Partager

Nox.V『その悔恨は毒のように』I

Auteur: 皐月紫音
last update Date de publication: 2025-07-30 21:31:45

◆◇◆◇

 夜闇の訪れとともにヴァルメール学院からは、人の気配が、すっかりと消え去っていた――。

 建物の窓からは蒼月の淡い薄明かりだけが、ただ淋しげに射し込んでいる。

 ふと、廊下の最奥に位置する|臙脂色《バーガンディ》の扉の部屋に光が灯った。

 そこは学院に新しく歴史教師として赴任してきたヴィオレタ・ウルバノヴァに与えられた執務室だ。

 執務室とは言うものの、机は彼女の意思によって撤去され、その代わりに天蓋付きの豪奢なベッドが部屋の中心を占領していた。

 部屋の主人たる女性は、ベッドに腰掛けると冷艶な容貌を微かに歪める。

 桔梗の花弁のような唇に、ほっそりとした指を添えるその姿は、彼女の苦悩を表していた。

 扉から右側の壁に背を預け、腕を組み沈黙を守るレイフは、ヴィオレタの表情を横目に見つめていた。

 クロヴィスとの戦いまでの|猶予《ゆうよ》は、残りわずか一日しかない。

 彼の所有する|離魂剣《アエテリス》は、殺害した相手の魂を奪うことで所有者の力を高める〝魔剣〟と呼べる代物だ。

 このような武具を創り出した者が、正常な倫理観を持ち合わせているはずもない。

 レイフが抱いたクロヴィスという|死神《リーパー》への印象は、純粋無垢な〝悪〟だ。

 どこまでも愉悦を追求する子供のように無邪気で歪んだ存在。

「ヴィオレタ先生、俺にもっと詳しくあいつ――クロヴィスのことを教えてくれ」

「そうね……。どこから話すべきかしら」

 静かにベッドより腰を上げたヴィオレタは、しばらく言葉を探す様子を見せた|後《のち》に「少し歩きましょう」とレイフを誘う。

 二人は部屋を出ると、蒼白い月明かりが照らす長く続く廊下を、歩幅を合わせて歩いてゆく。

「クロヴィス・リュシアン・オートクレール――彼の目的は、|冥界《オルクス》・|現世《サエクルム》を支配して女神たちが棲まう|天界《カエルム》へと戦争を仕掛けることよ」

 彼女の口から発せられた言葉にレイフは、思わず息を呑んだ。

「〝何のためにか〟ということは聞かないのね。まぁ彼に直接会った貴方なら想像はつくでしょうね。これは大義名分もなければ、私利私欲のためなどでもない。純粋な〝好奇心〟からあいつは動いているのよ」

 レイフの背を冷たいものが、駆け抜けてゆく。

 それは予想していたとおりの答えであり、最も最悪の答えでもあった。

 純粋な子供のような狂気を纏うクロヴィスの哄笑が、鼓膜へと甦る。

「私達、死神は人間としての生よりも遥かに|永《なが》い時を生きるわ。そうすると、どうしてもあらゆることに飽きて〝渇き〟を感じるようになる。でもね、死神にはもともとそれを抑えるための〝理性〟が備わっているわ。だから、私達は一種の〝諦観〟をすることができるのよ。だけど、そういう人が本来は持ち得るはずのものを持たず、この世に生を受けた〝|欠陥品《イレギュラー》〟があったとしたら――?」

