Semua Bab 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Bab 101 - Bab 110

177 Bab

縁語り其の百一:デート?

僕は今、なぜか水着専門店の真ん中に、ぽつんと一人で立っている。 目に映るのは、目がチカチカするほどの色合いの水着。鼓膜はアップテンポな洋楽に叩かれ、店内にはココナッツみたいな甘い香りが満ちている。 ついさっきまで隣にいたはずの美琴は、押しの強い女性店員に言いくるめられ、あっという間に試着室の向こうへと姿を消した。 ──どうして、こうなったんだっけ。 思考の糸をたぐり寄せると、脳裏に数日前の光景が鮮やかに蘇る。 夏の陽射しを丸ごと吸い込んだみたいに、きらきらと弾ける声だった。 「悠斗君!! 私、海に行ってみたいっ!!」 桜翁の社で聞いた、沙月さんの「自分の気持ちに素直に生きなさい」という言葉。あれが彼女の中で確かな光になったのだと、僕は肌で感じていた。今までなら、きっと言えなかっただろう言葉。彼女がどれほどの勇気を出して、この一歩を踏み出したのか。その瞳には、今まで見たこともない、未来への強い期待が宿っていた。 「海か。……いい思い出になるかもね」 僕の声も、自分でも驚くほど弾んでいた。彼女の輝きに、心が自然と引かれていく。 この一年、僕たちはあまりにも多くのものと向き合いすぎた。だからこそ、日常から少しだけ離れて「普通」の時間を過ごすことは、何よりの癒やしになるに違いない。 「でも、私、水着なんて持ってないんだよね……」 そう言って、彼女はちらりと僕を見上げた。その視線。そこには、どこか遠慮がちな響きと、それでも隠しきれない期待が混じり合っていた。 もう一年以上、僕たちは共にいる。言葉にしなくても、その視線が何を意味するのかは痛いほど伝わってきた。これはきっと、「一緒に買いに行こう」という、彼女なりの精一杯の誘い。その事実が、僕の胸をじんわりと温かくする。 「じゃあ、明日行こうか」 僕の声は、きっといつもより少しだけ高かった。 「ほんと!? やったーっ!」 無邪気に喜ぶ美琴。その曇りのない笑顔は、見ているだけで心が洗われるようだった。 沙月さんがいなくなってしまった、空虚さを、彼女の笑顔が埋めてくれるようだ。 (この子を、もっと笑顔にしたいな) ……心の底から、そう思った。 *** そして今日、僕たちはここにいる。 目の前で悩ましげに唸る美琴の姿が、僕の目には新鮮で、どこか愛らしく映った。 「うーん……種類が多すぎて、
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-28
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縁語り其の百二:夏と海と港町

「悠斗君、人魚伝説って……知ってる?」 不意に投げかけられた声に顔を向ける。 美琴はどこか楽しげに、瞳の奥に悪戯っぽい光を宿していた。これから始まる冒険を待ち望んでいる子供のような、そんな表情。 「……声と引き換えに、足をもらったって話だよね?」 僕の知る人魚の物語は、悲しくて、儚い。子供の頃に読んだ絵本の、インクの匂いがふと脳裏をよぎった。 「そうそう! でもね、もうひとつ伝説がある場所が、この間テレビで特集されてたの。その場所──“月波町”っていう港町なんだって」 月波町。その響きには、どこか聞き覚えがあった。確か、海が有名な観光地だったはずだ。 「その、もう一つの伝説がね、なんだか、ずっと気になってて……」 「そこへ、行きたいの?」 そう問いかけると、美琴は少しだけ照れたように微笑む。そして、その視線が僕の目をまっすぐに射抜いた。 「うん。行く機会があるなら、行ってみたいなって……思ってたんだ」 彼女はそこで一度、言葉を切る。 そして、ほとんど吐息にしか聞こえないような、本当に小さな声で付け加えた。 「悠斗君と……」 その、消え入りそうな呟き。 僕の心臓が、不意に大きく音を立てた。 ぽっかりと空いた胸の穴に、彼女の願いが温かい光として注ぎ込まれるようだった。 彼女の願いを、叶えたい。この夏の始まりに、彼女の笑顔を一番近くで見たい。 理由は、それだけで十分すぎるほどだった。 「そっか…じゃあ、その月波町へ行こうか」 「ほんと!? やった〜!!」 こうして僕たちは、夏休みを使って月波町へと向かうことになったんだ。 *** 電車に揺られ、バスに揺られ、窓の外の景色が流れていく。 都市の灰色が遠のき、田園の緑が深まり、やがて視界の端に、きらりと光る青が近づいてくる。 そして、ようやく。 鼻先をかすめる、潮の香り。 バスを降りた瞬間、ふわりと肌を撫でる風。あたたかくて、どこか湿った、優しい空気。長旅でこわばっていた身体が、ゆっくりとほどけていくのを感じた。 目の前には、昔ながらの商店街。 色褪せた木の看板。瓦屋根の小さな薬局。観光地らしい派手さはないけれど、そのぶん、時間の流れが止まったような静けさが心地いい。戦いの日々が、遠い昔のことのように思えた。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-29
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縁語り其の百四:資料館での調査

