All Chapters of 手遅れの愛、妻と子を失った社長: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話

「もしお父さんが、あの時のことには事情があったんだと言ったら……信じるか?」父の声は、一瞬で何年も老け込んだように聞こえた。「あのとき俺がああするしかなかった。そうしなければ、お前たちまで巻き込まれていたんだ」柚香はあざ笑うように言った。「私が信じると思う?」ナイフで刺しておいて、「これはお前のためだ」なんて言い訳するのと何が違うのか。「一度こっちに来てくれ。全部話す」父の声はさらに重く沈む。「それを聞いて、まだお前が俺を責めるなら……俺は自分の足で、お前のお母さんのところに行って土下座して謝る」「わかった」柚香は電話を切り、タクシーを拾って言われた場所へ向かった。心の中では、これは嘘だ、以前に父が自分を騙した時と同じだと告げていた。しかし、そんな思いの中に、かすかな期待がほんの少しだけ混ざっていた。……本当に事情があったのかもしれない。今の自分には失うものなんてひとつもない。父に騙されるようなものも何も持っていない。だから、もし呼び出した理由がまた昔みたいな嘘だったとしても、もう構わない。でも、もし本当なら…自分にも母にも、彼からの謝罪が必要なのだ。30分ほどで、彼女は指定されたバーに着き、教えられた個室を探し当てた。扉の前に立ち、柚香は少しも迷わずドアを押し開けた。薄暗い照明の中でも、すぐにソファに座る中年の男が目に入る。彼は柚香の姿を見て、ゆっくり立ち上がり、複雑な表情で彼女を呼んだ。「……柚香」柚香は応えなかった。彼女はドアのところに立ったまま、じっと彼を見つめた。数年ぶりに見る彼には、かつて「橘川社長」と呼ばれていた頃の勢いなんて跡形もなく、目元には疲れが色濃く刻まれていた。「そんなとこ突っ立ってないで、こっちに来い」父は歩み寄って彼女の腕を取ろうとし、ソファへと促す。柚香は座らず、ただ彼を見つめた。父の目は複雑で、頭の先からつま先まで一度彼女を眺めると、かすれた声で言った。「痩せたな…ちゃんと飯は食ってるのか?」「そんなのどうでもいい」柚香はその手を振り払った。かつてのように、表面だけの心配ぶりにはもう動じなかった。「お金持って逃げて、私とお母さんを置いてった『事情』があるんでしょ?言ってよ。聞いてるから」「少しぐらいお父さんと普通に話せないのか」父は言葉を落とす。「そんなふうになって…
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第52話

「それが『事情』って言うなら、今すぐ私と一緒に病院へ行って、お母さんに土下座して謝って」柚香の言葉は、容赦なくはっきりしていた。父は手にしていたグラスを置き、ゆっくりと立ち上がる。柚香は、てっきり一緒に来るのだと思った。ところが次の瞬間、さっきまでの沈んだ様子が嘘のように消え、顔つきが一変する。鋭くて、陰湿な色さえ帯びていた。「俺に頭を下げさせる?あの女に?笑わせるな」父は一歩ずつ近づきながら、ようやく本性を露わにする。「忘れるなよ。俺がお前とあの女を京原市に置かなかったら、お前なんか一生、遥真みたいな身分の男と関われるわけなかったんだ」その言葉で、柚香にも分かった。父が自分に会った目的は、謝罪なんかではない。「お前は感謝すべきなんだよ」父の声は徐々に熱を帯びていく。「俺のおかげで、ああいう家の『奥さん』になれたんだからな」「……お母さんがどうして昔、目が曇ってあなたみたいな人を選んだのか、本当に理解できない」柚香のなかで、最後の情がすっと消えていく。そう言い捨て、踵を返した。「もう一回言ってみろ!」怒りに火がついた父が腕を掴み、力任せに引っ張ってソファへ投げつける。「誰がここまで育ててやったと思ってる!」柚香が言い返そうとした時、父の次の言葉が落ちた。「お前、遥真と離婚したそうだな」柚香の眉がわずかに寄る。知っている人間はほとんどいないはずなのに、なぜ……「もう時間を無駄にする気はない」父は本当の目的をさらけ出した。