もう、諦めてちょうだい」「あんたって子は……!本当に物分かりが悪いわね!」佳乃は顔を真っ赤にして激昂すると、高級バッグをひったくるように手に取り、怒り任せに病室を出て行った。遠ざかっていくヒールの音。雅は悲哀に満ちた目でその背中を見送ったが、母親が一度でも振り返ることはなかった。ひどく疲れた。生まれて初めて、彼女の心の中で一番恨むべき対象が水琴ではなくなった瞬間だった。そっと目を閉じる。胸の奥が氷のように冷たかった。お母様は変わってしまった。お兄様も変わってしまった。……「えっ?自殺?」重人からの報告を受けた水琴は、驚きのあまり目を丸くした。あの我が身を何より大切にする雅が、自ら命を絶とうとするなんて俄かには信じられなかったからだ。重人は淡々とした口調で言葉を続けた。「閉鎖病棟のスタッフに発見されて、すぐに救急搬送されたらしい。今頃、鷹司家の連中は全員病院に集まってるはずだ。――紗夜を除いてな」水琴は納得したように静かに頷いた。佳乃がどれほど「跡取り」に異常な執着を抱いているか、彼女自身が一番よく知っている。間違いなく、佳乃が雅に身代わりを強要し、絶望した彼女が死を選んだのだろう。「私たちも、急がないとね」水琴は表情を引き締めた。本来ならじっくり証拠を集める猶予があったが、雅の自殺未遂騒動が起きた今、臣や紗夜も危機感を抱き、先手を打って証拠隠滅に動く可能性が高い。残された時間は、確実に少なくなっていた。その日の午後。今後の対策を練っていた水琴の元に、差出人不明の小さな小包が届いた。不審に思いながら開けてみると、中には車のスマートキーと、短いメモが添えられていた。【白妙山に乗っていった車。鷹司家のガレージにある】送り主が誰なのか、考えるまでもなかった。つい先日、自殺未遂騒動を起こした雅だ。身内から冷酷に切り捨てられ絶望の淵を彷徨った彼女は、ついに腹を括ったのだろう。
「それにね……水琴なら、すぐに真相に辿り着くわよ。あの女、大槻裕也の線を洗えば、紗夜さんが黒幕だって証拠を掴むのは時間の問題だわ。その時、お母様はどうやってあの毒婦を庇うつもり!?」佳乃の眼差しは、さらに冷酷さを増した。「余計なことは考えなくていいの。退院したらすぐに警察へ行き、すべて自分がやったと罪を認める。それが今のあんたの義務よ」「嫌よ……ッ!絶対に、嫌……!」雅は掠れた声で叫んだ。ただでさえ衰弱しきっている体では、痛む喉からそれだけの言葉を絞り出すのが精一杯だった。――そうだ。今の彼女には、自らの命を絶つこと以外、何の決定権も残されていないのだ。実の母親からここまで追い詰められ、身代わりを強要される日が来るなど、夢にも思わなかった。「雅、これはもう決まったことなの。私と臣で話し合って決めたわ。仮に実刑判決が出たとしても、鷹司の力を使って、どんな手を使ってでも必ず刑務所から出してあげるから」佳乃の顔には、有無を言わさぬ冷酷な影が落ちていた。雅は力なく冷笑した。「お母様は……手段を選ばずに、紗夜さんを守りたいのね」「どうとでも言いなさい。とにかく、そういうことだから」雅はベッドに横たわったまま、朦朧とする頭で言葉を紡いだ。母親の氷のような言葉が、抉るように胸を突き刺す。本当に、この人たちは紗夜とあの腹の子供のためなら、肉親である私の命などどうでもいいのだ。それでも、最後に残された一縷の望みにすがりつくように、雅は口を開いた。「……お祖父様は?お祖父様はなんておっしゃってるの?」彼女の記憶の中の祖父・宗一郎は、常に厳格で公正な人だった。善悪の筋道を重んじる彼なら、いくら紗夜の子供のためとはいえ、罪のない孫娘に濡れ衣を着せるなど絶対に許さないはずだ。だが、ベッドを見下ろす佳乃の目は、雅がこれまでの人生で一度も向けられたことのない、身も凍るような冷たさを帯びていた。「雅、あんたは本当にお祖父様のことを分かっていないのね」佳乃の声は酷薄だった。「確かにあの人は、自分の気に入った人間には情けをかけるし、身内びいきもするわ。でも忘れないで。あんたも、私も、紗夜さんも……あの人にしてみれば、どうでもいい存在なのよ。あの人の目に映っているのは『鷹司の家』だけ。かろうじて、臣が跡取