こうして僕たちは、町の外れにひっそりと佇む資料館を訪れた。 白い壁は少し古びていたけれど、隅々まで手入れが行き届いていて、建物全体がどこか優しい空気をまとっている。館内に足を踏み入れると、古い紙の匂いと、開け放たれた窓から入り込む潮の香りが混じり合った、独特の匂いがした。 「よし、探すぞ……!」 僕は閲覧用の椅子に腰かけ、分厚い本の中から人魚に関する資料を抜き出す。指先でページをめくると、乾いた紙の擦れる音だけが、陽光の差し込む静かな空間に響いた。 そこに記されていたのは、おとぎ話のような、優しい文体で綴られた物語だった。 > ──人魚と青年の伝説── > むかしむかし、海の色がまるで宝石のように澄みきった、小さな港町がありました。 > そこには、心のやさしい、ひとりの少年がおりました。 > その子の名は、まだ誰にも知られてはおりません。 > けれど、彼は漁師の父のもと、毎日、海へ出ては魚を獲り、自然の恵みをいただきながら、静かに暮らしていたのです。 > ある日のこと── > 父と子がいつものように舟を出したその日、穏やかだった空が、まるで海の神様の気まぐれのように、にわかにかき曇り、嵐がやってきました。 > あっという間に海は荒れ、黒く高くうねる波が、ちいさな舟を容赦なく揺らしました。 > そして、どうにもできずにいた父と少年は、冷たい海へと、ぽちゃんと落ちてしまったのです。 > それからどれほどの時が流れたのでしょうか。 > 少年が目を覚ましたとき、そこは波打ち際の、見知らぬ無人島でした。 > どこを見回しても父の姿はなく、誰の声も聞こえません。 > 少年はひとりぼっちになってしまったことに気づき、不安に胸を締めつけられました。 > そのとき── > 『あなた……もう身体は大丈夫なの?』 > 背中から、澄んだ、鈴を転がすような声が聞こえたのです。 > 驚いた少年がそっと振り返ると、そこにいたのは、なんとも不思議な美しさをした女の人でした。 > その髪は夜の空よりも黒く、肌は真珠のように白く、瞳は海の底にある神秘を宿しているようでした。 > 『わたしは渚《なぎさ》。アナタが海に流されるのを見て、ここまで運んだのよ』 > そう、彼女は言ったのです。 > 少年はすぐには信じられませんでした。あの大嵐の中を、この細い腕で
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-29
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縁語り其の百三:伝説の在り処

