「なんとかするのは、私たちじゃなくて〝貴方〟ね……」「おい、マジか、あんた。今さっき死神になったばっかの生徒を普通一人で戦わせるか?」「死神の戦い方は移動中に教えたでしょ……。獅子は我が子を谷に突き落とすものよ……」「めんどくさいだけだろ?」「……寝たわ(寝言)」「(寝言)をそのまんま言うんじゃねぇよ……」 ヘレンシアの頭部に気持ちよさそうに寝っ転がる彼女は、どうやら本当に手出しをする気はないらしい。 ついには、うっすらといびきまで聞こえてきた。 呆れ混じりの嘆息を漏らした後、レイフは視線を迫り来る男たちの方へと向ける。 こちらの出方を伺いながら四人の男たちは二組に分かれ、左右からじわじわと距離を詰めてきていた。「やるしかねぇか」「お前は俺達の狩りを邪魔した。殺す……」 研ぎ澄まされた剣のような殺意が男達の瞳から放たれ、ちりちりとした感覚がレイフの背筋を駆け抜けた。 クロヴィスが所有する|離魂剣《アエテリス》により魂を奪われた彼らの身体には、冥界から脱走した罪人達の魂が|憑依《ひょうい》している。 「お前らの不幸には同情するぜ? けどよ、もう元の魂が戻るわけじゃねぇんだ。それにこれ以上、誰かが犠牲になるのも見たくはねぇ。だから、こっちも手心を加える気はねぇよ」 レイフは懐から漆黒のカードを一枚取り出すと、それを上空へと勢いよく放り投げた。 瞬く間に宙を舞うカードからは、瑠璃色の幻想的な紋様が刻まれた魔法陣が展開する。 魔法陣の中から最初に現れたのは、|紫色《ししょく》の輝きを放つ宝石が先端に付いた鎖分銅だ。 その後、徐々に漆黒の柄が姿を見せてゆき、最後には黒と紫の|二色《ツートン》に分かたれた刃が出現する。 〝鎖鎌〟と呼ばれる東方の国々で、使われる暗殺に適した武具だ。 だが、これはどちらかといえば扱いこそ難しいものの、近接戦への対応能力や殺傷力も向上させた|大鎌型《デスサイズ》だ。 レイフの死神としての〝|鬼才《グロリア》〟――【|貪婪なる王の宝物庫《アワリティア・コレクション》】 これは|冥界《オルクス》に古の時代から存在する宝物庫より、カードを媒体として様々な武具を呼び出すものだった。 東方の国々で暮らしたこともないレイフには当然、鎖鎌のような武器は扱った経験などない。
ヴィオレタとのある意味、いつものやり取りを終えたレイフは、彼女から|死神《リーパー》や|冥界《オルクス》といった、知っておくべき知識についての解説を受けていた。 話を聞くレイフの表情は真剣そのものだ。 まずは状況を把握した上で、今後の指針を決めなければいけないだろう。 ヴィオレタの説明は意外なほどに丁寧なものだった。 もしも少しでも彼女に〝やる気〟というものがあるならば、意外と教師という仕事は向いているのかもしれない。 「なるほどな……。いろいろと理解が追いつかねぇってのが本音だが、人が死んだあとに行く、|冥界《オルクス》って場所があるってことで良いのか?」 「えぇ、死後に肉体から離れた魂が辿り着くのが〝冥界〟。そこで善良と|見做《みな》された魂は、神々の暮らす世界〝|天界《カエルム》〟へと昇っていくわ……。でも、悪しき魂は冥界から出ることを許されず、犯してきた罪の重さに相応しいだけの時間、裁きを受けることになる」「その冥界を管理して守護するのが、あんたら〝|死神《リーパー》〟ってわけか」「〝あんたら〟じゃなくて、〝貴方〟もよ……」 ヴィオレタは呆れたようにレイフのことを指差してくる。 「人を指差すな」と軽く払うと、彼女はムッとした|表情《かお》をしてみせる。 いつもどおりのくだらない戯れ合いがはじまりそうになった、そのとき、ヒューッと静かに吹き抜ける秋風に乗せて、女性のものと思われる悲鳴が|微《かす》かに響いた。 気怠げな雰囲気を|纏《まと》っていたヴィオレタの表情が一瞬にして、真剣なものへと様変わりする。「かなり遠くから聞こえたな……」「死神の聴力は人間のそれよりも遥かに優れているわ。そしてこのタイミング……」「さっきのあいつらか?」「えぇ、あなたにはちょうど良い練習相手かもしれないわね。説明の続きは移動しながらするわ、戦ってもらうわよ……。覚悟はいいかしら、新人くん?」「はっ! 当然だ!!」 レイフとヴィオレタは、夜の街を屋根|伝《づた》いに駆け抜け出す。「っ――!?」 人間だったときには、とてもではなかったが、出せなかった速度や跳躍力にレイフは思わず息を呑んだ。 だが、動揺したのも一瞬のこと――身体の軽さに慣れてくればそれを楽しむ余裕も生まれてきた。 視線を下へと向ければ、煌びやかな夜のアル