もう悲劇の父親を演じる様子はない。「離婚で手に入れた金だ。全部とは言わん。七割くれればいい」「残念だけど」柚香は立ち上がり、皮肉めいた笑みを浮かべる。「一円ももらってない」「ふざけるな。俺には時間がないんだ」父の声が濁る。「私が彼と離婚したのを知ってるなら、最近、指輪を売ったことも知ってるでしょ?」柚香はふっと笑った。むしろ財産がなくてよかったと思うほどに。「もしお金をもらってたなら、お母さんの手術費のために指輪なんか売る?」父は柚香の顔を見て、嘘を見抜こうとした。けれど、どう見ても嘘をついているようには見えない。一千数百万円で売った指輪は本当は二十億以上するものだったと聞いた時、父は遥真から多額の金をもらい、もう指輪の価値すらどうでもよくなったのだと思っていた。だが、理由は全
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第53話

遥真の目は深く沈み、指先がテーブルを静かに叩いていた。何も言わなくても、画面越しの時也には、その冷えた気配がはっきり伝わってくる。「名簿を送れ」遥真が口を開く。「了解」時也は答えた。「で、君の奥さんは?」返事を待つ間もなく、突然自分のスマホがハッキングされたことに気づいた。バックカメラが自動で起動し、続いて感情の抑揚のない声が聞こえた。「カメラを中に向けろ。入れって言ったら、入れ」時也「……」――ビデオ通話をしてくれればいいのに、なんでハッキングすんだよ!個室はさっきより騒がしくなっていた。柚香が父に引きずられて入ってきた瞬間、ほとんどの視線が一斉に彼女へ向いた。「こい!」父は乱暴に彼女を横へ引っ張り、言い放った。「おじさんたちに挨拶してこい」「橘川社長、この子は?」男のひとりが、下心丸出しの目つきで柚香の全身を舐めるように見た。「うちの娘の柚香です」父は愛想笑いを浮かべ、昔の彼とは別人のようだった。「今夜は彼女が皆さんに付き合いますんで、どうか今後の取引、よろしくお願いしますよ」「お安い御用よ」男たちは笑いながら言った。柚香は必死で父の手を振りほどき、初めてあらわにした激しい憎しみの目で睨みつけた。「頭、おかしいんじゃないの!」ありとあらゆる最悪を想像してきたけど、これだけは想像していなかった。だって――自分はこの人の娘なのに。「バチン!」父の平手が彼女の頬を強く打ちつけた。その目は、剥き出しの凶暴さで光っていた。「おじさんたちと飲むくらいで何を偉そうにしてる!まだ自分を遥真さんに甘やかされてた『奥さん』だと思ってるのか?」離婚して一円ももらえなかった。結局、遥真に飽きられて捨てられたんだろう。少しでも情があれば、何か渡しているはずだ。「久瀬遥真?」個室の奥から誰かが疑うように声を上げ、同時に空気がざわついた。「この子って、久瀬家の次男が大事にしてた奥さん?」その一言で、空気が一変した。遥真が妻をどれだけ大事にしていたか、この界隈では有名だった。昔、誰かが軽口で下品なことを言ったら、翌日その会社の株は暴落し、その後も何をやっても上手くいかなかった。「昔の話です。もう離婚しました」父はすぐに言い添える。「だから遥真さんに報復されるなんて心配、ありません」「本当に離婚したの
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第54話

「まさか柚香ちゃんが、こんな気の強い子だとは思わなかったよ」個室にいた連中は、目の前の光景にもまったく驚く様子がなかった。まるでこうした場面には慣れきっているかのようだ。「そりゃ遥真さんが好きになるのも、この性格だからだろうな」「奥さん。一杯どうぞ?」誰かがわざとらしく「奥さん」という呼び方を強調した。柚香の父の視線はずっと変わらず、彼女の反抗なんて眼中にないようだ。「まだ行かないのか?」柚香の指先は、握っている瓶のせいでわずかに震えていた。それでも足は少しずつ後ろへ下がっていく。その動きを、個室の全員が見ていた。