研究をするために臨床の場を離れることを。周囲へ詫びなくてもいい。誰かに迷惑をかけているような顔をしながら。自分の時間を確保しなくてもいい。研究も仕事の一部として認められているなら。臨床と研究のどちらかを疎かにしているという罪悪感を、毎回抱えずに済む。「研究費は?」「院内の小規模な助成もあるし、大学との共同研究へ入る人もいる。設備やデータが必要なら、内容によっては連携先を探す」真帆は少し考えてから続けた。「大学病院ほど何でも揃ってるわけではないけど、その分、研究だけが偉いという空気でもないかな」「研究だけが?」「大学病院にいた時って」真帆はフォークを置き、私を見る。「論文を書いてる人の方が、臨床を中心にしている人より上みたいな空気、少しあったでしょ」否定できなかった。「うちは、臨床だけをやりたい人もいるし、教育を中心にしたい人もいる。研究をしたい人もいる」「全部を同じ割合でやらせるより、その人が選んだ役割を、勤務としてどう成立させるかを考える方が強いと思う」「全部やらないと評価されないわけではない?」「少なくとも、私はそう感じてない」真帆は肩をすくめる。「全部やる人もいるけど、全部やらないと医師として足りない、みたいな言い方はされない」以前の大学病院では、臨床も、研究も、教育も。求められたことを断らず引き受ける人が優秀だと思われていた。私も、できないと言うことが怖かった。一つを選べば、残りを諦めたと思われる気がして。どれも十分にできていないと感じながら、一つも手放せなかった。「勤務日数は?」尋ねると、真帆は病院の制度を一つずつ説明してくれた。常勤でも週四日勤務を選べること。研究日を含めた勤務設計が可能なこと。専門外来を担当しながら、共同研究へ参加できること。医師ごとの希望を、年度ごとに診療科長と相談すること。育児や介護だけではなく、学位取得や研究を理由に勤務を調整している人もいること。もちろん、すべてが理想的なわけではなかった。人手が不足する時期には、予定していた研究時間を診療へ回さなければならないこともある。診療科によって、制度の使いやすさにも差がある。研究成果を求められる以上、時間だけ確保されても、自分で計画を進めなければ何も残らない。「楽ではないよ」真帆は、期待だけを持たせないようには
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