LOGIN初めて知ったが、隣人は二十代前半ぐらいに見える青年だった。少々肌寒くなってきた時期のため、トレーナーの上からやたら大きなカーディガンを羽織ってはいるが、痩せた体つきなのが見て取れる。無駄に長身の啓太郎ほどでないにしても、身長はあるようだ。
不揃いに伸びた髪が動くたびに揺れ、その拍子に隠れた顔が露わになる。ドキリとするほど、きれいな顔立ちをしていた。不健康に顔色は青白いが、だからこそ、繊細な目鼻立ちが映えて見える。青年は不機嫌そうに唇を曲げ、ドアにぶつかりながらなんとか箱を一つ部屋に運び入れる。このとき啓太郎と目が合ったが、青年は露骨に顔を背け、作業を続ける。
都会での生活なんてこんなものだと思いながら、啓太郎が自分の部屋に向かおうとしたとき、重々しい音がする。見ると、青年が発泡スチロールの箱を足元に落としたところだった。蓋が外れて中が見えたが、ぎっしりと食品が詰まっている。
青年は落ち着いた動作で屈み、蓋を閉め直してから、また苦労して箱を持ち上げようとしていたが、頼りない足取りに見ていられなくなる。啓太郎は持っていたアタッシェケースを置いてから、青年に歩み寄った。「手伝おうか?」
パッと顔を上げた青年が、不審そうに啓太郎を見る。長い前髪の間から、涼しげな切れ長の目が覗いており、改めて、青年の顔立ちのよさに感嘆させられる。これで服装さえきちんとしていれば、モデルだと名乗られても信じるかもしれない。
啓太郎はそんなことを考えながら、できるだけ感じのいい笑顔を浮かべ続ける。
「俺、隣の部屋に住んでるんだ。だから怪しい者じゃない」
自分の部屋を指さして見せたが、信じているのかいないのか、青年の表情が変わることはない。
啓太郎は、自分の外見が他人に不快さや警戒心を与えるものではないと把握している。
ほどほどにハンサムで気安い雰囲気を漂わせ、これに穏やかな笑顔を付け加えると、さらに好感度が増す。これでも大学時代は女の子たちにもてたのだ。 あの頃が、人生のピークだった――。 思わずそんなことを考えた次の瞬間には、猛烈な空しさが啓太郎に押し寄せてくる。人目がなければ、ひっそりと涙を流していたかもしれない。青年がじっと見つめているのに気づき、啓太郎は我に返る。慌てて他の箱を持ち上げた。見た目よりずっと重い。だが、足元がふらつくほどではない。
「玄関に置けばいいかな」
言いながら、青年が開けているドアに身を滑り込ませて玄関に入る。
2DKのマンションで、一部屋ずつが比較的広い造りとなっているので、二人で住んでも窮屈さはさほど感じないはずだが、玄関にある靴は、今青年が履いているスニーカーだけだ。どうやら一人暮らしらしい。妙な仲間意識を感じつつ、啓太郎は箱を置き、次の箱も手にする。あっという間にすべての箱を玄関に運び込んだが、箱の中身がすべて食料だとすれば一体何食分なのだろうかと、つい余計なことまで考えてしまう。
玄関に立ち尽くしていた啓太郎だが、青年から非難がましい視線を向けられ、急いで玄関から出る。
「それじゃあ」
軽く片手を上げると、青年から浅く会釈で返された。
**** 息を呑んでモニターに見入っていた面々の口から、低い感嘆の声が洩れる。それは啓太郎も同じで、緊張のためさきほどから痛んでいた胃が、やっと苦しみから解放してくれた。「……問題なし、でいいよな?」 誰ともなく尋ねると、数人の男たちが揃って素直に頷く。啓太郎は深々と息を吐き出した。「検索プログラムのテストは、これで終了、と」 言い終わると同時に、拍手と雄叫びが上がる。年内いっぱいはかかるだろうと、絶望的観測がされていた検索プログラムのテストが、なんとクリスマス・イブの夕方に終わったのだ。しかも、無事に。 もちろん、すべての仕事がこれで終わったわけではない。カットオーバーまで、まだやるべき仕事はあるのだ。 だが間が悪いことにというべきか、よかったというべきか、よりによってクリスマス・イブの日に、プロジェクトの一つの山場を問題なく越えてしまった。 