LOGIN紗音はぱぁっと顔を輝かせ、感謝のまなざしを向けた。「琉里お姉ちゃん!本当にいいの?」「ええ、もちろんよ」「ねえねえ、じゃあ後で少しだけ外に出てもいい?すぐに戻ってくるって約束するから!ここ数日ずっとお祖父様に閉じ込められてて、もう息が詰まりそうで死んじゃいそうなの!」両手を合わせて懇願する紗音に、琉里は仕方ないといった様子で優しく頷いた。「分かったわ。でも、必ず早めに戻ってくるのよ?」「うん!ありがとう、琉里お姉ちゃん!」それから三十分後。紗音は、A大学の心理相談室の前に立っていた。幸いなことに、今の時間帯に予約の患者は入っていないようだ。ドアを開けるなり、彼女は水琴の胸へと真っ直ぐに飛び込んだ。「水琴お姉ちゃーん!ずっと会えなくて、すっごく寂しかったよぉ!お姉ちゃんもわたしのこと会いたかった?」「紗音ちゃん……もちろん、私も会いたかったわ。でも、あなたからの連絡がずっと途絶えていたから」水琴は愛おしそうに彼女の背中を撫でた。「お祖父様がね、わたしをずっと家に軟禁してたの。だから連絡もできなくて……」唇を尖らせて不満をこぼす紗音を促し、水琴はソファに座らせた。「最近の調子はどう?怖い夢は見なかった?」専門家としての優しい目で問いかけると、紗音はフルフルと首を横に振った。「ううん、悪夢は見てないよ。でもね……最近、ちょっと不思議な夢をよく見るの」「不思議な夢?」「あのね……水琴お姉ちゃんと一緒に遊園地に行ったりするの。それから……私、お姉ちゃんと兄様が……」そこまで言って、紗音は急に恥ずかしそうに頬を赤らめた。「私と灼也が、どうしたの?」水琴が不思議そうに首を傾げると、紗音はくるりと背中を向け、もじもじしながら小さな声で答えた。「その……お姉ちゃんと兄様が、チュッてしてるところ……」「えっ……!?」予想だにしない言葉に、水琴の顔も一気にカッと熱くなった。まさかそんなストレートに言われるとは思っていなかったのだ。しかし、照れくささを必死に抑え込みながら、水琴の脳内では凄まじいスピードで思考が回転し始めていた。この夢……やっぱり何か意味がある。先日、灼也に催眠をかけた際、彼の深層心理が描いていたのは「私とのデート」だった。そして今、紗音ちゃんの夢の中では
焦りから、声のトーンが次第に高くなっていく。だが、どんなに言葉を尽くして追い詰めても、灼也は固く口を閉ざしたままだった。シーツを握りしめる両手は震え、関節が真っ白になるほど力が込められている。「答えてよ……っ!」冷静なカウンセラーとしての仮面はとうに剥がれ落ちていた。水琴は半ば狂気を孕んだように耳元に顔を近づけ、同じ問いを何度も何度も浴びせかける。張り詰めた空気が限界に達しようとしたその瞬間――灼也がハッと息を呑み、勢いよく目を見開いた。「……ッ、何もない!!」充血した瞳が虚空を睨み、獣のような低い咆哮が部屋に響き渡った。荒い呼吸を繰り返す彼を見て、水琴はハッとして身を引き、強引に元の冷静さを取り戻した。決定的な答えこそ引き出せなかったものの、彼女の中にはすでに一つの確信が生まれていた。たぶん、私と彼は……ずっと前から知り合いだったんだわ。臣と結婚するよりも、もっとずっと前から。それなのに、どうして自分はその記憶だけを都合よく失っているのだろうか。「灼也」水琴は感情の読めない虚ろな瞳で彼を見つめ、静かに口を開いた。「私たち……昔から、知り合いだったの?」自分の無意識が重要な手がかりを漏らしてしまったことを悟ったのだろう。灼也は何も答えず、ただ無言で首を横に振った。「どうして……どうして答えてくれないの?」水琴の悲痛な問いかけにも、彼は重い沈黙を貫くばかりだ。これ以上問い詰めても無駄なんだわ。水琴は痛いほど理解していた。私が想像していることは、きっとすべて真実なのだ。彼はただ、私に知られたくないだけ。私が記憶を失っているという事実以外にも、もっと恐ろしい、到底受け入れられないような『何か』を彼が隠し持っていることは間違いない。それでも、引き下がるわけにはいかなかった。「ねえ、お願いだから教えて!私――」水琴がさらに追及しようと身を乗り出した瞬間。灼也は耐えきれないとばかりに弾かれたように立ち上がり、振り返ることなく、逃げるように部屋を飛び出していった。……高遠家の本邸。静寂に包まれた奥の座敷。紗音は最近、景正の厳命によってずっと屋敷に軟禁状態に置かれていた。縁側から差し込む暖かな陽だまりの中、景正と源蔵が碁盤を挟んでパチリ、パチリと静かに
