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第15話(4)

「組からの仕事は、組同士で話を通してくれればいい。だけど君個人が相手なら、ぼくは喜んで相談に乗るよ。これでも美容外科医だから、専門的なアドバイスをしてあげられる」「愛される愛人でいるために?」 見た目は砂糖菓子のように甘い由香だが、言うことはなかなか辛辣だ。和彦が返事に困ると、由香は楽しそうに声を上げて笑った。 だがすぐに、ふと思い出したように傍らに置いた紙を取り上げた。受付で渡している、このクリニックのパンフレットだ。「ところで佐伯先生」「何?」「クリニックの名前、ちょっと地味すぎると思う。『池田クリニック』って……。池田って、ここの住所の池田町から取ったんでしょう?」 由香の指摘に、和彦は頷く。クリニックの名については、実はさほど悩まなかった。 和彦も、名義貸しに加担しているだけのクリニックの代表者も、表に堂々と名が出ることは望んでおらず、だからこそ無難に地名を使ったのだ。「わかりやすいだろ?」「えー、もっと派手なのにすればよかったのに。なんか横文字で、カッコイイの」「漠然としたイメージだな」 なんだか千尋と話しているみたいだなと思うと、つい由香との会話――というより、おしゃべりに引き込まれてしまう。 コロコロとよく笑う由香につられて、和彦も顔を綻ばせて話していたが、ふと、視線を感じる。何げなく視線を向けた先に、見知った人物が立っていた。 同様に由香も気づき、その人物に手を振った。「中嶋さーん、こっち、こっち」 由香が気軽に呼びかけると、中嶋は好青年そのものの笑顔を浮かべ、こちらにやってくる。 この場にいる男性たちの大半は、年齢も立場も中嶋より上のはずだが、それでも臆した様子はない。平均を上回るハンサムな顔立ちをした青年が、スーツ姿で颯爽と歩く様は、待合室に新鮮な風を運び込んでくれたようにも感じる。 和彦は隣のテーブルにグラスを置くと、立って中嶋を迎えた。「わざわざ来てくれてありがとう」 そう言って笑いかけようとした和彦だが、このとき心の中では、チクチクとした痛みを感じていた。棘が、良心に刺さ
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第15話(5)

 忘れていた――というのは失礼な表現だろうが、実は今日まで、自分と中嶋の関係が微妙な状態にあることを、意識していなかった。 中嶋が一瞬、訝しむような眼差しを向けてきたので、気を取り直した和彦は笑みを浮かべる。「まさか、君が来てくれるとは思っていなかった」「先生にはお世話になっていますからね。ありがたいことに、先生は、俺には気を許していると思っているみたいなんですよ。うちの組織は」「そう思われていることに、君は意見しなかったのか?」「する必要はないでしょう」 悪びれたふうもなく、こんなことを言えるのは、中嶋の特性だ。総和会の中で、自分の価値を高めるためなら、この男は和彦を利用する。そのことを、当の和彦に隠そうともしないから、憎めないのだが。 和彦は軽く肩をすくめる。「せいぜいぼくとの友情を、高く売ってくれ。君が出世したら、ぼくにもいいことがあるかもしれないから」「ええ、期待して待っていてください」 二人の会話を、由香は楽しそうに目を輝かせて聞いている。一見して、物騒な世界とは無縁そうな三人だが、和彦は長嶺組、中嶋は総和会、由香は昭政組と深く結びついている。事情を知っている気安さで、うっかり妙なことまで口走りそうだと思い、和彦は一旦この場を離れることにする。「このイスに座ってくれ。何か欲しいものがあれば、頼んで――」「大丈夫ですよ、先生。自分でやりますから。先生は他のお客様のお相手をしてください」 中嶋の言葉を受け、他の客の元へと行こうとした和彦は、さりげなく肩越しに振り返る。すでに中嶋は、由香と楽しげに何か話していた。 違和感のないカップルに見えるが、一方はヤクザの組長の年若い愛人で、もう一人は切れ者のヤクザという事実は、ひどく味わい深い。 自分も人のことは言えないが、と和彦が口元に苦い笑みを浮かべたとき、ふと中嶋がこちらを見た。後ろめたさの裏返しだが、中嶋の目に敵意が潜んでいないか探ってしまう。 中嶋の目にあるのは、切れ者のヤクザらしくない揺れる気持ちと、熱っぽさだった。
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第15話(6)