 〝欠陥品〟という言い方には正直、忌避感を感じるが、クロヴィスがしようとしていることを思えば、彼女たち|死神《リーパー》が、そう感じるのも仕方ないのだろうか。

 ――いや、今は俺も死神だったな……。

 押し寄せる過大な情報の波に、レイフが思考の深みにはまりつつあると、ヴィオレタが足を止めた。

 廊下の端にある窓の方へと歩いてゆくと、彼女は静かに視線を上へとやる。

 その先には、澄んだ秋の夜空が広がり、光の砂を撒いたように星々が広がっていた。

 広大な自然に恵まれた校外に位置するヴァルメール学院では、星空もいっそうと透明感が増して美しく見える。

 さらさらと、風が草木を揺らす音が耳を|愉《たの》しませ、窓から射し込む蒼白く薄い月明かりが、朧げな光の帯を廊下に落とす。

 広大な土地を持つ学院の中に、今はレイフとヴィオレタだけが居た。

「現世と冥界、そして天界は本来ならば断絶されているわ。生身の人間にも死神にも、女神でさえもこの境界線を越えることはできない。三つの世界を移動することが許されるのは死した魂だけよ。でも、唯一、この境界線が曖昧になる時があるわ。それが、この|蒼い月《ペイルムーン》が出ている一ヶ月の期間よ――」

 ふと、レイフの脳裏に彼――クロヴィスの甘美な狂気に満ちた|言の葉《ことば》が甦った。

〝「僕たちの多くが認識する女神は太陽を司る存在だ。夜が明けるとともに、この世界には、陽の光が祝福として降り注ぐ。じゃあ……〝月〟には一体、何が居るのかな――?」〟

〝「月には――忘れられたもう一人の〝女神〟が居るとされている。姉であった女神に置いてゆかれ、人からも忘れさられ、神としての存在意義さえもなくした。その神は〝|虚無の悪魔《ソリトゥス》〟と呼ばれる存在となった。〝彼女〟は気まぐれに〝天界〟と〝現世〟――そして〝冥界〟の|調和《バランス》を崩す。気まぐれ故にそれが、いつ起こるのかはわからない。だけど、その印は僕たちの目に見える形で現れる。それが、〝|蒼い月《ペイルムーン》〟さ――」〟

「〝|虚無の悪魔《ソリトゥス》〟――|蒼い月《ペイルムーン》に棲む、もう一人の女神か」

 レイフの口から紡がれた|言の葉《キーワード》に、ヴィオレタの双眸が大きく見開かれた。

「女神は、もともと|一柱《ひとはしら》の存在だったとされているわ。宇宙を創造したとされる〝太陽〟を司る女神――〝オルテンシア〟」

 彼女は、そこまで言葉を発すると、一度息継ぎをして隣に立つレイフを見上げる。

 どことなく不満げなジト目を向ける彼女と、その意図を探るように鋭い視線を向けるレイフの数秒の睨めっこが突如始まり、そしてそれは突如終わった。

 レイフが、水の入ったガラスボトルを差し出したからだ。

 彼女は満足げにそれ受け取ると、喉を潤した。

 ヴィオレタ・ウルバノヴァという女性は、無駄な|体力《エネルギー》は使わない主義だ。

 彼女からすると、一言話すだけでも億劫らしく、こうして無言で何かを訴えてくることは少なくない。

 レイフは短い期間で、彼女のわずかな表情の変化から、おおよその意図を汲める様になっていた。

 ここで「なんだよ?」と尋ねたり、無視をしたりすると、一気に不機嫌になるために後が面倒なのだ。

 今回のレイフの対応は正解だったらしく、彼女は何事もなかったかのように話を再開した。

「彼女は、あるときを境として二つに分かれたというわ。

 そして、その半身を〝月〟に封じた。それが〝|虚無の悪魔《ソリトゥス》〟と呼ばれる存在だわ」

「〝姉であった女神に置いてゆかれ、人からも忘れさられ、神としての存在意義さえもなくした。〟――あの男、クロヴィスはそう話していた」

 レイフの真紅の双眸が見開かれ、それはヴィオレタの幽玄な美しさを纏う|灰簾石《タンザナイト》の瞳と重なった。

「あんたは、どこまで知っているんだ?」

「私は、ほとんど知らないわ。直接会ったのは、わずかに〝一度きり〟だから。でも……クロヴィスは私よりも、〝彼女〟のことをよく知っているでしょうね。あの男が、この世界に|刃《やいば》を向けたのは、今回がはじめてではないわ。かつて、クロヴィスが冥界に|叛逆《はんぎゃく》したとき、それには彼女が関わっていた――」

