Semua Bab 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Bab 111 - Bab 120

184 Bab

一一一話:吐露した先に

美琴の手を、いつから握っていたのか覚えていない。 気がつけばそうしていた。細い指は力なく開いたままで、握り返してはこない。ただ温かいだけだ。その温度だけが、彼女がここにいるという証になっている。 控えめなノックが響いた。 「入るよ」 静江の声。襖が開く音に、悠斗は扉の方を見つめた。 「あっ……すみません、いつの間にか時間が」 「美琴ちゃんが心配かい」 静江は部屋の隅に腰を下ろしながら、穏やかにそう言った。問いかけというより、もう答えを知っている人の口調だった。 「……ええ。とても」 「そうだろうねぇ」 静江の目が、悠斗の顔をまっすぐ捉える。 「それに随分浮かない顔してるね。どうしたんだい」 「…………」 答えが出てこなかった。言葉にすれば楽になるのか、それとも余計に重くなるのか。その判断すらつかない。 「別に無理に言わなくてもいいけどさ。抱えてるもんがあるなら、ぶちまけたほうが楽だよ」 ぶちまける。静江らしい言い方だった。その飾り気のなさに、少しだけ喉の力が抜ける。 「……僕の判断は正しかったのか、ずっと考えてるんです」 「あんたの判断?」 「僕が彼女を止めていたら、また別の結末だったのかなって。考えずにいられなくて」 美琴の寝顔に視線を落とす。規則正しい呼吸。穏やかな顔。それを見るたびに、安堵と自責が同じ場所でぶつかる。 「彼女を信じたつもりで、術を使う彼女を止めませんでした。でもそれが——逃げだったんじゃないかって」 「僕は——」 言葉が途切れた。その先が出てこない。 静江はしばらく黙っていた。急かさない。ただ座って、悠斗の言葉が止まるのを見届けてから、口を開いた。 「悠斗。あたしはあんたが正しいとか正しくないとか、踏み込んだことは言えないよ」 静江の声は静かだった。さっきの「何言ってんだい」の勢いはもうない。 「でもね。少なくともあんたは、あの子の言葉を聞いたんだろう」 「美琴の、言葉を……」 「あたしはそれができなかった」 悠斗は顔を上げた。静江は美琴の寝顔を見ている。けれどその目は、もっと遠いところを見ているようだった。 「詩織とぶつかったとき、あたしはあの子の話を聞かなかった。自分が正しいと思い込んで、あの子が何を考えてるかなんて、見よ
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一一二話:夢の続き

知らない場所だった。 ——いや、違う。 石畳の参道。苔むした灯篭。鬱蒼と茂る木々の向こうに、朱色の鳥居がぼんやりと浮かんでいる。知らないはずなのに、身体が覚えている。足の裏が、この石の冷たさを知っている。 白蛇神社。一度、ここに来たことがある。 辺りを見渡していると、背後から声がした。 「あら? 二度目の来訪ね」 振り返る。深い碧色の着物に身を包んだ少女が、参道の真ん中に立っていた。古風な髪型、年齢の読めない顔立ち。前に会ったときと、何ひとつ変わっていない。 名前が——聞こえない。唇は動いているのに、音が届かない。前もそうだった。 「ここは……確か白蛇神社だったよね」 少女の目がわずかに見開かれた。 「あら? 記憶を持ってるの?」 「え? う、うん」 「……。自分の名前は言える? 最近の出来事も?」 「櫻井悠斗。石津製鉄所で殺人鬼の霊と対峙して——」 そこまで口にして、止まった。 覚えている。全部覚えている。自分の名前も、今夜のことも、美琴のことも。 でも——前回は違ったはずだ。あのときは自分が誰なのかもわからなかった。記憶を失くした状態で、ここに立っていた。 その事実が、遅れて背筋を這い上がってくる。粘度のある冷たさだった。 「そう……。やっぱり特別なのね」 少女の声に驚きはなかった。確認するような、あるいは何かを諦めるような響き。 「特別って、どういうこと」 「特別は特別よ」 はぐらかすような言い方。けれどその目は笑っていない。 「でもそうね。あなたはやはり、自身の血によって振り回されることになるわ」 「血——」 その言葉に、前回の記憶が引っかかる。 「そういえば前に、君は言ってた。彼女たちが歩めない道を僕は進んでるって。あれはどういう意味だったの」 「そのままの意味よ。あなたは道半ばで散っていった彼女たちの、歩めなかった道を歩いている」 「彼女たち……?」 「ああもう——鈍いわね」 少女が小さくため息をついた。呆れの奥に、別の感情がちらつく。 「美琴という少女を含めた、『古の巫女』たちよ」 空気が変わった。悠斗の胸の中で、何かが弾けるように繋がる。古の巫女。美琴。禁術。代償—— 「ひとつ聞かせてほしい」 声が上擦った。 「
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一一三話:目覚め

