「そう、悲壮な顔をするな。何もこれから、先生の浮気を咎めて折檻するってわけじゃないんだ」 賢吾の口から出た『浮気』という言葉に、意識しないまま和彦の顔は熱くなってくる。そうではないと抗弁したくもあったが、どう説明すればいいのか、よくわからない。 和彦は、抱えた秘密をすべて三田村に打ち明けた。忠実な犬である三田村は、命令通り賢吾に、和彦の言葉を一言一句正確に伝えただろう。もちろんそのことで、三田村を責める気持ちは微塵もなかった。和彦のために、厄介で面倒な仕事を請け負ってくれたのだ。感謝すると同時に、申し訳なさを覚える。 唇を噛む和彦に、賢吾はゾッとするほど優しい声で言った。「冗談だ。秘密を抱えたぐらいで、俺の前でビクビクする先生が、乗り気で浮気をしたなんて思っちゃいない。三田村が理路整然と説明してくれたからな。先生の状況はきちんと把握したつもりだ」「でも……」「酒を飲んでひっくり返った先生を、ここに運び込ませたときに、酒以外のものも飲まされていると薄々気づいていた。だとしたら、あの男に何かあると考えるのも当然だろ。さて、だとしたら秦の目的は――と思っているところに、今回のことだ。先生を通じて、俺と関わりを持つことだとわかったが、行儀はよくねーな。俺の大事なオンナに怪しい薬を飲ませて、乱暴しようとするなんざ」 意味ありげな視線を寄越された和彦は、自分がどんな状況にあるか一瞬忘れて、思わず睨みつけてしまう。 この世の中で、秦の行動をもっとも責められないのは、賢吾だ。和彦を動けなくして拉致した挙げ句、三田村を使って暴行紛いのことをしたのだ。あのときの恐怖はまだ忘れられず、いまだに夢に見て目が覚めることがある。「ただ、先生も無防備すぎる。そういうことをした男のところに、一人でのこのこと出かけるなんてな。また手を出してくださいと、言ってるようなものだ。それとも、出してもらいたかったのか?」 違う、と口中で呟いた和彦は、秦と一緒にいたときの自分の心理を懸命に頭の中で整理する。生まれながらのヤクザともいえる男に、つい数か月前まで堅気だった人間の〈恐れ〉を伝えられる自信は、あまりなかった。「…&hellip
Last Updated : 2025-12-12 Read more