水琴は微かに目を伏せた。ニュースで見た、琉里と親しげに寄り添う彼の姿が脳裏をちらついて胸が痛むのか、自分でももう分からなかった。「みーちゃん、俺は治ってなんかない。……君がまだ俺を許してくれていないのに、どうして治るはずがある?」自嘲気味に笑う灼也の言葉に、水琴は自分の指先を見つめながら、努めて平坦な声を出した。「それなら、今日はどんなご相談でしょうか。また失恋ですか?」灼也はソファの背もたれに深く体重を預け、目を閉じた。「ああ、失恋だ。俺の好きな人が、今は俺と口も利いてくれない。……俺は、どうすればいい?」甘えるような、けれど切実なその問いに、水琴は小さく瞬きをして強引に話題を変えた。「……土地の件は、ありがとう。琉里さんに怪しまれたり、責められたりはしなかった?」灼也はゆっくりと首を横に振る。「あの女は、仮に腹を立てていたとしても絶対に表には出さない」空港で再会したばかりの頃は、まだ互いを探り合う余裕もあった。だが今は違う。向かい合ってビジネスの会話をしていても、常に一枚の見えない壁が隔てているような薄気味悪さがある。何より、あの女の顔を見るたびに、灼也の脳裏には水琴が受けた数々の凄惨な仕打ちがフラッシュバックして吐き気がするのだ。最近、灼也は毎晩のように酷い悪夢にうなされていた。廃工場のような薄暗い場所で、水琴が血だまりの中に倒れている。必死に駆け寄って抱きしめようとするのに、冷たく分厚い壁に遮られて触れることすらできない。耳をつんざくような、絶望に満ちた悲痛な叫び声。背筋が凍るようなその泣き叫ぶ声が、いつまでも脳裏にこびりついて離れないのだ。「高遠さん。それでは、治療を始めましょう」水琴はかすかに微笑み、デスクの裏から歩み出た。灼也のそばに立つと、彼がよりリラックスできるようにリクライニングチェアの背もたれを倒す。そして屈み込み、耳元でひときわ甘く、穏やかな声で囁き始めた。「力を抜いて、何も考えないで……ゆっくりと、全身の緊張を解いていきます。頭の中をからっぽにして……だんだんと、眠くなってきますよ。まるで、長い距離を走り終えた直後のように、心地よい疲労感と深い眠気が……」水琴の静かな声に誘導され、灼也はゆっくりと長いまつ毛を伏せた。全身からすっかり力が抜け、
今すぐあいつらを破滅させてやりたい。だが、今の彼女は完全に自由を奪われている。どこへ行こうと常に看護師たちの監視の目が光っており、息をすることすら窮屈で恐ろしい毎日だ。ふと、またあの言葉が脳裏にフラッシュバックした。忘れようとすればするほど、呪いのように耳の奥で反響し、脳髄を掻き回す。「――少しはこの家のために貢献してちょうだい」「――紗夜さんのお腹には、臣の子がいるの。鷹司家にとって、たった一つの希望なのよ」......家、家、家!跡取り、跡取り!雅は手元のプラスチックの箸を、折れんばかりの力で握りしめた。面会室で母親と完全に決裂したあの日から、佳乃は一度もこの病院に足を運んでいない。臣だって同じだ。きっとあの母親は、とうの昔に自分という娘の存在を頭から消し去ってしまったのだろう。兄はもう、あの頃の優しい兄じゃない。母はもう、私を愛してくれた母じゃない。「……ふふっ」乾いた笑いが、雅の唇からこぼれ落ちた。どれだけあの二人が私を切り捨てて、あの偽善者の腹ボテ女を守ろうと必死に足掻いたところで、全部無駄なのだ。だって、水琴はすでにすべての決定的な証拠を握り、警察に提出しているのだから。紗夜の手首に冷たい手錠がかけられ、この地獄へと引きずり降ろされる日は――もう、すぐそこまで来ている。……オークションが終わり、大きな嵐が過ぎ去ってから数日が経った。