  ん、と喉の奥で声が鳴った。   瞼の裏に薄い光が滲む。意識が浮上するより先に、右手の感覚が戻ってきた——指先に、柔らかな温もり。どうやら美琴の手を握ったまま眠っていたらしい。   頬に冷たいものが伝う。涎だった。椅子の背にもたれた首が痛みを訴え、悠斗はのろのろと顔を上げた。   「悠斗くん、目が覚めましたか?」   目が合った。   布団の上に半身を起こした美琴が、こちらを見ている。焦げ茶のポニーテールは解かれ、肩に散った髪が朝の薄明かりを受けて淡く光っていた。頬に赤みがある。昨夜の蝋のような白さは、もうどこにもない。   「美琴——!?」   椅子が軋んだ。身を乗り出した拍子に、肩にかけられていた毛布がずり落ちる。いつの間に誰がかけたのか、そんなことは頭の端にも引っかからなかった。   「いつ目が覚めたの?  体は——体は大丈夫?」   矢継ぎ早に言葉が飛び出す。美琴は少しだけ眉を下げて、困ったような、けれど確かに温度のある笑みを浮かべた。   「とても心配をかけてしまったようですね」   それから窓の方へ視線を流す。障子の隙間から覗く空は、淡い藤色をしている。   「でも悠斗くん、今はもう朝の六時ですよ?」   「えっ——いつの間に、そんな……」   「随分と気持ちよさそうに寝ていましたから。なにか、いい夢でも見たのでは?」   「夢……」   見ていた気はする。確かに何かを見ていた。けれど内容が掴めない。水底の石を素手で拾おうとするように、触れた端から輪郭が崩れていく。ただ、指先にだけ残る感触がある——怖かった、ような。誰かが何かを言っていた、ような。鈴の音が鳴っていた——   それも、もう霞んでいる。   「静江さんにもまた迷惑をかけてしまった様ですし……」   美琴の声が、思考を引き戻した。   「悠斗くんにも、負担をかけてしまいましたね……」   申し訳なさそうに睫毛を伏せる横顔。そこにあるのは、いつもの美琴だった。自分のことを後回しにして、周囲への迷惑を先に気にする——あの、危ういほど整った優しさ。   けれど今、悠斗の胸にあるのは昨夜までの焦燥ではなかった。   彼女が息をしている。声を出している。笑っている。それだけで、喉の奥に詰まっていた重たい塊が少しずつ溶けていくのがわかる。   「…ううん。
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一一四話:冬の街で