「どうやら橘川社長は、会社の再建にはあまり乗り気じゃないようだな」一人の重役が手にしたグラスをテーブルに置き、不満が露骨に顔に出る。「そういうことなら、この酒は飲まなくて結構だ」酒杯がテーブルに「コトン」と落ちた音と同時に、父の顔にも険しさが増した。――せっかくここまで漕ぎつけて、ようやく人脈を繋いで会社を立て直そうとしている。それをこの娘に台無しにされるなど、絶対に許さない。娘が遥真と結婚したと聞いたときは、この繋がりを利用して会社を立て直せると見込んでいた。ところが、あの馬鹿娘は遥真に自分のことを「知らない人だ」と言い張り、そのせいで後になって多くの機会を逃した。「最後にもう一度だけチャンスをやる」父は、彼女が握る瓶を一目を見た。「それ以上逆らうなら、父娘の情なんて考えないぞ」柚香は何の反応もしなかった。とっくに、父娘の情なんて残っていないのだ。彼女が動かないのを見ると、父はもう我慢ができなかった。機を見て、彼女の手から瓶を奪いにかかった。柚香は、手にした瓶を必死で振り回す。ギザギザの割れ口が危険だとわかっていても、父は今日こそは相手に取り入るつもりで、傷を負う覚悟で彼女を押さえつけようとした。ザクッ。瓶の鋭い部分が、父の手を深く切り裂いた。赤い血がにじむ。父は痛みに耐えながら瓶をぎゅっと掴み込み、力任せに彼女の手から引ったくった。その目の色は、最悪と言っていいほど冷たかった。「ガンッ!」瓶は床に叩きつけられ、粉々に砕け散った。父は顔を真っ黒にして言い放つ。「いいから行け。皆さんに……」「これ以上やったら、警察呼ぶよ」柚香は左手で握りしめていたスマホを取り出し、すでに通報番
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第55話

柚香はためらうことなく、父を即座にブロックした。何を代償にすることになるのかはわからない。それでも、来るものは受けるしかないと思った。柚香の父の胸の内には怒りが渦巻いていて、彼女への脅し文句を送り続けていた。だが途中で気づいてしまう――この娘に突きつけられる「脅し」なんて、ほとんどないのだと。子ども?あれは遥真の子どもだ。安江?あの女の素性はあまりにも謎めいていて、もし手を出せば、その背後の誰かがどう動くかわからない。その頃。柚香の去ったあと、時也がまた個室の前に戻ってきた。中の様子をちらりと見てから、ハッキングされたスマホを手に、低く言う。「君さ、自慢してただろ。奥さんはおとなしく従順だって。さっき見たのとちょっと違うみたいだけど?」「……弘志を連れて来い」遥真の声は落ち着いているのに、底に冷気がにじんでいた。時也は一瞬固まり、すぐに察する。「……え、君、ここに来てるのか?」返ってきたのは、彼のスマホの操作ロックが解除される音だけだった。時也は罵りたくなった。自分だって堂々たる久世グループの社長なのに、完全に使い走りじゃないか!ぼやきながらも足は正直に動き、個室に入っていく。彼の姿を見た柚香の父・橘川弘志(きっかわ ひろし)は、それまでの険しい表情を一気に引っ込めた。そして弘志が声を出す前に、時也は口元に笑みを浮かべて言った。「橘川社長、上の階でお会いしたい方がいるそうで」……弘志は不安を抱えながら、時也に連れられて階上へ向かった。扉を開けると、遥真が脚を組んでソファにゆったりと座っていた。黒く冷えた眼差しは感情を読ませず、生まれつきの支配者の圧が空気を重くする。弘志は思わず身震いし、反射的に身がすくむ。時也はラフに歩きながら言う。「連れてきた」「は、遥真さん……」弘志はごくりと喉を鳴らす。さっきまでの威勢など跡形もない。過去にこの男に警告された場面が鮮明によみがえる。遥真は薄く口を開く。「橘川社長は、会社を立て直したいんだって?」弘志は意図が読めず、ただ正直に答える。「……はい」「じゃあ、ひとつチャンスがある。欲しいか?」遥真はテーブルから酒をひとつ取る。その表情は変わらない。弘志の背中に汗がにじむ。慌てて言い訳が飛び出した。「も、もう二度とあの子には関わりません!今日は久し
