Alle Kapitel von 凍える愛の終焉に ―さよなら、偽りのマリアージュ―: Kapitel 231 – Kapitel 240

302 Kapitel

第231話

どれだけ頭を捻っても、「実花がRoseの絵を盗作していると疑われ、番組で公開処刑されようとしている」などという沙耶たちの浅はかな陰謀には思い至らなかったのだ。なぜなら実花は、浅見実花名義で発表する作品と、Rose名義で発表する作品とで、意図的に全く異なる二つの画風を完璧に使い分けていたからだ。そんな言いがかりをつけられる余地など、どこにもないはずだった。まあ、どんなくだらない罠が張ってあろうと、行かなければいいだけの話だけど。実花は淡々と文字を打ち込み、実花のアドレスとRoseのアドレス、その両方から全く同じ定型文を返信した。【スケジュールの都合上、出演は辞退させていただきます。お声がけいただきありがとうございました】送信完了の画面を見て、実花はふうっと短く息を吐いた。なぜだろう。最近、体が妙に気だるいせいか、ふとした瞬間に湊の顔が脳裏をよぎる。以前よりもずっと頻繁に。彼の温かい腕の中だけが、今の実花にとって唯一、心から安心できる絶対的な安全地帯だった。湊……今頃、どうしてるかな。実花が密かに想いを馳せていたその頃――当の篠宮湊は、決して平穏とは呼べない血生臭い状況の只中にいた。極秘裏にP国へ帰還した湊は、電光石火のごとき冷徹な采配で、自身に忠誠を誓う精鋭部隊をまたたく間に再編した。現在は、命を狙われている祖父・守三のベッドの傍らに自ら陣取り、そこを絶対の司令塔として、奪われた鉱山を制圧するための総攻撃を仕掛けている。裏切り者たちを一切の容赦なく追い詰めるその苛烈な手口により、奪還計画自体は恐ろしいほどスムーズに進展していた。だが、今回の反乱の首謀者である伯父・建三。この男は、決して天才的な頭脳を持っているわけでも、圧倒的なカリスマ性があるわけでもない。能力だけを見れば、どこにでもいるごく凡庸な男に過ぎないのだ。しかし、そんな「ただの凡人」こそが、この二十年という長きにわたり名門・篠宮家の内部をかき回し、泥沼の争いを引き起こしてきた張本人だった。二十年前、湊の父親を謀略で死に追いやり、幼い湊の体に毒を盛って海浜市での長い逃亡生活へと追いやった元凶。そして今、当主である守三を生命の危機に晒しているのも、すべてこの男が引き起こしたことである。凡庸な建三がなぜここまでやれたのか。理由は二つある。一つ目
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第232話

無様に見苦しい言い訳をまくしたてる建三を、湊は虫ケラを見るような冷徹な眼差しで見下ろしていた。「当主!冴島の奴らには、まだ裏の計画がある!私はそのすべてを知っているんだ!命を助けてくれるなら、すべて洗いざらい話すから……っ」建三は必死に情報をチラつかせていたが、内心ではズルズルと時間を稼ぐことだけを考えていた。実はこの洋館の裏山には、夜行が万が一のために残していった精鋭部隊が潜んでいるのだ。湊さえも気づいていないその援軍が到着するまで、あと少し話を長引かせれば――しかし、湊の意識は建三の必死の命乞いから、すでにふっと遠ざかっていた。そういえば昔、実花とアクション映画を見た時……湊の脳裏に、不意に最愛の女性の横顔がフラッシュバックした。主人公を追い詰めた悪役が、勝利を確信して長々と自分の計画を語り出したせいで、最終的に逆転負けを喫する。そんな映画のラストシーンを見た実花は、呆れたようにポップコーンを口に放り込みながらこう言っていた。「無駄話なんてしてる暇があるなら、さっさとトドメを刺せばいいのに。悪役が死ぬ理由はいつだって、おしゃべりしすぎたせいよ」それ以来、彼女の仕事上のモットーは「御託はいい、まずは手を動かせ」になっていたはずだ。……違いない。思いがけず実花の顔を思い出した湊の、いつもは氷のように冷たく引き結ばれていた唇の端が、ほんの少しだけ柔らかく弧を描いた。湊はすぐに冷酷な顔つきに戻ると、足元でべらべらと喋り続ける建三に興味を失ったように背を向けた。「先に手足をへし折れ。話は連れ帰ってからゆっくり聞く」「なっ――ぎゃああああああっ!!」木々を揺るがすほどの絶叫が響き渡った直後、手足の関節を無慈悲に粉砕された建三は、白目を剥いて泡を吹き、完全に気絶した。P国にある篠宮家の本邸。その地下深くに造られた拷問用の地下室。氷のように冷たい水を頭から浴びせられ、建三は「ひっ」と短い悲鳴を上げて意識を取り戻した。鎖で椅子に縛り付けられた彼の手足はあり得ない方向に曲がっており、少し動くだけで脂汗が吹き出すほどの激痛が走る。椅子に深く腰掛けた湊が、いよいよ尋問を始めようと薄い唇を開きかけた、その時だった。「建三さんっ!!」開け放たれていた地下室の扉から、白い影が弾かれたように飛び込んできた。華奢な体
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第233話