 ヴィオレタは、まつげをそっと伏せ、形の良い唇を強く引き結んだ。

 レイフが出逢ってから、彼女がここまで感情を露わにしてみせたのは、あのとき――レイフがクロヴィスによって命を落とした日以来だ。

 どれだけ伸ばしても、月に手が届かないように、自分の無力を痛感させられたときに人は、このような|表情《かお》をする。

 彼女の|表情《かお》は、ひどく哀しげで切なげで、どうしようもなく苦しげだった。

「今から、およそ500年前――あのときも夜空には|蒼い月《ペイルムーン》が輝いていたわ」

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application

Dernier chapitre

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Aurora-epilogue-《夜明け》

    ◆◇◆◇ 冷たく、細い、なにか糸のようなものが頬を撫でる。 柑橘系の凜とした香りが、鼻腔を刺激する。 その香りは、ゆっくりと深みのある甘いものへと変化してゆく。 美酒に溺れるかのような、心地良い微睡みのなかにレイフは居た。 陽光の一切、射さない闇夜にあっても、自然と起きる時間が来たのだと告げるように、身体に血がめぐってゆくのを感じる。 まぶたが開き、真紅の双眸があらわになった。  視線を少し上げれば、そこには夜の光を凝縮したような双眸があり、レイフは思わず息を呑む――。  先を見通すことのかなわない、幽玄な煌めきは|灰簾石《タンザナイト》のそれを想起させる。 黒い革張りの|寝台《ベッド》の上――互いの息が感じられ、香りが混じり合い、唇さえもが重なり合いそうな距離で、レイフはヴィオレタと見つめ合っていた。 レイフの格好は、普段から部屋着としてもよく着る黒いシャツをボタンをはずして羽織り、ヴィオレタはといえば寝巻きであろうサテン素材のネグリジェを着ていた。 特別に鈍い方というわけではないと自覚しているレイフは、即座に状況を察した。  どくどくと、鼓動がやかましいほどに鳴り響き、高まり続ける身体の熱が、さらに酔いを回すように、現実から意識を隔離させてゆく。 高揚する意識は視線を、さらなる悦楽へと導いてゆく。 その先には、桔梗の花弁を想起させるヴィオレタの唇があり、漏れ出る吐息は香り高く深みのある|葡萄酒《ワイン》のそれと似ている。 額や頬に触れる、ヴィオレタの髪から感じる鎖のような冷たさが唯一、レイフの意識を現実へと繋ぎ止めていた。 ――「そろそろ、離してくれるかしら……」 それまで、人形のように目前に寝ていたヴィオレタの唇から、はじめて言葉が発っせられた。 視線をずらし、そこでようやくレイフは気がついた。 自身の左手が力強く、ヴィオレタのたおやかで、ほっそりとした右手を握り締めていたことに。 すっーと急速に熱が身体から引いてゆき、レイフの意識は現実へとようやく引き戻された。 「わ、悪い!!」 身体を起こしたヴィオレタは、身なりを整えながら、聞こえよがしに溜息をひとつ吐く。 おまけに絶対零度の視線を向けながら、右手をひらひらと動かしているあたり、相当にご機嫌はななめのようだ。「その、改めて悪かった……。俺、なにか

