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Nox.Ⅳ『死神のデビュタント』II

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-07-26 20:37:18

「なんとかするのは、私たちじゃなくて〝貴方〟ね……」

「おい、マジか、あんた。今さっき死神になったばっかの生徒を普通一人で戦わせるか?」

「死神の戦い方は移動中に教えたでしょ……。獅子は我が子を谷に突き落とすものよ……」

「めんどくさいだけだろ?」

「……寝たわ(寝言)」

「(寝言)をそのまんま言うんじゃねぇよ……」

 ヘレンシアの頭部に気持ちよさそうに寝っ転がる彼女は、どうやら本当に手出しをする気はないらしい。

 ついには、うっすらといびきまで聞こえてきた。

 呆れ混じりの嘆息を漏らした後、レイフは視線を迫り来る男たちの方へと向ける。

 こちらの出方を伺いながら四人の男たちは二組に分かれ、左右からじわじわと距離を詰めてきていた。

「やるしかねぇか」

「お前は俺達の狩りを邪魔した。殺す……」

 研ぎ澄まされた剣のような殺意が男達の瞳から放たれ、ちりちりとした感覚がレイフの背筋を駆け抜けた。

 クロヴィスが所有する|離魂剣《アエテリス》により魂を奪われた彼らの身体には、冥界から脱走した罪人達の魂が|憑依《ひょうい》している。

「お前らの不幸には同情するぜ? けどよ、もう元の魂が戻るわけじゃねぇんだ。それにこれ以上、誰かが犠牲になるのも見たくはねぇ。だから、こっちも手心を加える気はねぇよ」