──次の日。 僕たちは、人魚伝説について本格的に聞き込みを始めることにした。傾きかけた陽射しがアスファルトに長い影を落とし、潮風が火照った肌に心地いい。 「すみません、この町の人魚の伝説について、何かご存知ないですか?」 声をかけたのは、岸壁で網の手入れをしていたらしい、日に焼けた漁師のおじさんだった。節くれだった指で器用に網を補修するその背中から、海と共に生きてきた男の匂いがする。 「お、人魚の話か!」 おじさんは、がははと潮騒に負けないくらい豪快な声で笑う。 「最近はテレビでやってから、それを目当てに来る観光客も増えたからな。昔この町で、人魚と人間の男が恋に落ちたって話だ。まあ、よくある話さぁ!」 「でも、わしらは海に出てなんぼだからな。詳しいことはよく知らねえんだ。悪いな、若いの!」 気さくに手を振るその背中に、僕たちはぺこりと頭を下げた。隣で話を聞いていた美琴は、ただ静かに頷いている。その真剣な横顔は、いつもの霊障調査の時と少しも変わらない。 「……やっぱり、美琴が言ってたのとほぼ同じだね」 「うん……これっていう目新しい情報はなさそう」 不思議と、この町にはまだ何か隠されている。そんな予感がした。 町の中心部へと少し戻ると、小さな商店の前で店番をしている若い男性を見つけた。 「こんにちは、人魚伝説についてお聞きしたいのですが……」 僕が声をかけると、男性は人の良さそうな笑顔で顔を上げた。 「ああ、観光で来たの? この辺りじゃね、人魚の話は“人間になれなかった人魚の話”って言われてるんだよ。よくある絵本みたいに、声を失って足を手に入れるんじゃなくて、最初から“叶わないまま離れた”って話でね」 これだ。美琴が言っていた、もうひとつの伝説。 「叶わないまま……」 美琴が、わずかに眉を寄せる。その横顔に、物語への深い共感の色が浮かんだのが分かった。 「でね」と、店員の男性が少しだけ声を潜め、悪戯っぽく笑った。 「その人魚に恋した男が、悲しみのあまり、どこかに二人だけの“宝”を隠したっていう噂もあるんだよ」 ──宝? その響きに、心の奥で何かが弾けた。忘れていた子供の頃の冒険心が、むくむくと頭をもたげてくる。 「その宝っていうのが、今でもどこかにあるって言われてて。もし見つけ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-30
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縁語り其の百五:水の戯れ、夏の記憶

潮が引いたことで現れた砂の道を渡り、僕と美琴は無人島へと足を踏み入れた。 さっきまでの喧騒が嘘のように遠ざかり、聞こえるのは自分たちの足音と、遠くなった波の音だけ。木々が風にざわめき、知らない鳥の声が降ってくる。葉の隙間からこぼれる陽光が、地面にまだらな模様を描いていた。まるで、忘れられた時間の中に迷い込んだかのようだ。 目の前には、草に覆われた獣道が続いている。辛うじて、これが道だったのだろうと分かる程度の、細い痕跡。 「これは……道、だよね?」 僕が尋ねると、美琴は苦笑しながら頷いた。その表情には、ほんの少しの困惑と、それを上回る好奇心の色が浮かんでいる。 「うん……たぶん……?」 心許ない返事とは裏腹に、その足取りに迷いはない。彼女もこの「宝探し」を心から楽しんでいることが、僕には見て取れた。(彼女がこんなに楽しそうにしている。ただそれだけで、この骨の折れる探索も悪くないと思えるな) 島の奥深くへと歩みを進め、僕たちの目の前に、それは現れた。 まるで時が止まったかのような、ボロボロの小屋。風雨に晒され、色褪せた木材は腐食が進み、壁には大きな隙間がいくつも空いている。湿った土とカビの匂いが、この場所が刻んできた永い時間を物語っていた。 「悠斗君、これ……もしかして物語に出てきた、男の人の小屋だったりしないかな?」 美琴が、そっと囁くように尋ねる。その瞳は、目の前の廃墟の向こうに、遠い過去の物語を幻視しているようだった。 「どうだろう……でも、この古さなら、有り得るかも」 一歩足を踏み入れたら、全体が崩れ落ちてしまいそうだ。 「危ないから、外から見るだけにしよう」 僕がそう提案すると、美琴は静かに頷いた。 *** それから、さらに島の奥へと進む。腕時計の針は、午後三時を指していた。日差しはまだ強いが、森の中はひんやりとした空気が漂う。 「つ、疲れた……」 僕は道端の大きな岩に腰を下ろし、深く息をついた。全身から噴き出した汗で、シャツが肌にじっとりと貼り付いて気持ちが悪い。足はもう鉛のように重かった。 「確かに……ちょっとハードだったね……」 美琴も、僕の隣にちょこんと腰を下ろす。額に浮かんだ汗の玉が、陽光を浴びてきらりと光った。疲れているはずなのに、その姿はなぜか目を引くほどに美しい。 「悠斗君、お水もらえるかな?」 「
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-30
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縁語り其の百六:潮騒に紛れる歌

