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第8話(29)

「互いに脅し合って、この場から動けなくなるという選択肢もありますよ」 本当のところ、ヤクザに囲まれて生活している和彦にとって、秦は恐怖の対象にはなりえない。 それどころか実は、立場としては自分のほうが上かもしれない――。そう考えた自分自身が、和彦は怖かった。〈力〉が、物事を考える物差しになるのは、ヤクザの思考そのものだと感じたからだ。 何かに急き立てられるように、バッグを足元に落とした和彦は秦に歩み寄り、強引に顔を上げさせて唇を塞ぐ。すぐに唇を離したが、ベッドに腰掛けたままの秦は艶を含んだ眼差しで和彦を見上げながら、両腕を腰に回してくる。引き寄せられ、逆らえない流れに身を任せるようにして、和彦はもう一度秦の唇を塞いだ。 柔らかく秦に唇を吸われてから、示し合わせたように舌先を触れ合わせ、緩やかに絡める。同時に、腰には秦の腕が絡みつき、抱き締められる格好になっていた。 微かに濡れた音を立てて唇を離すとき、唾液が糸を引く。それを惜しむように秦に軽く唇を吸われた。「……先生は、本当に甘いですね。脅しにもならない脅しに屈して、わたしを助けてくれるんですか?」「ぼくはそんなに優しくない。別に、あんたがどれだけ痛めつけられようが、かまわない。ただ――」「ヤクザの力を頼るのが嫌なんですね。自分の言葉一つで、ある組織が整然と力を振るう様は、興奮できて、甘美でしょうね。ヤクザの世界から抜け出せなくなるほど」 話しながら秦が、和彦が羽織っているパーカーを脱がせ、Tシャツをたくし上げていく。素肌をまさぐられながら、和彦はまた秦と唇を重ね、引き出された舌を優しく吸われた。「――あいにくわたしは悪党ですから、先生の弱みは遠慮なく利用させてもらいますよ」 口づけの合間に秦に甘く囁かれる。女をたぶらかすことに慣れた男は、〈オンナ〉をたぶらかすことにもためらいを覚えないらしい。 力を行使したくない和彦と、力を持っていない秦が、互いの口を秘密で封じ合おうとするのは、ひどく茶番じみている反面、たとえようもなく淫靡だ。 Tシャツを脱がされた和彦は、手を引かれてベッドの中に招き入れられた。
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第8話(30)

** 秦の愛撫は、押し寄せる波のように、穏やかな快感を繰り返し与えてくる。 痕跡を残さないよう、肌に唇を押し当てはするものの、強く吸い上げることはしない。代わりに、熱く濡れた舌が肌を這い回る。「うっ、あぁ……」 胸の突起を執拗に弄っていた舌が、今度は耳の形をなぞり、舐められる。その一方で、熱く高ぶった二人の欲望はもどかしく擦れ合い、その焦れるような快感に和彦は乱れる。 肋骨を折っているため、動きが制限される秦の愛撫は、性急さとは無縁だ。慎重に体を動かしながら、じっくりと和彦に触れてくる。それとも、もともとこういう攻め方を好む男なのかもしれない。「――先生」 秦に呼びかけられ、唇を啄ばみ合う。緩やかに舌を絡めるようになると、擦れ合う二人の欲望を秦が片手で握り込み、ゆっくりと上下に扱き始める。秦の手の感触だけでなく、密着し合う互いの欲望の感触にも感じてしまう。「あっ、ああっ、はぁっ……」 喉を反らして声を上げると、喉元に秦の丹念な愛撫が施される。口腔深くに舌が差し込まれ、下肢から快感を送り込まれるのと同時に、唾液を流し込まれた。 濡れた音を立てながら、秦の唇が首筋から肩、肩先から腕へと押し当てられ、指先を舐められる。「きれいな指ですね。先生の指が器用に動く様子を見ていると、ゾクゾクするんですよ。この人は乱れ始めると、どんな指の動きをするのかと想像して」「……一応、気をつけているんだ。あんたの痣だらけの体にしがみつかないよう」 和彦の言葉に、秦はニヤリと笑った。「余裕ですね、先生」 胸に痛みが響かないよう、秦は慎重に体を起こす。それでも、まったく痛みを感じないというわけにはいかないらしく、わずかに顔をしかめた。 上着を羽織ったままの秦とは違い、和彦はもう何も身につけていない。どんな反応も隠しようがなかった。 和彦の体に、秦は丹念に両てのひらを這わせてくる。両足を開かされて腰が割り込んでくると、和彦の熱くなって反り返ったものは秦の片手に捉えられ、ゆっくりと上下に扱か
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第8話(31)