 骨身に寒さが染みる季節。冬だ。  はらはらと降りしきる雪が街灯の光を吸い込んで、視界の端まで白く煙らせている。吐く息が凍りつくような夜——容赦のない寒さが、肌を刺すというより、骨の芯を直接削りにくる。 「ゔゔ……ざ、寒い」  悠斗は首をすくめ、制服のブレザーの襟を掻き合わせた。指先の感覚がとうに怪しい。 「随分冷えましたね……。でも悠斗くん、このイルミネーション、綺麗じゃないですか?」  美琴の声は白い息と一緒に、ふわりと横から届く。その視線の先——商店街のアーケードを覆うように、無数の光が枝を這い、雪を透かして淡く滲んでいる。青、金、白。ビルの窓にも光の粒が反射して、街ごと硝子の箱に収められたような錯覚を起こす。  もうすぐ、クリスマスだ。  街が浮き足立っている。ショーウィンドウのリースも、すれ違うカップルの距離も、空気に溶けた甘い香りも——全部がそのせい。恋人たちの季節、なんて言葉が頭をよぎるたび、隣を歩く美琴のポニーテールが視界の隅で揺れて、妙に意識してしまう自分がいることに悠斗も気がついていた。 「そうだね……。このイルミネーションを見るためだけに街に来た甲斐はあったかな」  なるべく何でもない声で言う。うまくいったかは、わからない。 「はい。つい見とれてしまいます」  美琴が目を細める。光の粒が焦げ茶の瞳にいくつも映り込んで、小さな星みたいに揺れていた。  ——その時。 「……ん?」  首の後ろに、冷えとは違う感触が走った。  寒さではない。もっと粘りのある、嫌な冷たさ。背中を這い上がってくるそれに、悠斗は足を止めて振り返る。  行き交う人々のあいだ——街路樹の影に、それはいた。  赤い靄を纏っている。  輪郭は曖昧なのに、その眼だけがはっきりとこちら側を睨みつけている。通行人たちは気づかない。誰も見ていない。けれど霊の周囲だけ、雪の落ちる速度がほんのわずかに歪んで見える。  白い影なら害はない。黄色なら警戒。赤は——敵意か、悪意。これが霊たちの特徴だ。 「美琴」  声を抑えて名前を呼び、目線だけで後方を示す。美琴はまばたきひとつで意図を汲んだ。視線が鋭くなる。一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、イルミネーションを見ていたさっきの柔らかさが消えて、別の顔が覗く。 「悠斗くん」 「うん」  短いやり取りだけで十分だ
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一一五話:雪に溶ける魂

  『……柳田』  ぽつりと落とされた名前は、まだどこか生きている人間の返事に近かった。 「柳田さん、ありがとうございます。あなたの未練は、ご自分で理解していますか?」  美琴の声に押しつけがましさはない。ただ事実を確認するように、静かに尋ねる。 『わ、わからねぇよ!  いつの間にかこんな……』  柳田は頭を掻く仕草をした。指が髪を素通りしていることに、本人は気づいていない。 「どうやら、本当に自分の身に何が起きたかわかっていない様子なんだ」  悠斗が美琴に目を向ける。 「つまり、本当に唐突に……」  美琴の声がわずかに細くなった。言葉の先を飲み込むように、一拍の沈黙が落ちる。唐突な死は、未練を整理する猶予すら与えない。昨日まで生活があり、明日の予定があり——それが全部、寝ている間に断ち切られた。 『な、なぁ。俺はどうしたらいいんだ?  あの世ってところには行くべきなのか……。でもこえーんだ。あの世に行って帰って来れるやつなんていない。一方通行なんだろ?』  柳田の声が、初めて怒り以外の色を帯びた。怖いのだ。当たり前だ。死すら自覚できないまま放り出された魂に、その先へ進めというのは酷な話だった。 「そうですね……。その不安はごもっともだと思います」  美琴が半歩も距離を詰めないまま、声だけを柔らかく届ける。 「ですが、あなたには何か——惹かれるような感覚があるのでは?」 『……ああ。行かなくちゃ、みたいな感覚はある』 「でしょう?  それは魂が在るべき場所を求めている証なのです」  柳田の輪郭がかすかに揺れた。惹かれている。身体ではなく、魂そのものが。けれど—— 『在るべき場所……でも、行きたくない……。なぁ、俺は行かなくてもいい方法はないのか?』  縋るような声だった。悠斗が口を開きかけたとき、美琴のほうが先に答えた。 「残念ですが、その考え方はおすすめしません」  声の温度は変わらない。けれど、言葉に一切の迷いがなかった。 『そ、それはなんでだよ?』 「この世に留まっていると、そのうち魂を縛られてしまうんです」  悠斗が引き取るように続けた。柳田の目が二人の間を行き来する。 「やがて、世間で言う地縛霊、浮遊霊のようになってしまいます。あなたがまだ死後間もないからこそ、今ならすぐに成仏できるはずです」
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一一六:明かりの並ぶ商店街へ