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox. XVI『物語の結末』V

    「君の身体にこうして剣を突き立てるのは、三度目になるかな」 まるですべての音が止まったかのように――ただ、静かな時間が流れる。 レイフの胸へと剣を突き刺そうとした、クロヴィスの表情にわずかな戸惑いの色が浮かんだ。 レイフの真紅の双眸が大きく見開かれる。 その瞳は、欠片も闘争心を失っていない。 伸ばした右手が、大鎌の鎖を掴む――。 次の瞬間、漆黒の鎖がクロヴィスの手に蛇のように巻きついた。 「なっ――!?」 瞬く間に柄が、レイフの手へと戻る。 「だったら……これで、やっとお前に借りを返せるな」 振り返りざまの勢いのままに、大鎌はクロヴィスの腹部から肩にかけてを斬り裂いた。 「っ――」 まるで熟成された|葡萄酒《ワイン》のように、どこまでも澄んだ血液がレイフの身体にこびりつく。 「ふふふ……」 自身の身体から溢れるそれを手ですくうクロヴィスの表情は、どこか安堵するように穏やかだった。 「お前……」 「ありがとう、レイフ。これで良いんだ。……君の手をとるのは、今からでも遅くはないかな?」 「あぁ、もちろんだ……」 再び差し出されたレイフの右手――それを今度こそ、クロヴィスは取った。 |曹柱石《マリアライト》を想起させる双眸が見つめるのは、レイフと――その背に広がる空だ。 「なんで君に負けたのか、それが今ならわかる気がするよ。レイフ、君のゆく道には数多の光が輝いているのだね」 〝「笑って、私の世界一素敵な弟。大丈夫、あなたはすごく強くて優しい人よ。あなたが選んだ道ならば、どんな闇夜でもきっと、数多の星々の光が照らしてゆくはずだから」〟 脳裏に甦るのは、昨夜の|記憶《メモリア》――。 星々の光のもとで姉が、くれた|宝物《ことば》。 昔は、姉の存在しかなかった。 どんな時も、自分にとっては唯一の|北極星《道しるべ》のような存在。 だが、今は無数の星々が、自分が歩むことができる幾多の道を照らし出してくれている。 「だったら、お前もこれからはそのうちの一つになりやがれ」 「あははっ! それは|好《い》いね。本当に……」 ぐったりと、クロヴィスの手からは力が抜けてゆき、瞳からも精気が抜け落ちてゆく。 その身体が落下せぬようにと、レイフはクロヴィスの背に手を回して支え

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox. XVI『物語の結末』Ⅳ

    レイフは鎖を振り抜き、いくつもの斬撃を落とすも、そのすべてを迎撃することはできなかった。 「があぁぁっ!!!!」 避け切ることのできなかった斬撃が、レイフの肩や足に無数の傷を残してゆく。 一瞬、苦痛に意識が飛びかける。 だが、ここで止まるわけにはいかない。 今、ここに立っているのは自分だけの力ではないのだ。 ――道を繋いでくれたヤツらのためにも、俺はこんなところで引けねぇんだよ! 「うおぉぉっ――!!!!」 大鎌に再び、極大の瑠璃の光を纏わせ、レイフはクロヴィスへと投擲する。 一瞬、二人の視線が重なり、レイフはクロヴィスの瞳に先ほどのものと同様の諦観に似た感情を見た気がした。 クロヴィスへと到達する寸前――大鎌は、その刃から光を失った。 それに伴い、勢いも半減した大鎌をクロヴィスは易々と弾き飛ばす。 「っ……!!」 「ふふふ、どうしたんだい、レイフ? そんな殺意が乗ってない刃で僕を斬れるとでも思う? もしかして、僕の境遇を聞いて同情でもしちゃったのかな?」 揶揄うような口調と対照的な自嘲するような微笑み。 その奥に潜めた感情は、自分自身でも気がついていないものなのか、はたまた自ら封じ込めて押し殺したものなのか。 自分にとって、目前に立つ相手――クロヴィス・リュシアン・オートクレールというのは、どのような存在なのだろうか。 彼は蒼月の女神の悪意と狂気から生まれた存在だ。 恩師であり、今は愛する女性でもあるヴィオレタの人生を彼は狂わせた。 |否《いや》、ヴィオレタだけではないだろう。 多くの人々が、彼のせいで命を落とした。 今も、自分が彼を倒すことができなければ、かけがえのない友人や姉、大切な人々が明日を迎えることができないのだ。 だが――。 確かに自分は今、クロヴィスに対して情と呼べる感情を抱いていた。 瞳を閉じれば、この数日間――クロヴィスとともに過ごした時間が甦る。 そして、戦いの|最中《さなか》で幾度となく刃を交えた。 その中で、思い込みかもしれないが、ほんのわずかに彼の心に触れることができた。 自らを狂った欠陥品であると評し、その狂気を隠そうともしない。 常に飄々と振る舞い、その心の奥底は見せない。 そんな彼を理解しているなどということを言うつもり