「|死神《リーパー》……?」 それは先ほど、ヴィオレタが男性たちと話している中で、登場した|単語《キーワード》だ。 「えぇ、肉体という檻から解放された魂が辿り着く世界——〝|冥界《オルクス》〟を守護する者たちの呼称よ……」 なんとか彼女の話を理解しようとするも、脳が既にまともに機能してくれていない。 レイフは、どんどんと自分の意識が、この世界から遠のいていくのを感じていた。 視線の先にあるヴィオレタの顔も、王都が誇る美しき夜の街と星空も、今はそのほとんどが|霞《かす》んで見える。 その中でヴィオレタの抑揚がない気怠げな声だけが、|明瞭《めいりょう》にレイフの|鼓膜《こまく》を揺らす。 |日の出前の夜空《ブルーアワー》の色を映したかのようなヴィオレタの髪が、顔にかかると、ひんやりとした心地良さと、柑橘系の凛とした香りが身体を突き抜けてゆく。 ここがどこか遠い、星明かりに照らされた湖のほとりなのではないかという錯覚に陥り、意識を自ら手放してしまいそうになる。 だが、憂いを帯びたヴィオレタの切なげな瞳が、レイフに視線を逸らすことを許さなかった。 彼女の瞳に浮かぶ孤独な気配はどこか、今も夜空をたゆたう蒼月と似ていた。 彼女の語る話はあまりにも荒唐無稽だ。 とてもじゃないが、簡単に信じて受け入れることようなものではない。 それでも――。 |憂愁《ゆうしゅう》の色を|表情《かお》に浮かべるヴィオレタは、まるで悔恨という名の檻に囚われた囚人のようだった。 今ここで彼女を一人にして眠ることなど、できるものか。 彼女のおかげでほんの少しの間だが、姉以外の人の温かさに触れることができた。 レイフの脳裏に彼女が学院に来てからの記憶が、無数の宝石のように極彩色を纏って甦る。 はじめは彼女の身勝手さに振り回されているだけだった。 学校一、いや、街で最も有名な不良が新人教師にパシリのように扱われていることに、最初は周りも笑っていただけだった。 だが、彼らの見方も徐々に変化してゆく。 勉強を教えた後にクラスメイトから、お礼を言われることが増えた。 最初は怖かっただけだろかも知れない。 だが、段々と〝ありがとう〟と伝える彼らの顔には、まぶしい笑顔が浮かぶようになった。 それはときに、照れたようなものだっ
ヴィオレタは立ち上がると、瞳を研ぎ澄まし、鋭い眼光でクロヴィスを射抜く。 彼は、わざとらしく弱ったように嘆息してみせると、何も知らない相手ならば、それだけで警戒心を解いてしまうだろう柔らかな笑みを浮かべた。 「やぁ、久しぶりだね。ヴィオレタ・ウルバノヴァ——」 「えぇ、できれば二度と会いたくなかったわ。クロヴィス・リュシアン・オートクレール……」 次の瞬間、一陣の風がヴィオレタの身体を突き抜けた――。 「っ――!?」 背後に気配を感じたときには、既に遅い。 クロヴィスのほっそりとした白い手が、彼女の月明かりを浴びた湖面のような紺青色の髪を一房、掴んでいた。 「ふふふ、そう|睨《にら》まないでほしいなぁ〜。美貌は、君の数少ない取り柄なんだから。まぁ、そうして怒っている顔も、また美しくはあるけどね。君と〝また〟――こうして遊べるのを僕がどれだけ愉しみにしていたかわかるかい?」 |柘榴《ザクロ》を思わせる艶やかな唇で睦言を紡ぐように、彼は囁くと、静かにヴィオレタの髪に口付けた。 「言ってくれるわね……。たしかに、私が銀河を新たな戦火で包み込むほどの絶世の美女であることは、疑いようもない事実だけど」 「いや、そこまでは言ってないけどさぁ……」 ヴィオレタはクロヴィスの手を振り払うと、逆手に杖を出現させ、地を打った――。 「おっと!?」 目を見開いたクロヴィスが飛び退いたその刹那、ヴィオレタの足元に|紫色《ししょく》の魔法陣が浮かび上がり、そこから老木を想起させる節くれだった亡者の腕が生まれた。 見た目に反し、敏捷な動きを見せる腕はクロヴィスの身体を飲み込もうと、獣の顎のように指を広げる。 「物騒だなぁ、本当に――」 クロヴィスが軽やかに右手を振り払うと、軌道に従って空間に一条の光が生まれる。 勢いよく放たれたそれは、一瞬のうちに腕を横に両断した。 「くっ……」 「そんなものが、僕に通じないのは誰よりも君が知っているでしょ? まぁ古い友人との再会なんだ。じっくり愉しみたい気持ちは僕もあるけどね」 苦々しい表情を浮かべるヴィオレタに、高揚感を隠すこともなく瞳を爛々と光らせるクロヴィスは、嗜虐的な笑みを口元に作る。 ヴィオレタは再び屈んでレイフの身体を自身の手で支えると、鋭い視線をクロヴィスへと向けた。