 夕暮れの商店街には、店先の明かりがひとつずつ灯り始めていた。最近は日が落ちるのが早い。ついさっきまで青みを残していた空も、もうすっかり夜の色へ沈み、吐く息にはうっすら白さが混じっていた。  そんな通りを並んで歩きながら、悠斗は足を止める。 「それじゃあ、ここなんてどうかな?」  目の前にあるのは、年季の入った小さなラーメン屋だ。派手さはないが、このあたりでは知る人ぞ知る店として通っている。気取らないのに入りやすく、味はしっかりしている。それでいて重すぎない一杯が出てくるから、女性でも気兼ねなく入りやすい。悠斗にとって、美琴を連れてくるなら安心できる店のひとつだった。 「ラーメンですか。寒いですし……とてもありがたいですね」  美琴がそう言って店先を見上げる。柔らかな声だったが、冷えた空気のなかではそれだけで少し温度が上がるようだった。 「じゃあ入ろうか」  暖簾をくぐると、すぐに湯気と出汁の匂いが迎えてくる。奥の厨房からは鍋の鳴る音がして、店の中には古びた木の艶と、長く親しまれてきた店らしい落ち着きがあった。 「いらっしゃいませー。何名さまですか?」 「二名です」 「二名様ですね。お好きな席にお座り下さい」  案内を受け、二人は空いている席へ向かった。椅子を引きながら、美琴が店内を見回す。 「なんだか、趣のあるラーメン屋さんですね」 「そうだね。一応、隠れ有名スポットみたいなものなんだ」 「隠れてるのに有名なんですか?」  思わぬところを突かれて、悠斗は一瞬だけ言葉に詰まった。けれど実際、そうとしか言いようがない。軽く咳払いをしてから、話をずらすようにメニューを手渡す。 「ありがとうございます。こちらは何がおすすめなんです?」 「ここはね……サクラ咲ケ咲ケラーメンがおすすめだよ」 「サク……え?」  美琴の目がメニューの一点で止まる。悠斗がこの名前を初めて見たときと、まったく同じ反応だった。  その後店員を呼び、二人とも同じものを頼んだ。カウンター越しに鍋の音が近い。しばらくして、湯気を立てた丼がふたつ運ばれてきた。 「はい、こちらサクラ咲ケ咲ケラーメンおふたつになりますね」 「ありがとうございます」  丼から立ちのぼる湯気が、美琴の前髪をふわりと揺らした。 「わぁ……いい匂いですね」 「でしょ?  桜
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一一七話:あなたの母が、私を救った

「嘘……そんな……」  声が、割れた。  美琴の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。堪えようとする素振りすらなかった。いつも感情の手綱を離さない彼女が——どんな霊を前にしても、どんな状況でも表情を崩さなかった彼女が、肩を震わせている。次の瞬間、堰を切ったように涙が頬を伝い始めた。 「美琴!?  どうしたの!?」  なぜ。どうして美琴が泣く。母の顔を見ただけで——初めて会うはずの人の枕元で、なぜこんなふうに崩れるのか。  答えの出ない問いが頭の中で空転する。悠斗は美琴の隣に膝をつき、震える背中にそっと手を当てた。何も言えなかった。ただゆっくりと背を撫でる。一年近く隣にいて、こんな美琴を見るのは初めてだった。  ──そのまま十分近く。  泣き声がやがて嗚咽に変わり、嗚咽がかすれた呼吸に変わる。美琴がゆっくりと顔を上げた。涙の跡が頬に光り、赤くなった目がまっすぐに悠斗を捉える。 「……ごめんなさい、悠斗くん…。取り乱してしまって」 「それは構わないけど……どうしたの?  美琴があんなふうに泣くなんて……」  美琴は一度深く息を吸い、吐いた。言葉を選んでいるのではない。覚悟を固めている——長く抱えてきた何かを、ようやく手放す前の呼吸に見えた。 「悠斗くん。これは驚かないでくださいと言っても不可能だと思います。でも、落ち着いて聞いてください……」  間があった。病室の静寂が、その一拍を引き延ばす。 「悠斗くんのお母様。遥さんは、私の命の恩人であると同時に——私が最も影響を受けた人でした」 「え??」  意味が、頭に入ってこない。  美琴はずっと言っていた。自分が影響を受けた人がいると。その人の姿勢や考え方に憧れて、この道を選んだのだと。名前は一度も明かさなかった。ただ、語るときの美琴の目はいつも遠くて、深くて——今まで見たどんな表情よりも柔らかかった。大切なものに触れるときだけ見せる目。  その人が。  ベッドの上で眠り続ける母の横顔に、視線が引き寄せられる。穏やかな寝息。痩せた指。花の匂い。何度も見てきたはずのその姿が、今だけ別の重さを帯びていた。 (美琴が憧れた人は——母さんだった……?) 「私が遥さんと出会ったのは、幼い頃です」  涙のあとにしては、美琴の声は不思議なほど静かだった。泣き尽くしたあとの透明さではなく、何度も自分の中で反
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一一八:十年越えの縁

