Semua Bab 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Bab 121 - Bab 130

184 Bab

一二一話:琴乃

「事故物件って……」  そこまで言いかけて、悠斗は口を閉じた。廊下の奥にある襖が、わずかに開いている。その隙間の向こうに、人の気配があった。 「琴乃姉さん、来たよ〜」  美琴が襖を引く。開いた先には、六畳ほどの和室があった。部屋の中央にベッドがひとつ置かれ、その上でひとりの女性がゆっくりと身を起こしている。  黒髪は短く刈り上げたような大胆なショートで、長めの前髪が片目にかかっていた。気怠げなまなざしの半分がそこに隠れ、寝起きなのか、それとも元からそういう空気をまとっているのか、輪郭そのものがどこか倦んで見える。  けれど、悠斗の肌が反応したのは見た目ではなかった。  部屋に足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わった。さっきまでこの家にまとわりついていた、事故物件らしい嫌な冷たさが、この部屋に限っては綺麗に消えている。ただそこにいるだけで場を清めてしまうような気配が、その女性にはあった。 「いらっしゃい。随分早かったわね」  声にも気怠さはある。だが、芯まで緩んでいるわけではない。奥に一本、揺るがないものが通っていた。 「初めまして。櫻井悠斗です。琴乃さんのことは、美琴から聞いていました」  背筋を伸ばし、頭を下げる。鏡の前で何度も練習した挨拶だったが、いざ本番になると少しだけぎこちなかった。 「君が悠斗君ね。あなたのことなら、美琴からよく聞いていたわ」  その一言で、胸の奥がふわりと浮いた。美琴が自分の話をしてくれていた。家族同然の相手に、自分の名前を出してくれていた。そのことが、思っていた以上に嬉しい。 「僕の話を……?」 「琴乃姉さん……! あまりそういうことは……!」  美琴の声が裏返る。そちらを見ると、耳までしっかり赤くなっていた。 「だって、実際に嬉しそうに話してるじゃない?」 「も、もう。いいってば……!」  琴乃はベッドの縁に腰かけたまま、薄く笑っている。からかっているというより、妹の反応を眺めて満足しているような顔つきだった。 「ごめんね。ちょっとからかいたくなっちゃって。――それで、今回来たのは、悠斗君の血筋について私に何かわからないか、って話よね」  声の調子が切り替わる。気怠げな雰囲気はそのままなのに、その奥から巫女としての輪郭が静かに浮かび上がった。 「うん……。私もいろいろ調べてはいるんだけど、どうし
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一二二話:在るべき色

 数十秒、かかった。  琴乃の言葉が耳に入ってから、それが意味として脳に落ちてくるまでに、わずかな間が必要だった。 「呪い……ですか?」  声が出たのは、理解できたからではない。掴みかけた輪郭を、いったん言葉にして確かめるしかなかったからだ。 「ええ。でも、予想していたよりは驚かないのね」  琴乃は試すような目を向けたわけではなかった。ただ静かに、悠斗の表情を読んでいる。 「実は一度、美琴から呪いの話は聞いていたんです。でも――」  そこで言葉を切り、悠斗は一度だけ視線を落とした。 「それが美琴一人の話じゃなくて、一族全体の話だとは知りませんでした」 「なるほどね」  琴乃は短く頷き、湯呑みに口をつける。茶をひと口含んでから、何事もなかったように畳の上へ戻した。その所作には、妙な揺らぎがひとつもない。 「私たち古の巫女の歴史。それは、呪いの歴史そのものと言っても過言ではないわ」  あまりに重い一言だった。  なのに、琴乃はわずかに表情を曇らせただけだった。美琴も同じだ。少し目を伏せる。それだけで、その先にあるはずの動揺をどこにも見せない。  悠斗の胸に、妙な棘が残った。  呪い。一族の歴史そのものが呪いだと、今この人は言った。それを受け止める顔が、あまりにも静かすぎる。慣れている、という言葉だけでは足りなかった。もっと深いところで、とっくに自分のものとして抱え込んでしまっている。そんな沈み方だった。  けれど、そこへ踏み込む言葉を悠斗は持っていない。知ったばかりの自分に、何が言えるのかも分からなかった。  喉の奥で滞ったものを押し流すように、悠斗は次の問いを口にした。 「呪いの歴史……。それで、僕に呪いはあるんでしょうか?」 「不思議なことに、あなたからは本当に呪いの気配がないわね」  琴乃の声には、かすかな困惑が混じっていた。 「やっぱり? そもそも、おかしな点がひとつあるの」  美琴が少し身を乗り出す。 「なに?」 「これは、直接見てもらった方が早いかもしれない」  美琴はそう言って、悠斗へ視線を向けた。 「悠斗くん。琴乃姉さんに向かって、霊眼術を発動してみてもらえますか?」  唐突な頼みに一瞬だけ戸惑う。けれど、美琴の目は真剣だった。迷いを差し挟む余地のない、まっすぐな静けさがある。 「……わかった」
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一二三:遮られた告白、遮られた真実