** 無事に内覧会を終えた安堵感に、和彦はソファに腰掛けたまま、ぐったりとする。ようやく一人となり、緊張は完全に解けてしまった。 最後の招待客を見送ったあと、スタッフたちに手伝ってもらってクリニックを片付け、来客用に用意したテーブルやイスも、業者によって運び出された。 ただ、内覧会のために移動させた家具をまだ元の位置に戻していないので、待合室はどこか雑然としている。 そろそろ帰ろうと思うのだが、疲れきった体はなかなか動かない。 もう少しこうしていようかと思っていたところに、待合室に入ってくる足音がした。顔を上げると、コンビニの袋を手にした中嶋が立っていた。さすがに驚いた和彦は、姿勢を戻す。「……帰ったんじゃないのか」 しっかりとクリニックを見学し、どんな施術ができるのかといった質問までぶつけてきた中嶋は、内覧会の招待客としては申し分がなかった。和彦は、ぜひ患者を紹介してくれと冗談交じりに言って、土産を渡して中嶋を見送ったのだが――。 中嶋はニヤリと笑みを見せてから、待合室を見回す。「片付けを手伝うつもりだったんですけど、少し来るのが遅かったみたいですね」「その気があるなら、明日来てくれ。清掃業者を入れたあと、待合室を元の状態に戻したいんだ。だけど、組の人間を使うわけにはいかないし……」「あれっ、俺も組の人間ですけど?」 わざとらしく問いかけられ、和彦はつい笑みをこぼす。ソファに座り直してスペースを空けると、声をかけるまでもなく、中嶋は隣に腰掛けた。「君は、見た目だけなら好青年だからな。イイ男が出入りするクリニックとして、評判を上げる手伝いをしてくれ」「――見た目だけですか?」 冗談のようでいて、意外に鋭い問いかけに、和彦は返事に詰まる。そんな和彦を見て、中嶋は唇の端を動かした。皮肉っぽくも、自嘲気味にも見える微妙な表情だ。 中嶋が差し出してきたお茶のペットボトルを受け取る。ありがたいことに、温かい。すでにクリニック内の暖房は切ってしまったため、体が冷えていたのだ。 さらに勧められるまま
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第15話(7)

 和彦が中嶋に抱く感情は、これまでになく複雑だ。いままでも、この青年に対してどう接すればいいのか戸惑っている部分はあったが、友情めいた感情もあった。だが今は、そこに生々しい――艶かしい感情も入り混じる。 兄の英俊と出会ったことで精神的に参ってしまい、ようやく立ち直ったところに、今日の内覧会も含めて、クリニック開業の準備に追われていた。和彦に、〈他人の恋路〉について考え込む余裕はなかった。 そう、中嶋は、秦に想われているのだ。それどころか、動物的で直情的な欲情を抱かれている。なのに中嶋は、何も知らない。 さらに事態を複雑にしているのは、和彦は中嶋と、キスしているということだ。 考えれば考えるほど、奇妙な関係だ。秦と中嶋、中嶋と和彦、和彦と秦の関係は。 物思いに耽る和彦に気づいた中嶋が、やけに色っぽい流し目を寄越してきた。「ドキドキしますね、先生にそんなふうに見つめられると」 我に返った和彦は、慌てて正面を向き、肉まんを食べる。「……言うことが、〈誰か〉に似てきたんじゃないか」「誰か?」「わかっているんだろ。ときどき感じるんだ。君の物言いは、彼に似ている」 ああ、と声を洩らした中嶋は、困ったような顔をする。「ホスト時代、秦さんの接客の仕方を勉強して、マネしていたんですよ。接客だけじゃない。着るものから、香水まで。そのときの癖が染み付いているんでしょうね。砕けた話し方のときはそうでもないんですが、親しくなりたいと人と話すときはどうしても……、秦さんの影響が出てしまうんでしょう。あの人の柔らかい話し方は、反感を買いにくいですから」 中嶋の話に、今度は和彦のほうが困った顔になる。こういうことをはっきりと聞いてしまうのは抵抗があるが、気になったのだから仕方ない。「親しくなりたい、って……、本気で言ってるのか? 利用し合いたいと言われたほうが、まだ素直に受け止めやすいんだが……」「先生も、この世界に染まってきましたね。人の言葉の裏を読みたがるなんて」「相手によるんだ」
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第15話(8)