 レイフは懐から漆黒のカードを一枚取り出すと、それを上空へと勢いよく放り投げた。

 瞬く間に宙を舞うカードからは、瑠璃色の幻想的な紋様が刻まれた魔法陣が展開する。

 魔法陣の中から最初に現れたのは、瑠璃色の輝きを放つ宝石が先端に付いた鎖分銅だ。

 その後、徐々に漆黒の柄が姿を見せてゆき、最後には黒と瑠璃の|二色《ツートン》に分かたれた刃が出現する。

 〝鎖鎌〟と呼ばれる東方の国々で、使われる暗殺に適した武具だ。

 だが、これはどちらかといえば扱いこそ難しいものの、近接戦への対応能力や殺傷力も向上させた|大鎌型《デスサイズ》だ。

 レイフの死神としての〝|鬼才《グロリア》〟――【|貪婪なる王の宝物庫《アワリティア・コレクション》】

 これは|冥界《オルクス》に古の時代から存在する宝物庫より、カードを媒体として様々な武具を呼び出すものだった。

 東方の国々で暮らしたこともないレイフには当然、鎖鎌のような武器は扱った経験などない。

 だが、先ほどいくつかの武具を試したところ、もっとも気に入ったものがこれだった。

 何よりも、その見た目がレイフの心にグッとくるものがあった。

 レイフ・ヘーデンストローム――17歳、彼は見た目のかっこよさを重視するタイプの少年だった。

「待てよ、娯楽誌の典型的な展開に従うなら、こういうときって口上みたいなんがあった方が良いのか? 〝死神見参、悪は俺たちが許さない!〟みてぇなの……」

「何をごちゃごちゃと……。お前ら、やれ!!」

 大鎌を握りながら、うーんと唸る様子を見せるレイフの態度に|痺《しび》れを切らした右端の男が発した号令を受け、左右から一人ずつ、男が駆け出す。

 彼らは空間に黒い魔法陣を出現させ、そこから禍々しい|紫色《ししょく》の光を纏う|剣《つるぎ》を取り出した。

 後方に残った二人は魔法陣から弓を出現させると、右手には|紫色《ししょく》の光の矢を生み出す。

 彼らは口元に嗜虐的な笑みを浮かべると、|天《そら》へと弓の狙いを定める。

 一泊置いて、二人の男はそれを上空に向けて|射《い》た――。

 解き放たれた光の矢は天空に新たな魔法陣を生み出し、そこからさらに数十以上の矢を出現させた。

 それは光の雨となりて、レイフへと向けて降り注いでゆく。

「はっ、上等じゃねぇか」

 レイフは鎖分銅に回転を加えると、宙へと向けて勢いよく|投擲《とうてき》した。

 次の瞬間、硝子が砕け散るような音が夜闇に響き渡る。

 勢いそのままに鎖分銅は、降り注ぐ光の矢を左から薙ぎ払ってみせた。

 砕け散った矢は|紫色《ししょく》の幻想的な光の粒子となりて、|星屑《ほしくず》のように夜空を照らしながら地上へと落ちてゆく。

 レイフは即座に剣を手に斬り掛かる二人の男へと視線を移すと、懐から新たに漆黒のカードを一枚取り出し、右側から迫る男へと向けて|投擲《とうてき》した。

 カードからは、即座に瑠璃色の魔法陣が展開――白銀の短剣が生み出され、男へと向けて放たれる。

 短剣の軌道を見極めた男は、冷静に剣を盾として防御体制をとった。

「そんなもので……」

「足元がお留守だぜ? おっさん」

「なっ——!?」

 短剣は男の剣と衝突するその瞬間――軌道を下方へと変えて、投擲の勢いそのままに男の太ももを貫通した。

「があぁぁっ!!!」

 血飛沫が舞い、駆け抜ける激痛が男をその場に跪かせる。

 突如として味方がやられたことにより、一瞬の隙が生まれたもう一人の男へと、レイフは即座に|瑠璃《ラピスラズリ》の鎖分銅を投擲した。

「ぐっ!?」

 狙い違わずに男の体を絡め取った鎖分銅を、弓を構えている男のもとへと、レイフは渾身の力で投げつける。

「はあぁぁっ!!!」

「なっ——!?」

 まともに反応をする間さえもなく、弓使いの男の体はいとも簡単に吹き飛ばされてゆく。

「くそっ!! 死ねぇ!!!」

 左側で弓を構えていた男が、ヤケをおこしたかのように矢を天へと向けて乱射する。

 瞬く間に空中に魔法陣が浮かび上がり、数十を超える紫の光が雨となって、再びレイフへと降り注ぐ。

 レイフは鎖から手を離すと、冷静に懐から一枚のカードを取り出し、夜空へと向けて投擲した。

 瑠璃色の魔法陣が上空に展開すると、黄金の巨大な盾がレイフの頭上に生み出された。

 無数の矢は盾へと息つく暇もなく飛来するが、盾がその侵入を許すことはない。

 レイフは手を鎖へと戻すと、即座に剣士を拘束していた鎖分銅を引き戻す。

「これで終いだ!!」

 続いて鎖を両手に持ちかえると、回転を加えた後に今度は刃の方を、次の矢を準備していた男へと向けて放つ。

 宙を薙ぎ払うが如き勢いで踊る大鎌は、狙い違わずに男の弓を握る左腕を奪い去った――。

「があぁぁっ!!」

 血飛沫と苦悶の声が響き渡り、レイフの〝|初めての戦い《デビュタント》〟は幕を閉じた。

◆◇◆◇

 レイフの目前には、鎖で身体を拘束された四人の男が並んでいた。

「はぁぁ……。終わったみたいね」

 背後から聞こえた声に振り返れば、身体を伸ばしながら|欠伸《あくび》をするヴィオレタが、こちらへと歩いてきていた。

 命懸けで戦っていた生徒の前でよくも、ここまでくつろげるものだとレイフは呆れる。

 そんなレイフの気も知らず、まだ眠そうに目元を擦りながら彼女は、すっかりと抵抗を諦めた男たちを見下ろす。

「はじめてにしては上出来だわ。さて、レイフ、次の命令よ」

 一転して表情を冷たく真剣なものへと変えると、藤の花弁を想起させる唇に指を添えて、レイフの顔へと視線を向けた。

「彼らの首を|刎《は》ねなさい――」

「ヴィオレタ先生……?」

 冷酷な指示を下す彼女の声音に、冗談の色は皆無だ。

 その姿は、まさに極刑を告げる審判者のように冷艶な美を纏っていた。

「貴方だって、わかっていることでしょ。外見がどんなに人間のものだろうと、彼らのもとの魂はもう戻ることはない。彼らに奪った体で好き勝手にさせれば、さらなる犠牲者を生み出すだけよ」