 美琴の足音が廊下の向こうへ遠ざかっていくと、部屋の空気が静かに変わった。  残されたのは、悠斗と琴乃の二人だけ。さっきまで湯気や会話にほどけていた場が、すっと輪郭を取り戻したように感じられる。 「悠斗君。一つだけ、聞かせてもらえるかしら」  琴乃の声は穏やかだった。けれど、その響きには先ほどまでの軽やかさがない。 「はい。僕が知っていることであれば、ですけど……」 「ふふ。アナタ自身のことについては、少し時間をもらうつもりよ。アタシが調べられる範囲で、ちゃんと調べるわ。今、聞きたいのは──」  そこで一拍、間が落ちる。 「あの子は、アナタを巻き込んでしまったの?」  まっすぐ向けられた目に、悠斗は一瞬だけ息を止めた。  責めているわけではない。そのことはすぐに分かった。あったのは、妹のような存在が誰かを危険へ引きずり込んでしまったのではないかという、不安だった。整った声の奥にある揺れが、姉としての気持ちを隠しきれていない。  悠斗は、これまでの道のりを胸の内でたどった。  廃病院で過ごした夜。風鳴トンネルでの邂逅。石津製鉄所で見た炎。美琴の隣に立ちながら見てきた景色のひとつひとつが、静かに浮かび上がる。  そのどこを振り返っても、巻き込まれたという言葉だけはしっくりこなかった。 「いえ」  答えは、自然と出た。 「彼女は、僕が変わるきっかけをくれただけです。美琴はいつだって、僕にどうしたいのかを聞いてくれました」  自分の声に迷いがないことを、悠斗はその瞬間にはっきりと自覚した。 「ここまで彼女の隣にいたのは、僕自身の意志です。巻き込まれたわけじゃありません」  言いながら、もう一度だけ胸の奥を確かめる。  やはり、答えは変わらない。最初からずっと、自分の足でここまで来た。その感覚だけは揺るがなかった。 「……そう」  琴乃はゆっくり瞬きをした。 「それは、この先も変わらないのかしら」  問いの奥にあるものまでは、悠斗には読み切れなかった。けれど、そこに迷う余地もなかった。 「はい」  短く返すと、琴乃の表情がほんの少しだけやわらぐ。 「……あの子の姉として、お礼を言うわ。悠斗君、ありがとう」  その声音は、さっきよりずっと柔らかかった。だが次の瞬間には、目の奥に静かな覚悟の色が宿る。 「今後、あの子が歩む道
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一二四話:年の瀬の禊