 秦の店のパウダールームでされたように、内奥を指でこじ開けられ、挿入される。「……ひくついてますね。やっぱり、素直な体だ。そうであるよう、長嶺組長にずっと愛されているんでしょうね。三田村さんは、そんな先生に溺れている、といったところですか」 指の動きに合わせて、顔を背けて喘いでいた和彦は、思わず秦を見上げる。秦は唇に笑みを刻んだ。「なんとなく、ですよ。店に駆け込んできて、先生を大事そうに抱えているあの人を見たら、そんな気がしたんです。――で、先生は、長嶺組長の一人息子とも仲がいいと聞いているんですが」 話しながら秦の指は内奥から出し入れされ、感じやすい襞と粘膜を擦り上げていた。和彦が一瞬、答えを拒むように唇を噛むと、浅い部分をぐっと指の腹で押し上げられ、痺れるような感覚が生まれる。「あうっ……」「もしかして先生は、長嶺組長だけの〈オンナ〉じゃないんですか?」 肉を掻き分けるようにして、長い指が付け根まで内奥に挿入されると、条件反射のように嬉々として締め付ける。目を細めた秦が、内奥で指を蠢かし、掻き回す。 喉を鳴らした和彦は、シーツを握り締めながら言った。「だったら、なんだ……。ヤクザ三人と同時に寝たら悪いと、悪党を自称するあんたが言うのか?」 目を丸くした秦が、和彦を見下ろしてくる。得体の知れない生き物を見るような眼差しは、次第に興奮の色を帯びたものへと変わっていった。それに伴い、指による内奥への淫らな愛撫は大胆になり、中で指を曲げられて強い刺激を与えられる。「うあっ……、あっ、ああっ」 ビクビクと腰を震わせて感じると、秦はあっさりと指を引き抜き、楽しげに笑った。「……わかりますよ、先生にハマる理由が。ハンサムで清潔感があって爽やかな青年医師で、物腰は穏やか。皮肉屋だけど、反面、他人にとてつもなく甘い部分もある。そして、したたかで、底知れない色気があるんです。そのギャップが、たまらない。先生本人は、ヤクザの世界にずっぷり浸かっていながら、まだ堅気としての一線だけは守ろう
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第8話(32)

「わたしも、先生にハマったと言ったら、四人目に加えてもらえますか?」「何、言って……」「秘密を共有するという前提抜きでも、先生とこうするのは、麻薬めいた魅力があるんです。一度味わうと、やめられなくなりそうな――」 秦の逞しい欲望が、蕩けて弱くなっている内奥の入り口に擦りつけられたかと思うと、ゆっくりと侵入を開始する。「あっ……」「先生、力を抜いてください。絶対に、乱暴にはしませんから。そう振る舞いたくても、わたしの今の体では無理なので、安心してください」 一度は、薬の力を借りて強引な行為に及ぼうとした秦だが、今はとにかく優しく、紳士的だった。それとも、怪我のせいなのか。和彦には判断がつかない。 そもそも、秦とこんなことをしている理由が、快感に霞む頭ではわからなくなってきている。 互いを秘密で雁字搦めにして、秘密を守る。そうして新たに生み出した秘密は、とてつもない罪悪感と恐怖を与えてくるだろう。 この男は、和彦がそれらに耐えてまで守る価値があるのか――。 太い部分に内奥をこじ開けられ、秦が深く腰を進めようとする。緩く首を左右に振って和彦が喘ぐと、一度動きを止めた秦に、反り返った欲望を扱かれながら、もう片方の手に胸の突起を弄られる。 快感に流されてしまう前に、やっと和彦は言葉を紡いだ。「……あんたは、何者だ」 片手を伸ばして秦の頬に触れる。秦は軽く目を見開いたあと、和彦のてのひらに唇を押し当てて笑った。「秦静馬がわたしの本名だと、信じていないんですね」「名前だけの問題じゃない。あんたの存在そのものを言っているんだ。ぼくを〈オンナ〉扱いしている男は、一人は長嶺組の組長で、もう一人はその息子。そして、ぼくの〈オトコ〉は、長嶺組の若頭補佐。……あんたは?」 深い質問だと言って、秦は笑った。和彦がもう、自分を受け入れる気はないと察したらしく、行為をやめる代わりに、覆い被さってくる。そんな秦の体を、初めて和彦は両腕で抱き締めた。 しかし和彦は、この抱擁を後悔するこ
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第8話(33)