一方、手足を砕かれ苦しい喘ぎ声を漏らしている建三の瞳の奥に、暗い嘲笑の色が浮かんだ。そうだ百合、もっと罵れ。お前のその言葉が、湊の心を一番深く抉るのだからな……袖口に隠された湊の拳が、微かに、コントロールできないほど震えた。幼い頃から、幾度となく投げつけられてきた母親からの呪いの言葉。聞くたびに、全身を無数の刃で滅多刺しにされるような絶望を味わってきた。自分を化け物と呼んで忌み嫌う同じ口で、妹にはこの世のすべての愛情を注ぐように優しく微笑みかける。同じ腹から生まれたのに、なぜ自分だけがこんなにも憎まれるのか。かつての彼は、血を吐くほどに母の愛を渇望していたのだ。――だが、今は違う。どれほど呪いの言葉をぶつけられても、もう致命傷にはならない。湊の脳裏に、あたたかい光景がふわりと蘇る。実花。そして、彼女を愛情深く育てた養母の由紀子と、養父の礼司。あの三人家族の温かい食卓の光景。彼らが湊に向けてくれた、見返りを求めない本物の温もり。あの眩しい陽だまりのような日々が、かつてどれほど欲しても手に入らなかった愛の欠乏を満たし、粉々に砕け散っていた湊の心を、優しく繋ぎ合わせてくれたからだ。「……喚き散らすのは、それで終わりか?」地べたに這いつくばる母親を、湊は絶対零度の眼差しで見下ろした。湊が少しも取り乱さないのを見て、百合はギリッと奥歯を噛み締めた。「お前の伯父様はもう手遅れよ!これ以上、彼を傷つけるのは絶対に許さない。もしこれ以上手を出そうとするなら……私、今ここで舌を噛み切って死んでやるわ!お前に母親殺しの業を永遠に背負わせてやるんだから!」本気で「愛する男のために命を懸ける聖女」を気取っているその顔を見て、湊は反吐が出そうなほどの嫌悪感を覚えた。彼は汚いものから顔を背けるように身を翻し、冷え切った声で部下に命じた。「こいつらから目を離すな。死なせるなよ」重い足音とともに湊が地下室を去ると、そこには、自分たちを残酷な運命に引き裂かれた悲劇の恋人同士だと信じて疑わない、滑稽な男女だけが残された。百合は建三の血に染まった体にすがりつき、その頬を愛おしげに撫でた。「ああ、建三さん……痛かったわよね、ごめんなさい……っ」大粒の涙をこぼす百合に対し、建三はわざとらしく苦渋に満ちたため息をついてみせた。「百
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第234話