 琴乃はそのあとも、クリームの山を少しずつ崩しながら、何でもない顔で飲み進めていた。  対して悠斗の舌は、かなり早い段階で悲鳴を上げかけている。甘い――そんな一言では追いつかない。行き過ぎた甘さはもはや別の刺激で、濃いクリームが喉を落ちるたび、舌の奥がじんと痺れ、胃のあたりが小さく抗議した。  正直、もう厳しい。  そう思って、悠斗はちらりと美琴を見る。すると期待をそのまま形にしたような目が、まっすぐこちらを向いていた。  無理だった。この顔を前にして、率直すぎる感想など口にできるはずがない。  悠斗は覚悟を決め、残っていた分を一気に流し込んだ。 「ご、ごちそうさまっ!!」  勢いのまま言い切ると、美琴がぱちりと目を丸くする。 「もう飲んだんですか!? 早いですね……。おかわりはいりますか?」  その一言に、悠斗の背筋が危うく凍りつきそうになった。 「も、もうお腹いっぱいかな」  どうにかそう返すと、美琴は少しだけ残念そうにしながらも、やがて素直にうなずく。 「そうですか」  その笑顔を見て、悠斗はこっそり息をついた。  飲み干した甲斐はあった。たぶん。おそらく。少なくとも、この場を穏便に切り抜けられたのは間違いない。 「ところでアナタたち、今晩はどうするの?」  琴乃がカップを傾けながら、何気ない調子で尋ねた。 「あっ、今晩は温泉郷の宿に泊まろうと思ってます」  そう答えた瞬間、美琴がはっとしたように振り向く。 「えっ?? 悠斗くんもここに泊まればいいと思いますけど……」  わずかに眉が寄っていた。口調こそ控えめでも、不服さは十分に伝わってくる。  けれど、悠斗には悠斗なりの考えがあった。琴乃と美琴は、数年ぶりの再会のはずだ。血の繋がりはなくても、二人のあいだにある信頼は、本物の姉妹と呼んで差し支えないように見える。なら、積もる話もいくらでもあるだろう。久しぶりに顔を合わせた夜くらい、水入らずで過ごしたいはずだった。  それに――。  美琴と同じ家の下で一晩過ごすなど、今の悠斗には心臓がもたない。 「いいんだ。着替えも持ってきてなかったしさ。温泉郷も近いし、せっかくだから旅行のつもりで泊まるよ」 「えぇ……」  美琴の声が、目に見えてしぼむ。  その様子を見た琴乃が、そっと口元に手を添えた。 「ふふふ。美琴、
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一二五話:料理禁止令

 夜が近づくにつれて、テレビからは正月直前スペシャルの賑やかな声が流れ始めていた。年の瀬らしい浮き立った空気が、琴乃の家の中にも少しずつ入り込んでくる。  琴乃が自由に身体を動かせない以上、買い出しと夕飯の支度は悠斗と美琴の役目だった。歩いて三十分ほどの八百屋で食材を揃え、二人で並んでキッチンに立つ。  ――そこまでは、何の問題もなかった。 「うぅ……」 「どうかした?」 「悠斗くん、ごめんなさい……。調味料、入れ過ぎたみたいです……」 「えっ……ど、どれ」  差し出された汁物をひと口含んだ瞬間、舌が露骨に拒絶した。 「しょ、しょっぱい……」  塩の量が明らかにおかしい。このまま食卓へ出したら、冗談では済まない。悠斗は鍋をそっと火から下ろし、コンロの端へ避けた。 「…………」 「こ、今度はどうしたの……? そんな神妙な顔して」 「焦がしちゃいました……」  フライパンの底から立ちのぼる焦げた匂いが、狭いキッチンを静かに満たしていた。  結局、後半はほとんど悠斗が一人で立て直すことになった。味を調え、焦げた分は作り直し、どうにか食卓に並べられる形まで持っていく。  そのあいだ、美琴はまな板の前でしょんぼりと肩を落としていた。  完璧に見えていた彼女にも、こんな綻びがあるらしい。そう思うと、悠斗の口元がふっとゆるむ。意外だったというより、ようやく腑に落ちた、という感覚に近かった。 「悠斗くん……何を笑ってるんですか……」 「いや、ごめん。ちょっと意外だなって思って」 「昔から料理は苦手なんですよね……うぅ……」  力なく揺れるポニーテールを見て、悠斗は少し安心した。こういう不器用さがあるのだと知れたのは、どこか嬉しい。  ただ、それはそれとして放っておける話でもない。 「今までの弁当とかは、どうしてたの?」 「しょっぱかったりしましたよ。でも、食材を無駄にするのは嫌だったので、そのまま食べてました」  悠斗は一瞬、言葉を失った。あの塩加減の弁当を、ずっと一人で食べていたのか。もったいないから、という理由だけで。  健気だと思うより先に、普通に危ない、という感想が出る。 「……美琴。これからは僕が弁当作るよ。しばらく料理は禁止かな」 「……うぅ……」  美琴は小さくうなだれた。反論する元気も残っていないらしい。  
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一二六話: 花を守る者の名は