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第56話

「飲めないなら無理しなくてもいいよ」時也が口元に笑みを浮かべる。「こういうのは、お互い納得してこそだから」弘志はグラスを握る手に思わず力が入り、テーブルを一目を見たあと、いろいろと計算した末にきっぱり答えた。「飲みます!」さっきあの連中は柚香のせいで機嫌を損ねてしまった。もう一度協力してもらおうと思えば、ここで出された酒なんかよりもっと厄介なものを飲まされるに決まっている。欲しいのはチャンス。なら、遥真からもらう方がいい。彼さえその気なら、この先一生、食うに困ることはない。そう腹を括った途端、一杯また一杯とあおり続けた。時也は空になったボトルが次々積み上がっていくのを眺め、隣の男を横目に見た。……どんだけだよ!ドンッ!最後の一本が空になった頃には、弘志はもう完全に潰れていた。足元もおぼつかず、口も回らない。それでも目的だけは忘れていない。「ほら、全部飲みましたよ」「うん」遥真は淡々とした声を返す。弘志が何か言いかけたそのとき、遥真は立ち上がり、彼を一瞥することもなく外へ歩き出した。慌てて行く手を塞ぐ。「は、遥真さん!チャンスって結局なんなんですか!」「本当は、君の会社を建て直すつもりだった」遥真の冷えた眼差しが一度だけ弘志を射抜く。その黒い瞳は、まるで氷のように冷たい。「でも柚香に手を出した時点で、その話は消えた」弘志はぐちゃぐちゃの頭でその言葉をなんとか理解し、数秒後、顔を真っ赤にして怒鳴った。「俺を弄んだのかよ!」遥真は振り向きもせず、冷え切った足取りで歩き続ける。弘志の頭は怒りで真っ白になった。柚香のところで受けた屈辱に、さっきのやり取りで積もった怒り。それらが酒に火をつけ、感情は一気に爆発した。傍にあったボトルを掴むと、遥真の後頭部めがけて振り下ろした!――遥真がなんだってんだ。こんな扱いをしていいと思ってるのか!立場から言えば、自分はあいつの「義父」だ。何年も助けてくれたことは一度もないくせに、今になってこんな仕打ちか、そう思うほど弘志の目には狂気が宿り、振り下ろす力は限界まで強まった。「ガキッ!」遥真は振り返りざまにその手首をつかむと、容赦なくねじった。弘志の腕は一瞬で外れ、痛みの悲鳴を上げる間もなく、遥真の蹴りが飛んだ。ガンッ!ガラガラッ。一連の音とともに、弘志
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第57話

遥真が横目でちらりと見る。時也「!!!」――なんで心の声まで漏れてんだ。「ぼ、僕が言いたいのはさ、君のくれる物ってどれも特別で、僕みたいに何もしてない上に役にも立たないやつが持つ資格なんてないって意味で!」言い直しながら、少しでも遅れたら殺されるとでも言いたげだ。遥真はゆっくりした声で言う。「そんなはずないだろ。久世社長って肩書きだけで十分すぎるくらいだ」反論しようとした時也は、彼の落ち着いた黒い瞳とぶつかった瞬間、即座に白旗を上げた。「……はいはい、僕が悪かった」恭介が小さく咳払いする。「何がおかしいんだ」時也が矛先を変える。「君のボスに、君へ百個贈らせてやろうか?」「うちのボスはいつだって冷静な判断をされます。外部の要因でご判断が揺らぐことなどありません」恭介は真面目な顔のまま続けた。「まさか時也さんの中では、うちのボスは噂話で簡単に動く人なんですか?」「ごますりめ」時也は奥歯をきしっと噛む。遥真が視線だけ寄こす。「俺の部下をいじめるな」時也「……」――好奇心を満たすためじゃなかったら……とっくに降りてるからな、この車!恭介は車をしばらく走らせてから口を開いた。「ボス、柚香さんの車はお子さんの道場の方へ向かっています。お二人はご自宅に戻られますか? それともお子さんの様子を見に行きますか?」「聞くまでもないだろ。もちろん陽翔を見に行くに決まってんじゃん」時也が当然のように代わりに答える。