月日は残酷なほど早く流れ、今日は大晦日。観海レジデンスのヴィラは、身の毛がよだつほど静まり返っていた。使用人たちも皆、年末年始の休暇でそれぞれの帰省先へと向かっており、広大な邸宅には凛ただ一人が取り残されている。あの日、凛が強引にこのヴィラに住み着いてからというもの、和真はぱったりと帰ってこなくなった。ごくたまに仕事の書類を取りに戻ってくることがあっても、足早に去っていくだけ。彼女と目を合わせようとすらしない。今夜、和真は瀬戸のメインハウスで年越しをすると耳にしていた。それはつまり、この冷え切った巨大なヴィラで、凛がたった一人で年を越さなければならないということを意味していた。ふらつく頭で、過去の温かなお正月を思い出す。これまでの新年は、いつも特別だった。駿大も、和真も、呆れるほど山積みのプレゼントと分厚いお年玉を用意して彼女を甘やかしてくれた。まるで、永遠に成長しなくていいお姫様のように。あの頃の凛は、その異常なほどの溺愛を当然の権利だと信じて疑わなかった。この幸せな日々が、永遠に続くのだと。けれど、帰国を決意したあの日から、すべてが狂い始めた。思い通りに動くはずだった歯車は完全に崩壊し、誰も彼女を見てくれなくなった。「ああっ……!!」不意に、凛の喉から引き裂かれたような悲鳴が漏れた。狂ったようにテーブルの上の高価な調度品を薙ぎ払い、手の届くものを次々と壁に叩きつける。ガシャアンッ!という甲高い破砕音が、虚しく部屋に響き渡った。ひとしきり暴れた後、どうしようもない現実の重圧がのしかかってくる。凛は糸が切れたようにへたり込み、冷たい大理石の床の隅へと身を縮めた。自分の両膝をきつく抱え込み、子どものように声を上げて泣きじゃくる。お兄ちゃんに会いたい。和真くんに優しくされたい。あの、甘くて温かい過去に戻りたい。でも、もう戻れない。誰も、私を愛してくれない——同じ頃、大晦日であるにも関わらず、和真は昼間も仕事に忙殺されていた。海外企業との重要な契約があり、どうしても今日中にサインを終わらせる必要があったのだ。日がすっかり落ちた頃、漆黒のマイバッハがようやく瀬戸のメインハウスの門をくぐった。邸宅は眩いほどの光に包まれ、祝祭の熱気に満ちていた。本家と分家の人間が一同に介し、あちこちで新年の
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第235話

普段はスタイリッシュで隙のない大企業の御曹司である翔太だが、もちろんこんな手作業は初めてだ。見よう見まねで求肥を伸ばそうとするものの、手つきは危なっかしく、出来上がった大福は驚くほど不格好なスライムのような形になってしまった。夕食の席で、その手作り大福をいただいている時だった。実花が一口かじった瞬間、こりっとした硬い食感に当たった。中から出てきたのは、琴子が遊び心で大福のひとつだけの中に忍ばせていた、黄金色に輝く「幸運の栗」だった。「おお、実花くんが引き当てたか。来年は間違いなく、素晴らしい運気が巡ってくるね」篠田先生が目を細めて嬉しそうに笑う。実花の隣に座る翔太も、その熱を帯びた優しい瞳で彼女を見つめた。「実花」翔太は、甘く、祈るような声で紡いだ。「君の行く先が、どうか穏やかでありますように。これからの日々が、たくさんの喜びと幸せに満たされて、どんな願いも叶うような……そんな輝かしい年になることを祈ってる」彼が見つめるその視線の奥には、切実な願いが込められていた。これ以上、彼女が過去の痛みに涙することがないように。彼女の歩む道が、光に満ちた平坦な道であるように——遠く離れた異国、P国。篠宮家の本邸。この国には大晦日や正月の概念はない。ただ、祖国にいる人々は今日という日を特別なものとし、豪華な晩餐を囲み、家族揃って新年の無事と平安を祈っているはずだった。だが、そんな温かな光景は、ここ篠宮家には永遠に訪れない。特に今年の湊にとってはそうだ。父はとうの昔に非業の死を遂げ、母は狂気に呑まれ、祖父である守三はいまだ病床に伏している。血の繋がりなど、呪いでしかなかった。湊は広大な書斎で、明かりもつけずに一人ソファに沈み込んでいた。窓から差し込む冷たい月明かりだけが、彼の彫刻のような横顔の輪郭をうっすらと浮かび上がらせている。その瞳に感情の色はない。まるで絶海の孤島に一人取り残され、どろどろとした濃密な闇に自ら呑まれていくのを静かに待っているかのようだった。その時だ。『愛しの君よ〜♪ ふわり飛んでゆけ〜♪ 行く手のトゲトゲ薔薇には気をつけて〜♪』突然、静寂を切り裂くように、ひどく時代錯誤で間の抜けた演歌風のメロディが部屋に響き渡った。湊は一瞬、何事かとわずかに目を瞠った。音が
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第236話