普通の人間なら――今日という日を楽しみたいと切望していた人間なら、この瞬間に仕事に対するモチベーションが下がっても誰も責めないはずだ。少なくとも啓太郎は、帰る人間を暖かい眼差しで見送ってやりたい。 ぐったりとして自分のデスクについた啓太郎は、ズキズキと痛むこめかみを揉む。次の作業に取りかからないと、と思うものの、さすがに一息つきたい。 先にメシを食いに行こうかと考えていたところで、ふいに頭上から声をかけられる。「あれっ、羽岡さんは帰らないの?」 「俺には、クリスマス・イブを楽しむ相手もいないからな。それに、暇な奴同士、飲みに行けるほど元気も持て余してない。おとなしく仕事をしていたほうが建設的だ。街の空気に中てられなくて済む」 「そうは言っても、心当たりぐらいあるんじゃない? 今のこの時間ならまだ、プレゼントを十分調達できるだろうし」 啓太郎は顔を上げて、ニヤニヤと笑っている男性社員を見上げる。「はあ?」 「何事も、サプライズが大事ってこと。いつも残業ばかりの彼氏が、突然プレゼントを手に現れたら、彼女は大喜び」 だから、そんなものはいない――、と口中で呟いた啓太郎だが、およそ一週間前、裕貴と交わした電話のやり取りが急に思い出される。あれ以来、裕貴から連絡はない。 きっと、自分の態度に怒ったか、傷ついたのだ。そう考えるたびに啓太郎の胸はキリキリと痛む。 裕貴が何か言ってくるま
「兄さん、か。お前もそう思っているか?」 啓太郎が怒っていると口調から感じたらしく、電話の向こうで必死な声で裕貴が言う。『兄さんみたいだとかそうじゃないとか、関係ないよっ。あの人の言葉なんて、啓太郎が気にする必要ない』 「でも、誰よりもお前を知っている人だ」 『それは、そうだけど……。兄さんと啓太郎は違うよ』 困惑したような裕貴の声に息苦しくなり、啓太郎は無意識のうちにネクタイの結び目に指をかけていた。会社でなければ緩めているところだ。「……それでお前、なんでメッセージを送ってきたんだ。俺が博人さんと会ってメシを食ったのは、聞いてわかったんだろ。いまさら俺に――」 『兄さん、啓太郎に変なこと言わなかった?』 「変なことって?」 裕貴はまた口ごもり、今にも電話を切りたそうな気配を漂わせたが、すかさず啓太郎は重ねて尋ねた。「変なことってなんだ」 『――……兄さん、おれのことになると、人が変わるんだ。昔、おれが学校でいじめられたとき、学校だけじゃなく、いじめた子の家にまで押しかけて、いじめた本人とその子の親にまで土下座させたことがある。その反対もあって、兄弟だけで生活しているのを心配して、おれに親身になってくれた近所の人を、どうしてだか遠ざけたこともある。他にいろいろあったけど、おれの知らないところでもっとあると思う」 「つまり博人さんが俺に、お前と関わるなと言ったんじゃないかと心配してるのか」 『啓太郎に嫌な想いをさせたんじゃないかって、心配で……』 嫌な想い――は、現在進行形でしている。裕貴の口から博人のことが出るたびに、啓太郎の苛立ちは沸点へと確実に近づいていく。これはもう八つ当たりではなく、明らかに裕貴へと向けた感情だ。 俺に対して、自分の兄のことを言うなと怒鳴ってやりたかった。俺はお前の兄代わりではないのだとも。できないのは、大人としての最低限の節度があるからだ。「博人さんが俺に、お前が心配しているとおりのことを言ってたとしたら、どうなんだ?」 『どうって……』 「大事なお兄さんの言うとおりにするのか?」 啓太郎の知っている裕貴なら、意地悪な問いかけに気丈に言い返してくるはずだった。だがこのときの裕貴は違う。 ひどくうろたえたように小さく声を洩らし、黙り込んだのだ。思いがけない反応に啓太郎は罪悪感を覚え、心の中で自分を