** 別れ際、玄関で秦に抱き締められてから、和彦は部屋をあとにした。 エレベーターの中で、もう二度と秦と会わないということはおそらく不可能だろうなと、ぼんやりと考える。秘密を共有してしまったということもあるが、秦との間に確かな結びつきができたことを実感していたのだ。 賢吾や千尋、三田村との間で生まれた結びつき――縁と、同種だ。肉欲と切っても切れない縁で、それはすぐに、情へと変化する。さすがに和彦も、それぐらいは学習していた。 複雑になった事態と人間関係を、自分はどうするつもりなのか、考えたくなかった。体も心も、秦から与えられた感覚にまだ酔っている。そのくせ、熱い欲望を受け入れなかったせいか情欲の火が燻っており、胸が甘苦しい。 今、自分を知っている人間と会いたくなかった。特に、体の関係を持っている男たちとは。一目見て、和彦の異変に気づくはずだ。 エントランスを出ると、乾いた夜風に、汗ばんでいる肌をさらりと撫でられる。 和彦は髪を掻き上げてから、歩き出す。深夜とはいえ、繁華街に近い場所柄、通りかかるタクシーを停めるのは容易なのだが、少し歩きたい気分だった。 しかし、十歩も歩かないうちに足を止めることになる。ふいに背後から、短くクラクションを鳴らされたからだ。 反射的に振り返った和彦は、狙っていたようなタイミングで車のヘッドライトの光に目を射抜かれ動けなくなる。 その隙に、車のドアが開いた音がして、誰かが側にやってくる気配がした。「――妙なところで出会ったな」 かけられた男の声には覚えがあった。鳥肌が立つほどの寒気に襲われ、まだ目が眩んでいながらも、和彦はその場から立ち去ろうとしたが、腕を掴まれ阻まれる。「放せっ」 手を振り払おうとしたが、容赦なく力を込められる。小さく呻き声を洩らした和彦は、男を――鷹津を睨みつけた。 思いがけない場所で思いがけない男に出会い、頭が混乱していた。それでも、鷹津に対する嫌悪感だけは正常に働いていた。 全身で拒絶を示す和彦とは対照的に、そんな和彦の反応を楽しんでいるかのように鷹津は薄い笑みを浮かべていた。やっと獲物を捕えられたと
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第8話(34)

「この時間、電車は走ってない。タクシーだと、マンションまでの運賃もバカにならないだろ」「あんたに関係ない」「乗れ。送ってやる」「けっこうだ」 ふん、と鷹津は鼻先で笑い、掴んでいた和彦の腕を放す。後ずさるようにして離れようとした和彦の目の前で、鷹津は思わせぶりに携帯電話を取り出した。「長嶺のオンナを、危ない夜道に一人放り出して帰ったら申し訳ないからな。組に連絡して、誰かを迎えに来させてやる。それまでは、俺が一緒にいてやる。あー、ここの住所は――……」 鷹津の芝居がかった独り言を聞いて、和彦は気色ばんでやめさせようとする。「余計なことをするなっ」 鷹津に近づいた途端、再び腕を掴まれた。このとき鷹津の顔には、勝ち誇ったような表情が張り付いていた。それでなくても彫りの深い顔立ちをしている男だ。造作は悪くないが、表情の一つ一つにインパクトがありすぎて、それがひどく和彦を不安に――不快にさせる。 通りかかった車のライトで濃い陰影がついた鷹津の顔は、何より、怖かった。 あの賢吾と対立している男なのだと、肌で実感させられる。息を呑む和彦に、鷹津は粗野な笑みを向けてきた。「俺が送っていってやろうか?」 問いかけではなかった。和彦ができる返事は一つしかない。「ああ……」 ため息をつくように答えると、携帯電話を畳んだ鷹津が助手席のドアを開け、仕方なく和彦は乗り込む。 シートベルトを締めると同時に、乱暴に車が急発進した。 膝の上にのせたバッグを、和彦はぎゅっと掴む。鷹津に対する嫌悪感と警戒心から、全身の毛が逆立ち、ゾクゾクと寒気がする。車に乗るしかなかったとはいえ、痛いほどの後悔を噛み締める。 信号で車が停まったとき、降りることは可能だろうか――。 火花が散りそうなほど苛烈な勢いで、思考を働かせる。和彦は鷹津を敵だと認識している。それでなくても、鷹津に二度ばかり恥をかかせているため、どんな手酷い目に遭わされても不思議ではない。 こんな形で、秦との間にあった行為の余韻が冷めるのは、皮肉だ。いや、自業自得とい
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第8話(35)

