やがて追いつかれたのは、三度目の角を曲がり損ねた時だった。 背中に、冷たい衝撃。 刃が肉を裂く感触はない。血も出ない。けれど魂の表面を鋭利な何かが抉る感覚は、肉体の痛みよりもよほど深く、よほど正確に悠斗の神経を灼いた。霊の刃は肌を素通りし、その奥にあるものだけを傷つける。身体は無傷のまま、中身だけが壊されていく矛盾。 「うっ……!!」 膝が折れかける。視界が歪み、コンクリートの床が急激に近づいた。両手をついて踏みとどまったのは、意志の力というより反射だった。背中から腰にかけて広がる鈍痛が、立ち上がるという動作そのものを拒絶している。 それでも、悠斗は立った。 よろめきながら、また走る。もう走るとは呼べない速度で、壁伝いに、足を引きずって。 背後の気配が変わっていた。 さっきまでの怒号がない。暴れ回る足音もない。代わりに聞こえるのは、ゆったりとした足取り。そして——鼻歌でも歌い出しそうなほど弾んだ気配。 『どうやったら、オマエをもっと苦しめられるかなぁ……』 振り返らなくても分かる。あの男は今、笑っている。満面の笑みを浮かべて、わざとペースを落として、獲物が逃げ惑う姿を眺めている。苛立ちに支配されていたほんの数分前とは別人だった。自分より弱い存在を痛めつけられるという、ただそれだけの事実が、黒崎剛三のすべてを満たしている。 ——人とは、ここまで簡単に切り替わるものなのか。 吐き気がした。恐怖とは違う、もっと根本的な嫌悪。この男を美琴の前に立たせてはいけない。獣ですらもう少し理由のある殺し方をする。 「はぁ……、ははっ……」 不意に、笑いが漏れた。 自分でも驚くほど自然に、乾いた笑声が喉から転がり出る。痛みと疲労の果てに辿り着いた場所で、悠斗は笑っていた。 あんなに臆病だった自分が、ここにいる。霊を前にして震えるだけだった自分が、殺人鬼の囮を買って出て、挑発までして、刺されてなお走っている。怖くないわけがない。身体は限界をとうに過ぎている。けれどこの瞬間、後悔という感情だけは、どこを探しても見当たらなかった。 母のようにはいかない。美琴のようにもなれない。それでも——その隣を、今は歩けている。 今の自分が、嫌いではなかった。 『んだよ、何笑ってやがる。気でも狂ったかァ?』 黒崎の声に、わずかな苛立
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