「楽しそうに見えたか?」 「見えたねー。俺のSEとしての生活には彩りがないと、いつも嘆いている人とは思えないほど、楽しそうだった」 「楽しそう、か……」 「で、可愛い彼女とのクリスマスの予定は? 無理すれば、数時間は抜けられるんじゃないの。それだけあれば、愛を確かめ合うには十分だろ」 啓太郎はスマホを握り締めて立ち上がり、できるだけ素っ気ない口調で言った。「――いらんお世話だ。そっちは、彼女に渡すプレゼントは準備したのか?」 「もちろん」 満面の笑みで答えられ、聞かなければよかったと啓太郎は心底後悔する。 少し席を外すと告げてシステム開発部を出ると、廊下の隅でスマホを見る。メッセージは思ったとおり裕貴からだった。『昨日、会社から帰ってきてた?』という短い一文から、裕貴がわざわざ送ってきた意図はわからない。 これまでのつき合いで、仕事から戻ってきても、あまりに疲れていたため裕貴の部屋に顔を出さなかったことはあるし、そのことで裕貴が連絡をしてきたことはなかった。 啓太郎の都合次第で裕貴と会うかどうかを決められるのが、『時給制の恋人』の利点なのだ。裕貴自身、その事情をよく理解しているはずだ。 何かあったのかもしれないと考えた啓太郎の脳裏を、昨日話した博人の顔が過ぎる。 また部屋に来たのだろうか――。 速やかに啓太郎は電話をかけていた。「――もしもし、裕貴か?」 応じた裕貴の声は、不安さを滲ませているかと思ったが、こちらが拍子抜けするほど、普通だった。いや、いつもより明るいぐらいだ。芝居がかっていると感じるほど。『わざわざ電話してこなくてよかったのに。仕事大丈夫?』 「ああ……。それより、お前のメッセージだ。何かあったのか」 珍しく裕貴が言いよどんだ気配が伝わってきた。『――……昨日、帰ってきたんだよね?』 「正確には、帰ったとは言わないかもしれない。マンションの駐車場に入ったが、部屋には上がらなかった。いろいろあって、時間がなくなったんだ」 ここまで話して、薄々とながら啓太郎も事態を把握した。途端に、一度は遠のきかけた嫌な感情が戻ってくる。「もしかして、博人さんから何か聞いたのか?」 『電話がかかってきた。行ってもどうせ部屋に上げてくれないだろうからって。……昨日、マンションの前で啓太郎と会って、一緒に食事しながら話
**** 博人と会って話した後、啓太郎は車を取りにマンションに戻りはしたが、結局、自分の部屋どころか、裕貴の部屋にすら立ち寄らなかった。 裕貴と顔を合わせづらかったためだが、その理由の一つとして、博人と話し込んでいたことを報告する気になれなかったというのがある。博人のことを切り出した途端、胸に抱えた嫉妬心を露わにしてしまいそうだった。 博人と話していて啓太郎の中に芽生えた感情は、嫉妬だけではない。一つの疑念がどんどん大きくなっているのだ。 その疑念とは、裕貴が抱えた寂しさを紛らわせるために、自分は利用されているのではないかということだ。 ずっと、兄に庇護されてきた裕貴が、結婚によって義姉となった女にその兄を取られたと感じ、それから二年もの間、一人で引きこもって生活してきたのなら、人恋しさは当然あるだろう。 そこに、お人よしで無害そう、兄と年齢が近い男が隣に住んでいたと知ったら――。 そこまで考えて、啓太郎はキーボードを打つのをやめ、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。「……いや、その考えはおかしいだろ……」 急に妙な言動を取り始めた啓太郎に、近くのデスクで作業をしていた年上の男性社員が怪訝そうな眼差しを向けてきた。「羽岡くん、お疲れ?」 「ここにこもっていると、疲れてない日なんて、ないと思いますけどね」 「昨日だって、せっかく家に帰ると言って出ていったのに、結局昼メシ食ってすぐに戻ってきたんだろ」 「まあ、いろいろあって……」 昨夜は会社の床の上で、寝袋に包まりながら煩悶し続けた。こんなに嫉妬や疑念で苦しい思いをするぐらいなら、博人と話したあと、裕貴と会って抱き締めるぐらいすべきだったのではないか、と。 そんなことをして何がどうなるとも思えないが、少なくとも、裕貴がどんな事情を抱えているにせよ、今こうして目の前にいる裕貴は、『時給制の恋人』を演じてくれている青年なのだと実感できたかもしれない。 