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Nox.V『その悔恨は毒のように』I

Penulis: 皐月紫音
last update Terakhir Diperbarui: 2025-07-30 21:31:45

◆◇◆◇

 夜闇の訪れとともにヴァルメール学院からは、人の気配が、すっかりと消え去っていた――。

 建物の窓からは蒼月の淡い薄明かりだけが、ただ淋しげに射し込んでいる。

 ふと、廊下の最奥に位置する|臙脂色《バーガンディ》の扉の部屋に光が灯った。

 そこは学院に新しく歴史教師として赴任してきたヴィオレタ・ウルバノヴァに与えられた執務室だ。

 執務室とは言うものの、机は彼女の意思によって撤去され、その代わりに天蓋付きの豪奢なベッドが部屋の中心を占領していた。

 部屋の主人たる女性は、ベッドに腰掛けると冷艶な容貌を微かに歪める。

 桔梗の花弁のような唇に、ほっそりとした指を添えるその姿は、彼女の苦悩を表していた。

 扉から右側の壁に背を預け、腕を組み沈黙を守るレイフは、ヴィオレタの表情を横目に見つめていた。

 クロヴィスとの戦いまでの|猶予《ゆうよ》は、残りわずか一日しかない。

 彼の所有する|離魂剣《アエテリス》は、殺害した相手の魂を奪うことで所有者の力を高める〝魔剣〟と呼べる代物だ。

 このような武具を創り出した者が、正常な倫理観を持ち合わせているはずもない。

 レイフが抱いたクロヴィスという|死神《リーパー》への印象は、純粋無垢な〝悪〟だ。

 どこまでも愉悦を追求する子供のように無邪気で歪んだ存在。

「ヴィオレタ先生、俺にもっと詳しくあいつ――クロヴィスのことを教えてくれ」

「そうね……。どこから話すべきかしら」

 静かにベッドより腰を上げたヴィオレタは、しばらく言葉を探す様子を見せた|後《のち》に「少し歩きましょう」とレイフを誘う。

 二人は部屋を出ると、蒼白い月明かりが照らす長く続く廊下を、歩幅を合わせて歩いてゆく。

「クロヴィス・リュシアン・オートクレール――彼の目的は、|冥界《オルクス》・|現世《サエクルム》を支配して女神たちが棲まう|天界《カエルム》へと戦争を仕掛けることよ」

 彼女の口から発せられた言葉にレイフは、思わず息を呑んだ。

「〝何のためにか〟ということは聞かないのね。まぁ彼に直接会った貴方なら想像はつくでしょうね。これは大義名分もなければ、私利私欲のためなどでもない。純粋な〝好奇心〟からあいつは動いているのよ」

 レイフの背を冷たいものが、駆け抜けてゆく。

 それは予想していたとおりの答えであり、最も最悪の答えでもあった。

 純粋な子供のような狂気を纏うクロヴィスの哄笑が、鼓膜へと甦る。

「私達、死神は人間としての生よりも遥かに|永《なが》い時を生きるわ。そうすると、どうしてもあらゆることに飽きて〝渇き〟を感じるようになる。でもね、死神にはもともとそれを抑えるための〝理性〟が備わっているわ。だから、私達は一種の〝諦観〟をすることができるのよ。だけど、そういう人が本来は持ち得るはずのものを持たず、この世に生を受けた〝|欠陥品《イレギュラー》〟があったとしたら――?」

 〝欠陥品〟という言い方には正直、忌避感を感じるが、クロヴィスがしようとしていることを思えば、彼女たち|死神《リーパー》が、そう感じるのも仕方ないのだろうか。

 ――いや、今は俺も死神だったな……。

 押し寄せる過大な情報の波に、レイフが思考の深みにはまりつつあると、ヴィオレタが足を止めた。

 廊下の端にある窓の方へと歩いてゆくと、彼女は静かに視線を上へとやる。

 その先には、澄んだ秋の夜空が広がり、光の砂を撒いたように星々が広がっていた。

 広大な自然に恵まれた校外に位置するヴァルメール学院では、星空もいっそうと透明感が増して美しく見える。

 さらさらと、風が草木を揺らす音が耳を|愉《たの》しませ、窓から射し込む蒼白く薄い月明かりが、朧げな光の帯を廊下に落とす。

 広大な土地を持つ学院の中に、今はレイフとヴィオレタだけが居た。

「現世と冥界、そして天界は本来ならば断絶されているわ。生身の人間にも死神にも、女神でさえもこの境界線を越えることはできない。三つの世界を移動することが許されるのは死した魂だけよ。でも、唯一、この境界線が曖昧になる時があるわ。それが、この|蒼い月《ペイルムーン》が出ている一ヶ月の期間よ――」

