Alle Kapitel von 社長の子じゃありません――でも、逃がしてもらえない: Kapitel 521 – Kapitel 530

532 Kapitel

第521話

三久はシートに肘をついて身を起こし、外れてしまったボタンに目を落とした。いっそ寝転がったまま留めようか。しかし、それではあまりに誤解を招く姿勢だ。かといって、留めずにいるのも気が引ける。由樹は三久の脚を挟むように膝をついていた。引き締まった逞しい体躯から、むせ返るような男の色香が漂ってくる。狭い車内は、吐息が絡み合い、濃密な空気に満ちていく。三久は空いた手で、はだけた襟元をぎゅっと引き寄せた。白魚のような細い指で胸元を押さえると、かえってふくらみの輪郭がくっきりと浮かび上がってしまう。そのとき、黒いスーツの上着を頭からふわりとかぶせられ、上半身をすっぽりと覆い隠された。「それを羽織らないなら、降りるな」ふくらはぎに触れていた温もりが、ふっと離れる。上着を頭からどけると、由樹はすでに降車し、ドアに背を向けて立っていた。三久は急いで身を起こす。ボタンを留めて衣服を整え、宝石箱を手に車を降りた。「……ありがとう」すれ違いざま、蚊の鳴くような細い声が唇からこぼれる。由樹はちらりと三久を見た。束ねた髪の毛先は乱れ、首筋がうっすらと色づいている。その赤みは耳の裏にまで及んでいた。「三久」再び名前を呼ばれ、三久は足を止める。「俺に手伝えることがあれば、言ってくれ」由樹の声は淡々としていたが、どこかうつろな響きが耳にこびりついて離れない。「ありがとう」三久はもう一度口を開いたものの、返せる言葉はそれだけだった。「どうぞ、お帰りください」他人行儀な響きが、距離をいっそう広げる。だが、先ほどの感謝には確かな誠意がこもっていた。理由や思惑はどうあれ、由樹が手を貸してくれたのは事実。礼を言うのは当然だ。ただ、素直に好意を受け取れないだけで。帰宅してようやく、三久は自分が由樹のスーツを着たままであることに気づいた。梨々香が結人を抱いたまま、子犬のように後ろをちょこちょことついてくる。まるで怪しい匂いでも嗅ぎつけたかのようだ。「ちょっと話しただけでしょ?なんで服まで濡れてるわけ?しかもあいつの上着まで着ちゃってさ。雨の中で泣きながら許しを乞う、昼ドラみたいな修羅場でも演じてきたの?」三久は上着をハンガーに掛けた。「考えすぎ。急に降られて濡れただけよ」そう言って、ジュエリーケースを取り出す
Mehr lesen

第522話

三久は困ったように微笑んだ。その間にも、由樹の姿がふと脳裏をよぎる。「お前は俺に深川を離れてほしいのか」あのとき、薄暗い車内では彼の表情までは、はっきり読み取れなかった。ただ、その瞬間に空気が凍りついたのだけは分かる。「龍太郎ってさ、あたしのDNA鑑定を急がせてくれたんだって。まさか、深川にまでコネがあるなんてねー」梨々香はまたDNA鑑定の話を持ち出した。それからの二日間は、梨々香のとめどないおしゃべりと、日に日に膨れ上がる不安の中で過ぎていった。三日目の朝。まだ眠っていた三久は、突然ドアが開く音で目を覚ます。結人が生まれてからというもの眠りが浅く、些細な物音ですぐに目が開くのだ。「梨々香?」抜き足差し足で入ってきた梨々香が、ゆいを起こさぬよう声をひそめる。「DNA鑑定の結果、出たよ!」三久は頭の中が一瞬真っ白になった。布団をはねのけてベッドを降り、梨々香の背中を押しやって部屋の外へ出る。「結果は?」「……血縁関係、あるって」その声は震えていた。言い終えて三久を見つめ、口を開きかけたものの、続く言葉が見つからない様子だ。一瞬の沈黙ののち、三久は彼女の手を引いてリビングのソファに座らせ、お茶を注いで渡した。「いいことじゃない。喜ぶところでしょ」梨々香の反応は予想とは違っていた。てっきり、歓喜のあまり抱きつかれ、ぐるぐると振り回されるものだとばかり思っていたのに。聡子とは数回しか会っていないが、とても穏やかで優しい人だという印象を受けている。きっといいお母さんに違いない。梨々香には、幸せな家庭が待っているのだ。けれど梨々香は、興奮してはいるものの、手放しで喜んでいるようには見えなかった。「正直ね、この日をずっと、ずっと待ってたの」梨々香の目元がふっと赤く染まる。鼻をすすった次の瞬間、前触れもなく涙がこぼれ落ちた。「本当の両親に会えるなんて考えたこともなかった。ましてや、受け入れてもらえて、可愛がってもらえるなんて……想像する勇気すらなかったよ」三久はティッシュを引き抜き、彼女の涙を拭う。「梨々香が言ってたじゃない。私たちは根っからの善人だって。だったら、家族もきっと優しい人たちだよ。何を怖がることがあるの?」ティッシュは涙でぐっしょりと濡れた。新しいものに替えてもすぐに濡れて
Mehr lesen