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox. XVI『物語の結末』III

     レイフとクロヴィスは、互いの得物を手に構えて、一定の距離を取りながら向かい合う。 ひりひりとした突き刺すような空気に、レイフの額を冷たいものが伝ってゆく。 ぽちゃり。 額から透明な雫が一滴、地上へと溢れ落ちる。 聞こえるはずのない、湖面に波紋が広がるような音が、鼓膜を揺らした。 レイフとクロヴィスは同時に、互いの武器を振るう。――『|断罪の三日月《ルーナス・クレシエンテ》』!! 「「はあぁぁぁっ――!!!!」」 レイフが勢いよく鎖を振るえば、極大の瑠璃色の光を纏う大鎌が周囲の風さえも巻き込みながら、クロヴィス達へと放たれてゆく。 それを迎え撃つように、二人のクロヴィスが振り抜いた|剣《つるぎ》からは、白銀の斬撃波が放たれた。 瑠璃色の大鎌と白銀の斬撃――それは宙で激突し、双方の使い手を吹き飛ばしかねないほどの衝撃波を発生させる。 レイフの表情が歪み、相対するクロヴィスは愉悦を感じさせる微笑みを浮かべる。「感情という致命的な|欠陥《エラー》を抱えてしまった|女神《オルテンシア》は、必然とそれを排除しようとした。最も、効率の良い方法は……それを自身から切り離してしまうことだった。彼女は自身の骨から新たな分身となる女神を創造した。そして自身の欠陥をそれへと移したのさ」  一人のクロヴィスが、女神の|物語《ファーブラ》を紡ぐ間にも、レイフは動き出していた。 かつて、担当教員から「人の話は最後まで聞くように」と注意されたこともあるが、そのようなことを気にする相手でもないだろう。 物語の進行に関係なく、レイフとクロヴィスは踊り続けるだけだ。 夜の始まりを想起させる瑠璃色の光を身に纏い、漆黒の翼をはためかせるレイフの身体は加速してゆく。 瞬く間に物語の語り手となっていたクロヴィスの背へと、レイフは移動した。 風の中で白銀の髪が踊り、敵の命を刈り取らんと大鎌が振るわれる。「甘いね――」 鈴の|音《ね》のような声音が響き、両者の間に割って入ったもう一人のクロヴィスの剣が、レイフの大鎌を受け止めていた。 「俺は甘党なもんでな……」「いや、そんな言ってやったぜ、みたいな顔されてもなぁ〜」 優美な挙動でレイフと鍔迫り合いを演じるクロヴィスが、呆れた様子を見せる。 すると左眼の視界の端が、白金色の閃光を捉える。 それは、こちらを目掛