「わかってる、それはわかってる……!」

 震えるレイフの手の上にヴィオレタのそれが重なり、幽玄な光を纏う|灰簾石《タンザナイト》の瞳が彼を射抜く。

「こんなところで|躊躇《ちゅうちょ》しているようでは、これからの戦いでは、命がいくつあっても足りないわ。私達が戦う相手は、半端者のお守りをしながら勝てるような相手ではない。覚悟を決めなさい、|死神《リーパー》レイフ・ヘーデンストローム——」

 レイフはもう一度、拘束した男達の姿を見下ろす。

 外見は旧市街のような場所ならば珍しくない不良達だ。

 だが、その精気に欠ける瞳は、どこまでも虚ろな色を浮かべている。

 彼らの表情には唯一、目の前に立つ自分達への憎悪だけが浮かんでいるように感じられた。

「なぁ、教えてくれよ、ヴィオレタ先生。ここで俺が手を下したとして、あいつらの魂はどうなるんだ?」

「二度の生における罪は許されない。|冥界《オルクス》で彼らの自我を消滅させたうえで、天に還すことになるわ。|天界《カエルム》で女神達が新しい自我を与えた|後《のち》、改めて現世に送ることになるでしょうね……」

「そうか……」

 自分が今、できることはなにか。

 それは、これ以上の犠牲者を出さないこと。

 レイフの世界には以前は自分と姉しか居なかった。

 だが、気がつけば多くの大切な守りたいと思えるものを抱え込んでいた。

 それもすべて、たった一人の女性のせいで。

 自分の世界を守る、そのために自らの手で、男たちの魂を消滅させる選択をする。

 目の前に居る|大切な女性《ヴィオレタ》に一人で、この〝|業《ごう》〟を背負わせはしない。

 ――俺が、俺の意志で背負うんだ。

 次の瞬間、四つの首が、夜闇を舞った――。

 淋しげな蒼月の薄明かりが地面に染み込んだ鮮血を照らし出す。

「クソッ……。後味、最悪過ぎんだろ」

「〝|善なる魂には安らぎを、迷える魂には時間を、罪深き魂には永久の眠りを《Quies aeterna animis bonis, tempus animis errantibus, somnus perpetuus animis peccatorum tribuantur》——〟」

 瞳を閉じたヴィオレタは胸にほっそりとした白い手を、そっと当てると、静かな祈りの|言の葉《ことば》を|紡《つむ》いだ。

 耳慣れない言葉のはずだが、レイフにはその意味を理解することができた。

 これも|死神《リーパー》となった証なのだろう。

 男達の体が蒼い炎に包まれて消えてゆくと、その中から白い光を|纏《まと》う球体が現れ、それは空へと昇ってゆく。

 レイフは、その場に座り込むと空へと向けて、冷たい息を吐き出した

「なぁ、ヴィオレタ先生……」

「なによ……?」

「なんで全知全能な女神様が魂を与えた人間が、そこまで悪いものになっちまうんだろうな。あいつらだって、生前に罪を犯してなければ冥界で罰も受けてはなかったはずだろ?」

「さぁね、知らないわ。ただ、この世界が女神の創造した箱庭であるなら……ただ、歯車のように正確にまわり続けるだけの〝玩具〟というのは、とても見ていて退屈でしょうね」

 二人の姿を蒼白い月明かりが、幽麗に照らしだし、その一角だけが静謐な神秘性を纏う。

 レイフたちは、それ以上の会話を続けることもなく、空に昇ってゆく白い光を見つめていた。

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