それからまた、数十分が経っただろうか。 僕たちは、陽光がまだらに差し込む森の中を、ひたすらに歩き続けていた。けれど、宝に繋がるような手がかりは依然として見つからない。 (もしかしたら、宝なんて本当は無いのかもしれない……) そんな弱気な考えが、汗と共にじわりと脳裏に浮かび上がる。 いや、だめだ。まだ諦めるわけにはいかない。 ……ただ、何事にも休憩は必要だ。そうだ、休憩しよう。 僕は、あることを思いつき、隣を歩く彼女に声をかけた。 「今から、泳ぎに行かない?」 「えっ!?」 唐突な僕の提案に、美琴が驚きの声を上げる。 「せっかく水着買ったんだし、着ないと、もったいないでしょ?」 ……というのは建前で、本当は、ただ彼女の水着姿が見たいという気持ちが大きいのは、墓場まで持っていく秘密だ。 「そ、それは……そうだけどぉ……」 もごもごと口ごもる美琴。その反応が、僕の決心を後押しした。 「ほら、行こうよ!」 「わわっ……!そ、そんなに引っ張らないで〜!」 僕は彼女の手を取り、今来た道を引き返し始めた。不意に引かれた美琴は驚いていたけれど、その手はすぐに、僕の手を優しく握り返してくれた。その小さな反応だけで、僕の心は満たされる。 浜辺に戻り、海の家でそれぞれ着替えを済ませる。先に終わらせた僕は、ベンチに腰掛け、逸る心を落ち着かせようと努めていた。 (美琴の水着か……。どんなのだろう、楽しみだな……) そんなことを考えていた、その時だった。 「お、お、お待たせ……!」 聞こえたのは、緊張で少しだけ上ずった、愛しい声。 振り返った僕の目に映った光景に、思考が止まる。 「っ……!!」 そこに立っていたのは、僕の知らない美琴だった。 店員に勧められたという白のビキニは、彼女の白い肌をより一層際立たせている。けれど、その上から重ねられた薄いレースの羽織りと、腰に巻かれたパレオが、大胆さを上品に隠していて、かえって目を奪われる。 そして、左の手首。そこには、今では彼女が決して手放さない沙月さんの数珠が、夏の強い日差しを浴びて、清らかな光を放っていた。 彼女が背負う宿命と、今この瞬間を生きる一人の少女としての輝き。その全てが同居している奇跡のような光景に、僕は言葉を失っていた。 「ど、どうかな……?」 僕の沈黙に、美琴が不安そうな声を
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-01
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縁語り其の百七:滝裏の洞窟

「まだ……聞こえるね」 僕の呟きに、美琴は静かに頷いた。 あの物悲しいハミングは、まるで僕たちを島の奥深くへと手招きしているかのようだ。微かに、それでいて途切れることなく、ずっと耳の奥に響いている。 濡れたシャツが肌に張り付く感触が気持ち悪い。潮の香りを背中に感じながら、僕たちは無人島の中心へと、再び足を踏み入れた。それは、引き返すという選択肢を失った、何かに導かれるような一歩だった。 草木をかき分けると、湿った葉がてのひらに冷たい感触を残していく。 森の空気は、先ほどよりも明らかに密度が濃く、ひやりとしていた。陽光は木々に遮られ、まるで深い水底にいるみたいに、辺りは青みがかった光で満たされている。 昼間の喧騒も、海のきらめきも、もうどこにもない。ここにあるのは島がもともと持っている静寂。──人を寄せつけない、何かをその内に抱え込んだ沈黙だけだ。 ……その、静寂の中で、ふと気づく。 今までずっと背景にあった音が、ひとつ、抜け落ちている。 「……あれ?」 耳を澄ましても、さっきまで聞こえていたハミングが、すっぽりと消え失せていた。 「歌が聞こえなくなった……?」 僕が立ち止まると、美琴も足を止め、不思議そうに首を傾げた。 「美琴、どうかしたの?」 「悠斗君……あっちから、何ていうか……地面が震えるような音がしない?」 彼女が指さす方向に耳を澄ます。確かに。何かが絶え間なく打ちつけられるような、低く重い音が、森の奥から響いてきていた。 「……滝、かな」 それ以外に考えられない。大量の水が、高い場所から落ちる音だ。 「私たち、島の中央を通ったとき、こんな音しなかったよね?」 「うん。でも……ほら、時間によって現れたり消えたりする滝って、たまにあるから。ちょうど、僕たちが通ったときは止まってたのかも」 「なるほど……」 美琴は納得したように小さく頷いた。 「行ってみようか。もしかしたら、なにか手掛かりくらいはあるかもしれない」 言葉にしたというより、心がそう告げていた。 僕たちは、地響きのようなその音に導かれるように、島のさらに奥へと進んでいった。 *** やがて、木々が途切れ、視界が開ける。 そこに広がっていたのは──言葉を失うほどの光景だった。 巨大な岩壁。その上から、白い水の塊が凄まじい音を立てて降り注いでいる。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-01
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縁語り其の百八:瓶に詰まった想い