年が明け、騒がしかった黒田家にもいつもの静寂が戻ってきた。朝食の席でのこと。「お祖父様。実は先日、『美の伝承』という有名な美術番組のプロデューサーから出演のオファーをいただいたんです。私の絵画の経験や、この前の国家プロジェクトでのインターン経験について語ってほしいそうで……」沙耶は銀のティースプーンで特注の美容スープを優雅にかき混ぜながら、小指をピンと立ててそう切り出した。向かいの席に座る実花は、顔を上げることもなく手元の食事を続けている。「でも、私なんかより実花さんの方がずっと素晴らしい才能をお持ちですし、視聴者のためになるお話ができると思うんです。だから、このせっかくの機会を、ぜひ実花さんにお譲りしたいなと……」沙耶は顔を上げ、いかにも純真無垢で思いやりのある優しい家族を装った笑みを浮かべた。朝からよくもまあ、そんな白々しい猫撫で声が出せるものね。実花は心の中で盛大にため息をつき、呆れ果てていた。「沙耶、お前は本当に感心な子だね」征二郎は満足げに頷くと、期待を込めた眼差しで実花へ視線を向けた。「実花、お前はどう思う?」実花は静かにティーカップをソーサーに置いた。もし本当にそんな美味しい話なら、承認欲求の塊である沙耶が自分から他人に譲るわけがない。先日、実花が個人的にあの番組からのオファーを蹴った後、次は何を仕掛けてくるかと思っていたが――まさかこんな回りくどい手を使ってくるとは。やはり、背後で糸を引いていたのは沙耶だったのだ。「ええ、いいわよ」実花は上品に微笑み、余裕たっぷりに頷いた。「あなたが『自分にはまだそんな大舞台に立つ実力がない』と自覚しているのなら、代わりに私が行ってあげる」「ッ……!」沙耶の顔色が、青から赤へ、そして土気色へと目まぐるしく変わった。先日、実花と覆面画家『Rose』の両方から出演を拒否され、番組プロデューサーは一度この企画を諦めかけていた。それを沙耶が慌てて引き留め、「私なら絶対に二人を引っ張り出せる」と豪語してしまったのだ。ふん、まあいいわ。これで半分の目標は達成したんだから。沙耶は込み上げてくる屈辱を必死に飲み込み、胸の内で冷たく嘲笑した。公開生放送の場で、自分がRoseの絵を盗作したと暴かれた時――せいぜい無様に泣き喚けばいいわ。黒田家の顔
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第237話

かくして、運命の水曜日がやってきた。スタジオにカメラが入り、全国生放送の番組がスタートした。司会者の滑らかなオープニングトークの後、いよいよメインゲストである実花がステージへと呼び込まれる。事前の異常なほどの宣伝効果もあり、配信サイトの同時接続数は開始わずか三分で一万人を突破し、なおも恐ろしい勢いで伸び続けていた。スポットライトを浴びて登場した実花の姿に、スタジオの空気すら一瞬止まった。今日の彼女は、月明かりのように淡いパールホワイトの滑らかなシルク生地に、繊細な銀糸の刺繍が施されたオーダーメイドのドレスを身に纏っていた。ボディラインに沿うタイトなシルエットと、首元まで覆うクラシカルなデザインが、彼女の持つ高貴さを際立たせている。艶やかな黒髪は無造作にまとめられ、アンティークの細いヘアスティックだけで留められていた。凛とした冷たさと、息を呑むような洗練された美しさが、彼女の周囲だけ空気を変えていた。画面右側のコメント欄は、一瞬にして【美しすぎる】【女神かよ】【画面割れそう】という絶賛の嵐で埋め尽くされた。控室のモニターでその様子を監視していた沙耶は、ギリッと奥歯を鳴らし、嫉妬で顔を醜く歪めた。いい気になっていられるのも今のうちよ。あと少し……あと少しで、その澄ました顔が恐怖に引き攣るんだから!番組は順調に進行し、司会者が核心を突く質問を投げかけた。「さて、浅見先生。あなたはこれまで一貫して伝統的な技法を用いた作品を世間に披露してこられましたが、一方で現代アートについてはどうお考えですか?先生から見て、どちらの方がより優れていると思われますか?」その質問を聞いた瞬間、実花は心の中で小さく眉を上げた。なるほど、最初から露骨な落とし穴を掘ってきたわね。沙耶が異常なまでの執念で、自分とRoseをこの番組で共演させようとしている以上、必ず裏があるはずだ。敵は「実花=Rose」であるという真実を知らない。だからこそ、ここで実花にどちらかの優劣を語らせ、後の対談コーナーでRoseとの間に激しい対立構造を生み出そうとしているのだろう。二人の天才画家のプライドがぶつかり合う修羅場こそ、視聴率を稼ぎたいプロデューサーと、実花を破滅させたい沙耶の最大の狙いに違いない。――けれど、残念なお知らせがある。実花とR
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第238話