「……そこの車道脇で車を停めてくれ。降りる」「不愉快なのは、お互い様だ。マンションまで我慢しろ」 鷹津の言葉の一つ一つが、神経に障る。敵意という剥き出しの棘に切りつけられているようだ。和彦を脅してくるという点で秦も同じだが、少なくともあの男は、言動だけは柔らかく、蜜のように甘い。 それに、寸前まで和彦は、秦と――。 よりによって最悪の男に、最悪の場面で出会ってしまい、和彦は激しく動揺する。せめてもの救いは、暗い車中ということで、蒼白となっている顔色を見られなくて済むことだけだ。「お前、少し前までは、大きな美容クリニックで働いていたんだろ。その前は、救急病院にいた。軽く調べてみたが、医者として評判は悪くなかった。若いのに、腕もよかったみたいだな。それに、親兄弟は――」「ぼくの家族のことは言うなっ」 声を荒らげて和彦が睨みつけると、ちらりと一瞥した鷹津は唇を歪めるようにして笑う。「俺も、お前の家族になんざ興味はない。俺が興味あるのは、長嶺だけだ」 ウィンドーをわずかに下ろした鷹津が、和彦に断ることなく煙草を咥える。煙草の煙が流れてきたので、仕方なく助手席のウィンドーも下ろした。「俺は、あの蛇みたいな男が、蛇らしく地べたを這いずり回る様が見たいんだ」「……自分がされたことへの腹癒せか?」 鷹津から返事はなかったが、急にアクセルを踏み込み、前を走る車に派手にクラクションを鳴らす。あまりに乱暴な運転に、和彦はシートの上で硬直してしまう。「お前も、長嶺には人生をめちゃくちゃにされかかってるんじゃないのか」「ああ。だけど、ぼくは被害者だが、あんたは違う。刑事なんて肩書きは持っているが、あの組長と同じ、悪党だろ」 和彦は無意識のうちに、パンツのポケットに入れた携帯電話をまさぐる。中嶋の部屋で秦と会っていたなど知られるわけにはいかないので、当然、長嶺組の人間に電話はできない。それでも、自分を守ってくれる唯一の存在としてすがらずにはいられなかった。「ハッ、あの男にいろいろ吹き込まれて、それを信じてるのか、佐伯」 鷹津に姓で呼
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第8話(36)

「ヤクザの言うことは、頭から疑うことにしている。そのぼくが、あんたを一目見て感じたんだ。嫌な奴だと。実際、ヤクザより嫌な奴だ……」「口には気をつけろよ。このまま警察署に連行してやってもいいんだぞ」「……なんの罪で?」 ここで鷹津はニヤリと笑った。「お茶をご馳走してやるためだ」 ちょうど信号待ちで車が停まる。迷わず和彦はバックルに手をかけようとしたが、鷹津に手首を掴まれて止められた。和彦は一瞬怯えてしまい、目を見開いたまま粗野な男の顔を見つめる。鷹津は煙草を指に挟み、こちらに煙をふっと吹きかけてきた。「――俺は悪党で嫌な奴だろうが、少なくとも、お前からヤクザという疫病神を引き離すことはできる」 この瞬間、和彦の気持ちは大きく揺れた。救われたとすら思ったかもしれない。 すぐに我に返ったが、そんな和彦に鷹津は、口元には笑みを浮かべながら、しかし怖いほど鋭い眼差しを向けていた。車のライトで浮かび上がる鷹津の目は、冷たい光を湛えながら、ドロドロとした感情の澱が透けて見える。「最近まで、真っ当に生きてきたピカピカのエリートが、薄汚いヤクザのオンナになんてされるんだ。つらいだろ? それでも逃げ出せないのは、最初に恐怖を植え付けられるからだ。それが奴らの手で、逃げ出せないお前がおかしいわけじゃない。だが、いい加減抜け出さないと、お前は被害者じゃなくなる。――ヤクザそのものになる」 掴まれた手を持ち上げられ、指を撫でられる。その感触にまた鳥肌が立ちそうになる。和彦はなんとか気丈に振る舞って鷹津を睨みつけたが、まったく堪えていないのは、顔を見ればわかる。「メスを握る行為は同じでも、表の世界で堂々と医者として握るか、裏の世界でヤクザに飼われながら握るかじゃ、まったく違う。どっちがいいかは……考えるまでもないよな? 堅気なら」 指先をきつく握り締められてから、パッと放される。煙草を揉み消して鷹津は車を出し、和彦はわずかに痛む指先に視線を落とす。「……ぼくが、助けてほしいと泣きついても、あんたはきっと助けてくれな
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第8話(37)