二十錠近い薬を、水も飲まずに無理やり飲み込む。やがて、胃袋をドロドロに溶かされるような強烈な吐き気と激痛が雅を襲った。「あ……うっ……」口の端から白い泡がこぼれ落ちる。意識が濁っていく中で、彼女はただベッドの上でもがき苦しむことしかできなかった。痛い。ひたすら痛い。「痛い……っ」震える声は、すでに掠れて音になっていなかった。時間がゆっくりと引き伸ばされていく。薬の毒素が全身に回り、自分の体から生命力が糸を引くように抜け落ちていくのが分かった。指先から徐々に体温が失われていく感覚に、雅は生まれて初めて「死」に対する強烈な恐怖と戸惑いを覚えた。ベッドの上にぐったりと倒れ込み、呆然と天井を見つめる。どれほどの時間が経ったのか。窓の外に広がる星空が、ひどく遠くに感じられた直後、限界を超えた頭痛とともに、雅の意識は深い闇へと沈んでいった。――次に目を開けた時、彼女は真っ白な病院のベッドの上にいた。雅がゆっくりと瞬きをすると、喉が焼け付くように痛み、体からは鉛のように力が抜けきっていた。生気のない青白い顔で病室の天井を見つめていると、不意に横から視界を遮るものがあった。母親の佳乃だった。「雅……!あんた、なんて馬鹿なことをしたの!私や臣がどれだけ心配したと思ってるの!」佳乃は目を赤くして叫んだ。そのまま振り上げた手で雅の体を打ち据えようとしたが、死人のように青ざめた娘の顔を見て、ハッと空中で手を止めた。丸一日にも及ぶ懸命の救命処置を経て、雅はどうにか死の淵から引きずり戻された状態だった。酸素マスク越しの微弱な息遣いのまま、彼女は掠れた声で母を嘲笑った。「心配……?本気で言ってるの?私が死んだら、紗夜さんの身代わりがいなくなって困るからでしょ?それとも、世間体が悪くなるから……?」「雅、なんて口の利き方なの!」佳乃は不満げに眉をひそめ、冷たく言い放った。「あんたに罪を被れと言ったのは、紗夜のお腹にいる子を守るためよ。鷹司家の血を引く大切な跡取りを、刑務所の中で産ませるわけにはいかないでしょう?それにね、仮にあんたが刑務所に入ったとしても、私や臣が手を尽くして必ず出してあげるわ。今までだって、あんたが起こしたトラブルは何でも揉み消してあげたじゃない」雅は自嘲するように唇を歪めた。
水琴は足を止め、その差し出された手を見つめた。表情は凪いだまま、応じようとはしない。差し出された紗夜の手が、宙で居場所をなくし、彼女の顔から完璧な笑みがわずかに強張る。隣で、臣が割って入るように口を開いた。その声は低く、感情が読めない。「祖父が、俺たちのことを知った。今夜、話があるから屋敷に来いと。お前の携帯が繋がらなかったから、直接迎えに来た」「わかったわ」水琴は自分のスマートフォンに目を落とす。確かに、バッテリーが切れていた。「充電したら、すぐに向かいます」彼女はそう頷くと、付け加えた。「先に行っていて」その言葉は、あなたたちと行動を共にするつもりはない、という明確な拒絶だ
そして、呆然と立ち尽くす雅を視界の端に留めながら、スーツケースのハンドルを握りしめると、一度も振り返ることなく、その家を後にした。鷹司家の重々しい門を抜けると、一台の真っ赤なオープンカーが目に飛び込んできた。運転席から、親友の鹿耶が身を乗り出し、サングラスを額に押し上げながら、芝居がかった投げキスをよこす。「お姫様、ご乗車を。鹿耶様が、最高の祝賀会に連れてってあげる」祝賀会とは言ったものの、離婚したばかりの水琴の心情を慮ってか、鹿耶が連れて行ってくれたのは、落ち着いたジャズが流れる隠れ家のようなミュージックバーだった。離婚の経緯を話すと、鹿耶は呆れ返ったようにグラスを置いた。「また
書斎の外から漏れ聞こえてくる会話に、水琴は静かに目を伏せた。鷹司家に嫁いでからの日々が、脳裏をよぎる。姑である佳乃にも、義妹である雅にも、自分なりに心を尽くしてきたつもりだった。雅が事故に遭い手術を受けた時、何日も病院に泊まり込み、甲斐甲斐しく付き添ったのも自分だ。佳乃に対しては、常に敬意を払い、その言葉には注意深く耳を傾けてきた。けれど、どれだけ尽くしても、あの人たちの心を変えることはできなかったのだ。すべては、無意味だった。ふと、スマートフォンの着信が静寂を破る。小林鹿耶(こばやし かや)からだった。電話口から聞こえてくるのは、少し気だるげな親友の声。「ミコト、本当
「サインを」頭上から、冷たく低い声が響いた。目の前に突きつけられたのは、一枚の離婚届。静沢水琴(しずさわ みこと)はわずかに目を見張り、黙って鷹司臣(たかつかさ じん)を見上げると、乾いた笑みを浮かべた。ああ、そういうことだったのね。どうりで今朝、珍しく電話をかけてきたわけだ。今夜は帰る、話がある、と。一日中、胸を躍らせていたというのに、彼が伝えたかったこととは、これだったなんて……三年に及んだ結婚生活も、これで終わり。水琴は無言で離婚届を受け取ると、その紙を握る手にぐっと力が入る。しばし黙り込んだ後、掠れた声で尋ねた。「……どうしても、離婚しなきゃだめ?」臣はわず