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox. XVI『物語の結末』II

    「くっ……」「むかーし、むかーし、まだすべてが闇の中にあった時代のことです。僕たちが生きるこの|宇宙《ウニウェルスム》。それはひとつの小さな|焔《ほのお》――〝|太陽《ソル》〟の誕生とともに始まった」  激しさを増す|鍔《つば》迫り合いの中で、クロヴィスは我が子に寝物語を語る母のように穏やかな声音で、レイフの耳元で囁く。 レイフは大鎌を握る手に力を込め、|剣《つるぎ》を弾くと、蹴りで距離を取って強引に鍔迫り合いを終わらせる。 そのとき、左眼の視界が新たなクロヴィスの分身の姿を捉えた。「太陽の化身である女神――〝オルテンシア〟は、この宇宙を管理し、秩序を維持するための|歯車《システム》としての役割を担っていた。僕たちのこの宇宙は、あくまでもひとつの生命の可能性であり、その外には夢幻の可能性が広がっている。その並行する世界は、あるひとつの場所に繋がっているとも」 瞬く間に接近したクロヴィスは、レイフの懐へと|剣《つるぎ》を突き込もうとする。 一瞬、後の光景を想像して、レイフの背を氷柱で刺されたように、冷たいものが駆け抜けていった。 だが、レイフは即座にその妄想を思考から振り払う。 これも彼女のおかげだろう。 「ナメんじゃねぇ――!!」 レイフは右手に構えていた大鎌を上空から左側へと回転させてゆき、|絡《から》め取るようにクロヴィスの剣を受け止め、その勢いで上空へと弾いた。 間髪を入れずに右腕を捻り、死神の力で強化された|膂力《りょりょく》で大鎌を上空へと投げる。「っ――!?」  同時にレイフの身体は前方へと動き出す。 「はあぁぁっ――!!!!」「くっ――!?」  一瞬のうちに間合いを詰めたレイフの左足が、クロヴィスの側頭部へと炸裂する。 意識を刈り取られたクロヴィスの身体は、静かに地上へと落下したいった。 だが、次の瞬間には先ほど鍔迫り合いを演じたクロヴィスが剣を構えてレイフへと迫っていた。「オルテンシアは、あくまで世界を維持するための自我なき|歯車《システム》に過ぎない。彼女が自らの〝骨〟から産み落とした女神たちもそうだ。でも、そんな完全無欠のはずだった歯車に、たったひとつの〝|欠陥《エラー》〟が生じた。この宇宙の創造主である太陽の化身――そのさらに上位に位置するであろう存在さえも、予期しなかったであろう致命的な|欠

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox. XVI『物語の結末』I

    「あぁ、俺にもあんたにも譲れないものがある。だからここで決着だ――!!」 レイフは腰を落とし、鎖鎌の柄を右上段に構える。 クロヴィスの六枚の翼が開き、空に白金色の光が粒子となりて舞う。 古き友に向けるかのような親しみさえも感じさせる微笑みを口元に浮かべ、クロヴィスは離魂剣をレイフへと向けた。 刹那の沈黙の|後《のち》、最初に動いたのはレイフだった――。 漆黒の翼をはためかせ、高度をさらに高く上げてゆき、雲を突き破り、レイフはクロヴィスの上を取る。 クロヴィスは右手に握った剣を下ろし、ただ、静かにレイフを見つめていた。 一呼吸の|後《のち》、レイフは大鎌を上空へと投擲した。 鎖を振り回せば、鋭利な風鳴り音が空に響き渡った。 その|速度《スピード》は次第に加速してゆき、刃のように鋭い風が渦を発生させる。 次の瞬間、勢いをつけた大鎌は上空より弾丸の如き勢いでクロヴィスへと振り下ろされた。「はあぁぁぁ――!!!!」「僕達の最後の|舞踏《サルターティオー》と行こうか――」  振り下ろされた大鎌は、瑠璃の光を纏わせてゆき、それはクロヴィスの頭上に到達するころには、その身体を易々と呑み込むほどに巨大なものとなっていた。――『|断罪の三日月《ルーナス・クレシエンテ》』!! 頭上を見上げるクロヴィスの菫色の双眸が見開かれる。 その|表情《かお》に、以前の余裕さえも感じさせる微笑は既に存在しない。「っ――!?」 間一髪――左へと身体をずらすことで、クロヴィスは斬撃を回避する。 ぽたりと、紅い雫がクロヴィスの頬を伝い、地上へと落ちてゆく。 だが、その次の瞬間、レイフの背筋を冷たいものが駆け抜けた。 クロヴィスの菫色の双眸が爛々と輝き、その表情に歓喜の笑みが浮かんでいたからだ。 彼は、そのほっそりとした指で、自身の頬から血をすくうと、ぺろりと口に含んだ。 まるで上等な|葡萄酒《ワイン》を舌で転がすように。「ふふふっ……あははっ――!!!!」「あんた、マジでイカれてんぜ」「だって仕方ないじゃないか。本当はもっと手間をかけて、じっくりと愛情を注いで君という花を育てたかった。君の命を摘み取ったとき、僕がどれだけ絶望したか君にはわからないだろ?」「わかりたくもねぇな」 「ふふ、残念だな。そうやって〝棘〟があるところも好みなのだけれど。でも

