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Nox.V『その悔恨は毒のように』III

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-08-13 11:18:13

そこから先、なにが行われたのかをヴィオレタ自身は、ほとんど覚えていない――。

気がつけば、目の前には黒狼に身体を喰い千切られたクロヴィスが倒れていた。

だが、その口元には、如何にも愉快だという笑みが浮かんでいた。

ヴィオレタも同様に瀕死と言って良いほどの傷を負っていたが、激戦の中で感覚さえも麻痺したのか、もはや痛みさえもろくに感じなくなっていた。

「いやぁ〜、まさか君の方が化け物だったとはねぇ。まだまだ、世界は僕の知らない愉しみに溢れているようだ。うん、実に愉快だ!!」

「狂人ね……」

――「どうやら失敗したようですね」

その瞬間、|刻《とき》が止まった。

脳に直接、語りかけるように響く声音は、夜空の深みに溶け入るような静謐さと、聞く者を屈服させるような冷然さを内包していた。

その者は文字どおり、〝上空〟から降りてきた。

まだ、十代半ばの少女と言えるような外見だ。

だが、ヴィオレタは直感的に彼女が自分たちとは、〝別の世界に棲む存在〟であることを感じ取った。

少女は蒼白い月明かりのような長髪を羽衣のように、はためかせながら瑠璃色の瞳でヴィオレタ達を|睥睨《へいげい》した。

その身に纏うドレスは、|日没直後の夜空《ブルーアワー》を想起させる。

少女のほっそりとした白百合のような足が地面に触れたとき、冷気を内包した衝撃波が波紋のように広がった。

「うっ――!?」

まだ身体を動かすことさえもできずにいたヴィオレタは、いとも簡単に紙屑のように吹き飛ばされてゆく。

「あ、いたたた……。やぁ、君か……」

ヴィオレタ同様、身体を吹き飛ばされたクロヴィスはそれでも笑顔を絶やすことなく、旧友に向けるような態度で少女に話しかける。

「ごめんねぇ〜。せっかく機会をもらったのに僕は、ここまでのようだ」

「大丈夫です。期待はしていませんでしたから。それに、どちらにせよ面白いものは見れました」

「手厳しいねぇ。まぁ、運よくまた機会があったら頼むよ。

はぁ〜、もっと遊びたかったなぁ……」

「貴方達、さっきから一体なんの話を……」

ようやく身体が動かせるようになったヴィオレタは、杖を支えに立ち上がり、突如乱入してきた未知の力を持つ少女へと鋭い視線を向ける。

「あはは! 名高い〝|虚無の悪魔《ソリトゥス》〟にそう言ってもらえるとは光栄だね。あ、ごめん。〝|蒼月の女神《ヴェスペリア》〟――こっちの名前の方が好みだったかな?」

「どちらでも構いません」

「そう? 〝名前〟というのは、その人の〝存在〟を表すものだから大切にした方が良いよ〜。|知己《ちき》として最期に助言を送るなら、〝彼女〟の真似事もやめた方が良い。それは自分自身を否定して殺すことに繋がるからね」

「……口の減らない死神ですね」

「あはは、そればかりは死んでも治りそうにないなぁ。それじゃあ、僕はそろそろ逝くとするよ……」

クロヴィスは、諦観したような微笑みを口元に浮かべて静かに瞼を閉じた。

「えぇ、私もそれでは〝還る〟としましょう。もしも私たちの運命が重なることがあるならば、また――」

少女は身体に蒼白い光の粒子を纏わせ、空へと浮遊してゆく。

「待ちなさい! まだ話は終わってないわ!! 貴方は一体……」

「ふむ、此度の戦いの勝者に名乗らぬのは、失礼というものですね。私は蒼月の女神〝ヴェスペリア〟――あなたたちには|虚無の悪魔《ソリトゥス》という呼び名の方が馴染み深いでしょうか」

