三久はシートに肘をついて身を起こし、外れてしまったボタンに目を落とした。いっそ寝転がったまま留めようか。しかし、それではあまりに誤解を招く姿勢だ。かといって、留めずにいるのも気が引ける。由樹は三久の脚を挟むように膝をついていた。引き締まった逞しい体躯から、むせ返るような男の色香が漂ってくる。狭い車内は、吐息が絡み合い、濃密な空気に満ちていく。三久は空いた手で、はだけた襟元をぎゅっと引き寄せた。白魚のような細い指で胸元を押さえると、かえってふくらみの輪郭がくっきりと浮かび上がってしまう。そのとき、黒いスーツの上着を頭からふわりとかぶせられ、上半身をすっぽりと覆い隠された。「それを羽織らないなら、降りるな」ふくらはぎに触れていた温もりが、ふっと離れる。上着を頭からどけると、由樹はすでに降車し、ドアに背を向けて立っていた。三久は急いで身を起こす。ボタンを留めて衣服を整え、宝石箱を手に車を降りた。「……ありがとう」すれ違いざま、蚊の鳴くような細い声が唇からこぼれる。由樹はちらりと三久を見た。束ねた髪の毛先は乱れ、首筋がうっすらと色づいている。その赤みは耳の裏にまで及んでいた。「三久」再び名前を呼ばれ、三久は足を止める。「俺に手伝えることがあれば、言ってくれ」由樹の声は淡々としていたが、どこかうつろな響きが耳にこびりついて離れない。「ありがとう」三久はもう一度口を開いたものの、返せる言葉はそれだけだった。「どうぞ、お帰りください」他人行儀な響きが、距離をいっそう広げる。だが、先ほどの感謝には確かな誠意がこもっていた。理由や思惑はどうあれ、由樹が手を貸してくれたのは事実。礼を言うのは当然だ。ただ、素直に好意を受け取れないだけで。帰宅してようやく、三久は自分が由樹のスーツを着たままであることに気づいた。梨々香が結人を抱いたまま、子犬のように後ろをちょこちょことついてくる。まるで怪しい匂いでも嗅ぎつけたかのようだ。「ちょっと話しただけでしょ?なんで服まで濡れてるわけ?しかもあいつの上着まで着ちゃってさ。雨の中で泣きながら許しを乞う、昼ドラみたいな修羅場でも演じてきたの?」三久は上着をハンガーに掛けた。「考えすぎ。急に降られて濡れただけよ」そう言って、ジュエリーケースを取り出す
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