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.II 『歴史秘書のお仕事』II

    ◆◇◆◇「それでは、この|会議《サミット》の際に起きて後に有名な|物語《フォークロア》にもなった、〝アルジュリュンヌの休日事件〟について解説できる者は居るかしら……?」 ヴィオレタは生徒達を見渡した後、レイフの前の席に座る男子に視線を向けた。「ブラン、貴方にお願いするわ」「えっ? お、俺っすか?」 しかし、あてられた金髪の面長の生徒ジャック・ブランは、完全に心ここに在らずだったのか、戸惑いを隠しきれずにいる。「あっー……。えぇっと、そのあれの話ですよね……?」  バシッ——!!「いてぇっ!!」 突如頭部を襲った衝撃に、ジャックが振り返るれば、そこには仏頂面で教科書を振り下

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.II 『歴史秘書のお仕事』I

    ◆◇◆◇ ヴァルメール学院では、国内の他の学校には存在しない特殊な制度がある。  それが〝秘書制度〟だ。 各学年、各クラスから教科ごとに〝秘書〟と呼ばれる生徒が選ばれる。 彼らは担当教師のサポート、及びクラスの生徒との橋渡し役を担う。 将来的に国を背負って立つ優秀な人材を育成する学院において、秘書が担う責任は重く、その生徒の評価も自然と高まっていく。 自分の意思とは無関係に、押し付けられた仕事ではあるが、今となってはレイフはこの仕事に、わずかながらの楽しみも見出しはじめていた。 静寂が支配する学院の廊下に、革靴がコツコツと、床を叩くリズミカルな音が響き渡る。 左右に学院の創

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   間章 『闇に蠢く者たち』

    ◆◇◆◇ 蒼月の薄明かりが照らすのは、人影のない裏通り――。 王都アルジュリュンヌは、夜の化粧をほどこした|後《のち》に、まるで別の|表情《かお》を見せる。 陰謀、快楽、堕落、暴力――。  煌びやかな中心街の陰――その闇は、さまざまなものを覆い隠す。 立派な顎ひげを生やし、仕立ての良いスーツに身を包んだ壮年の紳士が、周囲を警戒する様子を見せながら歩いていた。「ボス、こちらへ――」 声の方へと視線を向けると、黒スーツに身を包んだ怜悧な雰囲気を纏う女性の姿が見えた。「外でその名を呼ぶな。まったく、ここは〝共和国〟ではないのだぞ」「申し訳ありません。例の〝新薬〟ですが、既に旧市

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.I 『蒼月と謎の女教師』V

    ◆◇◆◇ 公園の隅には、ラナンキュラスの花弁を想起させる艶やかな唇に白い指を添えて、必死に笑いを堪えるスカディの姿があった。 「笑うんじゃねぇ……」 彼女の視線の先では、レイフが顔を羞恥の色に染めて震えていた。 彼の脳裏には、ぽかーんとした表情を浮かべた後に、腹を抱えて堪えきれないとばかりに笑い出した三人の学友の顔が甦っていた。 「ふふ、ごめんなさい。でも、レイフの顔……前よりも明るくなったと思うわよ」 「そうか……? 自分じゃよくわかんねぇ。頭が疲れてきたし、少し休むわ」 ぶっきらぼうにそう言ってのけると、レイフは再び仰向けに寝っ転がった。 ざわざわと、吹き抜

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status