「っ……!?」

その名を聞いたヴィオレタは、思わず言葉を詰まらせ、息を呑んだ。

「そう……。蒼月の女神ヴェスペリア、なぜ貴方はこんなことをするの? 断絶されていることで秩序が保たれている、|冥界《オルクス》・|現世《サエクルム》・|天界《カエルム》を、貴方は無理やり繋げた。貴方が、こんなことをしたせいで多くの犠牲が出たのよ……」

我知らず眼光を鋭くし、表情を歪めるヴィオレタの背には血溜まりの中に倒れるルーカスの姿がある。

「〝なぜ〟ですか……。その問いに対する答えを私は持ち合わせていません」

「……貴方、ふざけているの?」

ヴィオレタが、いっそうと鋭さを増した視線を向けると、彼女――ヴェスペリアは瞼をわずかに伏せた。

穢れを知らない初雪のような|表情《かお》。

そこに微かな陰が落ち、口元に微かに浮かぶ笑みには諦観の色が滲む。

「私は女神オルテンシアの中に生まれた〝|不確実性《インケルティトゥードー》〟――世界の〝理〟を狂わせる存在です。このように――」

女性が指を一度、弾くと――ヴィオレタの背に瑠璃色の光を纏う文字盤が出現した。

「これは〝時計〟……!?」

カチ…カチ…カチッ、時計の秒針が音を刻み、それが何周かを終えた時――ヴィオレタの身体と思考が一瞬、|制止《フリーズ》した。

言葉では言い表せない。

だが、自分の中の何かが明確に〝書き換えられた〟ことを彼女は感じ取った。

「貴方、一体……私に何をしたの!?」

「今、貴方を寿命という制約から解放させていただきました。次が100年後か、500年後か、はたまた1000年後になるかわかりませんが、またお逢いしましょう。死神ヴィオレタ・ウルバノヴァ――あなたは私にとって〝二人目〟の|知己《ちき》と言える存在となるでしょう」

彼女は、微かに親しげな笑みをヴィオレタに向けた後、クロヴィスを一瞥すると――その身体を蒼白い閃光へと変換して飛び去ってゆく。

ヴィオレタは、その場に茫然と立ちすくむことしかできなかった。

「うぅ……」

「ルーカス……!!」

背から微かに聞こえた声に、ヴィオレタの意識は強引に引き戻された。

おぼつかない足取りで、表情を取り繕うことさえも忘れ、焦燥感に突き動かされるままに駆け出す。

呼吸が荒くなり、瞳からは絶えず、温かで澄んだものが流れ落ちてゆく。

彼女が辿り着いたとき、既にルーカスの命の灯火は燃え尽きかけていた。

ルーカスが死神でなければ、とっくにその魂は身体を抜け去っていただろう。

その場に膝をついた彼女は、ルーカスの身体を仰向けへと変えて、その両手で胸に優しく抱いた。

「ふざけんじゃないわよ……。こんな、かっこつけた最期なんて……貴方には全く似合わないわ」

「ははは……まさか、生きてるうちにお前のそんな顔が見れるなんてな……」

「こんなときに、何を馬鹿なこと言ってるのよ……」

「なぁ、知ってたか……? 俺、お前のこと……結構、真面目に好きだったんだぜ?」

見開かれたヴィオレタの瞳から、透明な光が煌めき舞い散った。

力ない途切れ途切れの|言の葉《ことば》――それは彼女の心を温めてゆく。

だが、同時に堪えようのない、はじめて知る感情が悲鳴をあげるように登ってきて、花弁のような唇から嗚咽が漏れ出す。

「泣くなよ……。好きな女に泣きながら看取られるなんて男冥利に尽きるが、こんなときくらいかっこつけさせろ。お前は俺の死にいつまでも縛られんな……幸せに未来を向いて生きやがれ。あ、でもやっぱ……しばらくは俺のこと想ってくれ……」