 花守神社へ着くと、境内はすでに大勢の参拝客で埋まっていた。石段の下から社の前まで人の列が長く続き、山あいの静けさとは不釣り合いなほどの賑わいがあたりに満ちている。社のスピーカーからは祝詞が流れ、冷えた夜気の中に厳かな響きを落としていた。 「すごい人だね」  悠斗が感心したように声を漏らすと、隣の美琴も人波の先へ目を向けた。  悠斗は列に並んだまま、あらためて周囲を見渡した。見えるのは山、木々、冬の夜空――それだけのはずなのに、境内に集まっている人の数は三百を優に超えていそうだった。湯煙の立つ温泉郷の外れに、これほど人が集まる場所があるという事実が、少し不思議に思える。  やがて、境内に流れていた祝詞の音がわずかに絞られた。代わって、落ち着いた男性の声がスピーカーから響く。 『皆様、本日は花守神社、ならびに花守温泉郷へお越しくださいまして、誠にありがとうございます。まもなく新しい年を迎えるこの折、年明けまでのひととき、こちら花守温泉郷と花守神社に伝わる由緒を、少しお話しさせていただければと存じます』 「……花守温泉郷の伝説まで語ってくれるんだ」 「ええ。花守巫女の伝説が、もう一度聞けそうですね」  美琴の声には、わずかな期待が滲んでいた。悠斗も耳を澄ます。年越しを待つざわめきの中で、その語りだけが不思議と輪郭を持って聞こえてきた。 『この花守神社には、古くから語り継がれている一人の巫女様のお話がございます。かつてこの温泉郷を、幾度となく疫病や災いからお救いくださったお方です』  神主の声は穏やかで、けれどよく通った。 『その巫女様は、人々を守るべき花のように慈しみ、数多の災いからこの温泉郷をお救いくださったと伝えられております。花は儚く、けれど懸命に咲くもの。巫女様は、そんな花のような人々を見つめ、散らせぬよう守り続けたのでしょう。その在り方に敬意を込めて、いつしか人々はそのお方を“花守巫女”とお呼びするようになりました。これが、この地に残る伝説の始まりでございます』  境内のざわめきが、少しずつ静まっていく。参拝客たちも足を止め、耳を傾けているようだった。 『では、なぜ“花守巫女”という呼び名だけが残り、その方ご自身のお名前は伝わっていないのか。そこにもまた、ひとつ理由がございます』  ひと呼吸の間を置いて、神主は続けた。 『今からお
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一二七話:影の奥で嗤う

 社の前に立つと、冷えた夜気が胸の奥まで澄んで入ってきた。新しい年が始まるのだという実感が、ようやくそこで形を持つ。胸の内には今年への期待があり、もうひとつ、まだ言葉にしきれない願いもあった。美琴と、もしかしたら——そんな淡い想像が、火照りにも似た熱を残している。  悠斗は静かに手を合わせた。二礼二拍手一礼。人の気配がまだ残る境内の中で、その所作だけが不思議なほど静かだった。  胸の内でそっと唱えた願いは、美琴のことだ。  彼女が琴音によって呪われていることを、悠斗はもう知っている。けれど、その呪いが具体的に何を奪い、どこまで彼女を追い詰めているのか、そこまではまだ見えていない。少なくとも、琴乃も美琴も、あからさまに焦りを滲ませてはいなかった。だからこそ、祈るしかなかった。  どうか、美琴と琴乃、二人にかかった呪いが解けますように。 「悠斗くん、なにをお願いしたんです?」  隣から覗き込むようにして、美琴が小さく首を傾げる。悠斗は手を下ろし、少しだけ笑った。 「それは秘密だよ。でも、絶対に叶ってほしい願いを願掛けしたんだ」 「そうなんですか? 気になります……」 「はは、内緒なものは内緒だよ」  そう返すと、美琴はむう、とわずかに唇を尖らせる。それ以上は追及してこなかった。その表情がどこか子どもっぽく見えて、悠斗の肩から少し力が抜ける。  参拝を終えると、二人はそこで別れた。美琴は琴乃の家へ戻り、悠斗は温泉郷の宿へ向かう。  部屋に入ったときには、ようやく一息つけるはずだった。けれど、知らず知らずのうちに気を張っていたのだろう。布団に入ると、意識はあっけないほど早く沈んでいった。  。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸  夢は、あの日の続きを映していた。  母が倒れる、あの夜。幼い悠斗は廃神社の境内で、老人の成仏を見届けたあと、遥と手を繋いで歩いていた。夜の境内はひどく静かで、風に揺れる木々の音だけが、暗がりの奥で細く擦れている。 「お母さん」 「なぁに?」  小さな手を握ったまま見上げると、遥はいつもの柔らかな声で返してくれた。 「りんねてんせいってなに?」 「輪廻転生はね、私たちが死んだあとに、もう一度この世に生まれることをいうんだよ」  遥は子ども相手だからと誤魔化さなかった。言葉をわざと軽くもせ
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一二八話:迦夜