「風が……来てる」 僕の背中で、息を呑む気配がした。次の瞬間、美琴が僕の肩を強く掴む。 「最後に行ってみようよ、悠斗君!」 その声には、怪我の痛みを感じさせないほどの、強い意志がこもっていた。 「でも、美琴の足が……」 「いいの! ここで引き返す方が、私、きっと後悔する。それでもいいのかな〜?」 悪戯っぽく、それでいて有無を言わせない真剣な響き。 (この子は、本当に……!) 自分の痛みよりも、僕の探求心が潰えることを気遣ってくれている。その優しさが、ありがたくて、少しだけ胸の奥がちくりと痛んだ。 「ふふっ、決まり。さあ、早く連れて行って、悠斗君!」 「はぁ……わかった。ありがとう」 その思いやりに、僕は小さく笑って応えるしかなかった。彼女が指差す風の源へ、ゆっくりと、しかし確かな一歩を踏み出す。 行き止まりに見えた壁。しかし、近づくにつれて、その異質さがわかった。 美琴に言われるまでもなく、僕も気づく。これは自然の岩肌じゃない。大小さまざまな岩が、明らかに人の手で積み上げられ、壁として設えられている。 「人の手で……塞がれてるんだ」 「……悠斗君」 背中から聞こえる、期待に震える声。僕はもう一度、彼女の足を気遣う言葉を飲み込んだ。 「……わかった。ちょっと待ってて」 美琴をそっと降ろし、自分が羽織っていたシャツを脱いで、乾いた地面に敷く。 「えっ?」 「この上に座ってて。そのままじゃ冷えるし、お尻も痛いでしょ」 「でも、悠斗くんのシャツが汚れちゃう……」 「いいから」 僕が有無を言わさぬ口調で言うと、彼女は不満そうな、でもどこか嬉しそうな、複雑な声を漏らしながら、おとなしくシャツの上に腰を下ろした。 「よし。じゃあ、少しだけ頑張るから」 僕は積み上げられた岩の一つに手をかけた。ずしり、と腕に確かな重みが加わる。湿った土の匂い。一つ、また一つと、音を立てないように、慎重に岩を脇へとどかしていく。すべてを崩す必要はない。僕一人が、身を屈めて通れるだけの隙間があれば、それで良かった。 *** どれくらいの時間が経っただろうか。額から滴る汗を腕で拭う。目の前には、人が一人、ようやく通れそうな闇の入り口が、ぽっかりと口を開けていた。 「よし……やっぱり、奥があった」 「気を付けてね……!」 「うん。美琴も、何かあった
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-02
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縁語り其の百九:煌めきの残響