予想に反して、水琴の周囲は奇妙なほどの静けさを保っていた。おかしいわね……オークションで琉里をあれだけ見事にコケにしたのだ。プライドの高い彼女のことだから、なりふり構わず狂ったように報復してくるだろうと警戒していたのに、音羽側からは何の動きもない。その静けさの理由を、水琴はすぐに知ることになる。「――本日、音羽グループの音羽琉里氏と高遠家の御曹司・高遠灼也氏が、半月島の視察に同行しました。両家は今後、共同で大規模なリゾート開発を推し進める見通しで……」パソコンの画面から流れるニュース映像には、無数のフラッシュを浴びながらメディアに囲まれる灼也と琉里の姿が映し出されていた。画面の中の琉里は、この上なく幸せそうな、とろけるような笑みを浮かべている。彼女はこれ見よがしに灼也の腕に身を寄せ、小鳥のように愛らしく寄り添っていた
紗夜の言葉は自責の念に溢れ、その顔はシーツと同じくらい蒼白だった。涙に濡れた痛々しい姿を見た瞬間――臣の胸の奥で、冷酷に徹しようとしていたはずの決意が脆くも崩れ去った。彼女は妊娠しているんだぞ……こんなに弱り切って、必死に謝っているじゃないか。かつての愛した女性の面影が重なり、どうしようもない甘さが顔を出す。彼は無意識のうちにベッドの縁に腰掛け、すっかり毒気を抜かれたように声を和らげた。「……もう泣かないでくれ、紗夜。俺は君を嫌いになったりしない。……俺が悪かった」その甘く優しい声を聞いた瞬間、紗夜は弾かれたように臣の胸に飛び込み、すがりつくように強く抱きしめた。彼の体温から、残された最後の温もりを貪るように。怖い……っ。もしこのまま刑務所に送られ、前科者になってしまったら。そうなれば、臣はもう二度と自分を愛してはくれないのではないか。その恐怖が、紗夜の心をどす黒く塗り潰していた。その時、病室の外から騒がしい足音と怒鳴り声が聞こえてきた。臣は慌てて紗夜の背中を支え、起き上がるのを手伝う。紗夜も急いで目元の涙を拭った。バンッと乱暴にドアが開けられ、血相を変えた月城雅彦と裕子がなだれ込んでくる。裕子は真っ直ぐベッドに駆け寄ると、邪魔だと言わんばかりに臣を力強く突き飛ばした。「紗夜!ああ、可哀想な私の娘!身重の妻を刑務所に放り込もうとするなんて、あんたの夫は血も涙もないのかしら!」裕子は紗夜を抱きしめながら、親の仇を見るような目で臣をキッと睨みつけた。続いて、雅彦が鉄のように冷たい顔で佳乃に向き直る。「佳乃さん。これは一体どういうことか、説明していただけますかな?なぜ健康だった私の娘が、突然腹痛を訴えて病院に運び込まれたのか。そして……入り口に張り付いているあの警察官どもは何の真似です?」佳乃がバツの悪そうな顔をして言葉に詰まっているのを見て、臣がすかさず間に入った。「お義父さん、お義母さん。警察が鷹司家までやって来て、逮捕状を突きつけてきたんです。容疑は……教唆および実行。これは重罪です」「お母さん、違うの!私、本当に何もやってない!」紗夜は裕子の手を必死に握りしめ、首を横に振った。「誰かを唆して犯罪を犯させるなんて、そんなことするわけないじゃない!本当に私じゃないの!」
二人がそんな話をしていると、個室のドアが開き、七緒と鹿耶が戻ってきた。二人の顔は揃ってほんのりと赤く上気している。「あら?」水琴は意味ありげな視線を二人へと向けた。「どうしたの、その顔。何かあった?」七緒はもう誤魔化すつもりはないのか、鹿耶の手をぎゅっと握りしめたまま、少し照れくさそうに宣言した。「水琴さん。オレと鹿耶、付き合うことになったッス!」「付き合うって……いくらなんでも展開が早すぎない?」水琴は目を丸くしてからかった。部屋を出てからまだ三十分も経っていないのに、一体どんな魔法を使えば急に恋人同士になるというのだろう。冗談めかして笑いながらも、水琴の瞳の奥には微かな懸念が過っていた。鹿耶はとても純粋で、真っ直ぐな子だ。対する七緒とは、こうして何度か顔を合わせているものの、彼の過去や本当の素性まで深く知っているわけではない。彼女がまた傷つくようなことにならないか、どうしても心配してしまう。