 肉まんを食べ終え、しっかりとお茶も飲んでから、一呼吸置いて切り出した。「――その後、彼とはどうなんだ」「秦さんですか?」「他にないだろ。君がなかなか本題を切り出さないってことは」「先生はすっかり、俺の恋愛カウンセラーになりましたね」 ピクリと肩を震わせた和彦は、もう一口お茶を飲んでから、しっかりと口を湿らせる。そして、さりげなく指摘した。「恋愛、か」「おっと、口が滑りましたね。言葉のアヤなので、あまり突っ込まないでください」 芝居がかった中嶋の口調すら、なんだか健気に思えてくるから困る。言った本人は、平気な顔をしてお茶を飲んでいるというのに。 ただ、それが演技かもしれないと思ってしまうのは、もしかするとヤクザの手口にすっかり引き込まれたせいかもしれない。その証拠に和彦は、中嶋を放っておけない。友情に近い感情ももちろんあるが、それ以上に、奇妙な愛情めいたものを感じるのだ。 普通の青年の顔をして、〈女〉を感じさせるという、厄介な相手にもかかわらず――。 そんな中嶋に対して秦は、倒錯した欲情を抱いている。他人からすれば、お似合いの二人ではないかと思うのだが、ヤクザと、ヤクザの世界に限りなく近い場所にいる男同士、そう簡単ではないようだ。「……別に、言いたくないなら、それでいいんだ。ぼくだって、他人の事情にズカズカと踏み込むつもりはないし、本来は、君らでケリをつける問題だろうしな」「ケリなんて、つくんでしょうか……。俺は一人で、気色の悪い道化を演じているんじゃないかって気がしてくるんですよ」「気色悪いなんて言われたら、ヤクザの組長の〈オンナ〉は立つ瀬がないな」 和彦がちらりと視線を向けると、中嶋はニヤリと笑った。「気にしないでください。俺は本来、口が悪いんです。――相変わらず、秦さんからは避けられているように感じて、少し荒んでいるんでしょうかね。仕事はきちんとやっているつもりですが、相手が先生だと、どうしても気が緩む」「愚痴ぐらいなら、聞いてやる。君とは浅からぬ仲だし」 和彦としてはきわどい冗談を言っ
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第15話(9)

 察するものがあり、和彦は反射的に立ち上がろうとしたが、遅かった。中嶋に腕を掴まれて引っ張られる。「おいっ……」「先生は、俺を慰めるのが得意でしょう」「いつ、そうなった」「先日、先生に慰めてもらったときに」 悪びれた様子もない中嶋を睨みつけた和彦だが、本気で怒るつもりはない。こういう甘さを、中嶋に――ヤクザに見透かされてしまっているのだから、勝ち目があるはずもなかった。 空になったペットボトルを傍らに置くと、待っていたように中嶋に抱き寄せられる。和彦はおとなしく中嶋の両腕の中に閉じ込められながら、どうしよう、と心の中で呟いた。 中嶋が嫌な男であれば、大声を出すなり、抵抗するのは簡単なのだ。しかし中嶋は、少なくとも和彦の前では、そんな面は見せない。それどころか、ひどく危うい部分を見せ、放っておけない。自戒していたつもりだが、中嶋と秦の事情に深入りしすぎたのだ。「……そこまで思い詰めるぐらいなら、自分の気持ちを素直に言ったらどうだ」「俺がふざけてキスをしたぐらいで、避けられているのに? 俺が本気だと知ったら、逃げられますよ」「秦は、逃げたりしない」 中嶋に捻くれた欲情を抱いている男が、そんなことをするはずがなかった。むしろ、避けられた中嶋が困惑し、懊悩する姿を楽しんでいると考えるほうが、しっくりくる。あの男は、そういう性癖の持ち主だ。 追い詰められた中嶋が理性をかなぐり捨て、動物のようにがむしゃらになる瞬間を待っていたとしても不思議ではない。 秦の一面を知ってしまうと、そう勘繰りたくもなる。「ずいぶん、秦さんのことを知っているようですね」 ふいにそんなことを言われ、和彦は我に返る。寸前まで健気なことを言っていた中嶋は、今はしたたかなヤクザの顔をしていた。 眼差しの鋭さに、冷たい刃の先を喉元に突きつけられたようだ。「ぼくはあの男と、友人同士じゃない。だからこそ、君が知らない面を見ることもあるんだ」「――先生は普段、秦さんのことを呼び捨てにしているんですね」 中嶋の言葉に、ねっとりと頬を撫
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第15話(10)