「どっちなのよ……馬鹿! ……ルーカス?」

がくりと、音を立てて――ヴィオレタの腕に抱かれる彼の身体から力が抜け落ちてゆく。

「嫌よ、返事をしなさいよ……! ルーカスゥゥ――!!!!」

もはや届くことのないヴィオレタの叫びは、砕けた鐘の残響のように虚空へと消えてゆく。

「何よ……なんで、貴方そんな顔をしているのよ……」

ぽたりぽたりと、こぼれ落ちる澄んだ雫に濡らされたルーカスの|表情《かお》は、驚くほどに穏やかなものだった。

その身体は徐々に|紫色《ししょく》の粒子へと変換されてゆき、空へと攫われるように飛んでゆく。

「っ――」

言葉にならない嗚咽が、抑えようもなく漏れ出る。

「感動の一場面だねぇ……」

耳朶をくすぐる甘ったるい声に、がたりと、糸の切れた人形のようにヴィオレタの動きが止まる。

言葉を発することもなく立ち上がった彼女は、おぼつかない足取りで声の|主人《あるじ》のもとへと歩いてゆく。

「おや? もう彼へのお別れは済んだのかい?」

彼の言葉にヴィオレタが返答することはない。

彼女の右手に|紫色《ししょく》の光が集まってゆき、先端に紫の宝石が施された漆黒の杖が生み出された。

それを見てもクロヴィスは、ただ静かに嘆息を漏らして微笑むだけだ。

こつりこつりと、冷たい音を鳴らすヒールが止まり、精気の欠落した紫紺色の瞳が冷ややかに、クロヴィスを見下ろした。

とっくに自身の死など覚悟の上であろうクロヴィスに動じる様子はない。

人の命を弄ぶことに罪悪感も感じず、自身の命さえも簡単に天秤にかけられる狂人――この男はここで必ず葬らなければいけない。

ヴィオレタが杖を上空に掲げた瞬間――周囲に|紫《ししょく》の光が発生し、四人の男女が彼女らを取り囲むように姿を現した。

「貴方たち、一体これはなんのつもりかしら……?」

ヴィオレタの冷ややかな視線と言葉にも動じず、彼らはその場に跪いた。

「ウルバノヴァ様、冥王陛下からの勅命をお伝えします――」

代表して一人の男性が、地面に紫色の幻想的な紋様が描かれた魔法陣を出現させる。

瞬く間に癖のある艶やかな黒髪と、真紅の怜悧な双眸が印象的な若い眉目秀麗な男性が魔法陣の上に現れた。

最も、外見は決して年齢そのままではなく、さらに言えば〝ここに実体があるわけでもない。〟

苦々しげな表情で男を睨みつけた後、ヴィオレタはその場に跪いた。

「冥王陛下の勅命を拝聴いたします」

『死神ヴィオレタ・ウルバノヴァ――。そなたの活躍で|冥界《オルクス》の危機は去った。その働きに最高の賛辞を贈ろう。だが、この男――クロヴィス・リュシアン・オートクレールの身は、私が直接預ることとする。|離魂剣《アエテリス》のような魔剣まで創りあげる才は冥界のために活用すべきだろう。それに……これだけのことをした罪人には、ただの死刑では生ぬるい。あとは、この者たちに任せて、そなたはもう休め』

「無礼を承知でお尋ねしますが、その意味は理解しておりますか? これだけの死神を手にかけた者を生かせと、陛下は仰るので? この者の力に陛下が関心を持たれるのは当然でしょう。ですが、彼は我々に御せるような……」

『ヴィオレタ・ウルバノヴァ……君は優秀な死神だ。しかし、〝上司〟の悪影響を受けたのか、やや反抗的なところがあるようだな』

冥王の口から発せられた言葉にヴィオレタは、身体の温度が急速に低下してゆくのを感じた。

怒りのような感情は寧ろ消えてゆき、脳は冴え冴えとしている。

「拝命いたします」

『それで良い。後にそなたが望む褒美を用意しよう、考えておくが良い』

「でしたら……ひとつ願いがあります」

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