「帰ってきてから一度も遊んでないし」恭介はバックミラー越しに遥真の表情を確認し、いつも通りなのを見てから時也の言ったルートへと車を向けた。その頃、柚香はまだ車の中だった。後部座席で窓の外を眺めているうち、ふと意識がぼんやりとした。ほんの一瞬、学生時代に休日で家に帰っているような妙な錯覚にとらわれる。スマホが震え、真帆からメッセージが届いた。【昨日、言い忘れてたことがある。】柚香【なに?】真帆はボイスメッセージを送ってきた。「ほら、あのケチで自分大好きで、いつも偉そうにしてるあいつ、戻ってきたよ」柚香は一瞬ぽかんとなる。――怜人?そう思っているうちに、車は陽翔が剣道を習っている道場に着いた。支払いを済ませ、車を降りながらスマホで真帆との続きを打ち始める。しかし、文字を半分ほど打っ
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第58話

柚香は怜人と再会するのが四年ぶりだった。とはいえ、三人のグループチャットではずっと話していたので、距離を感じることもない。「たとえ世界が変わっても、俺は変わらないからな」怜人が胸を張って言う。柚香は思わず笑った。怜人は久瀬家が持っている道場をひと目見てから、率直に聞いた。「陽翔を迎えに来たのか?」「様子を見にね。でも、この時間だとご飯も終わって昼寝してる頃かな。6時すぎにまた迎えに来るつもりよ」柚香は時刻を確認してから、近くのスーツケースに視線を移した。「……怜人、まだ何も食べてないでしょ」「飛行機を降りてすぐ、君にサプライズ仕掛けることしか考えてなかったわ。どこに飯食う時間があるんだよ」怜人は彼女に遠慮なく言った。柚香はふっと笑った。「じゃあ、私が奢るよ」ここへ来たのは本当に思いつきだった。弘志の一件のあと、気持ちを落ち着けたくて陽翔の顔を見に来ただけ。どんなにしんどいことがあっても、あの子の顔を見ると不思議と元気が戻る。でも、今は大切な友だちが遠くから帰って来てくれた。昼間にあったあれこれも、少し薄らいだ気がした。「遠慮すんなって」怜人はスーツケースを引き寄せると、いつもの調子で言った。「あの魔王にバレたら、俺が奢られてたなんて知った瞬間ぶった切られるわ!」懐かしい温度が胸に広がり、ここ数日ずっと塞いでいた気持ちがぱっと晴れていく。「さ、行くぞ。本日のランチは俺の奢りだ」怜人はそう言って、柚香を自分の車へ乗せた。再会のサプライズをやるために、彼は空港まで車を届けさせ、さらに柚香の居場所をあちこち探らせた。そして運良く、ぴったりタイミングが合ったというわけだ。だが、このふたりは知らないのは――彼らの動きは、少し離れた黒のマイバッハの中からすべて見られていた。車内の空気は張りつめていて、時也は隣の氷点下みたいな顔をした男を横目で見ながら、息を呑んで身を縮めていた。心の中では恭介への恨みが爆発寸前である。――誰も追ってきてないのに、なんであんなスピード出したんだよ!しかし恭介も恭介で、自分を恨みたい気持ちでいっぱいだった。――どうせ会えるのに、自分はなんであんな勢いで踏み込んだんだ……「……ゴホン」居心地の悪さが限界に来て、時也は小声で口を開いた。「そういえば会社の仕事、ちょっと戻って
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第59話

面白い話を聞けただけならまだしも、気分よく終われたかもしれない。けれど、今日みたいにちょっと触れただけで爆発しそうな話だと、無傷で逃げ切るのは至難の業だ。「僕の考えでは、さっきのは単純に、久しぶりに会った昔の友達同士のハグってだけじゃない?そんなに気にしなくていいと思う」なんとか息ができるように、時也が口を開き空気を和らげようとした。恭介「……」――もう黙っててくれればいいです!時也は、遥真の瞳がどんどん冷たくなっているのに気づいていなかった。「それに、君は柚香と結婚して長いし、子どももいる。怜人の気持ちなんて、もうとっくに消えてるでしょ」「時也さん」恭介は巻き込まれないよう、真面目な顔で口を開いた。