「ひっ……!!」  喉の奥で、引きつった声がかすれた。  そのとき目に焼きついたものは、幼い悠斗の中に、ただ「怖かった」の一言では済まない形で残ってしまう。やがて細部は薄れていき、目の前の異形の輪郭さえ記憶の底へ沈んでいった。それでも、あの夜に刻まれた恐怖だけは消えない。怨霊――迦夜との邂逅は、十年近い歳月を経てなお癒えぬ傷として、彼の内側に居座り続けることになる。 「悠斗っ!! 逃げなさい!!」  遥の叫びが、境内に鋭く響いた。 『ヒヒヒ……』  喉を潰したような笑い声。それが、足元から這い上がってくる。 「この……っ!」  遥は一瞬だけ戸惑いを見せたものの、すぐに片手を振り抜いた。掌から放たれた紅の光が、あり得ない体勢のまま悠斗を覗き込んでいた迦夜の背へ叩きつけられる。 『ア゙ア゙ッ……!!』  迦夜の顔がぐしゃりと歪む。けれど怯むどころか、次の瞬間にはその金の瞳が、ぎらりと遥を捉えていた。  ――そして、蛇のようだった。  紫色の身体がぬめるように持ち上がり、遥の足から腰へ、腰から胴へと一気に絡みついていく。骨のない生き物が、人の形を真似ているような動き。 「……っ!!」  遥の息が詰まった。  迦夜の顔が、遥の目の前まで迫っている。鼻先が触れそうなほどの距離。金色の猫のような瞳が、瞬きひとつせずに彼女を見据えていた。その至近で、遥の顔が恐怖に染まっていくのを、悠斗は初めて見る。  これまでいくつもの霊を見届けてきた母が、目の前のそれにだけは、はっきりと怯えていた。 「うっ……!! 離して……っ!」  声は掠れ、いつもの落ち着きなど欠片もない。  遥の身体が地面へ押し倒される。枯葉と土が跳ね、白い指先が地を掻いた。そのまま迦夜は、獲物を巣へ引きずり込むように、遥を暗がりの奥へずるずると引いていく。 「お母さん!!」  悠斗は叫んだ。  けれど、足が動かない。膝が石のように固まって、逃げることも追うこともできなかった。ただ目の前で、母が闇に呑まれていくのを見ているだけ。  それでも、完全に姿が見えなくなりかけたその瞬間、ようやく身体が弾かれたように動いた。 「待って!! お母さん!! 置いていかないでぇ!!」  泣き叫びながら駆け出した、その先――  林の向こうで、紅い光がひときわ強く閃く。 「お母さん! ど
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一二九話:足を奪ったもの