 母と美琴の繋がり。それは、絶望の夜に起きた奇跡だったのだろう。家族を目の前で奪われた七歳の少女と、見ず知らずの子を置いていけなかった母。過去を語る美琴の横顔が、その重さを静かに物語っている。 「その後——同時に家族を喪った私に、遥さんが寄り添ってくださったんです。きっと幼かった私を見て、そのままにはしておけないと考えてくれたのだと思います」  美琴の声に感傷はない。ただ事実を手渡すように、一語一語を丁寧に置いていく。 「一ヶ月ほど、彼女は私と生活をしてくださいました。その時、霊力の扱い方や、霊への寄り添い方を教えてくださったんです」  そこで美琴は一度言葉を切り、はっきり告げた。 「それが、私の源流です」  源流。美琴がこの一年、悠斗の隣で霊に向き合ってきた——あの柔らかく、けれど決して揺るがない姿勢。柳田に名乗ったときの所作も、怯えた霊に語りかける声の温度も。そのすべての根に、母がいた。 「……そっか。僕の知らない間に、母さんは人助けをしていたんだね」  喉の奥が詰まる。一ヶ月も家を空けた母。電話口の向こうで「帰れなくなった」と言った声。あの頃は、ただ寂しかっただけだった。けれど母はあの時、家族を失った子どものそばにいることを選んでいた。幼い自分の寂しさと、六歳の美琴の絶望を天秤にかけて——母は、迷わなかったのだろう。 「悠斗くんにも、その時は寂しい思いをさせてしまいましたよね……。ごめんなさい」 「美琴、謝らないで。それは、謝ることじゃない」  声が少しだけ震えた。飲み込んで、続ける。 「でも——その迦夜っていう怨霊が、美琴の家族を……僕の母さんを襲ったんだね」 「はい……」  美琴がベッドに向き直り、母の上にそっと手をかざした。指先が近づいた瞬間、弾かれたように腕が跳ね返る。 「……っ。やっぱり」  美琴の表情が険しく変わった。唇を引き結び、かざした手を胸元に引き寄せる。 「悠斗くん、間違いありません。遥さんは——迦夜によって呪われています」  心臓の音が耳の内側で速くなる。美琴の母は古の巫女の血を引いていた。並大抵の霊力ではないはずだ。それでも殺された。その怨霊が、母にも手を伸ばしていた。  もう——目を覚まさないのかもしれない。  その考えが浮かんだ瞬間、振り払おうとした。けれど、振り払えなかった。  沈黙が横た
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一一九話:新たな手がかりを求めて