第523話

「梨々香、お父さんと一緒に家に帰ろう。な?」恒雄は慈しむような眼差しで梨々香を見つめた。「弟が家で待ってるぞ。うまいものをたくさん用意させたんだ」聡子もこくこくと何度もうなずく。「お父さんとお母さんで、あなたと子供を一緒に連れて帰るわ」梨々香に子どもがいることは、これまで一度も隠してこなかった。娘が未婚のまま身ごもり、母親になったと知って、恒雄はいっそう胸を痛めている。すべては、この長い年月、娘を守ってやれなかった己の責任なのだと。「あたし、その……ごめんなさい。まだちょっと慣れなくて、急には呼び方を変えられなくて」梨々香は二人を受け入れてはいたものの、「お父さん」「お母さん」と呼ぶことには未だ抵抗があった。「構わないわ。ゆっくりでいいのよ。こうして家族が揃ったんだから、時間はいくらでもあるわ」聡子の顔を寂しさがふっとよぎる。けれどそれはすぐに消え去った。母親なのだ。この子は、お腹を痛めて生んだ、血を分けた我が子なのだ。二十年以上も会えずにいたせいで、娘がどんな姿に育っているのか、思い描くことすらできなかった。一方の梨々香にとって「母親」とは、ただの記号にすぎない。具体的な姿を伴わず、だからこそ、いっそう遠い他人のように感じられるのだろう。「ああ、ゆっくりでいいぞ」恒雄は部屋をぐるりと見回した。視線が三久に向けられたとき、わずかに眉をひそめる。それからもう一度、口をひらいた。「梨々香、話があるなら家に帰ってからにしよう」聡子もうなずく。「梨々香の子供は?」「まだ寝てる。青木さんがついてくれてるから」梨々香は廊下の突き当たりの、固く閉ざされたドアを指さした。「その前に、ちょっとだけ話をさせてほしいの」聡子はちょうど赤ちゃんを抱こうと子ども部屋へ向かいかけていたが、梨々香の言葉に足を止め、恒雄を振り返った。夫婦は視線を交わし、そろって梨々香へと向き直る。「言ってごらん」恒雄と聡子は立ったままだった。腰を据えて話をする気などさらさらなく、一刻も早く梨々香を連れて帰りたい。そんな焦燥感がありありと滲み出ている。「二人とも、どうぞ座って」梨々香はソファの上の小さなおもちゃをどけた。夫婦はもう一度顔を見合わせ、ようやく腰を下ろす。三久はきびすを返してキッチンへ向かった。お
Mehr lesen