鹿耶は恥ずかしそうにもじもじしながら水琴の隣に座ると、大人しく先ほどの薬膳スープの器を手に取り、口に運ぼうとした。「あっ、ダメッスよ」すかさず七緒がその手を止める。「もうすっかり冷めちゃってるッス。今、オレが新しいのを熱々で作ってくるから、ちょっと待ってて」そう言って、七緒は器を取り上げると、嬉しそうに足早に部屋を出て行った。残された鹿耶は水琴の方を向き、照れ隠しのようにえへへと笑った。「実はね、さっき……」――三十分前。休憩室で七緒に退路を塞がれた鹿耶は、ポツリポツリと本音をこぼした。「……何が怖いんだよ」問い詰められた彼女は、首を横に振って叫ぶように言ったのだ。「だって!もしあんたのこと好きになっても、あんたがあたしのこと好きじゃなかったら、あたしすっごく惨めじゃん!だから、念のために距離を置こうと思って……っ」その言葉を聞いた瞬間、七緒は肩の力を抜いて、ふきだすように笑い声を上げた。「ばーか」彼は大きな手で鹿耶の頭をぽんぽんと撫で、いつものおどけた調子ではなく、甘く低い声で囁いた。「それなら、オレと付き合ってみるか?」その言葉に、鹿耶はまるで魔法にかけられたように、コクンと頷いてしまったのだという。隣で幸せそうに先ほどの出来事を語る親友の横顔を見つめな
「サインを」頭上から、冷たく低い声が響いた。目の前に突きつけられたのは、一枚の離婚届。静沢水琴(しずさわ みこと)はわずかに目を見張り、黙って鷹司臣(たかつかさ じん)を見上げると、乾いた笑みを浮かべた。ああ、そういうことだったのね。どうりで今朝、珍しく電話をかけてきたわけだ。今夜は帰る、話がある、と。一日中、胸を躍らせていたというのに、彼が伝えたかったこととは、これだったなんて……三年に及んだ結婚生活も、これで終わり。水琴は無言で離婚届を受け取ると、その紙を握る手にぐっと力が入る。しばし黙り込んだ後、掠れた声で尋ねた。「……どうしても、離婚しなきゃだめ?」臣はわず
水琴の睫毛が、微かに震えた。もし臣と出逢わなければ、自分は今頃、心理士として歩んでいたはずだ。だが、数年の空白がある。専門知識に錆びつきはない自信があるものの、本当にあの頃のように、自分が最も得意とした場所へ戻れるのだろうか。蓮見は、彼女の心の揺らぎを見透かしたように、穏やかな声で語りかける。「焦る必要はないさ。だが、もし君にその気があるのなら、この老いぼれも喜んで力を貸そう」「先生……ありがとうございます」胸の奥が、じんわりと温かくなる。結婚してからの三年間、一度も顔を見せられなかったというのに、恩師はずっと自分を気にかけてくれていたのだ。水琴は蓮見の体調を気遣い、し
宗一郎は湯呑みをトン、と乱暴に置く。その視線は遠くを見つめ、声には悲しみが滲んでいた。「あの子が嫁いでから、お前の母親はあれほど彼女に冷たく当たっておきながら、自分の体調が悪い時は、医者の手配から何から、毎回あの子を顎で使っていたではないか。雅が我儘を言ってはその尻拭いをさせられ、財布代わりにされて。……お前が夜更けに帰るたび、夕食を温め直して待っていたのは誰だ。あの女のせいで胃を壊したお前のため、慣れぬ手つきでスープを作り、手に大きな火傷までこしらえて……!」宗一郎は、深く息をついた。「あの子の父親が亡くなり、小林家に身を寄せていた時でさえ、あの子は誰かにあそこまで尽くしたことなどなかっ
臣が呆然としていると、温かい手がそっと彼の手を握った。隣に座る紗夜が、心配そうに顔を覗き込んでいる。「臣さん、どうしたの?胃の調子でも悪いのかしら。スープでもいただく?」臣は力なく首を横に振った。水琴は宗一郎に笑顔で応えると、臣と紗夜のやり取りなどまるで存在しないかのように、静かに椅子を引いて腰を下ろした。その傍らで宗一郎が、見せつけるような二人の親密さに、侮蔑を込めてフンと鼻を鳴らした。鷹司家の食卓は、食事中の私語を許さない厳格な家風がある。水琴に食欲などあるはずもなく、ただ宗一郎の手前、仕方なく箸をつけただけだった。やがて食事が終わると、宗一郎が水琴を引き留めた。「臣と