 病院を出てから、しばらく。坂道を上りきった先で、桜翁が静かに迎えていた。  冬の空を背にした老木は、葉をすっかり落としている。太い枝だけが灰色の空へ伸び、花の季節がまだ遠いことをはっきりと伝えていた。それでもこの木の前まで来ると、悠斗の足は決まって止まる。 「そういえば、悠斗くん」  隣で足を止めた美琴が、幹へ目を向けたまま口を開く。 「前に言っていた、桜翁に呼ばれているような感覚。あれは、今もあるんですか?」 「ん? ああ……」  悠斗はすぐには答えなかった。言葉を探すというより、自分の内側にある感覚を確かめるような間だった。 「最近は特に強いんだ。呼ばれてる気がする。それも、前より少しずつ」  そう言って、そっと幹に手を当てる。  冬の樹皮は冷えているはずなのに、指先にはじんわりと熱が返ってきた。手のひらへ広がっていく温もりは、木のものというより、生き物の体温に近い。 「呼ばれている、ですか……。どうして悠斗くんは、そう感じるんでしょうね」  美琴の声は穏やかだった。ただ、その問いの芯だけは細く鋭い。 「僕にもわからない。でも、この感覚、昔からずっとあったんだ。最近は授業中でもさ、気づくと窓の外からこの丘を見てる」  幹から手を離せないまま、悠斗は苦く笑った。口にしてみると、やはりどこか奇妙だった。教室の窓越しに見える丘の影を、理由もないのに目で追ってしまう自分を、うまく説明する言葉はない。 「……もしかすると、悠斗くんの血に、なにか繋がりがあるのかもしれません」  その一言で、美琴の声の温度がわずかに変わる。 「この桜翁と? いや、さすがにそれは……」 「でも、悠斗くんの家系は桜織の創設者にまつわる血筋なんですよね。でしたら、まったく有り得ない話でもないと思います」  押しつける響きはなかった。ただ可能性を、そっと目の前に置くような言い方だった。  悠斗は幹に触れたまま、枝の先へ視線を上げる。葉を失った木の骨組みが、冬空いっぱいに広がっていた。 「うーん……」  うまく返せない。  母を見舞った病室の空気が、まだ胸の奥に残っている。意識のない母の横顔。美琴の涙。何も返さないまま、そこに横たわっていた沈黙。  母は、なにかを知っていたのだろうか。  巫女の血のことに気づいていたのなら、なぜ何も話さなかったのか。話
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一二〇話:事故物件と思い出の地

 二度目の花守温泉郷までの道のりは、拍子抜けするほど穏やかだった。  前に訪れたときのように霧が立ちこめることもない。視界を奪われる不安も、足元を探るような緊張もなく、山あいの道はただ静かに続いていた。冬の空気は冷たいのに、歩きやすさのせいか足取りまで軽い。 「この道って、霧がなければこんなに平和だったんだね」  悠斗が前を見たまま言うと、美琴も小さくうなずいた。 「そうですね。前回は、前も見えないほどでしたから」  あのときは、白く濁った景色の中を手探りで進むしかなかった。道そのものは変わっていないはずなのに、こうして晴れた視界の下にあるだけで、まるで別の場所みたいだった。 「でも、あのときは陽菜さんが現れて、僕たちを導いてくれたからね。今回は霧もないし、陽菜が現れる気配もないな」 「ええ。帰りに温泉郷の中を歩いて、陽菜さんを探しましょう。私も、彼女に会いたいですし」 「うん。……見て、美琴。もう着いた」  悠斗が指した先で、山の景色がふっと開ける。  その向こうに広がっていたのは、前に見たのと変わらない花守温泉郷の賑わいだった。湯けむりがあちこちから細く立ち上り、通りには人の声がゆるやかに行き交っている。冬の山あいにあるのに、この場所だけはどこか温度を持っていた。  二人の姿に気づいたのか、通りの脇にいた住民がこちらへ声をかけてくる。 「温泉郷へようこそ。あれ……? 君ら、一回ここに来てくれはらへんかった?」 「ええ。今年の夏ごろに、一度来ました」  悠斗がそう返すと、相手の顔がぱっと明るくなった。 「ああ、やっぱりや! なんや見覚えある思うたんよ。たしか……ここで手ぇつないではった、あのカップルさんやろ?」 「あ……あはは」  否定も肯定もできないまま、悠斗は曖昧に笑うしかなかった。 「まあまあ、また楽しんでいきや。ほなな!」  住民はそれだけ言うと、気さくに手を振って去っていく。  その後ろ姿を見送りながら、悠斗は小さく息をついた。初めて来たときと同じように、この温泉郷の空気は明るい。よそ者にも遠慮なく声をかけてきて、勝手に親しみを持って、勝手に去っていく。その陽気さが、妙にこの土地らしかった。   「それで……琴乃さんだったよね。その人は温泉郷につい最近引っ越してきたって言ってたけど、どんな人なの?」  美琴は大
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