「ヤクザに毒されてるんじゃないか、佐伯。俺はそんなに物騒じゃない」 そういう鷹津の目は、ひどく物騒だった。急に心細さを覚えた和彦は、唇を引き結んで顔を背ける。いろいろあって疲れているところに、剥き身の刃のような存在感を放つ鷹津と話していると、それだけで神経がザクザクと切りつけられるようだ。 息が詰まりそうな緊張感で、車内の空気が張り詰める。そこに沈黙が加わると、まるで拷問だった。 だからこそ、自宅のマンションが見えたとき、和彦はいまだかつてないほどの安堵感を味わう。 車が停まると、努めて落ち着いた態度でシートベルトを外したが、同じくシートベルトを外した鷹津が助手席側に身を乗り出してきて、腰の辺りをまさぐってくる。突然のことに和彦が体を強張らせ、声すら出せないのをいいことに、鷹津の手がパンツのポケットに突っ込まれた。 鷹津の目的はすぐにわかった。体を離した鷹津の手に、買い換えたばかりの和彦の携帯電話があった。取り返そうと手を伸ばしたが、簡単に躱された挙句に、首の後ろを鷹津の片手で掴まれた。 眼前で鷹津が下卑た笑みを浮かべる。和彦が鷹津のこういう表情を嫌悪していると知ったうえで、わざとこんな笑い方をしているのだ。「送ってやった礼に、キスでもしてくれるか? この間はしてもらわなかったからな。今は二人きりだし、人目を気にしなくていいぞ」「――……携帯を返せ。買い換えたばかりなんだ」「知っている。ちょうど新しい番号を知りたいと思っていたところだ」 断る、と和彦は短く答える。次の瞬間、首の後ろにかかっている鷹津の手に力が込められ、ぐいっと引き寄せられる。さらに鷹津との顔の距離が近くなり、気が遠くなりそうなほどの強い嫌悪感に、和彦は体を強張らせる。「俺とお前の携帯番号を交換するだけだ。優しいだろ? 何か困ったことがあったときは、すぐに俺に連絡してこいというわけだ。……嫌とは、言わないよな?」 ひそっと囁かれ、このとき唇に鷹津の息がかかる。そこが和彦の限界だった。微かに首を縦に動かすと、ようやく解放される。 ドアに身を寄せる和彦を見て、鷹津は馬鹿にしたように鼻を鳴らし
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第8話(38)

**** ギシッと微かにベッドを軋ませながら覆い被さってきた賢吾が、無遠慮に和彦の顔を覗き込んでくる。「――先生は、精神状態がわかりやすいな」 芝居がかったような優しい表情で賢吾が言い、対照的に和彦は、不機嫌な表情で応じた。「人が調子が悪いと言っているのに、ズカズカとベッドの上まで乗り上がってくるな」「自分のオンナの体調を気にして、何が悪い?」 悪びれることのない賢吾の言葉に、さらに和彦の気分は滅入る。ふいっと顔を背け、ブランケットでしっかり口元まで隠す。「……仕事はしっかりやっている。今日は、死なせるなと言われている患者の治療もしたし、ヤク中のガキの口に活性炭も放り込んできた」「まずくて堪らないらしいな、活性炭ってのは。――普通は水に溶いて胃に直接流し込むものらしいが」「まずいからといって死にはしない。いい教訓だろ。薬で一時気持ちよくなったところで、あとがつらいって」「うちの組に出入りするガキどもの、生活指導の先生もやってみるか?」 和彦はますます眉をひそめ、とうとう頭までブランケットを被ろうとしたが、すかさず剥ぎ取られ、賢吾に唇を塞がれそうになる。和彦は本気で抵抗して、顔を押し退けた。このとき、賢吾の目から一切の感情が消え、凍えるほど冷たい眼差しを向けられる。「本当に調子が悪そうだ」「さっきからそう言っている」 ようやく和彦の上から退いた賢吾が、ベッドの端に腰掛ける。「――何かあったのか、先生? 繊細な先生が、ときどき思い出したように塞ぎ込むことはあったが、今回は少し様子が違う」 賢吾の片手が伸びてきて、怯える猫の機嫌をうかがうように髪に触れてくる。「心配事でもあるのか」「別に……」「そんな憂鬱そうな顔をして、別に、はないだろ。気づいてくれと言っているようなものだぞ」 口元に笑みを湛えている賢吾を、和彦は見上げる。言いたいこと――というより、告白したいことはいくらでもあるが、どうしても声となっては出てこない。
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