「喉、乾いてませんか」「乾いてない」時也は反射的に答えた。恭介は片手でハンドルを握っていたが、手のひらは汗でびっしょりだ。「いや、絶対乾いてますよ」「君の助手、なんかおかしいんじゃないか」時也は隣の低い圧力が少し和らいだのに気づき、ほっと息をつく。「さっきは降ろさなかったくせに、今度は水飲めって迫ってくるし」遥真は首をかしげて彼を見た。「俺も、乾いてると思うよ」「え……」時也は口を開きかけたが、次の瞬間、遥真の深い森の奥のように危うい眼差しを見た途端、言葉が喉で止まった。――さっきの錯覚は一体なんだったんだ!この人を説得できたなんて、どうして思った……僕。「じゃあ、君がそう言うなら」小さな胸がぎゅっと締めつけられるような感覚の中、横にあった水を手に取り、素直に座席に座る。「じゃあ、乾いてるってことで」遥真の瞳は深く沈んでいた。――怜人……すっかり忘れていた相手だ。車はそのまま走り、高級レストランの前で停まった。二人が親しげに笑いながら中に入っていくのを見た遥真は、薄く結んだ唇に冷たさを増していた。時也と恭介は車内でおとなしく座っていた。誰も口を開かない。遥真は車窓越しに視線を向けた。「このレストラン、誰の経営?」時也は少し戸惑った。初めて来る場所で、誰の経営かなんてわかるわけがない。「久世グループの子会社が投資してます」恭介が答え、初めてボスが質問しそうなことを予測して、少し安心した。遥真は隣の時也を見つめる。時也「!!!?」ここまで自分に関係してくるのか?!「今
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第60話

容赦ない。ほんと、容赦なさすぎる!「柚香さんがそれに気づかなかったらどうする気?」彼まで調子に乗って面白がりはじめる。「柚香と怜人って、昔からすごく仲いいんだぞ?」遥真はその質問に答えなかった。柚香がどんな性格か、彼は誰よりもよく知っている。彼女は、誰かに告白されて断ったら、友だち付き合いまできっぱり切ってしまうタイプだ。自分は応えられないのに相手に期待させるなんて申し訳ない、だったら最初から縁を断つほうがいい、そういう考え。一緒に育った怜人も当然それを知っている。だから一度たりとも告白なんてしてこなかった。「じゃあ、先に支配人に説明してくるわ」時也は急に元気になって、さっき車の中で、誓ったことをすっかり忘れていた。「終わったら、どうなったか報告するよ」遥真「いや、いい」時也「え?」遥真は車を降りた。「俺も一緒に行く」「了解」と答えた時也は、行く前に恭介へ向かって、これから近距離で見物してくるからな、とでも言いたげにドヤ顔してみせた。恭介は礼儀正しい笑みを返したが、内心では、どう考えても嫌な予感しかしなかった。――これ、見に行くのは修羅場のほうでは?そんな気配を微塵も感じない時也は、店に入るなり支配人へ状況を説明し、遥真が横にいるせいで指示もいつもより細かい。「もし花を渡して柚香が断ったら、カードを見て 『あ、渡す相手間違えました』ってことにしてくれ」遥真が、ふっと視線を向ける。支配人「……?」「個室を出てからまた、『怜人さんって頭いいですね、こんな手配なら、最終的に成功しようがしまいが、言い訳を用意できますから』ってさ」時也はだらっとした口調のまま、でもやけに容赦ない。遥真の指示もあるが、そもそも時也自身が怜人と少し因縁があるせいで、遠慮ゼロだった。「声はあえて小さめ、でも中の人には聞こえるように。わかった?」「わかりました!」レストランの支配人はすぐ動いた。時也はますますテンションが上がり、肩で遥真を軽く小突きながらニヤつく。「どうだ、僕の案」「ようやく頭使ったな」遥真の声は静かに落ち着いていた。もともと軽く牽制するつもりだったが、時也がここまで動くなら止める気もない。怜人は自分が帰国すれば遥真にマークされるだろうと思っていたが、こんなに早く来るとは思っていなかった。
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