第524話

「事情が複雑なの。私たちにとって、真相なんてどうでもいいのよ。あなたと弟の無事より大事なものなんて、何一つないんだから!梨々香、お父さんがもう全部手配してくれたわ。あとは、あなたが帰ってくるのを待つだけなのよ!」聡子は、梨々香がこのままどこかへ行ってしまうのではないかとひどく怯えていた。すがるように娘へと歩み寄り、涙ぐんだ瞳で訴えかける。「お父さんとお母さんと一緒に、おうちに帰りましょう?ね?」梨々香は、すっとその手をかわした。「やだ。この何年もの間、あたしは外で苦労して辛い思いをして、本来ならあたしのものだったはずのものを全部奪い去られてきた。そんなの、納得できるわけない。高崎家には帰る。でもそれは、失ったものを取り戻すためだよ!」「梨々香、お前が思っているほど簡単な話じゃないんだ」恒雄がなだめるように口を挟む。「お父さんが不甲斐なくて、お前に申し訳ないことをした。そう思ってくれていい。だがな、お父さんは本当に、もう古い話を蒸し返して危ない橋を渡りたくないんだ。ただ、家族みんなで穏やかに、仲良く暮らしたいだけなんだよ」胸が張り裂けんばかりに涙をこぼす妻の姿に、恒雄もまた深く胸を締めつけられていたのだ。「あたしは……」「梨々香」意地を張る彼女を見かねて、三久がそっと声をかける。「高崎さんの言うとおりよ。家族が揃うことより大切なものなんてない。過ぎたことは、もう過ぎたこと。海外に出て、子どもにもっと良い教育を受けさせてあげられるなら、それに勝ることはないじゃない」「行かない」梨々香は横目で三久をにらんだ。「あたし、絶対に行かないから!」娘がここまで海外移住を拒絶するとは、聡子には予想外だった。胸を痛め、自分を責めながらもすべがなく、すがるような視線を夫へ向ける。見かねた恒雄のほうが、妥協した。「分かった。それなら、海外移住はひとまず見送ろう。まずは家に帰ろう。お前の弟もずっと待ってるんだ。な?」「だったらみくちゃんも連れてく」梨々香は再び、ぎゅっと三久の腕を掴んだ。高崎夫妻との再会。その光景を、三久はこれまで幾度となく思い描いてきた。興奮と歓喜、そして嬉し涙。自分はその傍らで静かに彼女の幸せを喜び、見届けるだけで十分だった。ただ一つ、自分まで一緒に連れて帰ろうとするだな
Mehr lesen

第525話

梨々香は結局行ってしまった。蒼汰と身分証以外は、何一つ持たずに。ベビーシッターの青木は三久のもとに残り、世話を続けてくれている。昼食を作り終えると、ドアをノックして声をかけてきた。「三久さん、お昼ができましたよ」三久は午前中ずっと部屋に引きこもっていた。頭が鉛のように重い。梨々香が出ていったせいなのか。それとも、聡子のあの言葉のせいなのだろうか。――私も、高崎家の人間……だとしたら、私はいったい誰なのだろう。いいえ、そんなことはどうでもいい。今の私はゆいの母親。ただ、ゆいの母親というだけだ。「三久さん、何があったにせよ、ごはんは食べないと。でないと、ゆいちゃんはどうなるんです?」青木は事の顛末を知らない。朝方、外から言い争う声が聞こえてきたものの、気を使って部屋から出なかったのだ。しばらくすると梨々香が入ってきて、眠ったばかりの蒼汰を抱き上げて出ていってしまった。詳しい事情は何も話さず、ただ「みくちゃんのそばにいてあげて」とだけ言い残していた。おそらく彼女は、もうここへは戻ってこないのだろう。喧嘩でもしたのだろうか。梨々香はもともと騒がしい性格だが、今回はどう見てもただ事ではなかった。青木の目にも、彼女が本気であることは明らかだった。カチャリとドアが開き、三久が部屋から姿を現した。ベビーラックを押すその穏やかな表情の下には、いまにも砕け散りそうな感情が押し隠されている。「分かりました。少しゆいを見ていてもらえますか。顔を洗ってきます」青木はベビーラックを受け取り、洗面所へ向かう三久の背中を見送る。「梨々香さんと何があったのか私には分かりませんけどね。出会いがあれば別れもあるって言うじゃないですか。お二人はお友達であって、血の繋がった姉妹じゃないんです。いつか離れる日が来るのも、決して不思議なことじゃありませんよ」ジャーッと流れる水音に青木の声が混じり、三久の耳へと届く。両手ですくった冷たい水に熱い涙が混じり、顔を濡らした。どれほどそうしていただろう。洗面所から戻ってきたとき、三久の目元は先ほどよりも赤く腫れていた。「……もう大丈夫です。ごはんにしましょう」ベビーラックを受け取り、ダイニングへと向かう。お昼が近づき、空が晴れてきた。窓から差し込む陽射しが、食卓を柔らかく照らし出
Mehr lesen