 後日、悠斗は琴乃の家を訪れていた。先日の夢で見たことを、琴乃と美琴に伝えるためだった。  畳の上に座り、言葉を探るように少しずつ話していく。あの夜、母が見せた静かな微笑み。死を「解放」と呼んだ穏やかな声。そして、その直後に現れた紫の影のことまで――。 「なるほどね。あなたのお母さんも、迦夜に……」  琴乃が低く呟き、視線を落とす。布団の上に出た指先が、かすかに震えていた。 「琴乃姐さん」  隣にいた美琴が、静かに口を開く。 「悠斗くんのお母様は、遥さんです。私の命を救ってくれた人だったの。昔、私がよく話していた人――覚えているでしょ?」 「なんですって……!?」  琴乃の目が大きく見開かれる。掛け布団を握る手にも、はっきりと力が入った。 「悠斗君。アタシの身体が動くなら、今すぐにでも美琴を救ってくれたお礼を言いに行きたいところだけど……」  その声音には、飾りのない悔しさが滲んでいた。動かしたくても動かせない身体。その現実を、琴乃は言葉の端々で噛み締めているようだった。 「いえ、お気持ちだけで十分です」  悠斗は軽く頭を下げ、それから顔を上げる。胸の奥には、ずっと引っかかっていた問いがあった。 「それより……迦夜って、なんなんですか? 夢で、はっきり見たんです。紫の肌に、あの鬼みたいな顔……」  瞼の裏に、あの夜の光景がよみがえる。母の優しい声を断ち切るように現れた、あの異形。 「迦夜は……本当に怨霊なんですか?」  琴乃はすぐには答えなかった。しばらく天井を見つめ、何かを確かめるようにゆっくり息を吐いてから、静かに口を開く。 「……迦夜はね、ただの怨霊なんかじゃないわ」  その一言で、部屋の空気がひとつ沈んだ。 「迦夜とは、古い時代にいた古の巫女たち――その怨嗟の集合体よ」 「っ……!」  息が詰まった。知らないうちに、膝の上の手へ力がこもっている。 「悠斗君にも言ったけど、アタシたちは呪われている。そして、その呪いに対して、古の巫女たちは凄まじい怒りや悲しみ、絶望を抱えたまま死んでいった。そうした感情が溶けもせず、消えもせず、現代まで残り続けてしまったのよ」  琴乃の声は淡々としていた。けれど、その平坦さの奥には、何代もの女たちが引きずってきた重みが沈んでいる。怒りをぶつけるでも、悲しみに濡れるでもなく、ただ事実と
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縁語り其の百三十:君の時間が、散る前に

桜華さんたちが成仏されたあと、僕と美琴の間には、重く、気まずい空気が漂っていた。静まり返った迦夜の結界の中で、僕の心臓の、嫌な音だけが、やけに大きく響いている。 理由は…もちろん、桜華さんたちの記憶から僕の霊眼が捉えた、あの言葉だ。 『代償により……命を、削られ、苦しみ続けた』 それはつまり…美琴にも、当てはまるんじゃないのか? その、最悪の可能性が、僕の思考を支配し、全身の血の気を奪っていく。 美琴が、僕の傍から居なくなる…? そんなこと、想像するだけで、耐えられない。 「み、美琴…桜華さん達の、魂が削られるって…どういうこと……?」 声が、震える。今まで味わったことのない種類の、冷たい恐怖が、僕の足元から這い上がってくる。 「…………。悠斗君、私を含めた古の巫女達はね…強い霊力を持って産まれてくるかわりに、力を使えば使うほど、寿命を削ってしまうの」 美琴の、あまりにも静かなその言葉が、僕の脳髄を、直接焼き切った。 「っ…!」 言葉が、出てこない。違うと、そんなはずはないと、否定したいのに、口が、喉が、凍りついて動かない。 「な、なんで…そんな事…」 「隠していて…ごめんね」 謝らないでくれ。 その言葉を受け入れてしまったら、それが、揺るぎようのない「事実」になってしまうから。 でも、脳裏に、あの廃工場での出来事が蘇る。そうだ。あの時から、ずっと、僕は、この残酷な真実から、無意識に目を背けていただけなんだ。 「一体…どれくらい、力を使ってきたんだ……?」 震える声で、僕は、聞きたくもない質問を、口にしていた。 美琴は、顔を俯かせたまま、静かに、答えた。 「生まれてからずっと、私はこの力と共に生きてきたから……。もう…私には、あまり時間は残されていないと思う」 ヒュッ。 ピシッ。 パリンッ。 僕の中で、何かが、音を立てて砕け散った。 走馬灯のように、美琴との、かけがえのない思い出が、脳裏を駆け巡る。 どんな時も、彼女は、曇りのない笑顔で、僕の隣にいてくれた。 それが、もう二度と、見られなくなるかもしれない。 胸が、苦しい。鉛を飲み込んだような、重い痛みが、僕の心臓を、内側から押し潰していく。 なんで、どうして、美琴が。 僕には、何もできないのか? 目の前が、真っ暗になった。思考が停止し、世界から、色が、
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