「先生?」 ふいに唇を離した中嶋に呼ばれた和彦は、自分の中の疼きを自覚して、うろたえる。思わず視線を伏せると、そんな和彦に何かを刺激されたように、中嶋がまた唇を寄せてくる。和彦は顔を背けようとしたが、簡単に唇を塞がれていた。 熱心に唇を吸われているうちに、和彦の脳裏に秦の言葉が蘇る。伏せていた視線を上げると、中嶋と目が合い、そのまま視線が逸らせなくなった。 和彦は、中嶋の首の後ろに手をかけると、秦にされたキスを忠実に再現する。今度は中嶋がうろたえた素振りを見せたが、それも一瞬だ。次の瞬間には、和彦のキスに応え始めていた。「んっ……」 声を洩らしたのはどちらなのか、わからなかった。舌先を擦り合わせたとき、ゾクゾクするような疼きが和彦の背筋を駆け抜けていったが、同じ感覚を中嶋も味わったのかもしれない。 互いの唇と舌を吸い合い、口腔をまさぐる。差し出した舌を淫らに絡め合う頃には、和彦はある事実を受け入れていた。 中嶋とのキスが――というより濃厚な口づけが、気持ちいい。中嶋を感じさせていることが、気持ちいい。 そう感じたのは和彦だけではなかったようだ。ゆっくりと唇を離した中嶋が、興奮を押し殺したような声で囁いてきた。「……先生が求められる理由が、わかった気がしますよ。先生を感じさせるのが、すごく楽しいんです。三度目のキスで初めて、先生に欲情しました」 中嶋が欲情したのは、秦のキスに対してではないかと思ったが、もちろんそんなことを言えるはずもない。和彦と秦が特殊な関係にあることを、中嶋は知らないし、知らせたくもない。 和彦は努めて冷静なふりをして、こう返した。「君のキスもなかなかだった」 声を洩らして笑う中嶋を、和彦はじっと見つめる。ふと真顔となった中嶋にもう一度唇を吸われ、そのまままた口づけに溺れそうになったが、和彦のジャケットのポケットの中で携帯電話が震えて我に返った。駐車場に護衛の組員を待たせたままなのだ。 電話に出た和彦は、もうすぐクリニックを出ることを告げる。その間に中嶋は立ち上がり、ゴミを袋にまとめてしまう。「俺は先に帰ります
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第15話(11)

**** 目をキラキラと輝かせ、熱心にアクセサリーに見入っている青年の姿は、クリスマスイブの今日は特に絵になる。これは決して和彦の贔屓目ではなく、多分、事実だ。 細身のジーンズにセーター、その上からブルゾンを羽織るという、ラフな格好をした千尋は、アクセサリーショップにいるどの同性よりも人目を引いた。カップルの姿が多いというのに、千尋を値踏みするように眺めていく女性は一人や二人ではない。 店内で繰り広げられる静かな駆け引きを、和彦は保護者のような気持ちで観察していた。 服装のラフさに関係なく、野性味と育ちのよさをあわせ持つ千尋が、大きな組の後継者であるとは、誰も想像すらしないだろう。 側にいると気づかないものだが、こうして眺めていると、明らかに千尋は成長している。外見的なものはもちろん、内面から溢れ出す力が増したようだ。 ここで和彦は大事なことを思い出し、腕時計に視線を落とす。約束の時間が迫っていた。 わかってはいたが、こんな場所で千尋を放し飼いにしておくと、時間がいくらあっても足りない。 さりげなく千尋の傍らに歩み寄り、和彦もショーケースの中を覗き込む。華奢なデザインの指輪が、照明を受けて輝いていた。「千尋、そろそろ行かないと、間に合わないぞ」「んー……、もうちょっと」 まだ何か買う気かと、和彦は呆れる。和彦も人のことは言えないが、今日は特に買い物好きの血が騒ぐらしい。千尋の片手は、立ち寄ったいくつものショップの袋で塞がっていた。ちなみに和彦は両手が塞がっているが、半分は千尋の荷物だ。「何か気になるものがあるのか?」 和彦の問いかけに、千尋がこちらをうかがうように顔を向けてくる。切れ上がった目は魅力的な光を放っているが、和彦はどうしても、犬っころのような眼差しだと思ってしまう。よくも悪くも、喜怒哀楽がはっきりと表れすぎだ。「……何か言いたそうだな」「先生、ペアリングに興味は――」「ない」 あてつけのように千尋は大きく肩を落とす。「なんか、わか
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第15話(12)