第526話

「梨々香、あなたと大和はお父さんとお母さんのすべてなの。私たちにとって、何より大切な存在なのよ。ほかのものは何もいらない。でも、あなたたちを危険な賭けに巻き込むことだけは――」梨々香が強引に言葉を遮る。「復讐なんてしなくたっていい。でもせめて、あの頃何があったのかは知りたいの。二人はあんなに争いごとを避けて生きてきたのに、どうしてあの人たちはそんな酷いことをしたの?そんなふうにみ……とにかく、何があったのか分からないうちは、あたしは絶対に行かない」聡子の顔にありありと焦りの色が浮かぶ。恒雄は静かに箸を置き、真剣な眼差しで告げた。「どうしても知りたいというなら、お父さんが調べよう」「うん」梨々香は短く頷いた。「それと、みくちゃんもいずれ高崎家に戻るって言ってたよね。あれ、どういう意味?」恒雄は腕を上げ、腕時計に目をやる。「おそらく、いまごろはもう誰かが向かっているはずだ」梨々香の顔がすっと曇る。「あの子の話はやめましょう。さあ、ごはんにしましょう」三久の話が出た途端、聡子はあからさまに表情を曇らせた。「ちょっとお手洗い」梨々香は席を立ち、足早にトイレへ向かった。ドアを閉めるなりスマホを取り出し、洲人へ電話をかける。ところが、何度コールしても洲人にはいっこうに繋がらなかった。ギリッと歯を食いしばり、梨々香は由樹宛に短いメッセージを打ち込む。【みくちゃんとゆいを助けて。でないと、あんた一生後悔するよ!】……明日には摩美が深川へ到着する。彼女は由樹に内緒で、哲朗へ電話をかけていた。「小林、私の電話を無視する気かと思っていたわ」哲朗の額にじっとりと冷や汗がにじむ。「摩美さん、ご冗談を」――電話に出ないなんてとんでもない。今夜の着信から逃げ回ったところで、どうせ明日には摩美本人が深川へ乗り込んでくるのだ!「これだけ時間を与えたのに、何も掴んでいないなんて信じられないわ」摩美が問い詰めているのは、三久のお腹の子と由樹との関係についてだった。哲朗はしどろもどろになりながら、しばらくしてようやく絞り出すように答えた。「確かに、少しだけ掴んだ事実はあります。ただ、確たる証拠はなくて……その、早坂さんの出産予定日から妊娠時期を逆算すると、ちょうどその時期に、酒井社長
Mehr lesen

第527話

昼食のあと、結人はいつものように眠ろうとはしなかった。あーうーと舌足らずな甘えた声を出しながら、小さな腕を思い切り伸ばして体をよじらせている。「日に日に大きくなりますねえ。もう抱っこをせがむようになって」青木は三久の顔色を窺ったが、喜んでいるのか沈んでいるのかは読み取れなかった。それでも、結人のことなら話しやすいだろうと、なんとか気まずい空気を和ませようと話題を探していた。三久はソファに深くもたれかかり、ぼんやりと結人を眺めていた。「ん」と短く鼻を鳴らす。それが青木への返事だった。「三久さん、あまり思い詰め……」突然、インターホンのチャイムがけたたましく鳴り響き、青木の言葉を断ち切った。三久は反射的に背筋を伸ばし、玄関を振り返った。「梨々香さんが帰ってきたんじゃないですか?」青木はすぐに立ち上がる。「私が開けてきますね!」「待って!」三久は鋭く呼び止めた。「まず、誰か確かめてから」青木は顔をほころばせ、玄関へ向かいながら言う。「梨々香さん以外に誰がいるっていうんです?三久さんは深川にほかのお友達もいないでしょう。あんなに仲のいいお二人ですもの。多少ぶつかったって、すぐに元通りになりますよ。梨々香さんだって」二人のそばにこれだけ長くいるのに、青木は洲人のほかに友人らしい人物を見たことがなかった。結人の誕生祝いの日に訪れた由樹と龍太郎も、それほど親しい間柄には見えなかったのだ。おそらく急に声をかけられ、その場を賑やかにするための数合わせだったのだろうと推測していた。青木は梨々香が戻ってきたのだとすっかり思い込み、確かめもせずにドアを開けた。「りり……」言い終える前に、ドアの外に立つ見知らぬ女に言葉を遮られた。「どちらさまですか?」「早坂三久さんに会いに来たの」久留美は青木を上から下までジロジロと見ると、ふと何かを思いついたように、自身のバッグから分厚い札束を取り出した。「あなた、産後ヘルパーさんでしょう?今すぐ荷物をまとめて帰ってちょうだい。もうこの子の世話は結構よ」青木は目を丸くした。差し出された札束を見つめたまま、頭の中が真っ白になる。その甲高い声が耳に届き、三久の心はスッと冷え込んだ。ソファから立ち上がり、玄関へ向かおうとする。すると、あーうーと声を漏らして
Mehr lesen