「クソッ!! クロヴィスが来る前になんとかしなければ……」——「おや、僕がどうかしたのかい?」 コトリとグラスに氷が、落とされたかのように|刹那《せつな》の間――静寂が|波紋《はもん》のように広がった。「レイフ、逃げなさい――!!!!」 時が止まったかのような静寂は、ヴィオレタの悲鳴のような一声によって破り去られた。 次の瞬間――冷たいものが背中に触れ、身体を一瞬のうちに悪寒が駆け抜ける。 胸部に痛みと熱が広がってゆき、身体の感覚が失われてゆく。 「うん? なんだ、君だったのか。――やっぱり、僕たちは、また逢う運命だったようだ」「なっ……」 星の光を繋ぎ合わせたような|白金色《プラチナブロンド》の髪に、清麗で神秘的な輝きを放つ、|曹柱石《マリアライト》を思わせる|菫色《ヴィオーラ》の瞳。 耳元で睦言のように囁かれた|言の葉《ことば》に、レイフが視線だけをそちらに移せば、ぞっとするほどに美しい顔が、鼻先が触れ合うほどの距離にあった。 レイフは、その顔の人物をよく知っていた。 顔を合わせていたのは、本当にわずかな時間だ。 それでもあれだけ印象的だった出逢いを忘れるはずがない。 「あん、たは……」 レイフの視線の先に居る男は、以前に姉――スカディと別れた公園で出逢った、人間離れした美貌を持つ、不可思議な男性だった。「う、うぅぅっ――!」 さらに声を振り絞ろうとした次の瞬間、喉に急激に〝何か〟が込み上げてきて、堪えきれずにレイフはそれを外へと吐き出した。 精気を失いつつある瞳を下へと下げれば、石畳の床は暗い〝|朱《あか》〟へと変色していた。 一瞬――自身の真紅の瞳が、そこに転がり落ちているのではないかという錯覚にさえも襲われる。 だが、すぐに現実が痛みを伴って到来した。 視界に映る胸部を貫く鋭利な〝白銀の刃〟が、自身の血を抜き出してゆき、ぽたりぽたりと、それは石畳へと染み込んでゆく。 昏く、深く、|暗晦《あんかい》とした血溜まりが石畳へと広がってゆくのをレイフは静かに見下ろすしかなかった。 それが自身の口から吐き出された血液であると、受け入れるのに彼は、わずかの時を要した。 「こんな形の再会になるとはね……。でも嬉しいよ。僕はね……自分の気に入った相手は、自分の手で息の根を止めて
◆◇◆◇ 店から出てエミリー達と別れると、すっかりと外は冷たい夜の静寂に包まれていた。 友人達と別れ、街からは喧騒が消えてゆき、一瞬だけ、この街には自分以外の人間が居ないのではないかとさえも錯覚しそうになる夜だった。 だが、そんな幻想は一瞬で吹き飛ばされる。 レイフの目前には星々が落ちて、華を咲かせたかのように黄金に輝く|都市《まち》が広がっていた。 陽が沈むと同時に、街灯が淡い明かりを街に灯し、地面に設置された|奏力《ディーヴァ》を利用した照明が、歴史ある荘厳な建築群を壮麗に照らしだす。 それはまるで、愛や喜び、そして哀しみといったものまで内包した、人々の生命の輝きが、街全体を煌めかせているようだった。 街灯に背中を預けたレイフが迎えの車を待っていると、遠巻きに見知った人物の姿が現れた。 「あれは|ニート教師《ヴィオレタ》……? こんな遅くになにしてるんだ?」 レイフが視線を向けた先には、学院にいる時と同様の黒いスーツを着たヴィオレタが歩いている。 それも一人ではなく、複数人の年代も服装も統一感のない男たちに連れられながらだ。 男たちは周囲を警戒する様子を見せながら、人気のない路地裏へとヴィオレタを連れて消えてゆく。 「はぁ〜、ったく、めんどくせぇことになりそうだな……」 彼らの様子に、ただならぬものを感じ取ったレイフは、静かに後をつけることにした。 ◆◇◆◇ 「それで、貴方たちの飼い主はどこにいるのかしら……?」 表通りのまばゆいまでの煌めきが嘘のように、青白い月の薄明かりだけが微かに照らす闇の中で、ヴィオレタと男たちは対峙していた。 「そう焦るな、ヴィオレタ・ウルバノヴァ。|直《じき》に、あのお方も到着される。 だが——生きてお前を案内しろとは、俺たちは一言も言われていない」 「はぁ〜、この前の連中もだけど、クロヴィスは飼い犬の|躾《しつけ》もろくにできていないようね……。 その救いようがないまでの下劣さと、芸術的なまでの三下っぷりにだけは賞賛を贈るわ」 「なるほどな……。その口の悪さも噂に聞くとおりというわけか。 だが、そうでなくては張り合いがないというもの……」 精気に欠ける瞳で中心人物と思われる男を見つめ、手を打ち鳴らして拍手を贈るヴィオレタに、男の表情がどんどんと険しいも