 意味ありげに千尋がニヤニヤと笑い、指を一本ずつ折ってみせる。和彦は遠慮なく、千尋の足を踏んづけてやった。そのまま歩き出したが、千尋は慌ててあとを追いかけてきて、あっという間に和彦の手から荷物を取り上げた。 そんな千尋を横目でちらりと見てから、和彦は口元に笑みを刻む。 今日は、アクセサリーショップだけでなく、行く先々の空気が浮ついているようだった。その空気に感化されたように、千尋だけでなく、実は和彦も浮かれている。本当に、今日という日を楽しみにしていたのだ。「先生、朝から機嫌いいよね」 エスカレーターで下の階に向かっていると、先に立った千尋が振り返り、そんなことを言う。「……お前、わかって言ってるだろ」「何を?」 とぼける千尋の頭を軽く小突いた和彦だが、すでに乱暴な手つきで撫でてやる。「お前は大変だな。せっかくのクリスマスイブだっていうのに、仕事なんて」「じいちゃんのお供で、ホテルに泊まりだよ。夜は夜で、どうせ宴会だろうしさ。……オヤジの奴、これも勉強だとか言って、面倒なことは全部俺に押し付けてる気がするんだよなー」 そんな会話を交わしながら二人はビルから通りに出る。 歩きながら千尋は、やけに周囲をきょろきょろと見回していたが、突然、和彦に体を寄せてきて、こそこそと囁いてきた。「クリスマスイブにカップルを見るとさ、妙に生々しい気分にならない?」「……お前、欲求不満なんじゃないか」「そうかも。だって誰かさんが、俺の相手をあんまりしてくれないし――」「仕方ないだろっ。こっちだって忙しいんだっ」 和彦がムキになって反応すると、千尋は前屈みとなって爆笑する。そんな千尋を多少憎たらしく思いながら、和彦はぼそりと呟いた。「お前、ぼくがやったクリスマスプレゼントを返せ」「ダメ。もう、俺のもの」 千尋が犬のようにブルッと頭を振ると、胸元でネックレスが跳ねる。さきほどのショップで買ったもので、和彦が選んでその場で千尋に渡したのだ。 和彦はしみじみと千尋の姿を眺
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第15話(13)

 往来で何を言っているんだと、ため息をついて和彦は顔を反らす。この瞬間、見覚えのある姿を視界の隅に捉えた気がして、心臓が締め付けられる。血の気が引く思いで周囲を見回したが、気のせいだとわかり、一気に緊張が解けた。 精神的に落ち着いたのだが、こうして人ごみの中にいると、どこかに英俊がいて、自分を見ているのではないかという強迫観念に襲われるときがある。誰かの手引きがない限り、街中で出会うはずもないのだが、やはり、先日の出来事は強烈すぎた。 大丈夫だと自分に言い聞かせ、和彦はなんとか気持ちを切り替える。 二人が向かったのは、ビルの近くにあるデパートの駐車場だった。 満車となっているスペースを見回していたが、相手からは二人の姿は見えていたらしく、軽くクラクションが鳴らされる。見ると、長嶺組の組員の姿があった。 後部座席のドアが開けられ、千尋が乗り込む。今日はここで、お別れだ。 和彦は腰を屈め、千尋に声をかけた。「宴会もいいけど、飲みすぎて、ハメを外すなよ。それと――クリスマスプレゼントをありがとう」 和彦は、スウェードの靴を見下ろす。クリスマスプレゼントに何が欲しいかと千尋に聞かれ、『実用的なもの』と答えていたのだが、今日、この靴をプレゼントされた。通勤用に使ってくれということだ。 せがまれるままその場で履いて見せて、なんとなく脱ぐタイミングを失い続けているが、履き心地はいい。足に馴染むのは早そうだ。「先生こそ、ありがとう。それと、クリスマスを楽しんで」 千尋からこう言われると、なんと返せばいいか困る。和彦が微妙な表情を浮かべると、千尋はにんまりと笑った。「三田村がどんなプレゼント用意してたか、あとで教えてよ」「なっ――……」 言い逃げとばかりに千尋はドアを閉めてしまい。和彦は空しく唇を動かす。ウィンドー越しに千尋が手を振ったので、振り返す代わりに、軽く睨みつけてやった。 楽しげに手を振る千尋を乗せて、長嶺組の車が走り去る。それを待っていたように、和彦の背後で車のドアが開く音がした。 振り返ると、スーツ姿の三田村が車から降りるところだった。笑みをこぼし
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