第528話

青木はすぐに結人を抱き取った。「はい、それでは先に入っていますね」場の空気がおかしいと察した青木は結人を抱きかかえ、高崎夫妻から距離を取るようにして部屋の奥へと消えていった。「話は家に帰ってからにしよう。ここは他人がいて話しにくい」武司は三久を見て高圧的に言った。「まさか、お母さんの直感がここまで当たるとはな。最初から、お前に何か特別な縁を感じていたそうだ。さあ、早く帰ろう。お母さんは何もかも準備して待っているんだ」久留美がこくこくとうなずく。「荷物は全部置いていって構わないわ。子どもさえ連れて、私たちと一緒に帰ってきなさい」「どうぞ、お掛けください」三久は二人にソファを勧めた。お茶を二杯、二人の前に差し出した。武司と久留美は視線を交わし、そのあとでようやく腰を下ろした。「この何年か、私たちはあなたに本当にすまないことをしたわ。あなた……もし不満があるなら、何でも言ってちょうだい。何があっても、私たちと一緒に帰ってきてくれさえすれば!」久留美は三久へ身を乗り出した。三久は背筋をぴんと伸ばして座り、淡々とした口調で告げた。「高崎社長、久留美さん。申し訳ありません。DNA鑑定は受けておりません。お二人は何か勘違いをなさっていると思ったからです。高崎家にもう一人娘さんがいたなんて、これまで一度も聞いたことがありません。それに私は、施設長が西戸市の山の中で拾ってくださった捨て子です。仮にお二人が本当に娘さんを失われたのだとしても、それは私ではありません」仮に二人の娘である自分が迷子になったのだとしても、人さらいに遭ったのだとしても、さらわれたのだとしても、西戸市の山の中に捨てられるはずがない。「そこにはきっと誤解があるのよ。だからあの人たちは、あなたを西戸市に捨てたの。殺せば犯罪になるから、ただ、私たち母娘を引き裂きたかっただけなのよ!」久留美は迷いなく言い切った。三久は一瞬、黙り込んだ。「久留美さんのおっしゃる『あの人たち』とは、どなたのことですか?」「家の恥は外に晒せないけれど、あなたも高崎家の人間だから話すわ。あなたの叔父さん一家よ。あの聡子はね、自分の産んだ子が健康ではなく、幼いうちに亡くしたことで私を妬み、あなたをさらって、遠い遠い場所へ捨てたの!」言いながら、久留美の目に
Mehr lesen