画面右側のコメント欄では、わずか十分でこれほどまでに生命力に溢れた絵を完成させつつある実花に対し、【天才すぎる】【筆の運びが神】【鳥肌が立った】と、称賛と崇拝の言葉が滝のように流れていた。ええ、もっともっと褒め称えればいいわ。沙耶は氷のように冷たい笑みを浮かべた。今ここで彼女を神のように持ち上げている視聴者たちこそが、数分後には彼女を地獄へ引きずり下ろす凶悪な悪魔へと変わるのだから。沙耶はステージ上の司会者と、誰にも気づかれないように、ほんの一瞬だけ目配せをした。いよいよ、公開処刑の時間が始まる。実花が見事に絵を完成させると、司会者はわざとらしいほど大げさに褒めそやし、いよいよ最後のプログラム――「専門家とのオンライン対談」へと進行した。しかし、一分経ち、二分が経過しても、モニターには一向に通信が繋がる気配がない。たっぷり三分が過ぎた頃、スタジオには気まずい沈黙が漂い始めていた。バックヤードにいるプロデューサーは舌打ちをし、スタッフに「早くRoseに連絡を取れ!」と指示を飛ばしながら、インカムを通じて司会者へ「もういい、予定を変更しろ。一気に証拠のスケッチを出して追い詰めろ!」と命じた。指示を受けた司会者の声色が、ふっと冷ややかなものに変わった。「さて、浅見先生。実は先ほどから、当番組の元に少しばかり興味深い資料が届いておりまして。ご本人に直接確認させていただきたいのです。……先生は、覆面画家であるRose氏をご存じですか?彼女の『蜉蝣』という作品を見たことは?」司会者の声と同時に、スタジオの巨大なスクリーンにRoseの描いた『蜉蝣』が高画質で映し出された。「ええ。知っていますし、見たこともありますよ」実花は表情一つ変えず、淡々と答えた。「なるほど。では、あなたはRose氏の熱狂的なファンであると?」「いえ、ファンというわけではありません」だって私本人のことだもの。自分のファンになる人なんていないでしょ。実花は内心で肩をすくめたが、そのそっけない態度を、プロデューサーは「図星を突かれて焦っている証拠」だと受け取った。司会者は勝機とばかりに、一歩前へ出て実花を問い詰めた。「それはおかしいですね。あなたが先ほど描いた『蜉蝣』は、Rose氏の作品とあまりにも酷似しています。ファンでもないの
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第239話