よくも悪くも、それが啓太郎と裕貴の関係の現実だ。 それに、裕貴の体の感触は、もう啓太郎の腕に刻みつけられている。それも一つの現実だ。 骨ばっていながらもしなやかで、壊しそうだと思いながらも、意外にしっかりしている体の感触。その感触の記憶が、啓太郎の胸の奥でくすぶっている衝動を煽る。 寝袋ごと何度も床の上を転がったおかげで、一睡もで
「人との関わりを持ちたがらないところです。最初は人嫌いかと思ったけど、裕貴があるときこう言ったんです」 「なんと?」 「自分が外の世界と合わなくなったからだと……。世界のすべてから拒絶されたような気になるとも言ってました。妙に深い言葉です。あなたが結婚したから引きこもるようになったと言ってましたが、唯一の家族をなくしたように感じたからなんでしょうか? だから世界から拒絶された、なんて表現……」 「裕貴は、あなたにそう言ったんですね」 啓太郎は頷き、急に今になって不安になった。表現の違いはあるだろうが、裕貴は博人にも同じようなことを言っているはずだとは思う。 一方の啓太郎は、裕貴のことを知りたいがために、あえて自分の中にある数少ない裕貴の情報を博人に切り売りしているような気がする。 啓太郎の言葉を聞き、博人は静かに笑みを浮かべた。「――裕貴とわたしは、互いしかいない中で生きてきたようなものです。他人とのつき合い方が下手な裕貴にとっては、わたしの結婚は確かに、世界のすべてから拒絶されたと感じても仕方ないかもしれない。だけどわたしは結婚しても、裕貴との生活を変えるつもりはありませんでした。一緒に暮らすことに、妻の千沙子も賛成してくれていたんです」 つまりそれだけ、裕貴にとって博人の存在は欠かせないもので、側にいてもらいたいものだったのだ。 啓太郎の胸はひどく重苦しく、同時に痛かった。これはなんだろうかと思えば、博人と自分との間にある圧倒的な差を見せつけられ、打ちのめされたつらさだ。 裕貴との間にある距離感だったり、傾けられる感情の量の違いだ。肉親と他人を比べるほうが間違っているのだが、無意識のうちに啓太郎は、博人に対して対抗心を持っていたのだ。 コーヒーにミルクを注いで掻き混ぜながら、自分は裕貴の特別な存在になりたいのだろうかと、ぼんやりと啓太郎は考える。 確かに今、啓太郎の生活にとって裕貴はなくてはならない存在だ。だが、物理的な理由だけでそう感じているわけではない。「……あなたがそこまで思っているのに、そんなあなたを裕貴が避けている理由はどうしてなんです? 少なくとも、拒絶されたわけじゃない……」 ここで博人は、やけに自信に満ちた表情となって答えた。「拗ねているんですよ。裕貴は子供の頃から頑固だった。一度決めたら、わたしがどれだけ説
** 見れば見るほど、顔立ちに似たところのない兄弟だと思った。 ランチのコースを食べながら、啓太郎はときおり視線を上げては、正面に座る博人の様子を観察する。早食いが半ば癖となっている啓太郎とは違い、博人は一定のペースで淡々と食べていき、端然とした様子は崩れない。 つまりそれは、打ち解けにくい雰囲気を崩さないという言い方もできた。 パンを千切って口に押し込みながら啓太郎は視線を周囲に向ける。啓太郎のマンションから車で十五分ほど走ったところにあるレストランだった。広々としたきれいな店内に並ぶテーブルはほぼ満席で、あちこちから楽しげな話し声が聞こえてくる。 さすがに日曜日だけあって、スーツ姿で向き合っている男二人の姿は、軽く見回したぐらいでは見つけられない。「――子供の頃はよく、裕貴を連れて外食ばかりしていたんですよ」 突然、博人がこんなことを言った。目を丸くした啓太郎とは対照的に、博人は表情らしいものは浮かべていない。ただ、目元が少し優しくなったように感じたのは、啓太郎の気のせいかもしれないし、昔を思い出し、博人の気持ちが和らいでいるのかもしれない。