仕事が終わりオフィスの施錠をして帰ろうとすると入口で凜が待ち構えていた。「啓介、話があるの。これから少しいいかな?」凛は、まっすぐに俺を見つめ開口一番に言ってきた。その場で用件を聞こうとしたが、「ここで話せる内容ではない」と言うばかりで教えてくれなかった。最近母のことで腑に落ちない点があったため凛を無視するわけにもいかず近くのレストランで話すことにした。付き合っていた時の別れ際も彼女には酷く泣き喚かれた記憶がある。今回も、もし感情的になられたら厄介だ。人目につく場所は避けたかったし、落ち着いて話せるように個室を選んだのは、せめてもの配慮だった。早く話を済ませて帰りたかったので、店に入ってすぐに俺は凛に問いただした。「どうして母さんの料理教室に通ってるんだ?」母から凛と再会したという話を聞いて以来ずっと俺の頭を占めていた疑問をぶつける。偶然にしてはできすぎている。「え?あれはたまたま。本当に偶然だったの」凛は、まるで悪びれることなく澄んだ瞳でそう答えた。その平然とした態度がかえって俺の疑念を深めた。(偶然、ね……そんなわけがない。)俺は、彼女の言葉を心の中で反芻した。「母が好きな作家の展示会の情報を教えたのは君らしいな。あれも偶然だと言うのか?俺は君の口から聞いたこともなかったよ。」冷静を装いながらも鋭く問い詰めた。以前、彼女は俺の趣味に合わせるように振る舞うことが多かったから、特定の作家に興味があったとは考えにくい。「……あなたと別れてから好きになったのよ。」凛は平然とした様子で答えていたが、俺にはその言葉が信じられなかった。あまりにも出来過ぎた話だ。俺は疑念の目で彼女を見ていたが、彼女の表情からは何の感情も読み取れない。その無表情さが、かえって不自然に感じ、彼女の作戦なのではと思った。「正直に答えてほしい。なぜ、そんなことをしたんだ?」しかし、彼女が何を企んでいるのか全く掴めない。それでも質問を変えて色々と問い詰めると、凛はそれまでの落ち着いた様子から一変し潤んだ瞳で俺に詰め寄った。まるで、本性が現れたかのように感情を露わにした。「友人から聞いたんだけど、啓介、結婚するって本当なの?信じられない」凛は震える声でそう言った。その言葉で彼女が今日ここに来た本当の理由が分かった。(まさか結婚の噂が彼女の耳にまで届いていたとは……。
Terakhir Diperbarui : 2025-06-09 Baca selengkapnya