 ふと、レイフの脳裏に彼――クロヴィスの甘美な狂気に満ちた|言の葉《ことば》が甦った。

〝「僕たちの多くが認識する女神は太陽を司る存在だ。夜が明けるとともに、この世界には、陽の光が祝福として降り注ぐ。じゃあ……〝月〟には一体、何が居るのかな――?」〟

〝「月には――忘れられたもう一人の〝女神〟が居るとされている。姉であった女神に置いてゆかれ、人からも忘れさられ、神としての存在意義さえもなくした。その神は〝|虚無の悪魔《ソリトゥス》〟と呼ばれる存在となった。〝彼女〟は気まぐれに〝天界〟と〝現世〟――そして〝冥界〟の|調和《バランス》を崩す。気まぐれ故にそれが、いつ起こるのかはわからない。だけど、その印は僕たちの目に見える形で現れる。それが、〝|蒼い月《ペイルムーン》〟さ――」〟

「〝|虚無の悪魔《ソリトゥス》〟――|蒼い月《ペイルムーン》に棲む、もう一人の女神か」

 レイフの口から紡がれた|言の葉《キーワード》に、ヴィオレタの双眸が大きく見開かれた。

「女神は、もともと|一柱《ひとはしら》の存在だったとされているわ。宇宙を創造したとされる〝太陽〟を司る女神――〝オルテンシア〟」

 彼女は、そこまで言葉を発すると、一度息継ぎをして隣に立つレイフを見上げる。

 どことなく不満げなジト目を向ける彼女と、その意図を探るように鋭い視線を向けるレイフの数秒の睨めっこが突如始まり、そしてそれは突如終わった。

 レイフが、水の入ったガラスボトルを差し出したからだ。

 彼女は満足げにそれ受け取ると、喉を潤した。

 ヴィオレタ・ウルバノヴァという女性は、無駄な|体力《エネルギー》は使わない主義だ。

 彼女からすると、一言話すだけでも億劫らしく、こうして無言で何かを訴えてくることは少なくない。

 レイフは短い期間で、彼女のわずかな表情の変化から、おおよその意図を汲める様になっていた。

 ここで「なんだよ?」と尋ねたり、無視をしたりすると、一気に不機嫌になるために後が面倒なのだ。

 今回のレイフの対応は正解だったらしく、彼女は何事もなかったかのように話を再開した。

「彼女は、あるときを境として二つに分かれたというわ。

 そして、その半身を〝月〟に封じた。それが〝|虚無の悪魔《ソリトゥス》〟と呼ばれる存在だわ」

「〝姉であった女神に置いてゆかれ、人からも忘れさられ、神としての存在意義さえもなくした。〟――あの男、クロヴィスはそう話していた」

 レイフの真紅の双眸が見開かれ、それはヴィオレタの幽玄な美しさを纏う|灰簾石《タンザナイト》の瞳と重なった。

「あんたは、どこまで知っているんだ?」

「私は、ほとんど知らないわ。直接会ったのは、わずかに〝一度きり〟だから。でも……クロヴィスは私よりも、〝彼女〟のことをよく知っているでしょうね。あの男が、この世界に|刃《やいば》を向けたのは、今回がはじめてではないわ。かつて、クロヴィスが冥界に|叛逆《はんぎゃく》したとき、それには彼女が関わっていた――」

 ヴィオレタは、まつげをそっと伏せ、形の良い唇を強く引き結んだ。

 レイフが出逢ってから、彼女がここまで感情を露わにしてみせたのは、あのとき――レイフがクロヴィスによって命を落とした日以来だ。

 どれだけ伸ばしても、月に手が届かないように、自分の無力を痛感させられたときに人は、このような|表情《かお》をする。

 彼女の|表情《かお》は、ひどく哀しげで切なげで、どうしようもなく苦しげだった。

「今から、およそ500年前――あのときも夜空には|蒼い月《ペイルムーン》が輝いていたわ」

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