「何か美味しいものを作ってやりたくても、わたしはまったく料理ができなかったんです。それに学校に通って、家では他の家事をしていたら、料理にまで手が回らない。だから裕貴を連れて、外に食べに行くしかなかったんです。お手伝いの女性が一時期通ってはいたけど、裕貴は昔から人嫌いの気があって長続きしなかった。それでも裕貴の体のことが心配だったので、とにかく美味いものを食べさせて、体力をつけさせたくて必死でした」 「だから裕貴は、料理が上手いんですね。あなたの助けになりたくて」 肯定するようにわずかに肩をすくめた博人は、ウェーターを呼んで二人の食器を片付け、コーヒーを運んできてもらうよう頼む。「わたしは子供の頃は、弟や妹が欲しいと願ったことはなかったんです。むしろ、欲しくなかった。煩わしいと思っていたんです。だが現実は、八つ離れた弟ができた。――自分でも、こんなに変わるものかというぐらい、裕貴が可愛くて仕方なかった。裕貴は裕貴で、子供ながらに扱いの難しい子で大人を困らせていたけど、わたしにだけは甘えてきたんです」 ノロケを聞かされているような居心地の悪さを感じ、啓太郎は相槌を打ちながら所在なくテーブルの上を眺
「楽しくは、ない」 啓太郎はこう答えながら、ベッドに片手をついて裕貴の胸元に顔を伏せる。もちろんもう片方の手では、裕貴のものの愛撫を続けていた。「ドキドキしている、というほうがわかりやすいか? 男の体にこんなふうに触るのは初めてだけど、どうすればお前が気持ちいいか、そんなことを考えながらお前に触って、お前が反応してくれると、本当に心臓の鼓動が大きくなるんだ」 舌先で裕貴の胸の突起をくすぐると、裕貴の体が大きく震える。「もっと、お前が気持ちいいと感じることをしてやりたくなる。……俺が金を払うんだ。だからお前は、もっと感じてみせろ。そうやって俺を満足させるんだ」 たっぷり突起をくすぐ
**** ただでさえ風変わりだった啓太郎と裕貴の関係は、さらに妙なことになりながらも、比較的穏やかに続いていた。 相変わらず啓太郎は、裕貴に昼メシ以外では食べること全般世話になっており、とうとう裕貴の部屋のテーブルの上には、貯金箱が置かれるまでになった。アクリル製のシンプルなデザインで、透明で中が見える貯金箱だ。 裕貴に頼まれて啓太郎が買ってきたものだが、この貯金箱に、食事代――だけでなく、その他で裕貴の世話になったときに相応の金を入れている。いわゆる、『時給制の恋人』に対する対価というやつだ。 透明な貯金箱に貯まっていく金を見るたびに、こんなにも裕貴に世話になっているのかと
すぐには啓太郎は、裕貴の言葉の意味がわからなかった。「はあ?」 「だからさ、今の羽岡さんの言葉を聞いてると、おれってけっこう条件にぴったりじゃないかと思ってさ。今だって金もらってメシ作っているんだから、時給について考慮してもらえるなら、いくらでもオプションをつけてあげるよ?」 「オプションって、お前な……」 どう見ても、裕貴は男だ。 啓太郎は身勝手な『時給制の恋人』について、前提として『彼女』と言ったはずだが、裕貴はあまりその点について重要視していないらしい。そうでなければ、男の裕貴が自ら名乗りをあげるはずがない。 啓太郎の視線は無意識に、裕貴の胸元に向けられる。トレーナーの
包丁を手にした裕貴が体ごと振り返り、不思議そうな顔をして啓太郎を見つめてくる。「羽岡さん、俺をからかうなって、怒らないわけ?」「それで今度は、俺がお前を無視するのか? どう考えたって、俺の分が悪いだろ。俺はお前に相手してもらわないと困るけど、お前は俺の相手なんてしなくても困らないんだから」「おれの相手なんてしてくれる変わり者……、羽岡さんだけだよ」 裕貴がちらりと苦い表情を見せる。初めて見る表情に啓太郎は目を見開いたが、視線に気づいたのか、逃げるように裕貴は背を向けてしまった。** 十日ぶりに裕貴が作ってくれたのは、ポテトグラタンに、チキンボールの入ったスープだった。そこにパ