僕は岩の隙間を再びくぐり抜け、あの静謐な空間へと一人で戻った。 ひんやりとした空気が、火照った肌を優しく撫でる。僕は固く握りしめていた革袋を見つめ、海へと繋がる水路の前に立った。 これは、二人のものだ。僕たちのものでも、他の誰のものでもない。 「この想いが、誰の手にも渡らず、還るべき場所へ届きますように」 それは、祈りだった。 僕は革袋を、そっと水路へと滑らせる。ぽちゃん、と控えめな音を立てて、それは水面に吸い込まれ、あっという間に揺らめく闇の向こうへと消えていった。 人魚、か。幽霊とはまったく違う、未知の存在。 でも、もし本当に彼女が、不老不死という伝説の通りに今もこの海のどこかで生きているのなら……。そんなありえない期待が、胸を掠める。 ……これで、僕たちの役目は終わりだ。 そう思い、踵を返して来た道を戻ろうとした、まさにその時だった。 ──すぐ真後ろで、あの歌が聞こえた。 遠くから響いていた物悲しいハミングが、まるで吐息がかかるほど近くで、僕の耳元に直接響く。 そして、歌声と同時に、心臓を鷲掴みにするような、生々しい水音が背後で弾けた。 「……っ!?」 弾かれたように振り返る。 けれど、そこには誰もいなかった。 ただ、先ほどまで鏡のように静かだった水面が大きく波紋を広げ、周囲には今まさに弾けたばかりの水飛沫が、きらきらと飛び散っているだけ。 僕は、ただ息を呑み、その光景を見つめることしかできなかった。 *** 「ただいま……」 呆然としたまま美琴の元へ戻ると、彼女は心配そうな顔で僕を迎えた。 「おかえり! どうだった?」 「……美琴。も、もしかしたら、すぐそこに、人魚がいたのかもしれない……」 「え……? それって、どういうこと……?」 うまく言葉にできた自信はなかったけれど、僕は今しがた起きた、信じがたい出来事を彼女に話した。耳元で聞こえた歌声のこと。大きな水音と、その痕跡のこと。 僕の話を聞き終えた美琴は、驚きに目を見開いていたが、やがて、ふっと柔らかく微笑んだ。 「そっか……。それなら、良かった」 「え?」 「だって、ちゃんとお礼を言いに来てくれたってことでしょ? 私、なんだか嬉しいな」 (なるほど……彼女はそう捉えるんだ) 「……うん。そうだね。」 安心したら、どっと力が抜けた。僕はもう一度
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-02
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縁語り其の百十:秋風と断末魔

あれだけ肌を焦がすようだった太陽の熱は影を潜め、耳元で飽きるほど鳴り響いていた蝉時雨も、いつしかぴたりと止んでいた。空は高く澄み渡り、アスファルトの揺らめきの代わりに、どこか寂しさを運んでくるような、乾いた風が頬を撫でていく。 夏が、終わったんだ。 校庭の木々が、赤や黄色にその葉を染め上げる季節。僕たちの周りの世界は、鮮やかな紅葉に彩られていた。 「そういえば悠斗君」 昼休みの、人の少ない中庭。ベンチに座ってぼんやりと空を眺めていると、隣にいた美琴が不意に口を開いた。 「前に私が話した、廃校のこと覚えてるかな?」 「もちろん。確か、おばあさんの霊が出るっていう場所…だったよね?」 「そうそう! 毎晩、同じ時間に現れては、校舎の中を誰かから逃げるように徘徊してるんだって。そこに居合わせた人に、目撃されるっていう、有名な心霊スポットなんだよ」 「なるほど。じゃあ、そこに今晩行かない? ってことだね?」 僕が悪戯っぽくそう言うと、美琴は少しだけ驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑みを浮かべる。 「さすが悠斗くん…! 鋭い…!」 「はは、いいよ。じゃあ今夜、行ってみようか」 「ありがとっ!」 こうして僕たちは、その日の夜、町外れにあるという廃校へ向かうことになったんだ。 *** 「待ってください! 話がしたいだけなんです!」 月明かりだけが差し込む、カビと埃の匂いが混じり合う廊下。僕の叫びは、まるで分厚い壁に吸い込まれるかのように、虚しく響くだけだった。 目の前では、半透明の老婆の霊が、人間には不可能な体勢で床を這い、必死に逃げ惑っている。 『ひぃぃぃ…!!来ないでおくれぇぇ!!』 尋常じゃない怯え方だ。 僕たちがこれまで対峙してきた霊は、未練や悲しみに満ちていた。だが、この霊から感じるのは、純粋で、絶対的で、底なしの「恐怖」だけだった。まるで僕たちが、逃れようのない死そのものであるかのように。 霊は、ふわりと宙に浮きながら、淀みなく階段を駆け上がっていく。疲れを知らない相手とは対照的に、僕の肺は酸素を求めて悲鳴を上げていた。 「はぁ…はぁ…! ま、待ってくださいってば!」 上の階の廊下に出ると、角を左に曲がっていく霊の背中が見えた。 その、直後だった。 『ぎゃぁぁぁ!!離しておくれぇ!!』 甲高い悲鳴。 そして、曲がり角の
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-03
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