第529話

「まだ高崎家に戻ってもいないのに、そんなに後継ぎのことが気になるのか?」武司は不機嫌そうに眉をひそめた。「正直に言えば、高崎家では昔から、次の世代に健康な子どもが生まれるかどうかをかなり重く見てきた。だが、お前のお母さんは違う。あの頃、お前を守るために妊娠のことを周りに知られないようにして、無事に産んで育てようとしていた。ところが途中でそれが知られて、家の中でひと悶着あった。その時、俺が家の問題をこれ以上大きくしたくなくて、結局、お前のことを表に出さなかったんだ。そのせいで、お母さんがお前を捜すのにもずいぶん時間がかかった。そうでなければ、もっと早く見つけられていたはずだ。お前にとって理不尽だったことは分かってる。だが、だからといって、お母さんにそこまで冷たくすることはないだろう。この先もずっと、自分を責めながら生きろっていうのか?」武司が言い終えると、久留美の目から止めどなく涙があふれた。こらえきれない嗚咽が口の端から漏れ出る。世間の常識からすれば、三久が今ここで親子の名乗りを拒むのは、冷酷で恩知らずと言われても仕方がない。なにしろ、高崎家に戻って令嬢となれば立場は一変し、暮らしは今とは比べものにならないほど良くなるのだから。三久が名乗りたいかどうかなど、誰も気にしない。大事なのは高崎家が娘として迎え入れたがっていること、そして久留美がこの何年も彼女を忘れられずにいたという事実なのだ。「本当は、高崎家に戻って顔に泥を塗ってしまうのが心配なんです」三久は言い方を変えた。「私は未婚で子どもを身ごもりました。子どもは……父親が分からないんです」その言葉に、久留美の泣き声がふっと途切れた。「父親が、分からない?」「構わん」武司は気にするなと言わんばかりに手を振った。「深川で高崎家の悪口を言う者などいない。ただ、この先お前も結婚することを考えて、お前さえよければ、こういう計画がある」三久のまぶたがぴくりと震えた。視線を床に落とし、表情は薄く静かなままだった。「どんな計画ですか」武司は声を少し落とし、秘密めかして言う。「智和の子は、お前の子と同じ日に生まれたんだ。お前の子を智和の養子にすればいい。そうすれば、その子も高崎家の子だ。将来は高崎家を継ぐこともできる。お前は高崎家の令
Mehr lesen

第530話

三久はドアノブを握る手にぎゅっと力を込め、少しあとずさってさりげなく子ども部屋へ通じる廊下を塞いだ。「やっぱりな、お前は酒井社長のそばに長くいすぎて、自分まで大した人間になったつもりなんだろう」武司はリビングを出ると、三久の前に立ちはだかった。「でも、お前が今頼ってるのは九洲グループだ。神崎洲人なんて、人柄にしても実力にしても、酒井社長とは比べものにならない。よりによってそんな相手に乗り換えて、酒井社長の顔に泥を塗ったうえ、百栄グループまで敵に回した。九洲グループだって、いつまでもお前を庇ってくれるとは限らない。酒井家との関係を修復するためなら、いずれお前を切ることだってある。そうなったとき、誰がお前を守るんだ?酒井家にいつ報復されるか怯えながら生きていくことになるぞ」ビジネスの観点から見れば、武司の分析は実に的を射ていた。「まあ……!」久留美はさっと青ざめて声を上げた。「だめよ、それならなおさら私たちと一緒に帰ってきなさい。たとえ酒井家を敵に回したって、あなたをいじめさせたりしないわ!」そう言うなり、久留美は駆け寄って三久の腕を強く掴んだ。「さあ、お母さんと一緒に帰りましょう」三久が抵抗するより早く、武司ももう片方の腕を強引に掴んだ。「お前たち、お嬢様の荷物をまとめてやれ!」号令と共に、ドアの外に控えていたボディーガードたちがどっとなだれ込んでくる。玄関は一気に男たちで埋め尽くされ、三久は押されたり引っ張られたりしながら、半ば強引に外へ連れ出された。室内から青木の悲痛な声が響く。「何をするんですか!?真っ昼間から子どもを奪うつもり!?」「うわあああん……」ゆいの火のついたような泣き声が、一瞬でマンションじゅうに響き渡った。「ちょっと、あなたたち、何するんですか!まだ一か月ちょっとの赤ちゃんなんですよ。そんな乱暴に扱ったら怪我しちゃいます。早く返してください!」物がぶつかり合う騒々しい音に混じって、青木の切羽詰まった叫び声が聞こえてくる。三久の胸はきりきりと締めつけられた。彼女は咄嗟に力を振り絞って久留美を力いっぱい突き飛ばし、身を翻して部屋へ駆け戻る。不意を突かれた久留美は壁に背中を打ちつける。よろめいたその身体が勢い余って、武司の行く手までも阻んだ。二人とも、三久を引
Mehr lesen
ZURÜCK
1
...
495051525354
CODE SCANNEN, UM IN DER APP ZU LESEN
DMCA.com Protection Status