どうよ、完璧な言い訳でしょう?沙耶は心の中で舌を出しながら、上目遣いで首を傾げた。「お祖父様?何か問題でもありましたか?私、実花さんのために……」「お前は――」征二郎は深い失望の色を瞳に宿し、沙耶の言葉を遮った。「お前は、Roseの正体が実花本人だということも知らずに、あんな愚かな真似をしたのか?」「…………え?」征二郎はそれ以上何も言わず、軽蔑の視線を一度だけ向けると、執事に車を回させてさっさと帰ってしまった。一人残された沙耶は、冬の冷たい風が吹き抜ける廊下で、雷に撃たれたように硬直していた。同じ頃、スタジオの熱気と混乱は最高潮に達していた。「他人のサインまで偽造したのか!」と司会者に厳しく追及された実花は、焦るどころか、余裕に満ちた涼やかな笑みを浮かべた。「あなたたちが用意していたシークレット・ゲストの専門家というのは、Rose氏のことですよね?なぜご本人に直接繋いで、私との関係を聞いてみないのですか?」なぜ実花がシークレット・ゲストの正体を知っているのか――プロデューサーがその事実に舌打ちし、裏で必死にRoseへの回線を繋ごうとしていると。「失礼、少し電話に出ますね」実花は悪びれる様子もなく、生放送中にも関わらず堂々とスマートフォンを取り出し、通話ボタンを押してスピーカーモードにした。それと全く同じタイミングで、スタジオの巨大なスクリーンに【Roseの音声回線が接続されました】という通知が表示される。司会者が慌ててマイクに向かって呼びかけた。「あ、Rose先生!繋がりましたか、初めまして……」すると――司会者のその声が、スタジオのメインスピーカーから響くと同時に。実花が手に持っているスマートフォンのスピーカーからも、全く同じ司会者の声が遅延なく響き渡ったのだ。『あ、Rose先生!繋がりましたか、初めまして……』スタジオの空気が、一瞬にして凍りついた。誰もが息を呑み、実花の手元を凝視している。「……え?今、どういうことだ?」「司会者の声が、なんで浅見先生のスマホから聞こえてくるんだ……?」観客たちがざわめき始め、一部の勘のいい者たちが信じられないものを見るような目で実花を見つめた。まさか……嘘だろ?圧倒的な静寂と困惑が支配する中、実花はゆっくりとス
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第240話

以前、実花の住むマンションを訪れた際、彼女と湊がただの隣人とは思えないほど親密な空気を漂わせていた光景がフラッシュバックする。もしかして、湊は最初からすべてを知っていた?あいつが口にしていた「初めて会った気がしませんね」だの「不思議な縁を感じますよ」だのといった意味深な社交辞令は、最初から『Rose』としての実花を狙って近づいた結果だったのではないか?パズルのピースが、一つ、また一つと不気味な音を立ててはまっていく。今まで見落としていた無数の違和感や細かな接点が、和真の頭の中で最悪の形で結びつき始めていた。……実花は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっているスタジオを後にした。ネット上はおそらく今頃、前代未聞の神展開に阿鼻叫喚の嵐だろう。SNSの通知は鳴り止まず、フォロワー数もダイレクトメッセージの数も天文学的な数字に跳ね上がっているはずだ。浅見実花という天才古美術修復師としての実績だけでも十分すぎるほどだったが、そこに世界的覆面画家、Roseという正体が加わったのだ。今や彼女の名は、名実ともに芸術界の頂点に君臨するものとなっていた。だが、実花自身はそんな喧騒などどこ吹く風だった。実花を乗せたタクシーは夜の街を抜け、高級住宅街にある観海レジデンスへと向かっていた。和真と暮らしたあの家。もう二度と足を踏み入れることはないと思っていた場所だ。けれど、今日どうしても行かなければならない理由ができてしまった。生放送中のあの騒動。沙耶が持ち出してきた実花の未公開スケッチ。あれがどこから流出したのか、少し考えればすぐに答えは出た。和真の家に残してきた私物だ。たとえ失敗作のラフ画や不要になったスケッチであろうと、あんな男の家に一枚たりとも残しておくわけにはいかない。すっかり日は落ちている。和真が不在であることを祈りながら、実花はタクシーを降りた。無駄な会話はしたくない。顔を合わせず、さっさと自分の荷物だけを回収して立ち去りたかった。見慣れた重厚なドアの前に立ち、インターホンを鳴らす。すぐにパタパタと足音が近づき、ドアが開いた。顔を出したのは、長年この家で家政婦をしている佐藤さんだった。実花の顔を見るなり、彼女はパッと表情を明るくした。「奥様!お帰りなさいませ。ご自分の家なんですから、暗証番号で入られればよろしい
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